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医療殺戮―現代医学の巨悪の全貌~そもそも医療は人間操作の手段~

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歌詞はこちら




医療殺戮―現代医学の巨悪の全貌より引用


医療殺戮―現代医学の巨悪の全貌

(単行本(ソフトカバー))
ユースタス マリンズ (著), 歴史修正学会 (編集), Eustace Mullins (原著), 矢部 真 (翻訳), 天童 竺丸 (翻訳)

内容の要点
・ガンの放射線治療は、ラジウム鉱山の所有者が自分のラジウム鉱石を売るために始めた。
・タバコで肺がんになるのは、ある添加物とニコチン、タールが反応するためである。
・ガンの代替療法、自然療法には研究費がつかず、ことごとく弾圧されてきた。
・製薬メーカーと政府はワクチンを売るために、流行ってもいない「豚インフルエンザ」の危機を煽り、予防キャンペーンを展開したことがある。
・ある年代以降のポリオ患者は、全員ワクチンが原因であった。
・エイズ患者のうちHIVを持っているのは半数でしかない。
・フッ化物の添加は、ソ連の強制収容所で囚人をおとなしくするために使われていた。

内容(「MARC」データベースより)
すべての人々の関心である健康。世界規模の陰謀が、医療の領域を浸食し、人々の健康を非常に低いレベルまで低下させつつある事態を、丹念かつ正確な調査を基に糾弾する。〈ソフトカバー〉
登録情報

* 単行本(ソフトカバー): 325ページ
* 出版社: 面影橋出版 (1997/10)
* ISBN-10: 4880660108
* ISBN-13: 978-4880660103
* 発売日: 1997/10
* 商品の寸法: 18.8 x 12.8 x 2.2 cm

●第 医療殺戮 目次 複製
日本の読者のみなさまへ……1まえがき……

●第一章 医療独占支配
   ●医療独占支配の企て/
   ●アロパシー医学用ホメオパシー医学/22
   ●医療独占支配が米国民にまわした「ツケ」/27
   ●カーネギー財団による全米の医学校調査/29

●第二章 ニセ医者に操られたAMA
   ●米国医師会を金と権力にまみれさせたシモンズ 「博士」/54
   ●ニセ医者シモンズ 「博士」 のあやしい経歴/35
   ●二セ医者シモンズが米国医師会を牛耳る/59

●シモンズの賄賂強要に楯突いたアポット博士の洞喝/
●組織的脅迫機関だった米国医師会/44
●シモンズ博士を引退に追いやった裁判/45
●後継者フィッシュペインはさらに金まみれ/46
●米国医師会の食品委員会と製薬化学評議会の強大な権限/49
●目にあまる腐敗、良識派の反撃、それに対する報復/
●フィッシュペイン=米国医師会の悪辣な営利活動/54
●続々と認定された危険な医薬品/55
●危険な薬漬けの「すばらしき新世界」/58
●医療情報統制協議会CCHIによる恐るべき組織犯罪行為/6。
●米国医師会は医療独占体制への挑戦を許さない/64
●相変わらず続く恐怖政治/66
●医師会の 「沈黙の綻」/7。
●フィッシュペインついに失脚/74
●医療社会化制度をめぐる医師会の画策/78
●カイロプラクティック撲滅の陰謀/辞
●病院の認定権をもつ民間団体の医療機関認定合同委員会JCAHO/85
●四〇年間も続いたカイロプラクティック撲滅の悪意/86
   ★
●第二章補遺 検閲に行使される医療独占体別の権力/)
●第三章 ガン産業のボロ儲け
   ●ガンの増大と野蛮な現代的治療法/92
   ●気狂い医者シムズとメモリアル病院/95
   ●鉱山王ダグラスがもたらした放射線治療のはじまり/97
   ●メモリアル病院ヘスローン・ケタリングが資金援助/
   ●アルフレッド・P・スローン財団理事名鑑/m
   ●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター幹事会理事名鑑/
   ●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター監督会理事名鑑/
   ●米国ガン協会の育ての親アルバートエフスカー/115
   ●ラスカーの相棒エルマー・ボブスト/
   ●米国ガン協会に関わった人々/
   ●マティルデ・1・クリムの数奇な経歴/
   ●米国ガン協会の金まみれ体質/
   ●詐欺まがいのガン研究/
   ●スローン・ケタリング・ガンセンターに追従する者と逆らう者/
  ●レアトリルをめぐる攻防/
  ●野蛮・残忍なガン手術/
  ●人間モルモット実験の数々/
  ●対ガン戦争の資金集めと使途/
  ●発ガン性科学物質とガンの科学療法/
  ●有害なガンの放射線治療/155
  ●ガンの原因/
  ●逆効果のガン治療/
  ●患者を救ったガン治療法への弾圧/
  ●女性ガンの対策をめぐつて/172
  ●ガンとタバコ業界/
  ●治療効果より優先される既得権益/
  ★
●第三章補遺 明らかにされたガンの原因/
●第四章 死の予防接種

  ●「現代医学教会」の四つの聖水……その丁予防接種/
  ●強制予防接種が天然苧ポリオ・インフ~エンザの流行を招くJ194
  ●豚インフルエンザによる大虐殺/
  ●ワクチンという時限爆弾/
  ●危険で無益なワクチンの経済効果/
  ●
●第四章補遺 予防接種は梅毒も引き起こす
●第五章 フッ化物添加の恐怖

  ●「現代医学教会」の四つの聖水……その二、水道水へのフッ化物添加
  ●水道水フッ化物添加を推進した米国公衆衛生局/
  ●フッ化物添加キャンペーンに向けてのユーイングの暗躍/
  ●フッ化物添加の本当の理由/
  ●フッ化物の人体への影響/224
  ●添加フッ化物の濃度/
  ●フッ化物添加のもう一つの効能は「ソヴィエト化」/
  ●フッ化物大量発生源アルコア社の重役陣/
  ●不治の病アルツハイマー痛はアルミニウムが引き起こす/254
  ★
●第五章補遺 フッ化物は人間の意志を奪いロボット化する/239
●第六章 エイズはどこへ?

  ●エイズの発見/
  ●エイズから明らかになった細胞機能/
  ●エイズの原因/祁
  ●エイズと同性愛者/248
  ●エイズの一般市民への広がりを隠蔽する動き/
  ●ギヤロ博士のHIVウィルス説は間違いだった/
  ●エイズの起源をめぐる諸説/255
  ●民主党によるエイズ隠蔽工作/258
  ●HIV以外のエイズ病原体/
  ●エイズ感染の恐怖と危険な集団/
   ★
●第六章補遺エイズウイルスの開発は国防総省の計画だった?/
●第七章 化学肥料の野望

  ●第三世界の市場開拓/稲
   ●農業開発がもたらした新たな市場/269(
  ●余剰軍事物資が化学肥料に化けたー・/
   ●農業独占支配に向かって/272
  ●農業独占支配が健康におよぼす影響/273
  ●農業独占支配に関わる人々/279
  ●化学肥料は痛気の源/
  ●世界の穀物支配/282
  ●「ソヴィエト大穀物強盗事件」と五大穀物商社の政治経済力/286
●第八章 食物連鎖の汚染
  ●家庭内の化学物質汚染/
   ●化学物質による食物汚染/
  ●危険な食品着色料/
  ●添加物による栄養破壊/295
  ●国民の健康の低下/
  ●体内に蓄積される殺虫剤の毒/
  ●食事療法の効果を阻むもの/
  ●害虫に対する戟争が人間に対する戦争へとエスカレート/
  ●身の回りにあふれる恐ろしい毒物/
  ●体によい食事と悪い食事/
  ●食品放射線照射をめぐる悪あがき/
  ●食品放射線照射の危険性/
  ★
●第八章補遺 歯科充填剤・水銀アマルガムの危険性/
解説 霊性の尊重による文明の融合と調和を 歴史修正学会

  ●半国家日本の屈辱的医療・薬事体制/
  ●「精神が文明を創造する」と看破したマリンズ氏/322
  ●ガンジーの西洋文明批判/525
  ●「医療殺戮」勢力は人間の霊性の破壊まで目論んでいる/





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(続きもぜひ読んで下さい)
医療殺戮

第三章 ガン産業のボロ儲け
   ●ガンの増大と野蛮な現代的治療法/92
   ●気狂い医者シムズとメモリアル病院/95
   ●鉱山王ダグラスがもたらした放射線治療のはじまり/97
   ●メモリアル病院ヘスローン・ケタリングが資金援助/
   ●アルフレッド・P・スローン財団理事名鑑/m
   ●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター幹事会理事名鑑/
   ●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター監督会理事名鑑/
   ●米国ガン協会の育ての親アルバートエフスカー/115
   ●ラスカーの相棒エルマー・ボブスト/
   ●米国ガン協会に関わった人々/
   ●マティルデ・1・クリムの数奇な経歴/
   ●米国ガン協会の金まみれ体質/
   ●詐欺まがいのガン研究/
   ●スローン・ケタリング・ガンセンターに追従する者と逆らう者/
  ●レアトリルをめぐる攻防/
  ●野蛮・残忍なガン手術/
  ●人間モルモット実験の数々/
  ●対ガン戦争の資金集めと使途/
  ●発ガン性科学物質とガンの科学療法/
  ●有害なガンの放射線治療/155
  ●ガンの原因/
  ●逆効果のガン治療/
  ●患者を救ったガン治療法への弾圧/
  ●女性ガンの対策をめぐつて/172
  ●ガンとタバコ業界/
  ●治療効果より優先される既得権益/
  ★第三章補遺 明らかにされたガンの原因/

第三章 ガン産業のポロ儲け
●第ガンの増大と野蛮な現代的治療法

 紀元前四〇〇年のこと、医聖ヒポクラテスは診察中に遭遇したある病気に「蟹」Cancerという名前をつけた。全身にカニのように広がるからである。ギリシア語ではkarkinOS[カルキノス]と呼ばれた。紀元後一六四年にローマの医師ガレノスはこの病気に「腫瘍」1umOurという言葉を使った。これはギリシア語で墳墓を表わす1ymbOSあるいはラテン語で「膨脹する」という意味のtumeOからとった呼び名である。
 ガンは古代ではかなりまれな病気だったに違いない。聖書にも古代中国の医書『黄帝内経』にも載っていないからである。この病気は伝統的な社会ではほとんど知られていなかったが、産業革命の進展に伴って蔓延した。ガンによる死者は一八三〇年代のパリで死亡者全体の二%、一九〇〇年の米国でも四%にすぎなかった。
 ガン患者の増加に伴ってそれに対処するための「現代的」治療法が現われた。既存医療体制批判の先頭に立つロバート・S・メンデルスン博士はこう述べている。
「ジョージ・ワシントンの時代にはヒルを使って血を吸い出す治療が行なわれたが、現代医学のガンの外科手術も、将来はこれと同じように原始的で野蛮な治療法とみなされるであろう」
 彼が述べたこの外科的手術は、ガンの治療法として現在米国全土で広く認められ、国民に強要されている。現代医学のガン治療法は「切る・叩く・焼く」[メスで切る・抗ガン剤で叩く・放射線で焼く]治療法と呼ばれている。手術・出血・薬品大量投薬、それに加えて訳の分からない放射線照射治療だけが頼りの治療法。これが米国にあるドイツ流アロハシー医学の殿堂で行なわれている最高水準の治療法の実態なのである。米国における現代医学のガン治療の殿堂は、lニーヨークにある「メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター」[別称「……ガン研究所」]であり、ここの高級司祭は外科医と研究者である。
 スローン・ケタリング・ガン研究所は、最初の名称を「メモリアル病院」といった。このガンの殿堂を初期のころに支配していたのは、まるでハリウッドの喜劇映画に出てくる「気狂い医者」のお手本のような二人の医者であった。もしもハリウッドでこの病院の映画化の話が出たとしても、この二人の医者の役を片方だけでなく両方ともこなせる俳優は、今は亡きベラ・ルゴシ[一八八四~一九五六、『ドラキュラ』もので世界的名声を得た米国の俳優]しかいないという事実にぶつかって、せっかくの企画もお流れになってしまうことだろう。

●第気狂い医者シムズとメモリアル病院
「気狂い医者」の第一号はJ・マリオン・シムズ(一八二二~一八八三)である。南カリフオルニァ州の保安官で居酒屋を経営していた男の息子に生まれたシムズは、一九世紀版「産婦人科医」であった。彼は遊び半分に「実験的手術」に手を出し、何年も南部の黒人奴隷の女性を実験台にした。
伝記作者によると、その手術は「ほとんど殺人に近い」ものであったという。
 農園の経営者連中から「これ以上うちの奴隷たちに手を出すな」と拒否されたため、やむをえずシムズは一七歳の少女の奴隷を五〇〇ドルで買う破目となった。彼はこのアナーチヤという名前の不幸な少女におよそ二、三カ月のあいだに約三〇回もの手術を施した。当時は麻酔がなかったので、シムズは友人に頼んで手術中アナーチヤを押さえつけておかなければならなかった。だが友人たちもこんな経験を一、二回させられると、たいてい彼にもう協力しなくなった。シムズはアナーチヤを使った実験を四年間も続けた。
 一八五三年、シムズはニューヨークに引っ越すことにした。南カリフォルニアにあった彼の小さな里人病院が、昔のフランケンシュタイン映画のように、夜中に金切り声を上げたいまつを振りかざした村人たちによって取り囲まれたかどうかは、定かではない。しかし、引っ越しは突然、決まったようであった。
 マディソン街に家を買い、その地でフエルブス帝国[フエルブス・ドッジ社、北米最大の銅鉱山会社]の遺産相続人であるメリッサ・フ土ルブス・ドッジ女史という援助者を見つけた。この一族は現在でもガンセンターを援助し続けている有カメンバーである。ドッジ女史の資金援助によって、シムズは「婦人病院」を設立する。その病院は病床三〇、全額寄付金でまかなわれ、一八五五年五月一日に開業した。
 のちに出てくるニセ医者シモンズ 「博士」と同じように、シムズもまたみずから婦人病の専門医として広告を出し、とくに「膀胱降壇」という膀胱と隆の間に痩孔ができる病気の治療が得意であると宣伝していた。しかしこの病気は現在では「医原病」つまり医者の治療が主な原因であることがわかっている。
 一八七〇年代になるとシムズはガンを専門に治療し始めた。この「婦人病院」で行なわれる残忍な手術のうわさは、ニューヨーク中に広まった。またまた「気狂い医者」の登場というわけだった。
病院の理事たちによれば、「不気味な実験のためにすべての患者の命が脅かされていた」とのことである。
 そのためシムズ医師は「婦人病院」を解雇されたが、ある強力な財政的支援者のおかげですぐに復職することになる。
 シムズが知り合ったのはアスター家の人々であった。アスター家の財産は、先祖のジョン・ジエイコブ・アスターが東インド会社や英国秘密情報部、国際麻薬貿易との関係で築いたものであった。
 そのころアスター家のひとりがガンで死亡したため、一族はニューヨークにガン専門の病院を作ろうとしていた。初め「婦人病院」 の理事に、もしガン専門の病院に変えてくれるなら一五万ドルを寄付すると申し出たが、解雇されたことに腹を立てていたシムズは、理事を裏切ってアスター家と個人的に契約をした。そして理事らを説き伏せて、新しい病院の医師として自分を雇わせたのであった。彼の名づけた「ニューヨーク・ガン病院」は一八八四年に開院した。
 シムズはその後パリへ行き、フランス皇后を診察した。またのちにベルギー国王からレオポルド勲章を授与された。明らかに彼の厚かましさは相変わらずであった。
 シムズはその後ニューヨークにもどり、新しい病院を設立する少し前にこの世を去った。
 ニューヨーク・ガン病院は一八九〇年代に別の支援者からの寄付金を受けて「メモリアル病院」と改名された。そして二〇世紀の後半になると新たに「スローン・ケタリング」という名が付け加えられた。名前からは知る由もないが、このガンセンターこそロックフェラー医療独占体制の主要な出先機関としての役割を永年にわたって果たしてきたのである。
 一九三〇年代、ガンセンターがビルを新築するときに、ロックフェラー家はアッパー・イースト・サイドの一等地の地所を寄贈したが、それ以来ロックフェラー家の部下がこの病院の理事会を支配するようになった。
 一九一三年五月、医者や一般の人々がニューヨークのバーヴアード・クラブにガンの全国組織を作るために集まった。この組織に 「米国ガン管理協会ASCCL American SOCiety fOr theCOntrO-Of Cancerという名前が付いたのも、当然といえば当然だった。名稀が「ガン治療協会」でも「ガン予防協会」 でもない点に注意してほしい。実際、この米国ガン管理協会がガンの治療や予防を優先目標にしたことなど、たえてなかったのである。
 一九一三年はもちろん米国の歴史上、重要な年であった。この重大な年にウッドロー・ウィルソン大統領は連邦準備法[この法律によって「民間が所有する中央銀行」である米連邦準備銀行が創設された]に署名した。この法律の目的は、来るべき世界大戦のための資金を蓄えることにあった。
 またマルクスが一八四七年に著わした「共産党宣言」 に基づく累進所得税が米国民に課せられることになった。さらに議会が有していた上院議員を任命する憲法上の義務が剥奪された。当時は上院議員は現職上院議員が選んでいたのである。しかしこれ以降、上院議員となるものはすべて、一般国民の投票による選挙戦を戦わなければならなくなった。
 社会主義的計画が実現したこの激動の年に、「米国ガン管理協会」 [一九四四年に米国ガン協会ACS American Cancer SOCietyと改称する]が設立された。当然のことながら、設立資金を提供したのはジョン・D・ロックフェラー二世であった。一九二〇年代には彼のお抱え弁護士のドゥベヴオワーズとプリンプトンがこの新しい米国ガン協会の運営を支配したが、そのあいだの財源は、ローラ・スペルマン・ロックフェラー財団とJ・P・モルガンによって賄われた。
 米国ガン協会は設立当初から、米国医師会のやり方に追随した。医師会と同じく「下院議会」という理事会をもち、一九五〇年代にはこれも同じように「ニセ医療対策委員会」を設立した。この委員会はのちに「ガン管理新法式検討委員会」という名前に変わった (またもや「管理」 であって「治療」ではないことに注意してほしい)。
 しかしこのような委員会を作りながらも、依然として米国ガン協会は、理事会が承認していない治療法や「切る・叩く・焼く」以外のガンの治療法に対して、なんのためらいもなく「ニセ医療」というレッテルを貼り続けていた。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●鉱山王ダグラスがもたらした放射線治療のはじまり

一九〇九年、鉄道王E・H・バリマンがガンのため亡くなった(彼の財産の源はロックフェラーと同様、すべてロスチャイルドの資金およびクーン・ローブ商会のジエイコブ・シフから流れ込んだ資金によるものだった)。バリマンの死後、家族は「ハリマン研究所」を設立した。しかし一九一七年、御曹司のW・アヴレル・バリマンは突然、政界に入ることを決意した。というよりむしろ各政党を裏で操ることを決心した。そのために研究所は急遽閉鎖され、研究所の資金の援助先は「メモリアル病院」に移された。
 当時、この病院の有力な資金提供者はフエルブス・ドッジ社会長のジェームズ・ダグラス(一八三七~一九一三)であった。すでに述べたように、この会社の財産の相続人であるメリッサ・フエルブス・ドッジ女史は、一八五三年にメモリアル病院の前身であるシムズの「婦人病院」に最初に資金を提供した人物である。彼女はウィリアム・ドッジという呉服商と結婚し、夫のウィリアムはフエルブス家の財産を使って銅鉱山事業で成功した。
 ジェームズ・ダグラスは全国人物辞典に「鉱山事業と冶金で財産を築いた先駆者」と記載されている。彼は世界でもっとも埋蔵量の多い銅鉱山「コツパー・クイーン・ロード」を所有していた。
ヵナダ生まれの人で、同名の父ジェームズ・ダグラス博士は、外科医でケベック精神病院の院長となった人である。
 息子のダグラスは一九一〇年にフエルブス・ドッジ社に入社し、のち会長に就任した。彼は米国西部にあった自分の鉱山から、広範囲におよぶ「ピッチブレンド」[ウラン二フジウムの主原鉱]の鉱床を発見したことをきっかけに、ラジウムに興味をもつようになった。そして自分の利権のために政府機関である鉱山局を動かし、共同で「国立ラジウム研究所」を設立した。
 ダグラスの主治医はジェームズ・ユーイング博士(一八六六~一九四三) であった。あるとき、ダグラスはメモリアル病院に一〇万ドルを寄付すると申し出たが、これには条件があった。条件の一つ目は病理部長としてユーイング博士を雇うこと、二つ目は病院をガン治療の専門病院に変え、しかもガン治療に必ずラジウムを使用するというものであった。メモリアル病院はこの条件を受け入れた。
 ダグラスの資金援助を後ろ楯に、ユーイングはすぐに病院長になった。ダグラスはラジウムによるガンの治療は効果があると確信していたので、ちょっと気分が悪い程度でも娘や妻、自分自身に頻繁に放射線をあてさせた(娘はその後ガンで亡くなった)。
 ダグラスの先駆的な試みのため、ニューヨークタイムズ紙までこの目新しいガンの放射線療法を大々的に取り上げた。「ラジウム治療は誰でも無料」という見出しの記事で鉱山局長は 「ラジウムはたとえ一セント分といえども金をとって売るべきものではない」と宣言した。
 ダグラスはこの記事に非常に憤慨し、一九一三年十月二十四日付のニューヨークタイムズに訂正記事を掲載させた。ダグラスの「これを人類愛や慈善行為と思うのはバカげている。私は自分の持っているラジウムを好きなように使うだけだ」と語った言葉が引用されている。
 この証言は「慈善事業家」 の正体を垣間見せてくれる。慈善事業の分野で彼のライバルにあたるロックフェラーとカーネギーは、いつも「ひも付き」でない寄付を行なう。しかし、こうして安心させておいてから、国家を支配する陰の権力を密かに手に入れるのである。ダグラスはわれわれに「慈善事業家」の正体を明かしてくれた。
 実際、メモリアル病院から報道機関への最初の発表では、放射線治療は無料ということであった。
国民は偉大な慈善家のジェームズ・ダグラスがラジウムを無料で提供するのだろうと信じた。しかしすぐに、メモリアル病院の規則は「放射線照射治療には割り増し料金が必要です」と変更になった。
一九二四年、メモリアル病院の放射線科は一万八〇〇〇ドル分のラジウムによる治療を行ない、この病院の治療別年間収入としてはもっとも多い七万ドルの治療費を請求している。
 その後、ラジウムで好きなことをするのだと豪語したジェームズ・ダグラスは、自分自身の治療のために何度も放射線を浴び続けた。そして一九二二年、-ニーヨークタイムズ紙が彼の話を掲載してから二、三週間後に、再生不良性貧血のために亡くなった。
 今では医学界の権威たちは、ダグラスがラジウムの初期の発展に関わり放射線の作用で死亡した多くの人々の一人にすぎないと信じている。そのもっとも有名な例がラジウム発見者の妻マリー・キューリーや娘のイレーヌ・ジョリオ・キューリーである。一九二二年までにⅩ線に起因するガンのために死亡した放射線技師は一〇〇人以上にのぼる。
 ダグラスの子分にあたるユーイングは、さらに数年間、メモリアル病院に勤務していたが、さまざまな体の不調を訴えるようになった。とりわけ彼を困らせたのはチック症状で、そのため人に会ったり話をすることさえ億劫になってしまった。その後、病院をやめてロングアイランドで隠遁生活を送り、その地で一九四三年に膀胱ガンのために亡くなった。
 ダグラスの跡取り息子ルイス・ダグラスは、当時の米国でもっとも巨額の遺産を相続した。彼は  0。l・P・モルガン商会の共同経営者の娘ペギー・ジンサーと結婚した。ペギーの二人の姉妹の結婚もうまくいった。一人はロックフェラー財閥の首席弁護士になったジョン・1・マックロイと、もう一人は戦後ドイツの首相になったコンラート・アデナウアーと結婚したからである。
 ルイス・ダグラスはモルガンの息のかかった「ニューヨーク相互保険」 の会長に就任した。第二次世界大戦の初期、ダグラスは武器貸与庁でW・アヴレル・バリマンの部下になり、そこで「軍需物資船舶輸送局」の局長に任命された。彼はルーズヴエルト政権の有名な「ワン・ダラー・マン」[無報酬で政府機関に働く民間人]の一人であった。
 大戦後、ダグラスはバリマンの跡を継いで駐英大使になった。ヒットラー失脚後、ドイツ高等弁務官に推薦されたが、義理の弟ジョン・1・マックロイにこの地位を譲った。この二人の米国人は義理の兄にあたるコンラート・アデナウアーがドイツ首相に任命されたときには驚喜した。このようにl・P・モルガン商会一族の利権はしっかりと確保されていたのである。事実、すでに戦時下のドイツで、アデナウアーはドイツに住むモルガン商会の仲間たちを中心に政治活動を行なっていた。ヒットラーの死後、政権を取れるよう準備工作していたのである。

●メモリアル病院へスローン・ケタリングが資金援助
 一九三〇年代、自動車産業の二人の大物がメモリアル病院に寄付するよう説得を受けた。アルフレッド・P・スローンは永年ゼネラルモーターズの社長をつとめた人物で、1・P・モルガン商会の重役でもあった。彼は一九三八年にはゼネラルモーターズの株式を七五万株もっていた。また、一九四〇年当時の金で一二五万ドル相当の全長二三五フィートのヨットを所有していた。
 チャールズ・ケタリングは現在も自動車で使われる点火装置・照明・スターターなどの電気機器を考案した正真正銘の天才発明家であった。
一九六〇年当時、二人の資産はスローンが二~四億ドル、ケタリングが一~二億ドルと推定されていた。
 ゼネラルモーターズ社で起こったある間道のために、アルフレッド・スローンの慈善事業家としての信用が多少傷ついたことがある。GM社製の「シボレー」に安全ガラスを採用することに、彼は断固反対したのである。一九二〇年代には、車に安全ガラスがついていなければ、比較的小さな事故でもフロントガラスやサイドガラスが割れ、砕けたガラスの破片が社内に飛び散って運転者が重傷を負ったり死亡する可能性があった。しかも、当時は車の数が比較的少なかったので、車の普通のガラスを安全ガラスに取り替えることは可能であった。今日では、すべての車に安全ガラスの
使用が義務づけられている。スローンはこの件に関し、一九二九年八月十三日に公式に次のように述べた。
「安全ガラスを採用すれば、わが社の利益から多額の余分な費用を費やさなければならない。
 ゼネラルモーターズ社としては、安全ガラスを採用して余分な費用をかけ、車の値段を上げるべきではないと考える」
 一九三二年八月十五日にも、ふたたびスローンは自社の車に安全ガラスを採用することに反対する発言を繰り返し、不満をぶちまけた。                  「私の仕事は安全ガラスを売ることではない。同じ金を使うなら、もっと別の方法でわが社の 車を改良することに使った方がましだ。ビジネスの点からいえば、その方がよっぽど意味のある投資だ」
 現在、アルフレッド・P・スローン財団の経営はうまくいっている。一九七五年に二億五二〇〇万ドルだった財団の資産は、一九八五年には三億七〇〇〇万ドルに達した。この財団とチャールズ・F・ケタリング財団(資産七五〇〇万ドル)が、スローン・ケタリング・ガンセンターに資金援助を続けてきた中心的な慈善団体である。
 現在、ケタリング財団の理事長をつとめるのは、リベラル派の編集者ノーマン・カズンズ[核軍縮運動に従事した米国のジャーナリスト] である。

●アルフレッド・P・スローン財団理事名鑑
 アルフレッド・Pスローン財団の理事会メンバーを見てみよう。
R・マ二ング・ブラウン二世 アルフレッド・P・スローン財団理事長ヘンリー・H・フアウラ1 前財務長官で、現在はニューヨークの投資銀行ゴールドマン・サック  ス社の共同経営者である。
ロイド・C・エラム テネシー州ナッシュビルにある唯一の黒人医学校メハリー大学の学長である。
 また巨大医療企業のメルク社やクラフト社、サウス・セントラル・ベル電話会社、ナッシュビル銀行の重役もつとめる。
フランクリン・A・ロングエクソン社の取締役として、財団内でロックフェラーの代理人の役目を果たしている。またユナイテッド・テクノロジー社の役員、大統領科学諮問委員会の委員、一九三六年からはコーネル大学の化学教授をつとめ、グツゲンハイム助成金[グツゲンハイム記念財団より芸術家・学者に対して与えられる]を授与された。さらにアルバート・アインシュタイン平和賞を受賞したこともある。パグウオッシュ会議の米国運営委員会の委員でもある。
 この委員会を発足させたのは、ロックフェラーに可愛がられた、共産主義シンパとして有名な資本家サイラス・イートンであった。ちなみに、パグウオッシュ会議[アインシュタインらが提唱した核兵器廃絶・国際平和のための国際会議]は、KGB(ソ連国家保安委貞会)の指示によって設立されたといわれている。
ハーバート・E・ロンガネッカートウレイン大学の学長で、フルブライト奨学生の選考委員という強力な権限をもつ地位にいる。人名録に載っている彼の経歴には、数々の受賞や叙勲の履歴が数段にわたって並んでいる。
キャサリン・モラウエツツ ナショナル・キャッシュ・レジスター社[NCR]の理事でグツゲンハイム助成金を授与されている。プラハ出身の化学者ハーバート・モラウエツツと結婚した。
 トマス・アキナス・マーフィー ゼネラル・モーターズ社の社長を永年つとめ、ペプシコとナショナル・デトロイト社の重役でもある。
ェルモア・E・パターソン一九三五年からJ・P・モルガン商会に勤め、現在スローン・ケタリング・ガンセンターの財務担当である。またベツレヘム・スチール社、エンゲルハード・ハノビア社、モルガン・スタンレー社の重役でもある。
ローレンス・S・ロックフェラー リーダーズ・ダイジェスト社の取締役、米国地理学会の理事、カニール・ベイ農園の重役である。
チャールズ・」・スキャンロン ゼネラル・モーターズ・アクセプタンス [手形引受]社、ニューヨークのアラブ・アメリカ銀行の役員で、同じくニューヨークのルーズヴエルト病院の理事でもある。
ハロルド・T・シャピロ ミシガン州立大学の学長でダウ・ケミカル社、フォード自動車、バロー ズ社、ケロッグ社、カナダ銀行の各役員である。彼は一九八四年から中央情報局CIAの顧問団に参加している。また財務省の顧問もつとめている。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター幹事会理事名鑑

 メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターには、「幹事会」 BOard Of Managersと「監督会」BOard Of O諾rSeerSと呼ばれる二つの理事会がある。まず幹事会の理事構成を見てみよう。まるでロックフェラー持株会社の財務諸表[に登場する株式保有先一覧]を読む気がする。
 故ルイス・リヒテンシュタイン・ストラウス 幹事会理事長を永年つとめた。米国ロスチャイルド銀行ともいうべきクーン・ローブ商会の共同経営者だった人物である。彼は人名録にみずから「ロックフェラー一族の経済顧問」と記載している。ストラウスはまた、ステエードベイカー社、ポラロイド社、NBC[米国三大テレビネットのひとつ]、RCA[アメリカ・ラジオ放送]の重役で、商務長官、米国原子力委員会委員長という政府の要職もつとめた。さらに悪名高い共産主義の隠れ蓑団体、太平洋問題調査会IPRにも永年にわたってロックフェラー資金  を投入し続けた。さらにロックフェラーのシンクタンク、プリンストンにある「高等研究所」[初期にアインシュタインらがいた] の所長をつとめた。また、米国ユダヤ人委員会AICの財政担当として、ユダヤ人の宣伝・煽動誌『コメンタリー』 の刊行資金を募った。
 ドロシー・ピーボディー・デーヴィソン スローン・ケタリング・ガンセンターの有力理事である。
  彼女は約五〇年のあいだニューヨーク社交界きっての淑女であった。F・トラピー・デーヴイソンと結婚したが、彼の父親ヘンリー・ポメロイ・デーヴイソンはロックフェラーの親戚で、l・P・モルガンの片腕として活躍した人物だった。
  一九一〇年十一月、五つの大手銀行の銀行家とネルソン・オールドリッチ上院議員(彼の娘はジョン・D・ロックフェラー二世と結婚)は、連邦準備法の草案を練るために [ジョージア州]ジキル島に渡って秘密の会議を開いたが、ヘンリー・P・デーヴイソンもこのとき参加した銀行家の一人であった。ヘンリー・P・デーヴイソンについて米国伝記辞典にはこうある。
「早くからl・P・モルガンに認められ、とくに一九〇七年の世界恐慌のときには良き相談相手となった。オールドリッチ上院議員、ポール・M・ウォーバーグ、フランク・A・ヴアンダーリップ、A・ピアット・アンドリューらと共同で 『ジキル島報告書』を起草し、この考えが具体化されて連邦準備制度の創設につながった」
 ヘンリー・デーヴイソンは第一次世界大戦中、国際赤十字戦時会議の議長として三億七〇〇〇万ドルを集め、その内のかなりの金額をロシアに横流しし、まだ生まれたばかりで四苦八苦していたポルシェヴィキ革命政府を支援した。
 父親と同じ名前をつけられた彼のもう一人の息子ヘンリー・P・デーヴイソンは、ジェームズ・スティルマンの娘アン・スティルマンと結婚した。ジェームズ・スティルマンは、その膨大な資金を操ってスタンダード石油を生み出したナショナルシティー銀行の社長をつとめた人物である。ヘンリーはその後1・P・モルガン商会の共同経営者になった。
 前述したように、兄のF・トラピー・デーヴィソンはドロシー・ピーボディーと結婚した。
 この家族は米国でもずば抜けた「慈善事業一家」である。「財団による慈善事業」という概念を始めて発明したのはピーボディー家であろう。米国最初の財団「ピーボディー教育基金」は一八六五年にl・P・モルガン銀行の設立者のひとりでもあったジョージ・ピーボディーによって創設された。この財団がのちにロックフェラー財団になる。
 ドロシー・ピーボディーの父親は有名なエンディコット・ピーボディーで、名門子弟の養成のためにグロトン予備校を創設した人物である。ここでフランクリン・D・ルーズヴエルトをはじめとする大勢の「表舞台の役者」たちが教育を受けた。
 娘のドロシーはスローン・ケタリング・ガン・センターの理事だけでなく、米国ガン協会の全国協議会の役員も永年つとめた。彼女は野生動物のハンターとしても著名で、インドやアフリカに出かけては獲物をライフルで仕留め、数多くの毛皮や角などの戦利品を持ち帰った。
 彼女の夫F・トラピー・デーヴィソンは一九二六年から三二年まで戦争省空軍長官だったが、米国自然史博物館の館長も永年つとめた。これはセオドア・ルーズヴエルト大統領好みの慈善事業だった[ルーズヴエルトは自然資源の保護に熱心であった]。
 ドロシーの息子エンディコット・ピーボディー・デーヴィソンは、J・P・モルガン商会の 秘書になり、その後ロンドン支店の総支配人になった。また「九七九年からはUSトラストの 社長をつとめ、軍需産業のスコヴィル社、トッド造船所、ディスカウント社の重役でもある。
 またエンディコットはメトロポリタン美術館とマークル財団の理事もつとめているため、報道 機関を通じて多くの寄付金を募ることができる。
  アイゼンハワー大統領の国務長官ジョン・フォスター・ダレスもポメロイ家を通してロック フェラー家と親戚関係にあった。
工ドド・ピーティーメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター幹事会の現役理事。ジョージ・ワシントン大学でマークル奨学金を得て学び、「九七八年からロックフェラー 病院の教授陣に加わった。米国ガン協会の特別会員でもある。一九六五年からガンセンターの診療所長をつとめる。
ピーター・0・クリスプ ロックフェラー・ファミリー・アソシエーツ社の投資顧問である。
 ハロルド・フィッシャーロックフェラーの基幹企業であるエクソン社の会長である。
クリフトン・C・ガービン二世エクソン社の社長で、シティーコープ、シティバンク(前ナショナルシティー銀行)、ペプシコ、1Cペニー、↑RW、エクイタブル生命保険、コーラグガ ラス、製薬会社ジョンソン&ジョンソンの役員でもある。
ルイス・∨・ガースナー二世巨大製薬会社スクイブの社長で、アメリカンエクスプレス、キャタ ピラー&メルビル社の取締役である。またハーヴァード大学参事会の理事でもある。
 工ルモア・C・パターソン一九三五年から1・P・モルガン商会に勤めた。ニューヨークでも指 折りの法律一家出身のアン・ハイド・チョートと結婚。パターソンはスローン・ケタリングの「秘蔵っ子」である。またカーネギー国際平和基金の理事もつとめる。同基金の理事長はアル ジャー・ビス [一九四八年スパイ容疑で告訴され偽証罪で投獄された高級官僚]であった。
 アーサー・H・チョート二世 エルモア・C・パターソンの義理の兄。l・P・モルガン商会の共 同経営者を数年間つとめ、のちにクラーク&ドッジ社に入った。
 ロバート・∨・ローザ ブラウン・ブラザーズ・ハリマン投資銀行の共同経営者で、ローズ奨学金 受領者であり、連邦準備制度を永年にわたり裏で操ってきた男である。ポール・ポルカーを教育し、ワシントンの連邦準備制度理事会FRBの議長に指名した。またデーヴイッド・ロックフエなラーに協力して、日米欧三極委員会TC[統一世界政府の一翼を担う組織]を発足させ、みずから理事におさまった。
 ベノ・C・シュミット 永年、投資銀行1・H・ホイットニーの共同経営者であった。この銀行はシェルンベルジエ社、フリーポート・ミネラル社、CBSの株を多く所有している。シュミットは第二次大戦中、戦時生産委員会の給顧問もつとめた。また一九四五年と四六年には外国債 務返済局を取り仕切って数十億ドル相当の原材料を無料で譲渡してしまった。一九七一年から 八〇年までは大統領ガン諮問委員会のメンバーをつとめ、現在はゼネラル・モーターズ・ガン研究財団、カーネギー国際平和基金、ホイットニー博物館の理事である。
 シュミットは「対ガン戦争」での優れた業績をたたえられて、一九七二年に米国ガン協会か らクリーヴランド賞を授与された(これらの団体はいつも仲間内で互いに名誉や賞を与え合っている。だから外部から候補者を探す必要がない)。また、一九七九年にはガン研究の業績によってブリストル・マイヤーズ賞を受けた。
 息子のベノ・シュミット二世は上司の娘、ヘレン・クッシング・ホイットニーと結婚した。
 今ではエール大学の学長である。彼はかつて最高裁判所でウォーレン最高裁長官[ケネディー 大統領暗殺事件のウオーレン委員会の委員長] の助手をつとめ、その後法務省内に法律相談所を開設した。
 H・バージル・シエリル 投資会社ベイチ・ホールシー・スチュアート・シールズ社、現在のプルデンシャル・ベイチ社の社長である。
フランク・サイツオルガノ社、オグデン社という二つの化学会社の重役である。一九七五年以来、重要な政治組織「戦略研究所ISS」 の所長をつとめてきた。また現在は全国ガン諮問委員会NCABの委員とロックフェラー財団の理事で、ベルギー米国教育財団にも加わっている。
 この教育財団は、ハーバート・フーヴアー[第三一代大統領] が第一次大戦後に設立したものである。フーヴアーは大戦中、ベルギーで慈善事業を行なった彼はベルギー救済委員会」を設立しドイツ軍に戦争を続けさせるために裏で食料を供給し続けた]が、同財団はこの活動によって得た利益を隠すためのものであった。
 サイツはまた、ジョン・サイモン・グツゲンハイム財団の理事でもある。この慈善財団は、一九八五年に一億五〇〇万ドルの資産を所有していたが、実際に慈善事業に使ったのは、そのうちわずか七五〇万ドルであった。
ウイリアム・S・スニース 近年何度も爆発事故を起こしている巨大化学会社、ユニオン・カーバイド社の社長である。また、モルガン財閥に支配されているメトロポリタン生命やロックウェル・インターナショナル社、巨大広告会社JWTグループの役員でもある。
ルイス・トーマス 彼の業績は人名録のまるまる一段を占有している。ロックフェラー研究所の投資顧問でエール大学医学部の学部長、さらに一九七三年からはコーネル大学の医学教授をつとめている。また製薬会社スクイブの役員、メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの名誉会長であり、ランド研究所、ロックフェラー大学、ジョン・サイモン・グツゲンハイム 財団、メニンガー財団、ラウンズベリー財団、シドニー・ファーバー・ガン研究所、アーロン・ダイアモンド財団のそれぞれ理事をしている。
」・S・ウィツカーハムモルガン銀行というべきモルガン保証信託の副社長。
ハーバー・ウッドワードロックフェラー・ファミリー・アソシエーツ社の人間で、ローレンス・ロックフェラーの古くからの友人である。
 以上がわが国でも有数のメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの幹事会を構成する理事たちである。このように各理事は多くの点でロックフェラー財閥と直接・間接に繋がっていることがわかる。

●メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター監督会理事名鑑
 次にメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの「監督会」のメンバーを見てみよう。
 エルマー・ボブスト夫人 有名な製薬業者で米国ガン協会ACSを改革したエルマー・ボブスト[後述] の未亡人である。
ジェームズ・B・フィスク博士 ベル電話研究所の会長でアメリカン「・シナナミド、コーニング、エクイタブル生命の重役、ジョン・サイモン・グツゲンハイム財団の理事、チエースマンハッタン銀行(別名ロックフェラー銀行)、バーヴアード大学監督委員会の委員、キヤポット社の役員をつとめている。
リチャード・M・ファーロード 巨大製薬会社スクイブ社の会長で、大手兵器製造会社オーリン社の役員兼総顧問、アメリカンエキスプレスの取締役である。
 エマ二ユエル・ルービン・ピョーリー ロシアのビリニュス[現在はリトアニア共和国の首都]に生まれ、一九四二年から四六年まで米国海軍特殊兵器開発部部長をつとめた。四八年には海軍 電子兵器局の局長、五六年からはIBMの研究部長をしている。またロックフェラー大学教授、マサチューセッツ工科大学MITおよびバーヴアード大学の顧問、ポール・リビア・インベスター社の役員、一九七六年からはスローン・ケタリング・ガンセンターの理事をつとめる。ピョーリーはヘブライ大学からカプラン賞[カプランは米国のユダヤ教再建主義者]を授与されたことがある。
 ピョーリーの妻ノーラ・カーンは一九五七年以来、ニューヨーク市の保険局に永年つとめてきた医療問題の専門家である。コモンウェルス基金、ブルークロス老人組合[健康保険組合の一つ]、病院連合基金、(製薬会社ジョンソン&ジョンソンの) ロバート・ウッド・ジョンソン財団、ビュー・メモリアル・トラスト、ベラ財団、全国都市同盟NULの各理事をしており、米国公衆衛生局PHSのお墨付きの人物である。
 ジェームズ・D・ロビンソン三世 メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター監督会理事長。また、アメリカンエキスプレスの会長であるが、現在同社はクーン・ローブ商会やリーマン・ブラザーズ投資銀行と共にシアソン・リーマン・ハットン・グループの一員となっている。
 以前モルガン保証信託に勤めていたが、今では製薬会社ブリストル・マイヤーズ、コカコーラ、消防士保険基金の役員、ロックフェラー大学の理事長をしている。
 ジェームズ・S・ロックフェラー クランストン印刷の重役である。発行部数一八〇〇万部の雑誌を発行するリーダーズダイジェスト社と発行部数一〇〇〇万部のナショナル・ジオグラフィック社の取締役である。つまり彼の影響は毎月二八〇〇万人の米国中流家庭に及んでいることになる。メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの前広報部長ラルフ・モス博士は、「ガンの問題に関する『リーダーズダイジェスト』誌の論評は、医学界の主流派の考えの基準となっている」と述べている。
 ロックフェラー家の人間は今日でも、メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターのもっとも有力な寄付者であり、ジェームス・S・ロックフェラーもそのひとり。
ウイリアム・ロックフェラー シアソン・スターリングの共同経営者でロックフェラー財閥の法律  顧問、またクランストン印刷、オーナイダ社の取締役もつとめる。
T・F・ワルコヴィツチ ロックフェラー・ファミリー・アソシエーツにつとめる。またナショナル航空技術社、商工会議所CCI、アイテック&マイター財団、セイフトランス・システムズ社、クオトロン・システムズ社のそれぞれ会長をしている。
 アーサー・B・トリマン二世 永年ディロン・リード投資銀行の常務取締役をつとめた男である。
 以上のようにメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの理事たちは、ロックフェラー財閥に直接結びづくだけでなく、軍事産業、CIA、化学・製薬会社とも密接に結びついている。
 ガンセンターの推進するガンの治療法が、実際に何十億ドルという利益を生み、同時にセンターの理事たちが関連企業の役員を兼務することで、その恩恵を受ける立場にいるということは、単なる偶然ではない。しかも、一般国民はガンセンターを公益団体だと信じているのである! 実際にはメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターと米国ガン協会は、米国医師会とともにロックフェラー医療独占体制の重要な一翼を担う機関なのである。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●米国ガン協会の育ての親アルバート・ラスカー

一九四四年、「米国ガン管理協会ASCC」は「米国ガン協会ACS」と名称を変更した。このとき、米国でもっとも有名な二人の売薬商人がこの組織に加わった。アルバート・ラスカーとエルマー・ボブストである。
 ドイツのフライブルクに生れたアルバートエフスカー(一八八〇~一九五二) は 「現代広告業の父」と呼ばれてきた。ラスカーは米国人の頭に自分のメッセージを叩き込むため、覚えやすい宣伝コピーを何度も繰り返す手法を用いた。
 歴史に残る成功を成し遂げた売薬商人にはジャーナリスト出身者が多いが、ラスカーも最初の仕事は新聞記者であった。彼は両親に連れられて米国に渡り、テキサス州ガルヴエストンに住んだ。
父のモリス・ラスカーはロスチャイルド系銀行業者の代表として、すぐにテキサスの五つの銀行の頭取になった人物である。穀物および綿花販売でも成功し、ガルヴエストンの贅沢な豪邸に住む西テキサスでも有名な資産家であった。そのため「パンハンドル[彼の住む地域]のゴッドファーザー」と呼ばれていたが、一九一六年に息子のアルバートを遺言執行者として残して死んだ。
 このころアルバートは広告業を拡大するために現金が必要だったので、すぐに父親の残した土地を二束三文で売り払った。一九一六年当時としてもかなり安い値段であった。しかも、このときのアルバートは事業への洞察力に欠けていた。なぜならその後、売った土地から一〇億ドル以上の利益を生む油田が発見されたからである。
 アルバートエフスカーは一六歳のときガルヴエストン・ニュース紙の記者になったが、その後すぐに、もっと稼ぎのいい「ダラス・モーニング・ニュース」というテキサス州で一番大きい新聞社の記者に転職した。即座にラスカーは、新聞業で本当にカネになるのは報道ではなく、収益の大半をもたらす広告であることに気づいた。そこでシカゴに行き、市内で一番大きい広告代理店ロード&トーマスに自分を雇うよう頼んだ。このとき彼はまだ一九歳だった。会社に仕事を取ってきた量に比例して給与を受けとる、という契約条件に同意したため、ラスカーは気狂いじみたバリキリ営業マンに変身した。おかげで二五歳のころには十分な貯金ができ、家族の資産と合わせてこの代理店の二五%を所有するほどになった。そのころ彼は一週間で一〇〇〇ドルを稼いでいた。ちなみに当時の米国大統領の年収は一万ドルである。ラスカーは三〇歳で代理店を買い取り、その後ビジネス史上、特筆すべき広告キャンペーンを展開し続けることになる。
 彼はレーク・フォレスト郊外の一等地に三五〇万ドルの大邸宅を構えたが、ミル・ロード・ファームという名のその敷地には、四八〇エーカー[約六〇万坪] の土地に二七の建物とボブ・ジョーンズが米国の三大優良ゴルフコースの一つと呼んだ一〇〇万ドルのゴルフコースが備えてあった。ラスカーは四二歳で完全に成功し、この邸宅に五〇人の労働者を雇い毎週六マイル[約一〇キロ] の生け垣を刈り取らせていた。このようなあらゆる贅沢の中心にそびえるフランス風大邸宅は、彼のことを内心では嫌悪している意地の悪い隣人たちが建てたどの家よりも豪華絢欄であった。何年ものあいだ、ラスカーはその地域に住む唯一のユダヤ人として、自分の死後はこの大邸宅をユダヤ人コミュニティーセンターとして残すつもりだと周囲に吹聴して楽しんでいた。
 ラスカーは米国ユダヤ人委員会AICや有力なユダヤ名誉毀損防止連盟ADLなど主要なユダヤ人組織で常に活躍していた。妹のフローリンは「ユダヤ人女性全国協議会」と「ニューヨーク市民自由委員会」を設立した。もう一人の妹、エタ・ローゼンソンは熱烈なシオニストで「ハダーサ」[イスラエルの医療・教育改善・シオニズム運動・世界平和などを目的とするユダヤ婦人の慈善団体] の会長をつとめた。
 第一次世界大戦中、ラスカーは友人のバーナード・バルークの勧めでウッドロー・ウイルソン政権の次官補になった。これは彼が生涯で唯一就いた政府のポストであった。
 ラスカーはシカゴのロード&トーマス社を巨大広告会社に成長させたが、シカゴだけでは満足できず事務所をニューヨークに移した。彼がこの会社に初めて入ったときには、年間売上額はわずか九〇万ドルであり、その三分の一は一種類の製品、緩下剤の 「カスカレッツ」の宣伝によるものだった。
 ニューヨークに移ると、これから需要が増大する製品の全国販売キャンペーンに乗り出そうと考え、先を見越して一般にあまり認知されていない製品の宣伝に多額の投資をした。もっとも有名な功績は「コーデックス」 [生理用ナプキンの商標] の宣伝販売である。それまでマスコミは永いあいだ、生理用ナプキンについて触れることをタブー視してきたため、この製品の広告が載ることはめったになかった。
 ラスカーはまず、生理用ナプキンの製造会社であるインターナショナル・セルロース社の株を一〇〇万ドルで買い、それから新聞や雑誌で生理用ナプキンの宣伝を大々的に展開した。これだけで彼は何百万ドルも稼いだ。さらに彼は宣伝費用を会社に請求しただけでなく、株価を操作することで多額の利益を得た。また別の製品でも同様のことをして五〇〇〇万ドルの財産を蓄えた。その後、ラスカーは「広告で私ほど儲けた人間はいない」と自慢した。
 ラスカーは全米で人気を博した多くのラジオ番組の仕掛け人でもあった。ラジオ界で六〇年間も活躍したボブ・ホープは彼のオーディションを受けたのがきっかけである。『エイモスとアンディー』を米国でもっとも人気のある番組にしたのもラスカーだった。彼はエイモスとアンディーを「ペプソデン上[歯磨粉の商標]のコマーシャルに起用したが、その理由は彼によると、毎晩この番組を聞いている米国人の半数は「二人の浅里㌫顔に」真っ白な歯が光るのをイメージするから、であった。この番組のスポンサーはもちろんペプソデント社であった。今では米国の黒人を侮辱する番組だったと非難されているが、ラスカーが現代に生きていれば、全米でもっとも人気のあるテレビ番組に仕立てたであろう。
 ラスカーは大リーグ球団の「シカゴ・カブズ」を所有し、賭け事にも相当凝っていた。一回のゴルフプレーに四万ドルも賭けたことがうわさになったりした。
 経営者としては冷徹で、一九三一年の不況の年に個人的には一〇〇万ドルの利益を上げたにもかかわらず、会社の諸経費を削減した。さらに巷に広がっていた失業と不況を口実に、自分のロード&トーマス社から五〇人の職員を解雇し、残りの職員の賃金を五〇%までカットした。
 ラスカーの販売活動でもっとも成功したのは、サンキスト社のためにオレンジジュースを普及させたことである。しかし米国人が彼の名を一番よく思い出すのは、彼とアメリカン・タバコ社のジョージ・ワシントン・ヒルとの交遊関係によるものである。
 ラスカーが業界に登場したころは、アメリカン・タバコ社の社長はパーシバル・ヒルであった。
 パーシバルはフィラデルフィアの有力な銀行家の息子で、もとはじゅうたんの販売で成功した人物であった。しかし彼はこの事業を売り、その収益でブラックウエル・タバコというタバコ会社を買収し、その後この会社をタバコ王のジェームズ・デュークに売った。しかしデュークは一九二年に会社を再編成し、パーシバル・ヒルには社長のポストを、息子のジョージ・ワシントン・ヒルには副社長に、それぞれ就任することを要請した。
 ラスカーは第一次世界大戦中にこの会社との取引関係をもった。当時のタバコ業界は、広告にはあまり費用をかけておらず、しかも一連の商品をまとめて宣伝して、単一の商品に多額の宣伝費を投入するようなことはめったにやらなかった。
 ラスカーはもっと広告宣伝に力を入れ、予算も増やすようヒル親子を説得した。言われた通りにすると、売り上げはうなぎのぼりに上昇した。ラスカーは一〇〇万ドルだった広告予算を一年間で二五〇〇万ドルに増やした。
 息子のジョージ・ワシントン・ヒルは倣慢で横柄な性格であったが、ラスカーはどうにか彼との良好な関係を保った。その尊大さはシドニー・グリーンストリートの映画 『ザ・バクスターズ』[宣伝屋]で描写されている。この映画でグリーンストリートが演じた、重役の前でテーブルに大きく唾を吐いて自分の意見を押し通す、むかつくような薄汚い男は、ヒルそのものであった。
 ラスカーは「ラッキー・ストライク」[タバコの商標] のキャッチコピーとして 「こいつはトーストされている」を考えた。第二次世界大戦が勃発すると、ラスカーはいかにも愛国的なスローガン 「ラッキーストライクの緑色は戦場へ行ってしまった」を米国民に浸透させようとした。しかしこの宣伝は失敗した。タバコのパッケージに使われた緑色が戦争のために徴収されたというのは、見え透いた嘘だった。
 ラスカーの偉大な功績は、彼の全国キャンペーンのおかげで米国人の女性が公衆の面前で平気でタバコを吸うようになったことである。つまりラスカーは女性の肺ガン患者の生みの親といえる。
 その当時は、人前でタバコを吸うような大胆な女性はほとんどいなかった。ラスカーはハリウッドの手下どもからうまく協力を得て、女優が人前でタバコを吸うシーンが多くの映画の中に入るよう画策した。とくに成功したのは女優のベティー・デーヴィスで、映画の中で見るベティーの姿は、ほとんどいつも深い紫煙の中にあった。
 彼の作戦のおかげで、女性が人前でタバコを吸うことが当たり前になり、タバコの新しい市場が開拓された。もちろんそれがラスカーの唯一の目的であった。約二〇年後、この女性たちの多くは肺気腫や肺ガンで死んでいった。
 このような成功にもかかわらず、さすがのラスカーの勢いも衰えるときがやってきた。彼は三回ほど神経衰弱に陥ったが、もっともショックを受けたのは一九三九年に自分の妻が亡くなったときであった。その翌年にはドリス・ケニヨンという女優と出会い、衝動的な結婚をしたが二、三カ月しかもたなかった。ケニヨンは離婚してハリウッドにもどり、ピアニストのアーサー・ルビンスタインの義理の兄と結婚した。
 一九三九年、ラスカーが「21クラブ」でワイルド・ビル・.ドノヴァンと昼食をともにしていたときのことである。ドノヴァンはその後すぐに戦時中のOSS (戦略事務局)、後のCIAの長官となった人物であるが、彼はラスカーに、夫と離婚して独身にもどった魅力的な女性を紹介した。彼女は美術商で名前をメアリー・ウツダードといった。ウィスコンシン州の銀行家の娘で、最初は衣料品の会社ハリウッド・パターンズ社を経営し、OL向けの安価な服のデザインをしていたが、その後、美術品業界に入った女性である。
 ラスカーは二、三日後、今度は出版業者のリチャード・サイモンと昼食を取っているときふたたびメアリーに会った。そしてこのとき彼女と結婚しようと決意した。彼はちょうど美術品の収集を始めたばかりで、絵画についてはほとんど知らなかった。のちになってラスカーは、メアリーと結婚したのは美術品の購入手数料一〇〇万ドルを倹約するためだった、と語った。おそらく実際そうだったのであろう。
 結婚後も、ラスカーの不安定な精神状態が続いたため、メアリーは彼をすぐに精神分析医に通院させた。ラスカーはリチャード・サイモンとふたたび昼食を取っているときに突然立ち上がってこう言った。「精神科に行くのが遅れる」。サイモンが当惑したように見えたので、ラスカーは説明した。「こんなことをしているのは広告の仕事の忌まわしさから逃れるためなんだ」。しかし、ラスカーが広告業界から受けた忌わしさよりも、広告業界に与えた忌わしさの方がもっと甚大なものだったかも知れない。
 ラスカーの親しい友人はすべて著名なユダヤ人であった。バーナード・バルーク、アンナ・ローゼンハーグ、デーヴイッド・サーノ7、ニューヨークの政治評論家ベン・ソネンハーグ、クーン・ローブ商会のルイス・ストラウスなどである。けれども彼は自分の広告会社にユダヤ人を雇うことはめったになかった。そのことを答められるとただ笑みを浮かべてこう言った。「いいですか。私はこの会社に入り込んでこれを乗っ取った。同じことを誰かにされたいと私が思うでしょうか?」 ラスカーの手下の中にはエマーソン・フット、ウィリアム・ベントン、フェアファクス・コーンといったその後の広告業界で大成功した者たちがいた。ユダヤ人のラスカーにとってはその全員が異教徒だったので、好んで「私のかわいいゴイムたち[獣の意味、ユダヤ教徒以外の異教徒に対する蔑称]」と呼び、自分が怒鳴りつけると手下たちがどれほど震え上がるかを、笑いながら語った。
 巨万の富を築いたラスカーは、一九四二年にロード&トーマス社を閉鎖しょうと決心した。部下たちは新たにフェアファクス・コーン&ベルディング社を設立してこの仕事を続けた。
 弁護士のウィリアム・エドワードは百貨店業界の資産家バーナード・ギンベルの娘カーラと結婚した。結婚式でラスカーはユダヤの諺を引用し「二つの腐った卵でオムレツは作れない」と陰鬱な視辞を述べた。この言葉は正しかった。その後、二人は離婚した。
 ラスカーの娘メアリーはシカゴのインランド・スチール社の鉄鋼王リー・ブロックと結婚し、二人で何千万ドルもの美術品を収集した。またメアリーはフット・コーン&ベルディング社の副社長になった。ちなみにブロックの兄弟ジョーゼフはユダヤ連盟Jewish FederatiOn の会長になった人物である。
 ラスカーは白いワイシャツを着るのに飽きて、青いワイシャツを着るようになり、これをニューヨークで流行らせた。そのため青いワイシャツは広告業者のトレードマークなった。ラスカーは車の運転を習ったことがなく、機械も得意ではなかった。ニューヨークに移ってからはレーク・フォレストにある大邸宅の巨額の維持費を出し惜しみ、一九三九年にシカゴ大学に寄贈してしまった。
 けれども大学の管財人は建築用の敷地を確保するためにすぐに屋敷を売り払った。一〇〇万ドルの豪邸は一一万ドルで売却された。
 この物語の中で重要なのは、ラスカーと相棒の医薬品販売業者エルマー・ボブストが、一九四〇年代の初めに衰退していた米国ガン協会を乗っ取り、数カ月で全米規模の巨大権力に育てあげたという事実である。ラスカーらは広告宣伝・資金調達・事業運営のあらゆる手法を駆使し、米国ガン協会をガン治療という新たな一〇億ドル市場における最大勢力に仕立て上げた。そしてこの業績はロックフェラー医療独占体制にとってもたいへん喜ばしいものであった。
 彼らは米国ガン協会にあった「ウーマンズ・アー、、lT」[協会の女性からなる一種の援軍]という地方に分散したじゃまな団体をただちに放り出し、ガン協会の権力をすべてニューヨークに集中させた。会議も常にニューヨークで開いた。さらに業界でのコネを利用して、新しい理事として銀行界・産業界の大物たちを招き、理事会に参加できる特権の見返りとして、各人からひとり当たり一〇万ドルを徴収した。
 このようにしてラスカーらは米国ガン協会を強力な組織に育て上げたが、その後、彼自身がガンに罷ってしまった。一九五〇年に腸ガンの手術を受けたが、腫瘍にメスを入れるとすぐ全身にガンが広がることなどむろん知らなかった。そして一九五二年に、バークネス・ロックフェラー病棟で亡くなった。
 ラスカーは死ぬ前に「アルバート&メアリー・ラスカー財団」を創設していたが、この財団のおかげでメアリー・ラスカーは、米国医学界でもっとも権力のある女性になった。メアリーはラスカーの死後すぐに、寄付金や財団、政府ロビイスト、その他の組織からなるこの一大帝国を支配した。
 彼女の権力掌握に協力したのが、永年メアリーと密接な関係を保ってきたロックフェラーの使用人アンナ・ローゼンハーグであった。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●ラスカーの相棒エルマー・ボブスト

 ラスカーが米国ガン協会を米国医学界の最高の地位につけたときの相棒エルマー・ボブストも、強大な支配権を握った。彼はラスカーと違って貧しい家庭の出身であった。米国出身の企業家P・T・バーナム[米国の興行師、サーカス王]は、「カモになるやつはどこにでもいる」といったが、ボブストもバーナムと同様、生まれながらに宣伝屋の資質を備えていた。
エルマー・ボブストは一九二年に製薬会社のホフマン・ラ・ロッシュ社に入り、営業マンとしての才能のおかげで最後は社長にまで上りつめた。
 彼は経営者としての洞察力にも長けていた。第一次世界大戦が終わってすぐ、物価が下がると確信していた彼は、会社がニュージャージーの倉庫に山のような在庫を抱えていることを知って驚いた。そこでまずイーストマン・コダック社[写真フィルムのメーカー]が、五トンの臭化カリウムを買うという契約を大急ぎで締結した。臭化カリウムは、鎮痛剤の主成分としてだけでなく、印画紙の主成分としても使われている。そしてボブストは在庫品の臭化カリウムを一ポンドあたり六〇セントと、市価より一〇セント安い値段で提供した。
 しかし、その二、三週間後には、市価は一ポンド一六セントにまで値下がりした。
 ボブストがホフマン・ラ・ロッシュ社で成し遂げた偉大な業績に、ビタミン剤の広告宣伝キャンペーンがある。この宣伝が大成功だったので、ボブストには「ビタミン王」というあだ名が付いてしまった。さらに株式売買で何百万ドルも儲けたので、新天地を求めてホフマン・ラ・ロッシュ社を退職することにした。
 一九四四年に、クーン・ローブ商会の顧問だったクラヴアス・スウェイン&ムーア法律事務所を呼んで、顧問契約料を交渉した。その結果、ボブストに非常に有利な条件、つまり初年度一五万ドル、七五歳の誕生日までは毎年六万ドルということで決着した。
 ビタミンを売り歩いて財産を築いたボブストは、今度はもっと値の張る薬の分野への進出を考えて、ワーナー・ランバート社[一九二〇年設立、本社ニュージャージー州]のトップに就任した。
 この会社の目玉商品は口臭防止剤「リステリン」であった。
 ジエラルド・ランバート自身もただの行商人というにはほど遠く、「ランバート薬局」を一大帝国に育て上げた人物であったが、その方法はもっぱら「息が臭い」ことの危険性を執拗に警告するというものであった。
 口内洗浄剤を発明したのは彼の父親だったが、息子のランバートはこの新商品に医学史上もっとも有名な人の名前を流用した。つまり、防腐薬と病院内の無菌法を開発したジョーゼフ・リスター男爵の名前である。リスター男爵は英国の著名な外科医で、英国のヴィクトリア女王が生涯に一度だけ体にメスを入れさせたとき、その手術を執刀した医師であった。ところが、その彼の名前が、ジエラルドニフンバートの 「リステリン」 の全面広告のおかげで日常語になってしまった。
 広告の見出しはこう警告していた。「親友でさえ[口臭のことを]あなたに教えてくれない」。
 ランバートは息が臭いという症状に対してラテン語からh巴itOSis[バリトーシス、口臭]という単語を引っぼり出してきて新語を作った。
 ランバートは一九二〇年代の株価急騰の絶頂期に、「ワーナー社」 に二五〇〇万ドルで自分の会社を売却した。この金額は一九八〇年なら五億ドルに相当する。譲渡契約の締結は、一九二九年のことであったが、それから一年のうちに同社の価値は五〇〇万ドルにまで下がってしまった。
 売却の結果生まれた「ワーナーエフンバート社」は、一九三〇年代には業績がはかばかしく伸びていなかった。エルマー・ボブストがこの会社に雇われたのは、主にマーケット手法の才能を見込まれたためであった。ボブストは矢継ぎ早に五〇以上もの子会社を買収合併して、帝国建設の才能も持ち合わせていることを証明した。
 ボブストはまず、鋭い洞察力でアルバート・ドリスコルをランバート社の社長に任命した。ドリスコルはそれまで七年間、ニュージャージー州の州知事をつとめたばかりの人物であった。また役員としては、ウォール街でももっとも抜け目ない頭脳、ゴールドマン・サックス社のシドニー・ワインハーグとエバスタート社のフレデリック・エバスタートを招いた。
 さらに広報部長として」永年ロックフェラー家のためにロックフェラーセンターで労使関係の役員をつとめたアンナ・ローゼンハーグ女史を呼んだ。彼女を呼んだことで、ボブストはロックフエ 24ラー家との重要なつながりをもつことになった。なぜならアンナ・ローゼンハーグはその後も以前の雇い主たちと密接な関係を保ち続けたからである。
 ワーナー・ランバート社を拡大する野心的な計画を知っていたのは唯一ボブスト自身だけだったので、彼は自分で自分の会社の株を大量に買いまくった。その結果、株価は何倍にも膨れ上がり、ボブストは何百万ドルもの株式を所有する大株主になった。
 おかげで彼の生活ぶりはフォーチュン誌で、「封建領主の生活、ニュージャージーの広大な地所、スプリング湖に浮かぶ八七フィートのヨット、ニューヨークにあるウォルドーフ・ホテルのスイートルーム」と描写されるほどになった。事実、ボブストは五隻のヨットを続けざまに購入し、船のサイズは買うたびに大きくなっていった。すべてに「アリサ」という名前をつけ、最後に買った船の名前は 「アリサ五世号」であった。
 ボブストは二度結婚しているが、一方の女性はレバノンの国連代表団の一員だった。
 彼は第二次大戦中、ニュージャージー州で戦時債募集局の局長をつとめ、また選挙戦でも大口の寄付者となった。このため共和党の黒幕として大きな影響力をもつようになり、次に説明するように自分の息の掛かった人間を大統領に就けることができたのである。
 ニュージャージー州で、ボブストが議長をつとめる選挙資金調達のための集会が開かれた。この会議では、ロスチャイルド系銀行のナショナルシティー銀行クリーヴランド支店出身で、アイゼンハワー政権の財務長官だったジョージ・バンフリーが、演説を行なう予定だった。
 しかし彼が病気になったため、代わりに副大統領のリチャード・ニクソンが出席した。これがきっかけでボブストとニクソンのほとんど親子同然の親密な関係が始まった。
ニクソンはボブストの億万長者の生活ぶりに庄倒され、ホワイトハウスの夕食会に何度む招待した。一九五七年に彼はホワイトハウスの宴席で、ボブストを英国女王にまで紹介したのであった。
 ニクソンはカリフォルニア遊説ののちに、マスコミを攻撃した。これは、たとえニクソンの言い分が正しかったとしても、無分別な(この表現が正しければの話だが)振る舞いだった。そのため、彼の政治生命は終わったかのように見えた。しかしボブストは、ニクソンのような将来性のある盟友を決して見捨てようとはしなかった。この時ボブストから聞いた今までで最高のアドバイスを、ニクソンはその後もなつかしく思い出す。落ちこんでいるニクソンを脇に引っぼっていき、ボブストは真剣にこう言ったのだ。
  「ディック、今が人生の真実を知る時だ。いいか。世界にはたった二種類の人間しかいない。
  食う者と食われる者だ。君がどちら側の人間になるか、今まさに決断しなければならない」
 ニクソンが将来の見通しをほとんど持っていなかったころ、ボブストは顧問弁護士のマット・ハロルドを訪ねた。ハロルドはウォール街にあるマッジ・ローズ&スターン法律事務所の上席共同経営者であり、ワーナー・ランバート社は最大の取引先であった。ボブストがニクソンをワーナー・ランバート社の共同経営者に招きたいと 「提案」すると、ハロルドはただただ喜ぶばかりであった。
 これを足掛りとしてニクソンは政治活動に乗り出し、大統領に就任することができたのである。
 このボブストの根回しは、結果的に賢い投資となった。ニクソンが大統領選に勝った後、ニュージャージー、ネブラスカ、ケンタッキー、ウエスト・ヴァージニア州の共和党の州知事は、無税の債券事業のすべてをマッジ・ローズ法律事務所に委託し、その結果、同社は年間一〇〇万ドルもの追加利益を得たからである。
 一九七一年一月、マッジ・ローズはワーナー・ランバート社とパーク・デーヴィス社の吸収合併の件で司法省に出廷した。この合併が成功すれば、ボブストに何百万ドルもの利益がころがりこむことになっていた。司法長官のジョン・ミッチェルは、ボブストの子分であったが、みずからこの件を取り扱うには不適格であるとして、代理人に委任した。そして司法長官代理のリチャード・クラインディーンストは合併をそのまま許可した。
 これなどは世間に知られたごく一部の件にすぎず、実際には同じような事例がもっとあることは疑いようがない。
 さらに司法長官ミッチェルは、ボブストに華々しい納税手段として、ニューヨーク州立大学に「ボブスト蔵書」を作るために二〇〇万ドルを寄付するよう提案した。
一九七三年、ボブストはlニーヨークのデーヴィツド・マッケイ社から自叙伝を出版したが、これは明らかな「自画自賛」の伝記で、自身の業績をひたすら賛美し、不都合な記述などどこにも見当たらなかった。
一九八七年にボブストが亡くなったとき、ニューヨークタイムズ紙には死亡記事が載らなかった。
 彼がニューヨークでもっとも有力な実業家のひとりであったことを考えると、これは驚くべきことである。同紙はあまり名の知れない会社役員でさえ、お決まりの追悼記事を掲載するからだ。しかしボブストの場合はまったく不思議なことに、死亡記事ではなく公式の声明文が掲載された。それはスローン・ケタリング・ガンセンターの理事長で、古くからの友人であるローレンス・ロックフェラーが、故人をしのんで送った賛辞であった。ロックフェラーはこう述べた。
「ボブストはガン撲滅戦争における貢献によって、一般国民だけでなくガン患者や研究者たちからも本当に感謝された」
 しかし本当にボブストが残した記念物は、おそらく「リステリン」 のラベルであろう。そこには今でも次のように書かれている。「口臭、虫刺され、感染性ふけ症に。アルコール分二六・九%。
 追悼記事の中でロックフェラーは、ボブストが米国ガン協会を復興させたことに触れた。米国ガン協会はボブストの指揮の下に、一九四四年六月二十三日に新たな団体設立許可書を得て、完全に再建された。職員は三〇〇人に増え、二人の宣伝屋、ボブストとラスカーは全国キャンペーンを展開し、二五〇万人の 「ボランティア」が全国を歩き回って「ガンと戦う」ための基金を募った。この募金活動に協力せよという命令は、常に大物実業家、社会的指導者、政治家たちから下ったため、一般国民には選択の余地がなく、彼らに従わざるをえなかった。
 ボブストとラスカーの卓越した宣伝の才能のおかげで、毎年何百万人もの農民たちが駆り集められ、空き缶をガラガラ鳴らしながら大通りを行進し、「大金持ち」 のために寄付を募る、という滑稽な光景が毎年見られるようになった。
 このキャンペーンに匹敵する唯一のものは、ドイツのナチス党が基金を募るために毎年行なったヴインターヒルフ・キャンペーン [冬季貧民救済事業]であろう。米国ガン協会の募金活動もこれと同じ系統のものであった。何百万人もの 「ボランティア」がこの募金活動にみずから身を投じた理由は、彼らの仕事や社会的地位、家族の安全が、このマモンの神[富と物欲の邪神] に進んで生け贅を捧げることによって保証されたからであった。この神はとりあえず「過去のそして来るべきガンの亡霊」という仮面をつけてはいたが……。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●●米国ガン協会に関わった人々

 これよりずっと昔、一九二九年にクラレンス・D・リトルは、ロックフェラー家の指名によって米国ガン協会の会長の地位に就いた。ロックフェラー家はリトルとは古くからの付き合いで、デザート・アイランド山の別荘に彼のために研究室を作ってやったこともあった。
 けれどもリトルはガンにはまったく興味がないようで、ほとんどの時間を米国産児制限連盟、安楽死協会、優生学協会の会長としての活動に費やしていた。ちなみに優生学協会は、ハリマン家のお気に入りの事業である。
 リトルは一九四三年に、米国ガン協会がガンの研究に一セントも費やさなかったことを公に認めた。彼は以前、ミシガン州立大学の学長をつとめていたが、そのころはバーヴアード大学の監督官になっていた。リトルがガン協会の指揮を取ってからは、ガン研究者たちがたまにニューヨークで会合を開くだけの、単なるエリート小集団にすぎなくなってしまった。
 その後リトルは協会を去り、何年も経ってから米国ガン協会はボブストらによって、もっとビジネスに徹した組織に再建された。けれども相変わらず、ガンの治療に関して何の実質的な成果も挙げないという記録だけは積み重ねられた。
 永年、政府高官であったある批評家は米国ガン協会を批判して、ガン協会は「全国民を無力にさせる小児的学会」と呼ばれるべきだ、といった。しかしながら、ガン協会がガンの治療法を発見できないのは、ただ結果的にそうなっているというわけではないのである。
 ボブストとラスカーの影響によるガン協会の体質は、スローン・ケタリング・ガン研究所の活動にもしっかりと根付いた。おかげでこの研究所は昔からずっと次のようなモットーを持っていた。
 「研究には何百万ドルもの金を費やせ。治療には一セントも費やすな」
 チャールズ・マッケイブはサンフランシスコ・クロニクル紙の歯に衣着せないコラムニストであるが、一九七一年九月二十七日付の紙面でこう述べている。
「みなさんは、米国ガン協会やガン研究の財団、もしくは他の尊敬されている団体に所属するメンバーが、本当にガンを治すことに関心があるのか、と疑っているかも知れない。あるいは、ひょっとしたら、自分たちの組織を存続させるために、このガンの問題がなくならないように望んでいるのではないか、と」
 ボブストーラスカー体制の下で面目を一新した米国ガン協会ではあったが、理事会にはいつものようにロックフェラーの仲間の面々が名前を連ねていた。

アンナ・ローゼンハーグ 既出
エリック・ジョンストン 永年商工会議所会頭をつとめ、現在はハリウッド映画界の代弁者である映画協会の会長をつとめる。
ジョン・アダムズ ラザール・フレール社の共同経営者で、スタンダード・ブランズ社の社長。
ウイリアム・ドノヴァン将軍 元ウォール街の弁護士で、英国情報部によって新設された米国スパイ組織である戦略事務局OSSの長官に選ばれた人物である。のちに米国大便としてタイに派遣され、世界的な麻薬買い占め組織の運営を指導した。
エマーソン・フット ラスカーの広告会社の部下。
ラルフ・リード アメリカンエキスプレス社の社長。
ハリー・フォン・エルム 大物銀行家でマニュファクチュアラーズ・トラストの社長である。
フローレンス・マーニー 何百万ドルというコックス新聞社の遺産相続人で、メアリー・ラスカー夫人の旧友である。

 次に米国ガン協会の一九五八年度の理事たちは次の通りである。
アルフレッド・P・スローン 会長モンロー・」・ラスボーン スタンダード石油社長アンナ・ローゼンハーグ・ホフマン 既出、ロックフェラー財団ドノヴァン将軍 既出エリック・ジョンストン 既出ラルフ・ヤーボロー テキサス州選出上院議員。彼は多年にわたる医療社会化制度の圃士で、二六人の委員からなる「全国ガン制圧諮問委員会」を設立し、1・H・ホィットニー投資銀行の頭取ベノ・シュミットが委員長をつとめた。その他の諮問委員は、ローレンス・ロックフェラー、元米国ガン協会会長のシドニー・ファーバー博士、軍需企業オーリン社の会長G・キース・ファンストン、元シオニズムのテロリストだったマティルデ・1・クリムである。

●●マティルデ・」・クリムの数寄な経歴
 ナチス高級幹部とシオニズムのテロ組織「ハガナ」Haganah[ユダヤ人防衛部隊、一九一八~]および「イルグン・ツヴアイ・レウミ」HrgunZ昌iLeumi[民族軍事組織、一九三一~]とのあいだに、第二次世界大戦の終わりごろから親密な関係があったという事実が暴露され、これによって世界史に新たな興味深い「脚注」がつけ加えられた。
 当時シオニストたちは、英国をパレスチナから追放するために活動していた。ナチスもまた英国と交戦状態にあった。そのために二〇世紀でもっとも奇妙な政治的同盟関係が生まれたのであった。
 このときドイツ国防軍諜報局Abwehrとの協同行動を主張した中心人物の一人が、元イスラエル首相のイツバク・シャミルである。
 大戦後、シオニストたちは英国に対抗する軍事力を整備するために多くの元ナチ党員を雇った。
このナチス・シオニスト同盟の指揮者が、かつてのシュテルン・テロリスト団、現在のイルグン・ッヴアイ・レウミの古参兵メナヘム・ベギン[元イスラエル首相、ノーベル平和賞受賞者]まさにその人であった。
 ベギンの手下の一人に、テロリスト仲間にマティルデ・1という名で知られていた若い女がいた。
 彼女はスイスで生まれたが、それは父親がなんの政治的動機もなくただ「貧しい経済状態」のためにイタリアからスイスに移住したためであった。
 この「マティルデ・1」こと、現在の「クリム夫人」は、『現代伝記辞典』には「遺伝学者」「慈善家」と記載されている。彼女は生物学専門研究者として、米国ガン協会に永年勤めている。若いころ、シオニスト組織のイルグン・ツヴアイ・レウミに参加し、団結の証しとして仲間のテロリストと結婚した。しかしその後すぐにベギンのお気に入りとなり、夫と離婚した。
 ベギンはテレビ番組『シックスティー・ミニッツ』に出演し、マイク・ウォリスに「中東の政治にテロリズムを初めて導入したのは本当にあなたですか?」とにやにや笑いながら尋ねられたとき、力を込めてこう答えた。
  「中東だけではありません。全世界です」
 これは全世界を股にかけたテロ活動を行なうイスラエル諜報機関「モサド」のことを指していた。
 モサドの活動は、すべてCIAの資金によってまかなわれている。もちろんその資金は、われわれ米国民から税金として奪ったものである。
 その後、マティルデ・lはイスラエルのワイズマン研究所に入った。彼女はある日、この研究所のもっとも裕福な米国人の理事を紹介された。それが映画界の大立者アーサー・クリムであった。
 二人は結婚し、マティルデは米国籍を手に入れた。
 クリムは多年にわたり、大手映画会社の権益を代表してロビー活動を行なってきた。またシオニズムの宣伝・煽動活動を行なう組織網のために、募金活動をしてきた主要人物でもあった。また、リンドン・B∴ジョンソン大統領とは、選挙資金調達役として親しい友人関係にあった。
 イスラエル軍が米軍戦艦リバティー号を攻撃し、多くの乗員が殺されていたころ、クリム夫妻はジョンソン大統領からホワイトハウスの来客として招かれていた。
 リバティー号の救助に向けて、米軍の他の戦艦から戦闘機が離陸したとき、どういうわけか「すぐに引き返せ」という命令がホワイトハウスから送られて来た。そのためイスラエル軍は、なんとしてもリバティー号を沈没させようと、さらに数時間にわたって自由に攻撃を続けることができたのである。
 彼らの目的は、この船が所持していた無線記録を葬り去ることにあった。それにはイスラエルが六日間戦争[第三次中東戦争]を仕掛けたという証拠が記録されていたのである。
一般国民は、このとき米軍機に引き返すよう命令を出したのはクリムであった、と信じているが、現在にいたるまでなんの捜査も行なわれていない。今ではジョンソンは亡くなり、ホワイトハウス発の恐ろしい大逆罪の見本に立ち会った生き証人は、クリム夫妻だけとなった。
 実はCIAは、攻撃がリバティー号に向けられることを二四時間前に知っていた。しかし米国を戦争に巻き込み、イスラエル側について戦わせるために、情報は握りつぶされたのである。おまけに、「エジプト軍」が攻撃を仕掛けるだろうという二七情報まで、あらかじめバラ撒かれていたのであった。
 マティルデ・クリムは現在、ロックフェラー財団の理事である。彼女と夫のクリム氏は米国黒人研究所の理事もつとめている。夫のアーサー・クリムはニューヨークの左翼運動を永年支援してきた経歴の持ち主で、ニューヨーク社会研究所やヘンリー・ストリート・セツルメント、フィールド財団といった左翼団体に資金援助をしてきた。また、ユナイテッド・アーティスト社(現在のオリオンフイルム社) の会長でもある。
 血に染まったテロリスト、レーニンの友人であることを、アーマンド・ハマーは自慢の種にしていたが、クリムはハマーの個人弁護士として、彼のもつ二つの大企業、アイオワ・ビーフとオキシデンタル石油の重役をつとめている。さらに民主党財政委員会の議長、コロンビア大学理事会の会長、リンドン・B・ジョンソン財団の理事を兼務している。

●米国ガン協会の金まみれ体質
 一九七六年に、批評家たちは、米国ガン協会ACSは理事のうち少なくとも一八人が銀行の役員であると指摘した。米国ガン協会はその年に一億一四〇〇万ドルの金を使ったが、協会の総資産は一億八一〇〇万ドルも所有していた。
 一九七六年八月三十一日現在、ガン協会の現金および出資金総額のうち、四二%にあたる約七五〇〇万ドルが、この理事会メンバーの関連銀行に保管されていた。一九七五年の予算報告によると、協会の管理費用は全体の五七%で、研究費は二九〇〇人の職員の人件費よりも少なかった。
 米国ガン協会は実質的な利益を得るために、政府機関である国立ガン研究所NCIを支配している。ガン研で理事をしていたフランク・J・ラウシャーは、米国ガン協会の首席副会長に就任して、給与が年俸七万五〇〇〇ドルと以前の二倍になった。ガン協会の広報担当者が認めるところによると、一九七六年の研究費予算のうち、七〇%が理事会メンバーの関係する「個人あるいは団体」に支払われたという。
 ガン協会で二五年間科学雑誌編集者をつとめたパット・マグラディは、フリーライターのピーター・チヤウカにこう語った。
「医者は弁護士に次ぐ金まみれの腐敗した職業になり果ててしまった。米国ガン協会の標語は『検診と小切手でガンを管理せよ』である。……けれども協会はガンを抑制していないのだから、これはウソだ。
 この標語はガン協会がも.つている科学的・医学的・臨床的な認識の延長上にある。協会の科学・医学部門では、とても本来の科学研究など誰もできない。彼らは金の儲け方を知っているという点ではすぐれた『専門家』であるが、ガンを予防する方法、患者を治す方法など知ったことではない。逆にそれどころか、革新的な治療法には道を塞いでしまうのだ。
 米国ガン協会の予算は、寄付金を得るために最高の『芝居』を見せる研究者や、寄付金提供団体の中に友人がいるような科学者の懐に入るのである」
 これはおそらく、あなたの寄付金が米国ガン協会でどのように使われるかを端的に示す、もっとも信頼しうる発言であろう。すでに指摘したように、一般大衆が施しを与えている相手は、「大富豪たち」なのである。富豪たちは集まった寄付金を自分自身や友人たち、好んで利用する非課税の団体でどのように山分けするかを心得ている。このような非課税の団体は多くの場合、寄付金を受け取る資格のない身内に金をわたすための隠れ蓑になっているのだ。
 米国ガン協会の理事たちはニューヨークの「特権階級」 つまり「ジェット族」 [ジェット機で世界各地の保養地・行楽地巡りをする超有閑族] の中から選ばれる。小説家のトム・ウルフによって「上流階級の過激派」radi邑chicと茶化された、流行最先端のパーク・アベニューに群がる人々である。かつては黒人間題が流行の最先端だったが、今では同性愛とガンだというわけである。
 このグループは、事あるごとに、「同情と心配」からやむにやまれず活動をしていると宣伝するが、使うのはいつも他人の金で、自分の財布はいつも尻に張り付いたままである。
 これと同じ手合いが、全国放送のニュース番組でわざとらしく大袈裟に同情してみせるアナウンサーたちである。彼らはホームレスを取り上げたり、アフリカであろうとどこであろうと、ハエのたかった写真映りのよい犠牲者のいるところならどこへでも飛んで行って飢餓の状況を取材したりと、手を変え品を変えて夜な夜なわれわれを楽しませてくれる。これら「ジャーナリスト」たちはみずから年間何百万ドルもの報酬を得ながら、被害者に小銭を恵んだなどとは、一度も聞いたことがない。
 ご同様に倫理観の欠如している良い例は、政治家ではデブで年寄りのプレイボーイ、テディー・ケネディー上院議員である。ハリウッドではこれまた太っちょのエリザベス・テーラーである。
 マティルデ・クリムは、今では新たに設立された「米国エイズ研究財団」を裏で支配する背後霊のような存在となっている。彼女はハリウッドでの強力な人脈を武器に、エリザベスエアーラーをはじめとする映画スターたちから、自分の事業のために莫大な基金を容易に集めることができた。
 このエイズ財団の最初の理事会メンバーには、古くからの友人であるメアリー・ラスカーにも声を掛けた。メアリー・ラスカーは、現代の 「広告の天才」ジェリー・デラ・フエミナにカネを積んで、コンドームの配布と使用を広めるという、彼らにとっては 「おいしい」全国宣伝キャンペーンを展開した。
 メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターに寄付することは、ニューヨーク社交界では常にもっとも「おしゃれな」慈善行為であり、確かにたいへんな効果があった。お上品な『アッパー・イースト・サイド』誌のリストにも「メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの社交界」として掲載されている。
 ガンセンターは三番街に慈善リサイクルショップを何年も経営し、店には富裕な人々からの寄贈品があふれている。他の多くの若い作家や芸術家と同じように、当の筆者も永年この店で服を買っていたが、ここの品物はすべてニューヨークでも最高級店のタグが付いていた。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●詐欺まがいのガン研究

 「ガンに対する闘い」はロックフェラー医療独占体制によって完全に支配されているため、ガン研究の助成金はいつも単なる詐欺にすぎない研究にばかり交付される。皮肉屋の中には、米国ガン協会は研究者が「私は決してガンの治療法を見つけません」と誓約書にサインした場合にのみ研究助成金を支給するんだ、と茶化す者もいるほどだ。
 世間にはまだ氷山の一角しか現われていないが、「ガン研究」なるものの大部分は試験データを捏造したインチキであるという確かな証拠が、いままでに数え切れないほど暴露されている。
 有名な一件としては、国立ガン研究所NCIが九八万ドルをボストン大学のある研究者に支給したところ、その後この研究者が試験データを改窺した罪で解雇される、という事件があった。
 またこれも良く知られている事件だが、権威ある当のメモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンター自身で、あるガンの実験結果を「立証する」ために、試験用のマウスにさまざまな色を塗るという事件が起きたことがある。スローン・ケタリングのウィリアム・サマリン医学博士は、ガンの皮膚移植が成功したように見せかけるためにマウスにペンキで色を塗った事実を認めたのである。
 国立標準局NBSは次のように報告している。
「科学者が雑誌に載せた記事の数値データは半数以上が信用できない。なぜなら、このデータを当の科学者が正確に計ったと証明する証拠は、どこにもないからである」
 このような警告を受けて、政府は実地調査のために科学論文の著者三一人にアンケートを送り、原データの提出を要求した。その結果二一人が、データは「なくなった」とかあるいは「たまたま捨ててしまった」と答えて来たのである。研究者とはなんと物を紛失する職業であろうか!一九八八年一月十七日テレビ番組『シックスティー・ミニッツ』が「事実はデツチ上げだった」というタイトルで、先進科学研究者について手厳しい暴露を行なったが、おかげで全米の科学者たちは国民の信頼を失ってしまった。
 暴露の対象となったのは、米国でも「一流の科学者のひとり」であった。この科学者は国立の研究所で 「精神遅滞」 に関する広範な研究を行なったと報告していたが、研究所の記録には、彼は金魚を使った実験しか行なっていないことが、はっきりと示されていたのである。
 『シックスティー・ミニッツ』 は、米国で行なわれている科学研究の一〇%から三〇%は完全にデータを捏造しており、その理由は「研究助成金獲得」競争に勝つためである、と報告した。
 助成金の申請を本気で検討してもらうには、科学者たちは自分の研究に「画期的な」成果があると主張しなければならない。助成金はたいてい何百万ドルにものぼり、科学者自身にとって決して少なくない金額だからである。ある科学者は 『シックスティー・ミニッツ』 のインタビューに答えてこう言った。
「医学雑誌の論文を読んで信用するのは、私ならよくよく考えてからにする。……それは不正な詐欺まがいの報告だからだ」
 こういった科学者の不正の裏にある原因は、医学が本当に進歩してしまうと、超富豪たちの利益が危機にさらされることになるからである。すなわち研究データが捏造されればされるほど、年間一億ドルいやそれ以上の収益を挙げている医薬品が、市場から消える危険性がそれだけ減るというわけである。
 米国における医学研究の大がかりなごまかしは、ほとんどすべてロックフェラー医療独占体制とその支配下にある製薬会社の圧力によるものである。製薬会社は新薬の認可を得るために、念入りに捏造した「試験データ」を食品医薬品局に提出する。しかもデータでは、肝臓・腎臓障害や致死を引き起こす有害な副作用は巧妙に隠される。
 さらに医療独占体制は大学を支配して、ロボットのように忠実な下僕たちを養成する飼育場にしている。これらの下僕たちは、助成金を獲得するため、あるいは楽な職に就くためなら、どんなに卑しい行為にもみずから進んで甘んじるようになる。研究提道の長い歴史はすでに慢性化し、これらの下僕たちをおとなしく言うなりにさせておくための理想的な「パナマ帽」すなわち操縦装置になっている。
 このようにして提造された試験データがたいてい、新薬認可の根拠になっていることを考えると恐ろしい限りである。その一方でFDAは、既存医療産業を保護し、彼らがすでに時代遅れで薬効の疑わしい万能薬や治療法でさらに利益を上げ続けることを許している。
 ところが、これはレーガン大統領が「研究開発費」に六四六億ドルも割り当てた一九八九年度の「すばらしき新型予算」の存在理由であると同時にその原因ともなっている。この額は一九八八年度予算に対しては四%増にすぎないが、レーガン大統領の就任当時と比べると、五二%も増加したことになる。同じく国立衛生研究所NIHの予算は二倍の六二億ドルになり、そのうちガン研究に一五億ドル、エイズ研究に二〇億ドルが割り当てられた。マティルデ・クリムもさぞかし狂喜乱舞したに違いない。

●スローン・ケタリング・ガンセンターに追従する者と逆らう者
 批評家たちは、メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターは、自分たちのお気に入りの「治療」方法を研究するだけで、ガンの予防については実際なんの研究もしていない、と指摘してきた。ここの研究者たち[だけでなく現代医学]は、ガン細胞の増殖の原因は細胞のみにある、という基本的前提に立っているが、この前提がおそらくは誤っているのだ。しかし、これが化学療法の推進をも含めた、すべての研究の基礎になっているのである。
 実際には、細胞は外部からの感染や圧力に対して反応しているだけであって、細胞自体に問題があるわけではない。けれどもスローン・ケタリングの方法は、ガン細胞を正常細胞にもどす「魔法の弾丸」のような薬、すなわち抗ガン剤を見つけようといつまでもしつこく追いかけている。
 抗ガン剤には、細胞の成長を阻害するアルキル化剤も含まれる。アルカロイドなので、細胞の有糸分裂や細胞分裂を妨害するためである。
 スローン・ケタリング・ガンセンターは、抗ガン剤が免疫系を刺激することで逆にガン細胞の増殖を促してしまう可能性についても無視している。免疫反応は、人体が病気と戦うための正常な反応なのである。
 このガンセンターは、アルフレッド・P・スローン財団も含めたさまざまな非課税の財団から毎年七〇〇〇万ドルもの寄付を受けている。つまり、ここのすべての研究に補助金を支払っているのは、米国の納税者だということになる。
 一三〇人の常勤科学者がこのセンターで研究し、三四五人の医師全員も研究に深く関わっている。
 しかしこれらすべての研究の成果はいったい何であろうか? 彼らが相も変わらず頼りにしている「切る・叩く・焼く」という苔の生えた治療法は、何年も前に死んだ故1・マービン・シムズ博士やジェームズ・ユーイングのような「気狂い医者」 の治療を思い出させるだけである。
 スローン・ケタリング・ガンセンターの 「科学者たち」は、このような高額で苦痛を伴い、しかもなんの役にも立たない方法にまるで宗教儀式のように固執しながら、その一方では食事や栄養、ビタミンを使ったさまざまなホリスティックな [総合的・自然的]治療法に対しては、終始一貫して非難・攻撃する高姿勢を保ち続けている。
 国立衛生研究所NIHのミユリエル・シムキン医学博士は、ガンについての内部向け教育資料で一九七三年にこう書いた。
  「食事療法のみによるガンの治療は、ニセ医療の領域である」
 しかしこれとは正反対の事実を示す証拠が続々と出てきたため、米国ガン協会は一九八四年に特別レポートを発表し、ガンを防ぐための次のような養生法を呼びかけた。
   一、肥満を避ける。
   二、全摂取カロリーのうち脂肪分の占める割合を一二〇%までに押さえる。
   三、食物繊維の多い食品を多く取る。
   四、ビタミンAとビタミンCの多い食品をたくさん食べる。
   五、アブラナ科の植物や青菜などを食事に取り入れる。
   六、アルコール飲料をなるべく控える。
   七、塩漬けや燻製、亜硝酸塩の添加された食品はなるべく摂らない。
 これは非常に良識ある養生法である。しかしながら、米国ガン協会や国立衛生研究所は、その後もこのような方法をとくに強調することなく、多くの医者たちも担当のガン患者に対してこういった方法を勧めることはない。

●レアトリルをめぐる攻防
 米国ガン協会は、今日に至るまである「妖怪」につきまとわれてきた。それは「レアトリル」-aetri-eという物質である[アンズの核から取れるビタミンB17を含む物質で、アミグダリンともいう]。
 スローン・ケタリング・ガンセンターの所長を永年つとめたルイス・トーマス博士は、一九七五年四月二日にガン協会で開かれた科学記者のためのセミナーでこう述べた。
  「レアトリルはガンと戦うためにはまったくなんの価値もない」
 この発言とは正反対の研究結果が、当のスローン・ケタリングの研究員によって示されていたのであるが、その成果はセンターによって揉み消されていた。
 トーマス博士は同じ年にさらにこう述べた。
  「二年間の試験の結果、レアトリルはガンに対して無効であることが明らかになった」
 スローン・ケタリング・ガンセンター所長のロバート・グッド博士も一九七四年一月に「現時点ではレアトリルがガンに効果があるという証拠はない」と述べた。しかし当のセンターの科学者が行なった研究では、これとは正反対の結果が出ていたのである。
 二人の研究員、ロイド・ショーン博士とエリザベス・スロケット博士は、スローン・ケタリング・ガンセンターでそれぞれ独自に研究をしていたが、レアトリルにパイナップル酵素を混ぜて投与した結果、実験動物三四匹のうち五〇%に全体的な腫瘍の縮小が認められた。
 レアトリルの恩恵を受けたもっとも有名な人物は、俳優のスティーヴ・マックイーンである。彼はガンの末期で、かかりつけの医者が諦めたためにレアトリルを試した。そして徐々に回復していったのであるが、医者から説得されて腫瘍の摘出手術を受け、塞栓症[血管が異物で詰まる病気] のために手術台の上で亡くなった。既成医療産業は、この事実を取り上げて、「これでレアトリルはガンに効果のないことが証明された」と宣伝したのである。
 ガンセンターのハロルド・マナーも、レアトリルと酵素およびビタミンAを組み合わせれば、同じようにマウスの腫瘍を縮小させる効果があることを発見した。
 ハリマン研究所で早くからガンを研究し、一九七一年からスローン・ケタリングにつとめた杉浦兼松博士も、動物実験により、レアトリルがガンに効果があることを証明する注目すべき研究成果を発表した。一九七三年六月十三日、九カ月間におよぶレアトリルを使った実験の後で杉浦博士は、こう述べた。
「実験の結果、アミグダリンはマウスの転移性肺腫瘍の発現を著しく抑制することが明らかになった」
 この結果は一九七四年一月十日にスローン・ケタリング・ガンセンターから公表きれたが、所長のロバート・グッド博士は 「まだ結論を出すには早すぎる」として、この結果を否定した。
 ガンセンターの広報担当局長だったラルフ・モス博士は、杉浦博士の成果が正真正銘の大発見であり、スローン・ケタリング・ガンセンターがガン研究で異常に成果を上げていない状態から脱却できる喜ぶべき成果であると考え、一九七七年十一月十七日、ニューヨークのヒルトン・ホテルで記者会見を行なった。けれどもガンセンターは、研究所の成果を公表したモス博士を賞賛するどころか、その翌日に彼を解雇した。
 モス博士はその後、スローン・ケタリング・ガンセンターにおける多くの矛盾を暴露するすぐれた著書『ガン症候群』を著わした。この本は彼を追い出した連中への恨みにとらわれることなく、事実に忠実に基づいて書かれた本である [モス博士の別の著書には邦訳『がん産業』がある]。
 エルマー・ボブストはニクソン大統領就任のために極めて重要な役割を果たしたので、ニクソンを説き伏せてカネのかかる新しい 「対ガン戦争」計画をほとんど問題なく承認させた。ボブストにあおられて、ニクソンは一九七一年に「国家対ガン法」NatiOn巴Cancer Act に署名し、おかげでベセズダにある国立ガン研究所NCIは、融通の利かないお役所に生まれ変わってしまった。
 その後一五年間にわたり、国家対ガン法によってさまざまなガン研究プロジェクトに、一〇〇億ドル以上もの補助金が支払われた。しかしこれらの研究のうち、ガンの治療や予防に成果を上げたものは一つもなかったのである。
 国立ガン研究所は二五〇〇万ドルの助成金を受け「国立化学療法サービスセンター」を一九五五年に設立した。むろんガンの化学療法を促進するためである。一九六九年十二月九日付のニューヨークタイムズ紙は全面広告で「ガン治療はまもなく実現する」と宣言した。記事は、一九七六年までにガンの治療を「明らかに実現できる」と約束していた。
 しかしその後、「大統領国家ガン諮問委員会」の委員長は報告書を提出し、国家対ガン計画の最初の五年間が失敗だったことを認めるにいたった。計画が始まってから年を追うごとに、ガン患者数が増加していたからである。一九八五年までには、年間のガン患者発生数は、四八万五〇〇〇人に達していた。
 以前、四万三〇〇〇人以上の人々がニクソン大統領に対して、国立ガン研究所にレアトリルの試験を実施させるよう要求したことがあった。このとき、ベノ・シュミットが試験を担当する科学者チームのメンバーを選考したが、選ばれたメンバーはレアトリルに猛反対で有名な科学者ばかりであった。シュミットは試験結果の公表を要求されると、「科学者たちの誰も私に試験結果を見せてくれなかった」と答えたものである。もしも、レアトリルがガンに効果がないという結果が出ていれば、科学者たちは大喜びでさっそく結果を公表したであろうに。
 その後もレアトリルに対する攻撃は全国規模で行なわれた。ロビイストのチャールズ・オフソは、カリフォルニア州サクラメントでレアトリルに反対するロビー活動のみを専門に行ない、年間二万五〇〇〇ドルの報酬を受けとっていた。
 薬局の店主は、レアトリルを推薦する本を店に陳列した場合、本を撤去するまで会員の医師からの処方箋を出さない、との通告を米国医師会から受けた。
一九六三年以来、連邦取引委員会FTCも、レアトリルを支持する書籍を出した出版社に圧力をかけ続けている。さらに政府は法律でレアトリルの州間輸送を禁じただけでなく、なんと、それを推薦する本の輸送まで禁止したのである! カイロプラクティックの後は、レアトリルが医療情報統制協議会CCHIによる組織犯罪的テロ工作の最重要標的となった。これは米国ガン協会ACSと米国医師会AMA、食品医薬品局FDAの指示による陰謀であった。レアトリルが公然と話題になることを阻止するために、検閲と脅迫による戦争さながらの攻撃が続いた。あるテレビ局が、レアトリルについて賛否両論を聞こうと討論番組を企画したが、突然中止になった。レアトリルがガンに効くことを証明した実験結果は、弾圧を受けて、決して一般には公表されなかった。
 なりふり構わぬレアトリルへの攻撃は、いったい何だったのか? それはほかでもない、ただただ金のためであった。ロックフェラー医療独占体制の利益にとって、レアトリルは最大の脅威にはかならなかったからである。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●野蛮・残忍なガン手術

 病院でのガン治療には何千ドルもかかる。スローン・ケタリング・ガンセンターが「研究」に年間七〇〇〇万ドルも使う一方で、付属のメモリアル病院はベッド一床あたり一日四七〇ドルを請求する。一〇日間も入院すると、ベッド代だけで五〇〇〇ドル近くになり、さらに看護代や治療費として別途四〇〇〇ドルを請求される。
 「切る・叩く・焼く」という治療法によってガンが治癒したという記録は、日常的に歪曲・偽造されてきた。
 カリフォルニア大学バークレー校の医療物理学教授バーディン・ジェームズ博士は、一九六九年に米国ガン協会主催の科学記者会議で演説し、「もっとも症状の重いガン患者はたいてい 『手術不能』と診断され、故意に治療をせずに放ったらかしにされる」と暴露した。
 治癒または媛解した症例はもともと治癒率の高い「甘い」症例である。けれどもジェームズ博士は次のように報告している。
「症状が重いために放ったらかしにされた患者の方が、症状が軽くて治療を受けた患者よりも、実際の生存期間は長くなっている」
 ジェームズ博士のこの暴露発言をよそに、依然として医療機関では、自分たちが治療できる患者のみを選んで治療し続けた。偉大なスローン・ケタリング・ガンセンターですら、自分たちの施設は末期ガン患者を受け入れるためのものではないとして、重症患者たちにはただ死を待つだけのホスピスに行くよう、丁重に勧めるのであった。
 しかし、ガンセンターが末期ガン患者を拒絶したことは、患者にとって実際には幸運だったかも知れない。もしスローン・ケタリング付属のメモリアル病院で治療を受けていれば、よだれを垂らしたドラキュラ伯爵の餌食になるようなものだったからである。
 ラルフ・モス博士は、この病院でよく使われる手術方法のいくつかを公表した。
 頭部または頚部にあるガンは、「コマンド」と呼ばれる手術を受ける。この名称は、第二次世界大戦中に奇襲部隊が得意とした戦闘方法から名づけられたもので、患者のあごを完全に取り去ってしまう方法である。障臓ガンは、腫瘍のある腺の周辺組織をほとんどすべて切除する。しかしこのような荒療治にもかかわらず、五年生存率は手術を受けない場合と同じでわずか三%である。
 一九四八年アレックス・ブラウンシユワイク博士は「臓器全摘除術」と呼ばれる手術法を開発した。この方法は直腸、胃、勝胱、肝臓、尿管、すべての内生殖器、骨盤底と壁、膵臓、牌臓、大腸、多くの血管、これらすべてを切除摘出するものである。ブラウンシユワイク博士みずからが、このくりぬき手術を「野蛮で残忍な手術」(一九六九年八月八日付ニューヨークタイムズ紙)と呼んでいる。
 「気狂い医者」手術の典型として有名なものに、ヘメオコーポレクトミーがある。スローン・ケタリング・ガンセンターのセオドア・ミラー博士が考案した方法で、骨盤の下すべてを切除するものである。この技術は中米の共産主義革命で使われた方法を彷彿とさせるが、それ以上に残忍なものである。たとえば、ニカラグアのサンディニスタ革命で、首謀者は次のような詩的な標語を唱えさせて革命戦士たちを鼓舞した。
  「自由を獲得するは、花に非ず、銃弾なり。
  さればこそ、われら用いるは、
  チョッキ切り、ヒョータン切り、ブルマー切り」
 「チョッキ切り」とは、サトウキビ刈りに使うなたで犠牲者の首を刺ね、両腕を肩から切断するもの。「ヒョータン切り」は頭の上部を切り取る。「ブルマー切り」は両足の膝の部分を叩き切り、そのまま出血死させる方法である。

●人間モルモット実験の数々
 このような「気狂い医者」症候群の事例を記録していくと、数冊の本が出来上がるだろう。米国連邦議会の特別報告書に、一二〇年間におよぶ三一件の「人間モルモット」実験を追跡・調査したものがある。委員会の委員長をつとめたウッドワード・D・マーケイ(民主党、マサチューセッツ州選出)は、この委員会の調査結果は「良心に衝撃を与え、医学研究史上の汚点を意味する」と述べている。
 特別報告書によると、一九四五年から四七年に実施されたマンハッタン計画において、科学者たちは一八人の患者に毎日プルトニウムを注射した。またマサチューセッツ工科大学では一九六一年から六五年まで、二〇人の老人患者がラジウムまたはトリウムを注射あるいは経口投与された。
 一九四六年から四七年には、ロチェスター大学で健康な腎臓をもつ六人の患者が「腎障害を引き起こす濃縮量を測定するために」ウラン塩を注射された。ボストンのマサチューセッツ総合病院でも、一九五三年から五七年にかけて、一二人の患者が腎障害を引き起こす投与量を測定するためにウランを注入された。
 一九六三年から七一年には、オレゴン州立刑務所の六七人の囚人とワシントン州立刑務所の六四人の囚人が、人間の生殖能力に与える放射線の影響を調べるために皐丸にⅩ線を浴びせられた。オレゴン州立刑務所の実験で生殖器に照射したⅩ線の一回の照射線量は、六〇〇レントゲンであった。
 ちなみに一般人の年間許容線量は五レントゲンである。
一九六三年から六五年には、アイダホ州にあった米国原子力委員会AECの原子炉実験所から、放射性ヨウ素が前後七回にわたって意図的に外部に持ち出され、放射性ヨウ素に汚染された牧草を食べた牛の牛乳を、七人の被験者が故意に飲まされる事件があった。
 一九六一年から六三年には、シカゴ州立大学とイリノイ州のアルゴンヌ国立研究所で、一〇二人の被験者がネバダ核実験場の放射性降下物を飲まされた。降下物粒子を模した放射性物質とともに放射性セシウムと放射性ストロンチウムの溶液を飲まされたのである。
一九五〇年代の末ごろ、ニューヨークの長老派教会病院とモンテフィオーレ病院の一二人の患者が、放射性カルシウムとストロンチウム発ガン粒子を注射された。
 これらの実験から「気狂い医者」たちがどれほどの興奮と快感を感じたか詳らかではないが、実験のあとになっても、国民のガンの発生率は変わらないか、あるいはかえって増加した。
 下院議員のウィドナーは次のように指摘した。
「私の目に留まったのは、二〇年前の一九五七年にもガン患者は現在と同じ三人に一人の割合で治癒していたことを示すデータであった。私は疑問に思った。ガン研究に捧げられた莫大な資金と労力にもかからず、なぜ治癒率が昔と変わらないのだろうか、と」
 このような批判があったにもかかわらず、国立ガン研究所NCIは依然として、無意味な研究プログラムのために何十億ドルもの資金を浪費し続けた。たとえば、テンピにあるアリゾナ州立大学のジョージ・R・ペティットは、ガン研の研究の一環として二五万匹の蝶から化学物質を抽出し、六年の歳月と一〇万ドルの研究費を費やした。
 しかし、これといった成果は何もなかった。

●対ガン戦争の資金集めと使途
 また別の研究者たちは、「対ガン戦争」が儲かる戦争であることに気づいていった。サタデー・レビュー誌は一九六一年十二月二日付号で次のような記事を載せた。
「マサチューセッツに住む米国ガン協会の有力な資金提供者が、協会事務所にいるはずの州支部専務理事が見当たらないので困っていた。方々探し回った挙げ句、支部長のジェームズ・ラビンはたぶん道の向かい側にある別の事務所にいるだろう、と教えられた。その事務所とは、ラビンが募金調達のために個人的に経営している『ジェームズ・C・ラビン社』という会社であった。ここで彼は寄付金提供者たちの代表をつとめていたのであった」
 この記事に腹を立てた副会長のレイン・W・アダムズは、一九六二年の六月六日にサタデー・レビュー誌宛てに次のような手紙を送った。
「ジェームズ・C・ラビンが、米国ガン協会マサチューセッツ支部の専務理事をつとめながら、個人的に募金集めの会社を経営していたことは、ガン協会本部の承認を得ていた」
 アダムズによると、ラビンの給与は年棒一万七〇〇〇ドルで、さらに一万ドルが彼の会社に支払われていた。米国ガン協会マサチューセッツ支部を数年間切り盛りしていたのは、ラビン社の社員ソール・ナグリンという男であった。一九六〇年にマサチューセッツ支部の年間経費は五四万八〇〇〇ドルであったが、これに対して総収入は約二倍の二〇万ドルであった。
 アダムズは手紙の中で、さらに次のように自慢していた。
 「スターリング・シユワオーッ博士は白血病の患者の脳から抽出した物質を被験者に注射する 研究を行なったが、われわれはこの実験を援助した。また生きたガン細胞を人間の皮下に注入 するというチェスター・サザム博士の行なった実験も助けた」
 アダムズが米国ガン協会に入ったのは一九四八年だが、今ではニューヨークのパーク街九〇番地にある全米本部のトップになっている。彼は協会からアルバート・ラスカー公益事業賞を受賞したことがある。またソールトレークシティーにあるシオン・ファースト・ナショナル銀行の副社長、ポール・リヴイア・インベスターズ社の役員およびエネルギー基金の理事をつとめる。ラビンの顧問弁護士ジェームズ・マウンツォスは、ガン協会マサチューセッツ支部の事務局長および協会本部の理事もつとめた。
 一九七八年に米国ガン協会ACSは、一億四〇〇〇万ドルの収入を上げた。しかしその五六%を経営管理費に充てる一方で、ガン研究に使ったのはわずか三〇%未満にすぎなかった。さらに協会は、二億ドルの投資資金を有していた。ボブストとラスカーが一九四四年に協会を乗っ取る以前には、収入が年間六〇万ドルを越えることはなかった。しかし乗っ取りの翌年、収入は五〇〇万ドルへと一気に達したのであった。

●発ガン性化学物質とガンの化学療法
 一九八二年、アラン・ソナンシャインは 『警戒せよ! - 健康を脅かす米国ガン協会』というタイトルの本を著わして、人々に警告を発した。
 一九五五年、ガン協会は権力抗争の末、全米研究会議NRCのすべての研究プログラムを引き継ぎ、新たに全米の病院と大学の代表からなる「科学諮問評議会」を設立して華々しいクーデターを成功させた。
 サミュエル・エプスタイン博士は著書『ガンの利権』The PO-itics O蝿Cancerの中で次のように述べている。
「米国ガン協会の幹部役員たちは、一定のタバコの害からガンを予防することに無関心だっただけではない。人々は生活環境や職場で発ガン性化学物質にさらされている。
 ところが、それを防ぐために必要な規制の制定に、協会は敵意剥きだしとまではいわないが、少なくとも無関心だった。こうした評判を助長してきたのは、役員たちの責任である」
 エプスタインによると、米国ガン協会は赤色二号、TRIS [アシドース(血液が酸性に傾く症状)の補正に用いるトリス緩衝液]、DES [ジエチルスチルベストロール、前立腺ガンに内服静注する卵胞ホルモン剤]のような発ガンの可能性のある化学物質を規制することに反対している。
 また水質浄化法の制定に反対し、ガンの原因は環境ではなく患者の側にあるとしたのであった。
 環境保護局EPAの発表によると、米国では室内の汚染物質が原因で年間六〇〇〇人がガン死しており、三八〇〇万人が安全基準を越えた鉛や塩素副産物その他の有毒物質を含む水を飲んでいる。 I5 DES(ジエチルスチルベストロール)は、一九四〇年から一九七〇年代初期まで広く使われてきた合成女性ホルモン剤で、流産防止のために医師によって日常的に処方されてきた。この薬は副作用について一度も試験されたことはなく、どんな副作用があるのか誰にもわからなかった。結局、シカゴ州立大学医学センターの学生が、流産防止にはまったく効果がないだけでなく副作用があることを明らかにしたが、DESの使用は禁止されなかった。
 一九七二年、DESの使用がおよぼす長期間にわたる影響が、明らかにされ始めた。処方された患者が乳ガンになったり、その母親から生まれた娘に隆ガンおよび性器の奇形・異常が見られたのである。さらに肝臓障害につながる場合もあった。
 リー・エドソンは著書『ガンのポロ儲け』の中で、ベセズダの国立衛生研究所NIHの近くにある七四の私企業が、ウイルス研究を行なうために、実際の一四四%に相当する水増し経費と九%の利益を政府に請求していた、と述べている。
 ニクソンは国立衛生研究所に頼まれて自分の子分のフランク・ラウシャー博士を研究所の責任者に就かせた。博士はガン治療への解答として化学療法を推奨したウイルス学者である。ラウシャー博士は国立衛生研究所による化学療法プログラムは、「全米だけでなく世界中のガン患者に有効な治療を提供してきた」と断言した。この言い分に対して、国立衛生研究所の環式化合物部長のディーン・バークは次のように反論した。
「実際には、食品医薬品局FDAによって現在、ガン患者への使用および試験が認められている抗ガン剤のすべては、ラットやマウスの実験によると、著しい免疫抑制作用をもたらす有毒 性と高い発ガン性をもっている。そのため抗ガン剤それ自体が、逆にさまざまな臓器にガン腫瘍を作り出すのである」
 こうした反論があるにもかかわらず、ラウシャー博士はその後、大統領国家ガン諮問委員会の委員長に任命された。
 抗ガン剤の副作用は、治療を受けた多くの患者によって生々しく措写されてきた。激しい吐き気、脱毛、急激な体重減少など数多くの不都合な症状である。M・モーラーの『選択- 実際的なガンの代替療法』二九八〇年、エイヴオン社刊)は、[代替療法と謳いながら]既成医療産業が推奨する「切る・叩く・焼く」治療法のすべてに好意的な本になっている。
 モーラーが食事について触れているのは、化学療法による吐き気に関する箇所のみである。彼は、患者に「料理の臭いで吐き気を催さないように、誰か他の人に調理してもらいなさい」とまじめにアドバイスしている。しかし目の前に出された料理の臭いを消す方法は、教えていない。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●有害なガンの放射線治療

 メモリアル・スローン・ケタリング・ガンセンターの最初の後援者であるジェームズ・ダグラスが、一九一三年に自分でラジウムを浴びて死んで以来、放射線はガン治療の選択肢の一つとしていまだに残されている。
 一九七九年七月四日付けのニューヨークタイムズ紙は、メモリアル病院ではガン患者の七〇%に放射線治療を施し、年間五〇万ドルの治療費を受け取っている、と報じた。現在では一年間に一万一〇〇〇人に外科手術を、六万五〇〇〇人に放射線治療を行なっている。
 一九八〇年、メモリアル病院は四五〇万ドルの費用をかけて、すべての放射線治療設備を一新したが、疲射線治療が人体への影響から見て恐ろしい治療法であることに変わりはない。
 一九三七年、自分がガンに侵されていることに気づいたロンドン病院の一流外科医ハーシー・ファーニバル博士はみずからの体験から、一九三八年二月二十六日にブリティッシュ・メディカルンヤーナル誌に祈りにも似た気持ちを書き記した。
 「放射線治療による悲劇は日常茶飯事となっている。ガン放射線治療の真実を公表することは、厚生大臣にとってはみずからの名誉を汚すこととなり、この人体を破壊する物質で途方もない治療費を請求している既得権益者たちにとっては恥辱となる。
  私は私にとって最大の敵、すなわち六カ月以上におよんだ放射線による神経炎と筋肉痛の地 獄をもう二度と味わいたくない……。私自身の体験を書いたのは、最適な治療法を決めるために、すべての要素を十分に検討してほしいという私の願いからである」
 ファーニバル博士は、その後まもなく亡くなった。しかし彼の訴えもガンの放射線療法を止めさせることはできなかった。
 ガンで亡くなった元上院議員のビューバート・バンフリーは、放射線治療の宣伝のために頻繁に引き合いに出された。ジェーン・ブローディは、一九七七年に米国ガン協会の副会長ホーレブとの共著で出した『ガンと戦って勝てる』(ニューヨークタイムズ社刊)の中で、ビューバート・バンフリーを「現代医学の放射線療法の恩恵を受けた著名人」と紹介している。実際この 「恩恵を受けた著名人」は、死ぬ前には放射線治療に完全に幻滅していたのだが、彼女はこの事実を適当にごまかしている。
 バンフリーの勝胱にガン腫瘍が見つかったのは、一九七三年のことだった。彼はⅩ線照射を受け、一九七六年に主治医のダブニー・ジャーマンは誇らしげに「われわれの見る限り、上院議員のガンは完治した」と発表した (一九七六年十月六日付ニューヨークタイムズ紙)。その後バンフリーはさらに抗ガン剤治療を受けて次第に衰弱し、最後はこれ以上治療を受けたくないと、メモリアル・ガンセンターにもどるのをきっぱりと拒絶した。一九七八年一月十四日付のデイリーニューズ紙の記事の中で、彼は抗ガン剤を「瓶詰めの死」と呼んでいた。
 一九八八年二月にワシントン・ポスト紙は 「ガン治療は有害」という記事を掲載した。
「健康に見えた人が私たちの目の前でぶるぶる震え、悲痛な吐き気に悩まされるのを見るとき、私たちはほとんど救われない気がする。……成功は劇的だがまれである」

●ガンの原因
 ガンに握る原因としていつも無視されてきた要因の一つに、非日常的なストレスがある。
われわれはみな、日常生活において毎日ストレスを受けているが、普段はなんとかうまくそれに対処している。
 しかし突発的あるいは長期間におよぶストレスは、われわれが対処しきれないほどの過度の緊張と疲労を身体に与える。
 このことは今日ではとくに言えることである。
 なぜなら邪悪な影の勢力が、ただ「慈悲と愛護の精神」に基づいているとわれわれに信じ込ませながら、われわれの接するすべての情報を架空のプロパガンダで毒しているからである。
 著述家のモーリー・ロバーツは一九二六年、ガンに関する驚くべき仮説を発表した。
ロバーツは英国の科学者で、どの学会にも属さず一人で研究していたために、その学説はほとんど無視されてきた。
 彼の「器官万能主義Organic Materi巴ism」理論の要点は、次の通りである。

「悪性腫瘍とその発達について。
悪性腫瘍は高いレベルの細胞分化から低いレベルの上皮細胞の増殖へのエネルギーの転換である。
 この細胞は刺激に対して反応せず耐えるだけで、かろうじて分化するにすぎない。
典型的なガン腫である基底細胞上皮腫は、人体でもっとも単純なタイプの細胞増殖である。
 この腫瘍はからだの表面の皮膚と同じように寿命が短く、分化することができない。
 ガン腫瘍に侵された組織は、腫瘍があるために分化することができなくなる。
 なぜなら低いレベルの細胞増殖にエネルギーを奪われてしまうからである。
 ガン腫瘍は組織内の低レベル細胞増殖のコロニーである。
 ガン細胞はそれ自身はからだに何の有効な働きもせず、みずからの住家を求めて体内を移動する。
 ガン細胞は集まると、どこでも高レベルの細胞から栄養を盗み取り、そこに集まってからだの他の器官と同じように細胞コロニーを形成する。
 これらの器官は栄養の供給を止められて栄養不良になり、ついには組織が死んでしまう。
 これを社会にあてはめると、現代国家とはより分化した高度の人々を犠牲にして、より低いレベルの集団の増殖の方に奉仕する悪性腫瘍である、といえる。
 より生産的な有機組織体が、多くの非生産的かつ貧弱な分化の有機組織体を助けるために重税を課せられる。
人体でガン組織の低レベル細胞が高いレベルに分化した細胞を殺すのとちょうど同じように、生産的な国民 は絶え間なく増え続ける重い負担のために早死にしてしまうのだ」

 また、ロバーツはこう質問している。
  「さらに一歩進めて、現代社会がガンに侵されている理由は、上皮細胞すなわち低いレベルの 集団に、より高い役割を求めるような社会科学[つまり社会主義理論]が発達した結果であるといえないだろうか?」
 モーリー・ロバーツは、組織の発達について次のような仮説を提示している。
 まず元になる組織の排泄細胞コロニーの周囲に、他の細胞が集まり始め、その後組織にとって有毒な分泌液を放出し始める。
 組織はみずからを守るために、ちょうどそのころには組織の一部になり、分泌液が効果を表している細胞コロニーの回りに、大急ぎで防護壁あるいは他の細胞巣を形成する。
ロバーツはこの仮説を「人体の組織発達理論」と呼んでいる。
 食物がガンにおよぼす影響は、今もなお、真剣に研究される必要がある。
 その研究資金としては、国立ガン研究所NCIとロックフェラー家が何十億ドルも無駄な研究に費やしてきた資金を当てればよい。
 一方、すでに一八八七年に、ニューヨーク州オールハニーに住む内科医のイーフライム・カッター博士は『ガンの食事』という書物を著し、その中で「ガンは食物が原因の病気である」と述べている。
 ヒポクラテスは「ディアイティア」diaitiaという造語を作ったが、これは「生活法」 すなわちどんな食事をするかという意味であった。
「meat」[肉]は、昔は「毎日の食事」 という意味で、オート麦・大麦・ライ麦・小麦や果物・ナッツ類を表わしていた。meatという言葉の意味の混乱は、聖書の翻訳過程で起きた。
『創世記』 にはこう書かれている。
  「見よ。私は全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物meatとなるであろう」
 ヒポクラテスは、「医師はまず初めに患者が何を食べたか、そしてだれが食べ物を与えたかを調べるべきである」と教えている。
 レアトリルをめぐる論争は現在、それがニトリロサイドと呼ばれる物質であるという事実をめぐって、争われている。
一九五二年、生化学者のアーネスト・A・クレブズ二世博士は、ガンがニトリロサイドの欠乏にょって起こることを発見した。
この物質は自然界では二一〇〇種以上の食物や植物に含まれている。
 動物は普通、ニトリロサイドを含む草や他の植物を本能的に見つけ出して食べている。
しかし、人間が同じことをすると、連邦政府の役人によって襲撃されてしまうのは、すでに述べた通りである。
 発ガン物質や放射線、日焼けによるガン発症は、その人の栄養素が不足しているために起こると確信している研究者たちもいる。
 これら栄養学の専門家たちは、次のように主張する。
「コールタール[動物実験で腫瘍を作るために塗布する]がガンを発生させるのでもなく、太陽光線が皮膚ガンを作るのでもない。
 太陽の働きで皮膚がこのような状態になるのは、むしろ砂糖や脂肪分・乳製品を過剰に摂取している人たちである」
 太陽光線は、からだを酸性の状態に傾けるため、これらの物質が皮膚の表面に上がってきて炎症を起こし、腫瘍発生の引き金となるのである。
 熱帯地方の人々は、強い太陽光線に晒されているにもかかわらず、皮膚ガンに握ることはめったにない。それは肉や脂肪をほとんど食べないからである。
 また日本で民間人に対して原子爆弾が落とされたとき、脂肪や肉の多い洋風の食事をしていた人々は死んだが、玄米や自然塩・味噌・野菜といった伝統的な食事をしていた人々は、同じ量の放射能を浴びても、放射能の被害をほとんど受けなかったことがわかっている[長崎の医師、秋月辰一郎著『死の同心円』講談社刊、参照]

 専門家の中には、「患者が発する一定の臭いでガンを早期の段階で見つけることができる」と言う者もいる。それは排泄物の臭いである。
 またガンの場合、皮膚の色が緑色がかるので判断できると言う人もいる。
 米国人の男性に前立腺ガンが増加しているのは、贅沢な食事すなわち卵や肉・乳製品・精白小麦粉で作った食べ物を頻繁に食べる結果であると考えられる。
勧められる治療法は、果物と米、玄米の食事である。
 これは血圧を下げるための食事療法と同じで、デューク大学で永年行なわれている治療法である。
 前立腺ガンおよび大腸ガンの患者にとって、とくに危険であると言われている。
 栄養学者は、ガンは進化の過程を逆行する状態をあらわし、細胞が分解あるいはより原始的な植物細胞のような状態に退行することであると信じている。
これは前述したモーリー・ロバーツの理論とある点で一致している。
 全米の大学医学部で栄養学の講座があるのはわずか四%にすぎない、という事実は注目に値する。
 これは医薬品に異常なまでに執着し、ホメオパシー(同種療法)やホリスティック (総合的)な医学を妨害して、アロハシー(対症療法)医学に肩入れする、ロックフェラー医療独占体制の姿勢を反映している。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●逆効果のガン治療

 ノーベル賞[生理医学賞]受賞者のジェームズ・ワトソンは、マサチューセッツ工科大学でガンに関するシンポジウムが開かれたとき、次のように述べた (一九七五年三月九日付ニューヨークタイムズ紙)。
  「米国の一般市民はガンに関して巧妙に騙されてきた。
……眠り薬を飲まされて浮かれ騒いでいたようなものである」
一九七五年一月、研究者のチャールズ・C・エドワーズ博士は、保健教育厚生省HEW長官に対して、「『対ガン戦争』の裏には政治的な意図があり、資金の浪費が前提となっている」という手紙を送った。
 フランスの著名な腫瘍学者リユシアン・イスラエル博士は、「ラジウム[放射線] 照射の効果は多くの場合、まだ証明されていない。
……事実、その効果を確認する決定的な試験はいまだかつて行なわれていない」と述べている。
 イスラエル博士は、放射線治療は「痛み等を軽減するための姑息な手段で、本質的には単なる気安め」であると言っている。
 またさらに、「最近の研究で、放射線治療を受けた場合の方が、受けなかった場合よりも、ガンが転移する頻度が高いということがわかったため、医学界は混乱に陥った」と指摘している。
 つまり放射線治療はガンが広がるのを逆に促進するということである。
 ガンを取り除くために腫瘍にメスを入れると、かえって体中にガンが広がってしまうということは、かなり以前から知られていた。

 ガン腫瘍があるかどうかを調べるための試験切除は、その手術自体が腫瘍を致命的なものにしてしまうのである。
 このような事実があるにもかかわらず、米国ガン協会はガン治療としては失敗したこれらの方法をすべて支持し続けている。
 協会は二〇年間にわたって有名な「ガンの七大警告信号」を繰り返し大衆に宣伝してきた。
 けれどもその中には環境中の化学物質は含まれず、食品医薬品局の警告したコールタールや毛染め剤も軽視している。
 一九七六年、米国ガン協会は新聞に「緊急報告 - 乳房Ⅹ線撮影の利益と危険性」という記事を発表した。
 ジョン・ベイラー博士はバーヴアード大学公衆衛生学部の教授で、国立ガン研究所NCIの発行する権威あるキャンサージャーナル誌の編集者でもあるが、この協会の記事を読んでゾツとした。
 彼はガン研の所長代理ガイ・ニューエル博士に次のような手紙を書いた。
 「私は大きな災厄の種になる問題に気づきました。
 ……『緊急報告』自体がまったくのたわごとで、その内容に重大な誤りがあります。
 そのため乳房Ⅹ線撮影を避けるべき多くの女性に、はなはだしい危険をもたらすことになります」
 しかし米国ガン協会は、ニューヨークにあるすべての病院と一万五〇〇〇人の医師にこの記事を配布した。
 女性が繰り返しⅩ線を浴びることの危険性はよく知られているにもかかわらず、米国ガン協会はいまだにガンを「検査する」ご自慢の方法の一つとして、毎年乳房Ⅹ線撮影を受けるよう強く勧めている。
 ジェーン・ブローディの著作『ガンと戦って勝てる』も、この乳房Ⅹ線撮影やガン協会が支持するその他の多くの方法を推薦している。
 さらに米国ガン協会は、女性の乳ガンに対して乳房を完全に切除する「根治的乳房切断術」を強固に支持している。
 この手術はひどく残酷な上に効果もないことから難色を示す医師が多く、英国、フランス、北欧諸国を含む大部分のヨーロッパの国々と、隣国のカナダではずっと以前に廃止されている [日本ではいまだに標準的な治療法として実施されている]。
 一九七五年、ローズ・カトナーが『乳ガン』というすぐれた著書を著わして、根治的乳房切断術を批判したとき、ガン協会はこの本を掲載することも推薦することも拒否した。

●患者を救ったガン治療法への弾圧
 連邦準備制度が「自立的」であるのと同様に、国立ガン研究所を「自立的な」組織にすることが、エルマー・ボブストの目標であった。
 リチャード・ニクソン大統領との永年にわたる個人的つき合いを利用して、この目標は達成された。
 米国ガン協会の黒幕であったボブストは、国立ガン研究所を米国政府の権限から「独立した」組織にし、しかもニューヨークの米国ガン協会の完全な付属品にしようと本気で考えていた。
 ウィスコンシン州選出の民主党下院議員デーヴイッド・オーベイはこう述べている。
「米国ガン協会が、国立ガン研究所の資金を豊富にしながらスタッフ数を乏しくしておく理は、ガン研の資金の使い道について、他所から邪魔されずに自由に指図できるようにするためである」
 なかなか鋭い観察である。
 協会理事の一人、メアリー・ラスカーは、アルバート・ラスカーの死後三六年間ここにつとめているが、今でも政界ジャーナリストからは、「米国医学界でもっとも権力を持つ女性」と評されている。
 国立衛生研究所NIHは、ベセズダのどジデーション修道会の建物をローマカトリック教会から四四〇万ドルで買い取ったが、今ではここは「メアリーエフスカー・センター」になっている。
 彼女の資金提供によって、米国ガン協会は首府ワシントンに、専属のロビイストを張りつけている。
隊長はリユーク・クイン大佐で、補佐役はマイク・ゴーマンである。
製薬工業協会の政府ロビイストであるロイド・カトラーもまた、メアリー・ラスカーとともに活動している。
 米国ガン協会についてどのようなことが言われようとも、真実は常に巧妙に隠されたままであるのは間違いない。
 一流の政治ジャーナリストのダニエル・S・グリーンハーグは一九七五年に、コロンビアジャーナリズム・レビュー誌にこう書いた。
  「ガン雁患率は大部分の種類のガンについて一九五〇年から変わっていない。
中には、実際に雁患率の低下したガンもあるが、おそらく有毒な抗ガン剤の使用で死亡率が上昇したためであろう」
 ある研究者はグリーンハーグに、ガンの治療法は一九四五年からほとんど進歩していない、と述べたという。
 フランク・ラウシャー博士は、一九七五年のガン協会主催の科学記者セミナーで、グリーンハーグに統計データが古いと言って反論した。
 しかし、その後に発表された新しい統計データは、グリーンハーグの指摘を支持するものであった。
 このような話を聞くと、ガン治療の「画期的な進歩」のために毎年二五〇万人の「ボランティア」が空き缶をふりまわしながら、群をなして米国中を排桐し、金持ちのために寄付を募っている例年の活動が白々しいものに見えてくる。
 これらの慈善団体はほぼ五〇年間にわたって毎年同じ約束をしながら、いつも前の年と同額かあるいはそれ以上の寄付金を要求し、集めて来たのである。
 ローレンス・ロックフェラーは一九五七年二月号のリーダーズ・ダイジェスト誌上で、得意そうに「ガン治療の進歩に関して、初めて最終的な勝利の気配が広がっている」と述べている。
 スローン・ケタリング・ガンセンターの理事C・P・ダスティー・ローズは一九五三年十月三日付デンバー・ポスト紙の記事でこう語っていた。
「一〇年後かあるいはもっとかかるかもしれないが、細菌感染に対するスルフアニルアミドやペニシリンに匹敵するような、ガンに効果のある薬が開発されると私は確信している」おそらくもっとかかるであろう。
 一九五六年、ノーベル賞受賞者のウエンデル・F・スタンリー博士は、米国医師会年次総会の講演で「大部分のガンの主な原因はウイルスである」と報告した。
 しかしその後三〇年間、この説に関しては何も報告されていない。
 医師のセシル・ビタード博士は、自分が末期ガンで二、三週間の余命しかない、と宣告を受けた。
テネシー州ノックスビルに住むこの医師は、メイヨー・クリニックで悪性リンパ腫と診断されたのであった。
 悪性リンパ腫は、からだの解毒・浄化作用が働かなくなったときに発生する。
 また扁桃腺摘出手術も、しばしばリンパ系機能の低下を引き起こし、その結果リンパ腺炎になったり、ときには悪性リンパ腫を生じることもある。
 もはや治る見込みはないと覚悟を決めたビタード博士は、実験的に抗インフルエンザ細菌型抗原とブドウ球菌分離物staphage-ysate、そしてミルクやバターに含まれる脂肪酸の一つ、酪酸ナトリウムを自分のからだに投与した。
 すると、ガンはすぐに完治してしまったのである。
 しかしガン協会の権威者たちは博士の報告を無視し、以前にも増して「科学的に証明されない治療法」に反対する宣伝活動を、今まで以上に大々的に行なうようになった。
 ビタード博士と同じようにガンが治癒した症例を聞くと、ガンで利益を余る連中はきまって次のように言って鼻であしらってきた。
 すなわちガンという診断が誤診で、もともとガンではなかったか、あるいはガンが「自然に治癒」したのである、と。
 彼らは半世紀にもわたってこの「自然治癒」について言及してきたのだから、どのようにすればその「自然治癒」を手に入れることができるか、多少の興味をもってもよさそうなものだ。
 しかし、年間七〇〇〇万ドルの研究費を使うスローン・ケタリング・ガン研究所の研究計画の中に、「自然治癒」 に関する研究を取り上げた例は、ひとつも聞いていない。
 ラルフ・モス博士は、レアトリルの有効性を証明する試験結果を暴露したために、スローン・ケタリング・ガンセンターを賊になったが、博士はその後、この研究所がガン治療に成功した他の多くの治療法を抑圧・隠蔽していた事実を公表した。
 その中には一九〇六年以来、一〇〇〇人以上の患者を治したコーリー療法も含まれていた。
 モス博士はジェームズ・ユーイング博士について「コーリーの強敵で一番のライバルであった。
 彼のおかげでメモリアル病院は、放射線産業界の単なる販売支店に成り下がってしまった」と酷評している。
 デトロイト医科大学およびミシガン州立大学で生理学教授をつとめたウィリアム・E・コッチ博士は、グリオキシライドの開発によってガンの「遊離基生理学」治療の可能性を予見した。
 グリオキシライドは、からだが毒素を酸化するのを促進する作用がある。
 博士の治療法が「科学的に」反論されたことはなかった。
 しかし一九一五年に酸化作用の研究を始め、一九一八年からこの治療法を行なっていたコツチ博士は、医療独占体制によって一六年間にわたる弾圧を受けた。
 そして最後には国外へ追放され、一九六七年にブラジルで亡くなった。
 食品医薬品局FDAがコツチ博士を弾圧し始めたのは、一九二〇年のことであった。
ミシガン州のウェイン郡医師会は、一九二三年に「ガン委員会」を設立してコツチ療法を糾弾した。
 博士は細胞の酸化作用を促進させるために、綿密に計算された食事療法を用いて、からだを浄化した。
 しかしガン治療の利益を貪る連中は、すでに証明されたこの治療法を今日でも「ニセ医療」と呼んで非難している。
 度重なる弾圧のため、コツチ博士はメキシコとブラジルで仕事を続けようとしたが、FDAは追撃の手を緩めなかった。
 博士は一九四二年と四六年に起訴され、一九五〇年にFDAはついにコッチ療法の永久禁止の判決を勝ち取ったのである。
コッチ療法を用いてガン治療に成功していた数名の医師たちは、医師会から除名された。
患者を殺すのは依然として許されるが、患者を治すことはまかりならないのであった。
 もう一人の自立した医師マックス・ゲルソン博士[カリフォルニア州ゲルソン病院院長]は、生の果物と野菜、塩を使わない菜食主義の食事で偏頭痛と皮膚結核が治ることに気づいた。
 彼はさらに研究を続け、体内を解毒することでガンが治せることを発見した。
一九五八年、ゲルソン博士は自分の発見を『ガン療法CancerTherapy』[邦訳『ガン食事療法全書』徳間書店刊]という本に著し、低脂肪・無塩・最低限タンパク質の摂取を強調した。
 一九六四年、博士は米国上院の小委員会に呼ばれ、自分の治療成果について証言した。その後、小委員会は二二七ページにおよぶ報告書(公文書番号八九四七一)を提出した。
 けれども、上院はこの報告書のコピーをどこにも配布せず、またどの医学雑誌もこれを取り上げなかった。
 そして、ガンの治療法を「研究している」と主張する米国ガン協会やその他の慈善団体も、ゲルソン博士の治療法が有効かどうかを調べるために、一セントの研究費も提供しなかった。
 もう一つ有名なのが、ハリー・ホクシーの事件である。
 彼はインディアンの治療法にもとづいた薬草を使って、ガン患者を三五年にわたって治療していた。
 ホクシーはモリス・フィッシュペインを名誉毀損で訴え、勝訴したことがある。
この裁判は当時、世間でも有名になったが、米国でもっとも有名なニセ医者であったフイツ、ジュペインは、この反対尋問の席上、それまでの人生で一度も患者を診たことがないという事実をしぶしぶ認めさせられたのである。
 ロバート・E・リンカーン博士は、ガンの制圧にバクテリオファージを利用する方法を開発した。
 バクテリオファージとは、特定の細菌に寄生的に吸着して細菌を殺すウイルスである。
博士は上院議員チャールズ・トーピーの息子のガンをこの方法で治したため、全米の関心を集めた。
 しかしトーピー議員が驚いたことには、リンカーン博士はガン患者を治療していたという理由でマサチューセッツ州医師会をすでに除名されていた。
 そこでトーピー議員は、議会による調査を開始した。
 調査にあたって司法省から出向した特別顧問ベネディクト・フイツツジエラルドは、一九五三年四月二十八日にこう書いている。
 「1・J・ムーア博士(過去一〇年間米国医師会の財務担当者だった)が謀ったとされるこのたくらみは、米国医師会その他の団体による驚くほど大規模な陰謀と、間違いなく関係がある。
 この事件の背後および全体には、私が今まで見たこともないようにおぞましく凝り固まった賄賂・策謀・利己主義・妬み・妨害・陰謀が横たわっている。
  私が行なった現在までの調査によれば、当委員会は次のように結論づけるべきであると考えられる。
 すなわち、治療上確かに効果のある医薬品を、各州間で自由に流通・使用させまいとする『陰謀』が現実に存在する、と。
 公共助成金も個人からの寄付金も、田舎の縁日でばらまかれる紙吹雪のように浪費されてきた。
 そしてその金が、医師会の見解に従わない診療所・病院・試験研究所を閉鎖、撲滅するのに使われてきたのである。
米国民はいつまで、このような状態に甘んじるつもりだろうか?」
一二五年たった今でも、米国民はこの状態に甘んじている。トーピー委員会の公聴会の結果は意義あるものであった。
 しかし、ワシントンで政治家が危険な領域に踏み込んだときによくありがちなように、トーピー上院議員は突然、心臓発作で亡くなった。
 調査委員会は、オハイオ州選出のジョン・ブリッカー上院議員によって引き継がれた。
 多くの米国民は、ブリッカーは熱心な保守主義者であると永年信じてきた。
 けれども実際には、彼は数々の大手製薬会社や大銀行の弁護士をつとめる、骨の髄まで既存医療体制側の人間であった。ブリッカーはただちに特別顧問のベネディクト・フィツツジエラルドを賊にし、公聴会は幕を閉じた。
 その後、当のロバート・リンカーン博士は、大胆にもマサチューセッツ州医師会を名誉毀損で告訴した。
 しかし彼もまた、裁判を待たずして亡くなった。
 イリノイ州立大学副学長アンドリュー・C・アイビー博士は、みずから「クレビオゾン」と命名した薬を使って、ガンの治療に成功した。
 しかし米国医師会はすぐに、クレビオゾンは「効果がない」とする報告書を発表した。
アイビー博士は告訴されたが、二八九日間に及ぶ裁判の結果、博士にかけられた嫌疑はすべて取り払われた。
 バーネマン医科大学出身のピーター・デ・マーコウ博士は、PVY(プロカイン・ポリビニル・ピロリドン)という物質を使って八〇〇人以上のガン患者を治した。
 しかしこの偉業の結果として、博士はニュージャージー州の医師免許を取り消されてしまった。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●女性ガンの対策をめぐって

 多くの問題があるにもかかわらず、米国ガン協会が好んで勧めるのが「パップ検査」 [子宮頸ガンを調べるために子宮頸または腱分泌液の塗末標本を作り検査する方法]である。
一九八八年一月十一日付インサイト誌は、多くの医療検査機関がずさんな検査をしていると非難する記事を掲載した。
その中でウォールストリートジャーナル紙(一九八七年十一月付)の記事を引用して次のように述べた。
「分泌液を調べるパップ検査では、乳ガン患者のうち二〇%から四〇%が偽陰性[疾病がある にもかかわらず結果が陰性]になる。
 偽陰性になるということは、その女性たちはガンで死ぬということである」
 米国ガン協会会長のバーモン・1・エア博士は、協会が永年、熱心に奨励してきたパップ検査の誤りを暴露されたことに腹を立て、米国ガン協会、米国医師会、国立ガン研究所の三者合同で記者会見を開いた。
 そして改めて二〇歳から六〇歳までのすべての女性が毎年パップ検査を受けるべきだと世間に向けて訴えた。
 一九八八年一月二十日付AP電によるとエア博士は、こう述べた。
  「記者会見を開いた第一の理由は、最近一部の研究機関から公表された偽陰性のデータのために、パップ検査の価値について国民に誤解が生じたため、この誤解を解くためであった」
 博士はこのように語って、無条件にパップ検査を推薦したが、肝心の偽陰性の問題やそのために多くの女性が不安を感じたことなどについては、何も答えなかった。
 いくつかの女性団体も、医療独占体制が多くの女性を必要以上に死に追いやっているという事実に気づき始めている。
 一九八八年二月十六日付のワシントンポスト紙は「女性医学裁判」という見出しで、次のような記事を掲載した。
 三〇〇人の女性たちが、食事中の脂肪分を二〇%から四〇%減らした低脂肪食の実験をするよう国立ガン研究所NCIに要求した。
 実験の目的は、乳ガンの原因を突き止めて、乳ガン発生率を減らすことにあった。
 女性たちはガン研に研究助成金を支払うよう求めたが、ガン研の科学諮問委員会はこのような研究に補助金を出すことを拒否した。
 女性団体の代表は「ガン研は乳ガンを予防することよりも、支配・管理することの方に熱中している」と指摘した。
 同じ女性でも、米国医学界で最高権力をもつ女性なら、このとき何と言っただろうか。
 メアリー・ラスカーはこのような事件をよそに、全米でもっとも有名な宣伝屋の亡夫が稼いだカネを使って、バウンティフル夫人[英国の劇作家ジョージ・ファーカー『伊達男の計略』一七〇七年に登場する金持ちの婦人慈善家] のような優雅な婦人慈善家の生活に浸りきっていた。
 米国ガン協会主催の科学記者セミナーは、毎年まだ冬の寒い時期に、どこか南国のエキゾチックなホテルで開催される。
 サイエンス誌(一九七三年五月十八日号)は、一九四九年から毎年暖かい気候のもとで行なわれているこの春期セミナーで、大手の新聞・雑誌社の科学編集者たちが無料の接待旅行を楽しんでいる、と報じた。
 サイエンス誌はさらに、ガン協会はこのセミナーのために約二万五〇〇〇ドルを費やし、そのあとで編集者たちが協会にとって都合のよい約三〇〇本の御用記事を書くことで、結果としてさらに八五〇〇万ドルの寄付金が集められる、と指摘した。
 これはおそらく、もっとも効率の良い投資のひとつであろう。
 たとえば一九五七年に、いつもみごとな毛皮のコートを着ていた小説家バン・スーイン[韓素英一九一七~、中国生まれの英国の小説家]は、サイエンス誌の編集部に、化学薬品メーカーがどれほどわれわれ市民の健康に貢献してきたかを讃える熱狂的な文章を送っている。
 バンの肩をもつとすれば、一九五七年当時は「ラブ・カナル問題」[ニューヨーク州の毒性化学廃棄物の捨て場、流失した化学物質が飲料水を汚染して問題となった]がまだ存在しなかったのであるから、このような勇み足も仕方あるまい。

●ガンとタバコ業界
 一九七三年度のガン協会の春期セミナーはアリゾナ州トウーソンにある伝説的なホテル、リオ・リコ・インで開かれた。
 セミナーでは現在も、従順な記者たちのために一切の費用を協会がもつばかりでなく、「仕事日」の夕刻には毎晩、特別待遇としてバーで「お楽しみ時間」が催され、おかげで記者たちはほろ酔い機嫌で夕食にありつくことができる。
「お楽しみ時間」の費用を払ってくれるのは、あのお慈悲深いメアリー・ラスカーさまである。
 サタデー・レビュー誌(一九六五年四月十日号)は、「米国ガン協会は他に類を見ないほど強力な広報部門をもっている」と報じた。
 米国ガン協会の広報部門の強みは、広告料を支払わない無料の掲載スペースを大手出版社の雑誌に確保できる点にある。
 ラスカー人脈の威力によって、マッキャン・エリクソンのようなニューヨークの一流広告代理店に、無料で協会の広告キャンペーンを準備させることができるのである。
 皮肉なことに、先に見たように、米国ガン協会とその副産物の国立ガン研究所の共同設立者であるアルバート・ラスカーが財産の大部分を築いたのは、タバコの販売広告によるものであった。
 ラスカーがガンで死んだ後、ガン協会はしぶしぶ 「タバコは健康に悪い」という結論を認めた。
 増え続ける肺ガン死亡者数のために、タバコ会社は名案をひねり出さなければならなくなった。
 その一つがタバコのフィルターである。
 一九五四年一月一日、タバコ会社のケント社は八〇紙以上の新聞に広告を載せ、「米国医師会による試験の結果、ケント社のフィルターがタバコ中のタールをもっともよく取り除くことが証明された」と宣伝した。
 しかしこの「証明」なるものが、米国医師会のおなじみの主張と似たり寄ったりだったために、米国医師会は広告を載せたケント社のロリラードに抗議せざるを得なくなった。
タイム誌は一九五四年四月十二日号の記事でこう述べた。

  「いつも寝ぼけている米国医師会が、ケント・タバコの広告を禁じた」
 タバコの有害性については、ずっと以前から研究で指摘されていたにもかかわらず、一九六四年に公衆衛生局長官がリポートを発表したときに、タバコ業界は大いにあわてた。
 一九五四年六月ダニエル・ホーン博士とエドワード・カイラー・ハモンド博士は、米国医師会の総会でタバコと肺ガンの関連についての研究論文を提出した。
 ホーンとハモンドは、ガン協会統計部門の部長をつとめていた。
ラスカーの主要な持株会社のひとつであったアメリカン・タバコ社は、両博士の発表ののちに一日で株価が五ポイントも下落してしまった。
 ハモンドは有名な疫病学者で、公衆衛生局や米国海軍、米国空軍、ブルックへイブン研究所[ニューヨーク州ロング・アイランドにある原子核物理学研究所]の顧問をしていた。
 また米国ガン協会の副会長や研究部門の役員もつとめていた。
 ハモンドはタバコの影響について大規模な調査を行なったが、この調査データを他の団体には断固として公表しなかった。
 一九七一年、博士はタバコについて討論する科学者委員会に参加するよう誘いを受けた。
 しかしガン協会では一九五二年以来、他の研究者に資料を公開しないことになっていると述べて、この誘いを断った。
 カレント・バイオグラフィー誌(一九五七年)は、ハモンドが一日にタバコを四箱吸い、夫人は一日に三箱吸う、と報じた。その後二人は肺ガンで亡くなった。
 米国ガン協会がタバコの有害性を発表したにもかかわらず、ロックフェラー医療独占体制と密接なつながりをもつタバコ業界は、肺ガン撲滅キャンペーンに対して「引き延ばし作戦」に出ることにした。
 ワシントンでもっとも強力なコネをもつロビイストのひとり、ハトリシア・ファイアストーン・チヤタムは、繊維会社のチヤタム・ミルズ社会長だったR・T・チヤタム下院議員の未亡人である。
 現在、タバコのパッケージには「タバコはあなたの健康を損なうおそれがあります」という警告文が印刷されているが、彼女はうまく口実をつけてこの警告文の表示を、一九六四年から六九年まで五年間にわたって引き延ばした。
 チヤタム夫人は現在、ジョージタウンにある二〇〇万ドルの豪邸に住んでいるが、ここはジェームズ・フォレスタル[一八九二~一九四九、海軍長官、米国初代国防長官一九四七~四九] の屋敷だったところである。
 肺ガンとタバコの関連性についての論争は、これに直接関係するあるり未開民族は何千年もタバコを吸ってきたが、からだになんの不都合も実を無視している。つまじなかったということである。
 私の生まれたヴァージニア州では、ジョン・スミス船長がジエムズタウンに上陸したとき、インディアンがタバコを吸っていた。
 ロンドンのチェスター・ピーティ研究所の研究員であるリチヤド・パシー博士は、タバコの害を二〇年間研究したが、博士の研究でタバコと肺ガンのあいだには有意な関連性が見つからなかった。
 しかし、ロスチャイルド家の支配する米国と英国のタバコ産業界では、口当たりを良くして乾燥させるためにタバコに「砂糖」を使用している。
 英国のタバコには一七%、米国では一〇%の砂糖が含まれている。ちなみに英国は肺ガン発生率が世界でもっとも高い。
 パシー博士は、タバコに添加された砂糖がニコチンタールの中に発ガン物質を発生させるのであり、空気乾燥したタバコではこの発ガン物質が作られない、と結論づけた。
 博士が調査したところ、ソヴイエト連邦[現ロシア]、中国、台湾では、タバコが原因の肺ガン患者が見つからなかった。
この三カ国で製造されるタバコはすべて空気乾燥される。




第三章 ガン産業のポロ儲け
●治療効果より優先される既得権益

 エスクァイア誌は、ドイツのボンにある「ヤンカー・クリニック」について長い特集記事を掲載した。
 それによると、このクリニックは一九三六年以来七万六〇〇〇人のガン患者を治療し、七〇%の患者に完治あるいは症状の一部改善が見られたという。
しかしエスクァイア誌の記者が驚いたことには、以下のようなことが明らかになった。
 「米国立ガン研究所は、ヤンカー・クリニックで使用しているイソホスファミド、Aマルシン、ウォーブ酵素、その他の効果のある治療薬の使用を拒否している。
その理由としてヤンカー・クリニックが十分な投与量を提供しなかったからだ、と主張している。
 米国ガン協会はさらに強硬で、自分たちは米国内でのヤンカー・クリニック療法の使用を禁じている、と言って自慢していた」

 エスクァイア誌の記者はさらに続ける。
 「米国ガン協会自体が、問題の中心になってしまった。
 協会は革新的な医薬品の研究には資金提供をせず、その代わりにタバコは有害であるとか、ガン七大危険信号などのプロパガンダをラジオやテレビのコマーシャルでしきりに宣伝する。
 そして実際には、協会の主流派とは異なる治療法が有効かどうか調べること自体、まったく何の支障もない場合でも、調べもせずにこれらを糾弾・抑圧しているのである」

 この記者は、米国ガン協会が現在確立されているガン治療法の既得権益をもっていることを知らなかった。
 協会は「承認された」抗ガン剤として広く使用されている5-FU(5-フルオロウ一シル)の特許権の五〇%を所有している[5-FUは日本でもよく使われている抗ガン剤である]
 5-FUと後に登場した5-4-FUは、ホフマン・ラ・ロッシュ社で製造される。
 ナイト・リダー・ニューズ・サービス誌は一九七八年に、「米国ガン協会は発ガン性の疑いる殺虫剤に対してこれを黙認した」と報じた。
 ガン協会の理事会と仲間の組織スローン・ケタリング・ガンセンターには、国内最大手の化学薬品会社の重役連中が顔を並べているのだから、このような組織の中に「汚染物質との戦い」の味方など、見つける方が無理というものであろう。
 米国ガン協会は、その他の物質についても反対の立場を取るよう要請された。
 赤色二号、子供服に使用されている難燃性素材の「TRIS」(当時すでに禁止されていたが)、合成エストロゲン[女性ホルモン]などである。
 けれどもガン協会は、これらの物質に関しても立場を明確にしなかった。
 このような米国ガン協会の悪影響に対抗するために、一九八四年、「自由医療選択委員会」は、「米国の医学界は、国連の世界人権宣言と一九六六年に定められた国際人権規約に違反している」として、国連の常設人権委員会への提訴を計画した。
 用意された訴状は次のように述べていた。
「既得権をもつ者たちが、たくさんの治療上有効な製品や医薬品、栄養代謝を利用した治療法を排除、弾圧してきたために、米国民の多くが不必要に殺され、刑務所に送られてきた」同委員会はこうした現状を「メディゲイト」Medigate[医療スキャンダル]と名づけた。
 米国民のガン死亡率がここ十数年にわたって低下しなかったという事実は、米国ガン協会がガンの撲滅に向けての実現可能な対策を強力に妨害したことを示す確かな証拠である。
 バーヴアード大学公衆衛生学部のジョン・ベイラーは、一九八七年に米国科学振興協会AAASで演説した際、こう指摘した。
「米国政府の一五年間におよぶ『国家対ガン計画』は、主要なガンによる死亡率を低下させる ことができなかった。よってこの計画は失敗したと見なすべきである。この計画は、当初予想されていた成果をもたらさなかった」
 ベイラーにはこのように発言する資格が十分にあった。
 なぜなら彼は、国立ガン研究所NCIの機関誌キャンサージャーナルを二五年間編集した人物だったからである。
 バーヴアード大学公衆衛生学部の同僚教授、ジョン・ケアンズ博士もベイラーの発言を支持してこう語った。
「過去二〇年間、ガンの患者数は増加の一途をたどってきた。
 つまり一九五〇年以来、ガンの治療について重要な進歩は何もなかったということだ」
 ハーディン・ジンエームズ博士は、一九六九年に米国ガン協会の専門委員団に向かって演説した。
 カリフォルニア大学バークレー校の医療物理学の教授である博士は、調査の結果、ガンの治療を受けなかったガン患者の方が、治療を受けた患者よりも実際には四倍も長生きしていることが最終的に裏付けられた、と述べた。
「典型的な種類のガンでは、治療を拒否した患者の平均余命は一二年六カ月である。
 しかし外科手術その他の治療を受けた患者は平均すると、その後わずか三年しか生きてない。
 この原因は手術による外傷が、生体の防衛機構に影響したためであると私は考える。人体には本来、あらゆる種類のガンに対抗する防衛機構が備わっているのだ」
 一九八八年二月に国立ガン研究所は、「対ガン戦争」を総括した最終報告書を発表した。報告書では、過去三五年間以上にわたって、ガンの検査法と治療法が「進歩した」にもかかわらず、ガンの雁患率と死亡率は全体として増大してきた、と述べている(一九八八年二月九日付ワシントンポスト紙)。
 問題はおそらく次の点にある。
 すなわち対ガン戦争は、二〇世紀にわれわれが体験した本物の戦争と同じように、あまりにも多くの「味方」が実際には敵側のために活動しているという事実である。

★第三章補遺 明らかにされたガンの原因
 ガンの原因については本章の「ガンの原因」の項で論じたが、ドイツのオットー・ヴアールブルク博士は、有名な「ガンの主因と予防」という講演の中で、この原因をさらに明らかにしている。
 この講演が行なわれたのは、一九六六年ドイツのリンダウで開かれたノーベル賞受賞者の年次集会であった。
 ヴアールブルク博士は、一九三一年に細胞呼吸における酸素転移酵素の発見でノーベル医学賞を受賞し、さらに一九四四年には、水素転移酵素の発見によって二度目のノーベル賞を受賞した。
 博士は現在、ドイツのベルリンにあるマックスブランク研究所[一九四八年設立、自然科学・社会科学の各領域にわたる研究を行なう]で、細胞生理学部長をつとめている。
「手短かに言ってしまえば、ガンの主原因は正常な細胞における酸素呼吸が糖質の発酵に置き変わってしまうことにある。
 からだのすべての正常細胞は、そのエネルギーを酸素呼吸によっ  て満たしている。
ところがガン細胞は、エネルギーの大部分を発酵[酸素を必要としない呼吸過程]によって得ているのである。
 すなわちすべての正常細胞はこのように『偏性好気性』細 胞であるのに対し、すべてのガン細胞は不完全な『嫌気性細胞』である[酸素呼吸と発酵の違いについては、高校の生物の知識で理解できる]。
……酸素は植物や動物においてはエネルギー  の供給源であるが、ガン細胞ではこれが排除され、もっとも下等な微生物のエネルギー生産過程、すなわちブドウ糖発酵に取って替えられるのである」
 また、ヴアールブルク博士はすべての科学者はガン細胞の嫌気性を即座に認めるべきだと訴え、こうも述べている。
「リンダウで説明したように『嫌気性』を基礎にすれば、ガンという恐ろしい病気を取り除く本当のチャンスが与えられるのである」
 その後二五年間、医学界から何の反応もなかったことは注目に値する。
 ヴアールブルク博士はこう結んでいる。
「今日では『ガンとはどのような病気であるのかわからない』などとは誰も言えない。
それどころか、『ガンを防止するため、これ以上のことはできない』という言い訳ももはやできない。
 ガンの防止をどれだけ永く妨害しておけるかは、不可知論者[ものごとを根本原因まで追求しない人々] が、ガンの研究領域に科学知識をどれだけうまく適用させないでおけるか、にかかっている。
 それまでのあいだ、何百万人もの人々が必要もないのにガンで死んでいくことだろう」



ここまで




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