世界は現実を受け入れることで変わる~自分にしかできないこと~

今日も結構、いい日でした。
まあ、どんな日も「悪い日」など自分で決めているだけなんでしょうけど。
昨日の玉蔵さんの記事(現実の映写機について その2)のコメントのところで、とても身に沁みる文章を発見しました。
転載させてもらいます。
世界は現実を受け入れることで変わる。
とても良い話ですた。
実は俺は、子供の頃美少年でした。今は熊のごときオヤジですが。
腕も足もほっそりと長く、色白で睫毛が長くてぱっちりきれいなお目々をしていて、よく女の子と間違えられたのです。
そんな自分が嫌で仕方なかったです。わざとガニマタで歩いたりして。床屋で顔を剃る時なんかは目をつむると長いまつげがより一層強調されてしまいますので、とても嫌な瞬間でした。今思えば笑えますが。そんな事をしても、何も変わりません。
そんなタイプは今の時代ならむしろ有利に大手を振って歩けるでしょうが、俺の時代は全く逆でした。少年ジャンプは筋肉バトルものばかりで、男は色が黒くて筋肉ムキムキが美しい時代だったのです。ヒーローはラオウかケンシロウ、少し時代が変わっても承太郎かスーパーサイヤ人という時代でした。すくなくとも男子の間ではそういう固定観念ができていました。
白くて貧弱な子は存在を許されぬ半端者であり、少年誌の裏表紙に載っている通信販売のブルワーカーで騙され鍛え上げられる、そんな時代。そんなわけで男子にはよくイジメられました。
女の子からはちょくちょく本命チョコは貰いましたが、自分の何がいいのか全然わからず、何人かの女の子をひどく傷つけてしまいました。
大学生になった頃、そんな俺にも付き合う彼女ができて、ある日、デート中に寄った電器店でたしかマッスルボマーというゲームがデモっており、オープニングの筋肉ムキムキレスラーを指して何げなく「こういうのカッコイイよね~」とか言ったら、彼女の反応が予想と全然違いました。
露骨に嫌そうな顔をして
「気持ち悪い!臭そう!」
こんな考え方をする人がいるとは思いませんでしたが、冷静に考えれば自分に告白して付き合ってくれる子なのだからそういう趣向で当たり前です。
つぅか、昔から少女マンガの王子様は筋肉ダルマではなかったです。なぜそこに気づかなかったのか。自分も相当な石頭でしたが。
我を張らずにあるがままを受け入れていれば、特定のタイプの女性にはモテるわけですから、きっと当時の風潮下でもモテモテライフを送れたはずです。
そうなればイジメてくる野郎どもにも、恐怖より「あ、モテないから俺につっかかってくんのねw」と思えたかもしれません。そうなれば彼らは恐怖や憎悪の対象ではなく、カワイイ奴らです。世界は変わっていたかもしれない。残念ながらその頃に気付くことはできませんでしたが・・・。
俺はもう手遅れですが、若き諸君よ。金玉先生の言葉を胸に刻んで頂きたい。小さな事でも、世界は現実を、自分を受け入れることで変わるのだと。
2010/07/01(木) 23:47:11 先物太郎
ここまで
実は私も無駄に長身で、細身、肋骨が浮き出ているほどのやせ型なんです。
また、これまでに女性と全く付き合ったことがありません。
それだけではなく、人みしりのために、友達と呼べる人がほぼいません。
また、好みのタイプが世間一般とあまりに違うため、そのことを話したこともありません。
そして、たまに思うのです。
私はなぜこんなに普通じゃないのか。
なぜこんな体なのか。
ものすごく若く見られて、恥ずかしい思いをすることもあります。
勉強も出来ないのにスポーツも出来ない。
趣味も、周りの人と違いすぎる。
なぜこんな人生なんだ。
中高時代、たびたび思ったことでした。
自分にしかできないことがあり、自分にしか持っていないものがある。
そう思い続けて、つい最近まで一生懸命それを探してきたつもりでした。
でも、結局何も見つからない。
だめだ、これでは自分の生きる意味がない。
しかし、やっと今になって分かってきたのです。
自分にできることを探していても仕方がない。
自分は今日もこうして生きているんだから、
自分の生活や人生こそにまだ知らない何かがあるのではないか。
そう思うようになってきたのです。
もし、記憶喪失になった自分がいたら、どんな言葉を掛けてあげたいか。
やはり私は、自分の歩んできた道とか、自分にしか分からなかったことを言うでしょう。
陰謀論を、陰謀論として捉えていては、いつまでも状況は変わらない。
自分の生活とどう関わっているかを知ってこそ、初めて伝える意味があるのです。
原爆が科学的にどんなふうに爆発したかをどれだけ聞いても、
体験された方の証言にはかなわない。
兵庫県南部地震のデータを見ているだけでは何も分からない。
被害に遭った方の証言には決してかなわない。
人生に意味があるとすれば、身を持って現象を実感することですね。
そういうことから、感覚と云うものを大切にしたいものです。
大事なのは(誰にとっても自明な)何があったか ではない。
人が、何を感じたか だ。
私は、それを表現できている人に学びたいと思います。
日記こそ、新聞に載るべきだし、ニュースで流されるべきです。
誰にもかけない日記をこれからどんどん書いていくつもりです。
他人に出来ないこと、
それは、自分が自分の人生を歩むことである。
“普通に生きる”ことではない。
とかいったりとか。
(言うまでもない、当たり前だというツッコミがありそうですが)
まあ、そんな感じでこれからも宜しくお願いしますね。
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