衝撃の「編集手帳」~核の平和利用として地震の巣に核爆発人工地震提唱~
関東大震災からちょうど50年の日の文章です。
極めて強烈な表現や発想が大胆に書かれています。
これを核性爆弾(覚醒爆弾)と名付けてネットワーク上に投下したいと思います。
文字起こしさせてもらいましたので、ぜひ読んで下さい。
読売新聞1973年9月1日
朝刊一面コラム「編集手帳」より
科学が進んで、関東大震災のような地震がいつ、どこで起こるか正確に予知できたらずいぶん助かることだろう。あとは、被害を最小限に食い止めることを考えればいいからである◆これに対して、いまのところあんまり当てにならない地震の予知を頼りにするよりは、いっそのこと、たまったエネルギーを制御したらどうだという考え方がある。発生を待つよりも、早めに退治しようというあたりは意表をつくおもしろい発想だと思う。予知より予防◆台風が大型にならないうちに勢力を弱めるとか、消滅させようという考えは以前からあったし、実験も行われている。だが、台風がなくなると日本列島などはたちまち干上がってしまうから、台風のコントロールには慎重を要するが、百害あって一利のない地震を制御するのに遠慮することはない◆台風を吹き飛ばすのに原爆を使おうという着想があったように、大地震をいくつかの中地震に分けて発散させるための引き金になる人工地震を起こすのに、地震の巣の近くで核爆発させればいいという説がある。これこそ模範的な核の平和利用というものだろう◆とはいえ相手が地震のことだから、考えるほど簡単にはいかないだろうし、カネもかかるだろうが、いずれはかならずやってくる大地震の被害の大きさを考えるなら、とくに地震国日本としては地震制御研究の意図を取るくらいのことをしてもいいはずで、それだけの価値と意義は十分にある◆だいじな研究をしていただこうというのにさしさわりがあるかもしれないが、口の悪い学会事情通にいわせると、地震研究所はもちろん、手持ちぶたさで困っているかのようなすぐれた物理学者や航空工学者などがごろごろしているから、人材にこと欠くはずはないという◆これを考えているのは世界的に著名な吉川庄一教授(東大理学部)らごく少数だが、先見の明ある学者の意には耳を傾けるべきである。予知や耐震建築だけが地震対策とは限らないのだから。
ここまで
これを読んで、(少しでも)衝撃を受けない人は、
(はっきり言って)どうかしていると思う。
関東大震災からちょうど50年の日にこんなことをいうのだから、
ふざけているとしか思えない。
箱もの地震予知が無駄なことは歴史が証明しているけれど、
地震制御を無条件に正当化する姿はまるで戦前の報道と同じである。
重要な点として、
まず台風に関して規模を小さくするという気象操作を、
当コラム筆者は当然のように受け入れて語っているところである。
気象操作は今で北京オリンピック開会式の時の
小型ロケット(ミサイル)発射などで注目を浴びた(ゲリラ豪雨誘発)が、
日本の全国紙の一面コラムでここまで堂々と語っていたことを
誰が記憶しているというのだろう。
また、地震制御と気象操作を同じ視点で論じていることにも
かなり注目すべきところである。
1975年には気象兵器の一種として
核爆発を利用した人工地震(地震兵器)が別案件として
記事に取り上げられるが、このころから同じ土俵で
研究されていたと見受けられる。
それだけではなく、日本に原発を持ちこんだとき
「核の平和利用だ、なんだ・・・」と科学者がさかんに
世論を誘導した歴史があったが、この地震制御についても
筆者は同じように述べているのだ。
原爆で人工地震を起こすことが明らかになった時も、
研究者たちは「平和利用だから」大丈夫と言ってきたのである。
何かと「核(兵器)」について探られるのを恐れていたため、
あくまでも“平和利用”の範囲内ですよ~ということにしたのだ。
昨日も過去記事を検索していて気がついたのだが、
そもそも原子力そのものが兵器に転用可能だということを
私たちは忘れていはいないだろうか。
プルトニウム原発なんかは特にそうだし、中性子爆弾にしても、
ロケットを打ちまくる宇宙開発なんかも兵器と近かっただろうし、
北朝鮮の地下核実験一つで騒ぐ前に、何十年も世界は
核をあらゆる面に利用してきたのである。
世界を核でめちゃくちゃにしてきたのである。
それを踏まえたうえで、もう一度上のコラムを読んでほしい。
平和ボケから覚めたならいいかげんにどういうことか、
それがどういうものか、どういう意図が考えられるかが、
良く分かると思う。
予知ができないという理屈を利用して、
なんとしてでも科学技術の発展(兵器開発)を進めようとする
策謀が、見えてこないだろうか?
そもそも日本は形だけでも平和な国なのである。
(法制化こそされてはいないが)「非核三原則」もちゃんとある。
持たず・作らず・持ちこませず・・・
これが本当に守られてきたのかどうか、ちょっと怪しい。
そして誰も、確かめる術は無い。
医薬品に限り、殺戮兵器剤の販売や使用の制限を解除
されるのと同様、(平和利用と云う名目を通して)
科学実験としてもう既に日本で核が使用されているのではないか?
今回の震災にしても、原発が兵器となったのは
もう誰の目にも明らかだ。
これが本当に最初から誰もが意図していなかったと言えるのか?
日本で起きたこれまでの重要な原発事故は
そのほとんどが日付を持って象徴的に仄めかされている。
燃料棒を使って人々に被害を与えたり、
国民の間にパニックを起こさせる計画は無かったのか?
地震兵器が国際的に話題になった時、
そのような核を利用した新しい兵器は
「原爆」をはるかにしのぐということがもう見破られていた。
新聞の過去記事にもそういう表現が見られる。
どちらにしても(話を元に戻すが)、
「模範的な核の平和利用」として「地震の巣の近くで核爆発させればいい」
と、簡単に言ってのけられる精神はどんなものだったのだろうか。
私には到底信じられない、そのような人物が一面コラムを書いていたなんて。
筆者の提唱していた方法が適用されたかまでは不明だが、
確実に核を利用した計画的人工地震が可能と云うことは分かった。
(しかもエネルギーを分散させるほどの地震を誘発するほどの
大きな地震を起こそうというのだからただものではない)
地震対策の発展(?)と共に、兵器の開発も進んでいるはずだ。
私たちはその現実に、今こそ目を向けねばらなない。
もはや他人事ではないことがはっきりしたのだから。
↓私たちは人工地震計画について知る必要がある!と思う人はクリックをお願いします。


↑とにかく共に生き残ろう!と思う人はこちらも応援をお願いします。
極めて強烈な表現や発想が大胆に書かれています。
これを核性爆弾(覚醒爆弾)と名付けてネットワーク上に投下したいと思います。
文字起こしさせてもらいましたので、ぜひ読んで下さい。
読売新聞1973年9月1日
朝刊一面コラム「編集手帳」より
科学が進んで、関東大震災のような地震がいつ、どこで起こるか正確に予知できたらずいぶん助かることだろう。あとは、被害を最小限に食い止めることを考えればいいからである◆これに対して、いまのところあんまり当てにならない地震の予知を頼りにするよりは、いっそのこと、たまったエネルギーを制御したらどうだという考え方がある。発生を待つよりも、早めに退治しようというあたりは意表をつくおもしろい発想だと思う。予知より予防◆台風が大型にならないうちに勢力を弱めるとか、消滅させようという考えは以前からあったし、実験も行われている。だが、台風がなくなると日本列島などはたちまち干上がってしまうから、台風のコントロールには慎重を要するが、百害あって一利のない地震を制御するのに遠慮することはない◆台風を吹き飛ばすのに原爆を使おうという着想があったように、大地震をいくつかの中地震に分けて発散させるための引き金になる人工地震を起こすのに、地震の巣の近くで核爆発させればいいという説がある。これこそ模範的な核の平和利用というものだろう◆とはいえ相手が地震のことだから、考えるほど簡単にはいかないだろうし、カネもかかるだろうが、いずれはかならずやってくる大地震の被害の大きさを考えるなら、とくに地震国日本としては地震制御研究の意図を取るくらいのことをしてもいいはずで、それだけの価値と意義は十分にある◆だいじな研究をしていただこうというのにさしさわりがあるかもしれないが、口の悪い学会事情通にいわせると、地震研究所はもちろん、手持ちぶたさで困っているかのようなすぐれた物理学者や航空工学者などがごろごろしているから、人材にこと欠くはずはないという◆これを考えているのは世界的に著名な吉川庄一教授(東大理学部)らごく少数だが、先見の明ある学者の意には耳を傾けるべきである。予知や耐震建築だけが地震対策とは限らないのだから。
ここまで
これを読んで、(少しでも)衝撃を受けない人は、
(はっきり言って)どうかしていると思う。
関東大震災からちょうど50年の日にこんなことをいうのだから、
ふざけているとしか思えない。
箱もの地震予知が無駄なことは歴史が証明しているけれど、
地震制御を無条件に正当化する姿はまるで戦前の報道と同じである。
重要な点として、
まず台風に関して規模を小さくするという気象操作を、
当コラム筆者は当然のように受け入れて語っているところである。
気象操作は今で北京オリンピック開会式の時の
小型ロケット(ミサイル)発射などで注目を浴びた(ゲリラ豪雨誘発)が、
日本の全国紙の一面コラムでここまで堂々と語っていたことを
誰が記憶しているというのだろう。
また、地震制御と気象操作を同じ視点で論じていることにも
かなり注目すべきところである。
1975年には気象兵器の一種として
核爆発を利用した人工地震(地震兵器)が別案件として
記事に取り上げられるが、このころから同じ土俵で
研究されていたと見受けられる。
それだけではなく、日本に原発を持ちこんだとき
「核の平和利用だ、なんだ・・・」と科学者がさかんに
世論を誘導した歴史があったが、この地震制御についても
筆者は同じように述べているのだ。
原爆で人工地震を起こすことが明らかになった時も、
研究者たちは「平和利用だから」大丈夫と言ってきたのである。
何かと「核(兵器)」について探られるのを恐れていたため、
あくまでも“平和利用”の範囲内ですよ~ということにしたのだ。
昨日も過去記事を検索していて気がついたのだが、
そもそも原子力そのものが兵器に転用可能だということを
私たちは忘れていはいないだろうか。
プルトニウム原発なんかは特にそうだし、中性子爆弾にしても、
ロケットを打ちまくる宇宙開発なんかも兵器と近かっただろうし、
北朝鮮の地下核実験一つで騒ぐ前に、何十年も世界は
核をあらゆる面に利用してきたのである。
世界を核でめちゃくちゃにしてきたのである。
それを踏まえたうえで、もう一度上のコラムを読んでほしい。
平和ボケから覚めたならいいかげんにどういうことか、
それがどういうものか、どういう意図が考えられるかが、
良く分かると思う。
予知ができないという理屈を利用して、
なんとしてでも科学技術の発展(兵器開発)を進めようとする
策謀が、見えてこないだろうか?
そもそも日本は形だけでも平和な国なのである。
(法制化こそされてはいないが)「非核三原則」もちゃんとある。
持たず・作らず・持ちこませず・・・
これが本当に守られてきたのかどうか、ちょっと怪しい。
そして誰も、確かめる術は無い。
医薬品に限り、殺戮兵器剤の販売や使用の制限を解除
されるのと同様、(平和利用と云う名目を通して)
科学実験としてもう既に日本で核が使用されているのではないか?
今回の震災にしても、原発が兵器となったのは
もう誰の目にも明らかだ。
これが本当に最初から誰もが意図していなかったと言えるのか?
日本で起きたこれまでの重要な原発事故は
そのほとんどが日付を持って象徴的に仄めかされている。
燃料棒を使って人々に被害を与えたり、
国民の間にパニックを起こさせる計画は無かったのか?
地震兵器が国際的に話題になった時、
そのような核を利用した新しい兵器は
「原爆」をはるかにしのぐということがもう見破られていた。
新聞の過去記事にもそういう表現が見られる。
どちらにしても(話を元に戻すが)、
「模範的な核の平和利用」として「地震の巣の近くで核爆発させればいい」
と、簡単に言ってのけられる精神はどんなものだったのだろうか。
私には到底信じられない、そのような人物が一面コラムを書いていたなんて。
筆者の提唱していた方法が適用されたかまでは不明だが、
確実に核を利用した計画的人工地震が可能と云うことは分かった。
(しかもエネルギーを分散させるほどの地震を誘発するほどの
大きな地震を起こそうというのだからただものではない)
地震対策の発展(?)と共に、兵器の開発も進んでいるはずだ。
私たちはその現実に、今こそ目を向けねばらなない。
もはや他人事ではないことがはっきりしたのだから。
↓私たちは人工地震計画について知る必要がある!と思う人はクリックをお願いします。


↑とにかく共に生き残ろう!と思う人はこちらも応援をお願いします。
- 関連記事
-
- 気象庁の震源の深さの公式発表がいかにあやふやなものであるかの考察 (2011/04/20)
- 【資料】朝日と読売の「人工地震」&「地震兵器」に関連する見出し (2011/04/25)
- 衝撃の「編集手帳」~核の平和利用として地震の巣に核爆発人工地震提唱~ (2011/04/26)
- エネルギーを投入した後に、核爆発を仕掛ける~これで説明出来たか~ (2011/04/27)
- 「ちきゅう」のすごさ~掘削候補に三陸沖が入っていた/マントルまで掘削~ (2011/04/28)
スポンサーサイト