他人が自分を生きて、自分が他人を生きること~「自他の区別」の無意味さ~
この世の不条理。
いつ死んでもいいようにしておかなければならないこと。
あなたは、私は、
いつ死んでも後悔しないか。
死ぬ気になれば何でもできることが、
この人間社会を貫いている。
確かに、生きていることだけに満足して生きるのはなんか違う。
とは思うけど、死んでしまったらどうしようもない。
この世の不条理。
ピュアな人から順番に死んでいくこと。
人間はだんだんと(時代がすすむにつれ)
「自分のことだけを考える」ようになっているのかもしれない。
他人の中に自分がいて、自分の中に他人がいる。
それだけは、忘れてはいけないと感じる。
自分を作っているのは「他者」との関係。
他者(世界)を作っているのは実は「自分」だったりする。
だからこそ、なるようになっているのかもしれない。
そして都合のよいことから全てを忘れていく。
今日は、当たり前にあるのではない。
やっぱり生きていることは「奇跡」なんだから。
今日も「こんにちは」と言えることが、当たり前でないことを分かっておかないと。
『今日は(こんにちは)、(私は今日も)当たり前に在るのではない』
それ(を言う)以上の奇跡(軌跡)が、どこにあるというのだろう。
自分が自分であることは、完全に虚構だったのだ。
と云うことを後から知ることになりそうで怖い。
そして、それが「死への恐怖」と「生きる原動力」なのか。
自分が自分でいられる間は、ほんのちょっとかもしれない。
せっかく死なずに生きているんだから、それを無駄にはできない。
容疑者は、果たしてそう思っただろうか?
答えなどないけれど。
想像するしかないけれども。
ただ、「自分が他人の分まで生きる」奇跡をかみしめたい。
http://www.youtube.com/comment_servlet?all_comments=1&v=Quv9IhgPswc
ただただ、尊いのだ。
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シャボン玉、卒業証書。
何のために生きて、何のために死ぬのか。
善く死ぬために生き、よく生きるために死ぬのか?
どうせ死ぬから適当に行こうではない。
いつか死ぬからこそ、しっかり楽しく生きていくのだ。
それが「残された者」のたった一つの使命だから。
いつか死ぬからこそ、「今を生きる」のだ。
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