うそつきのパラドックス~ウソのようなホントの世界、ポエムのような世界~
うそつきのパラドックスとは何かより引用
「私がいま話していることは嘘です」
上記の文について考えてみましょう。
まずこの文がうそであると考えてみましょう。うそであると考えると、たしかにうそですと書いてあります。うそであると考えて、じっさい、うそだったので、事実に合っています。したがって本当だということです。
うそだと考えると、本当になりました。
次にこの文が本当であると考えてみましょう。本当であると考えると、発言の内容が事実だということですから、この文のなかでの「私」が話していることは嘘だということになります。
本当であると考えると、うそになりました。
うそであると考えると本当になり、本当であると考えるとうそになってしまいます。これがうそつきのパラドックスのパラドックスとよばれる理由です。
論理学では、ここの嘘というのを偽、本当というのを真と呼びます。
もう一度、上記の文を読んで、この不思議な感じを味わってみてください。
ここまで
考え方によって、真偽が異なってしまうという例でした。
物事を両側から(更には多面的に)見ることは本当に難しいことです。
ただ、考える人は自分だけではありません。
様々な人の生きる世界に学ぶことは一杯あるはずです。
考えさせられるような問題提起の表現方法こそに
オリジナリティーが溢れていると思います。
まるで、ポエムのような世界。
そして、事実は小説より奇なり。
自分を含めた「人が、生き物が生きている」こと自体が。
奇跡なのかもしれません。
死んだあとどうなるのかはとりあえずおいておいたとしても。
私は最近、「生きていること」が最も不思議なことのような気がしています。
なぜなら、「自分は死んでいる!」という人がいないからです。
生きていることを証明できたとしても、死んでいることを説明できないのです。
「生きていること」が、最大の問題であり、謎であるのです。
生きているからこそ、色々あるのです。
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「私がいま話していることは嘘です」
上記の文について考えてみましょう。
まずこの文がうそであると考えてみましょう。うそであると考えると、たしかにうそですと書いてあります。うそであると考えて、じっさい、うそだったので、事実に合っています。したがって本当だということです。
うそだと考えると、本当になりました。
次にこの文が本当であると考えてみましょう。本当であると考えると、発言の内容が事実だということですから、この文のなかでの「私」が話していることは嘘だということになります。
本当であると考えると、うそになりました。
うそであると考えると本当になり、本当であると考えるとうそになってしまいます。これがうそつきのパラドックスのパラドックスとよばれる理由です。
論理学では、ここの嘘というのを偽、本当というのを真と呼びます。
もう一度、上記の文を読んで、この不思議な感じを味わってみてください。
ここまで
考え方によって、真偽が異なってしまうという例でした。
物事を両側から(更には多面的に)見ることは本当に難しいことです。
ただ、考える人は自分だけではありません。
様々な人の生きる世界に学ぶことは一杯あるはずです。
考えさせられるような問題提起の表現方法こそに
オリジナリティーが溢れていると思います。
まるで、ポエムのような世界。
そして、事実は小説より奇なり。
自分を含めた「人が、生き物が生きている」こと自体が。
奇跡なのかもしれません。
死んだあとどうなるのかはとりあえずおいておいたとしても。
私は最近、「生きていること」が最も不思議なことのような気がしています。
なぜなら、「自分は死んでいる!」という人がいないからです。
生きていることを証明できたとしても、死んでいることを説明できないのです。
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