「真実はひとつ」は本当か?
さて、「真実はひとつ」は本当でしょうか。
投票:「真実はひとつ」は本当か?
http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/4770に既出ですが。
もし、「真実はひとつではない」とすれば、
その真実ほど絶対唯一であるものは他にない。
ならば「真実はひとつ」という考えはそれに比べて
絶対的ではなくなるはず(不完全)。
それなのにその論理破綻を無視して生きていく
から問題が出てくるのではないか。
「真実はひとつではない」かもしれないと
疑えるような人生を送ることが出来たらと思う。
「真実はひとつ」と思いこむことで多くの間違いを
侵してきたのかもしれないのですから。
「完璧=正義」という概念の無意識も同様です。
人生に「答え」や「正解」などというものはありませんよね。
ただ逆に言えば「真実はひとつ」と考えることで
楽に生きられてきたかもしれないけれど。
「真実」というものを知るほど生きづらくなるかもしれない
という大問題も抱えている。
真実より引用
名探偵コナンが言うように真実はひとつ。とは素直に言えないだろう。
名探偵コナンいわく「真実はひとつ」との事ですが、実際の社会では数学のように真実は必ずしも一つではない事のほうが多い。でも多くの人間は真実がひとつだと思っている。だからそこに争いが起こるのだろう。私は思う。真実は決してひとつではないと。
目の前にひとつの箱があるとしよう。私が居る位置から見ればそれはただの箱に見える。でも別な角度から見ればどうだろう。人は必ずどんな人間でも自分の見える位置からものを計る。誰だってそうだ。それが主観というものだから。先入観だとか、固定観念とも呼ばれるものだ。それは齢を重ねる毎に強くなり凝り固まっていく。
でもどうだろう。一歩足を踏み出して別な角度から見たならば。それは同じように見えるだろうか。まったく別物に見えるかもしれない。それが別な角度から物事を見るということ。もしすべての人間が多面的に物事を見ることができたのなら、きっとこの世界は平和に満たされるだろう。
この世の中を構成する多くは錯視や欺瞞・虚飾に満ちている。美麗なパッケージに彩られたものの中身がゴミだったなんて事はよくある話で。真実を視る事は思いのほか容易な事ではないようだ。視る角度によって真実は違う。日本人から視た真実と中国人から視た真実はきっと違うものだから。それをまず理解しなくちゃいけない。
自分に見えているものが必ずしも真実ではない。大切なのはそういった事を常に念頭に置いておくこと。そうすれば思考を柔軟に保つ事ができるし、相手を否定しなくて済む。もちろん自分も。それに加えて多くの判断材料を得ることも大切だ。問題なのはその得た判断材料さえも真実とは限らない点だ。
何にしても自分から今見えているものは自分から見えているものと認識する事が肝要だ。他の人間にも同じものが見えているとは思わないほうがいい。それが無駄な争いを生まない秘訣だろう。自分は自分。それを何者にも押し付けてはいけない。だから真実は決してひとつではない。そういうことなんだ。
ここまで
これが完全ではないとしてもそれで良いかもしれないと
思えるようになればきっと真実は一つではなくなるのかもしれないと思うと
不思議だ。
↓ブログランキングに参加しています、賛同して下さる方はクリックをお願いします。


↑こちらのランキングにも参加しています。宜しければお願いします。
投票:「真実はひとつ」は本当か?
http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/4770に既出ですが。
もし、「真実はひとつではない」とすれば、
その真実ほど絶対唯一であるものは他にない。
ならば「真実はひとつ」という考えはそれに比べて
絶対的ではなくなるはず(不完全)。
それなのにその論理破綻を無視して生きていく
から問題が出てくるのではないか。
「真実はひとつではない」かもしれないと
疑えるような人生を送ることが出来たらと思う。
「真実はひとつ」と思いこむことで多くの間違いを
侵してきたのかもしれないのですから。
「完璧=正義」という概念の無意識も同様です。
人生に「答え」や「正解」などというものはありませんよね。
ただ逆に言えば「真実はひとつ」と考えることで
楽に生きられてきたかもしれないけれど。
「真実」というものを知るほど生きづらくなるかもしれない
という大問題も抱えている。
真実より引用
名探偵コナンが言うように真実はひとつ。とは素直に言えないだろう。
名探偵コナンいわく「真実はひとつ」との事ですが、実際の社会では数学のように真実は必ずしも一つではない事のほうが多い。でも多くの人間は真実がひとつだと思っている。だからそこに争いが起こるのだろう。私は思う。真実は決してひとつではないと。
目の前にひとつの箱があるとしよう。私が居る位置から見ればそれはただの箱に見える。でも別な角度から見ればどうだろう。人は必ずどんな人間でも自分の見える位置からものを計る。誰だってそうだ。それが主観というものだから。先入観だとか、固定観念とも呼ばれるものだ。それは齢を重ねる毎に強くなり凝り固まっていく。
でもどうだろう。一歩足を踏み出して別な角度から見たならば。それは同じように見えるだろうか。まったく別物に見えるかもしれない。それが別な角度から物事を見るということ。もしすべての人間が多面的に物事を見ることができたのなら、きっとこの世界は平和に満たされるだろう。
この世の中を構成する多くは錯視や欺瞞・虚飾に満ちている。美麗なパッケージに彩られたものの中身がゴミだったなんて事はよくある話で。真実を視る事は思いのほか容易な事ではないようだ。視る角度によって真実は違う。日本人から視た真実と中国人から視た真実はきっと違うものだから。それをまず理解しなくちゃいけない。
自分に見えているものが必ずしも真実ではない。大切なのはそういった事を常に念頭に置いておくこと。そうすれば思考を柔軟に保つ事ができるし、相手を否定しなくて済む。もちろん自分も。それに加えて多くの判断材料を得ることも大切だ。問題なのはその得た判断材料さえも真実とは限らない点だ。
何にしても自分から今見えているものは自分から見えているものと認識する事が肝要だ。他の人間にも同じものが見えているとは思わないほうがいい。それが無駄な争いを生まない秘訣だろう。自分は自分。それを何者にも押し付けてはいけない。だから真実は決してひとつではない。そういうことなんだ。
ここまで
これが完全ではないとしてもそれで良いかもしれないと
思えるようになればきっと真実は一つではなくなるのかもしれないと思うと
不思議だ。
↓ブログランキングに参加しています、賛同して下さる方はクリックをお願いします。


↑こちらのランキングにも参加しています。宜しければお願いします。
- 関連記事
スポンサーサイト