「市長を選挙で選ぶなんてとんでもない!」感覚に見る本当の民主主義
早速前回の続きです。
さて、この世は“偽り”だらけです。
もちろん、学校で習ったようなまるで全てがうまく機能し、
あたかも国民の意見が政治にそのまま反映されているかのような幻想も含みます。
何もかも、「幻」かもしれないのです。
それでも、そんな中でも、生きていてよかったと思う時はあるはずだし、
本当のことにこだわる純朴な生活者の営みが(少しでも)継承されている。
自然の中で、自然に。
何もかも自然に生きている人は本当に幸せなことだろうと思う。
私たちは、いつのまにか文明というものを背負い、
そしてそれを崇めることを習慣づけるようになった。
そうするうちに、
人間活動の価値を、「文明」にしか見いだせなくなっていったのだ。
自分という人間がどう生きるべきかも提示されるようになっていった。
そんな中での「自由」と「民主主義」。
自由と民主主義が、先進国家としての前提条件になった。
それはどういうものかというと、
何でもそこに生きる人々の生活を、(制度の中で)
人々(または個人)自体が決めるという、
実に素晴らしい世界を描いていた。
フランス革命の時も、人々から期待されていたに違いない。
しかし、それから200年以上経過し、
その思想やシステムは世界中に拡散した。
しかし、それぞれの場で
本当に“民主主義”は実現されているのだろうか。
また、そもそも「民主主義」とはどんなものなのか。
民主主義は、誰がどのようにもたらすことができるのか。
誰の為、何の為のものなのか。
それを考える上で、非常に考えさせられる事象を取り上げます。
私もつい先日知ったばっかりのことです。
11月26日の朝日新聞朝刊にしか載っていないので、
とりあえず情報源としてそちらを挙げておきます(称賛のつもりは一切ないが)。
石川県の白山市で現職市長の急死に伴う市長選が告示される(28日)というもので、
5年前の合併後、過去2回の市長選はいづれも無投票だったそうです。
しかし、今回3氏が出馬を決めており、
初めてトップを投票で決めることになるようだということです。
旧4市長選にとっては、30年超以来の選挙になる訳で、
“投票でトップを決めることへの違和感”を漏らす有権者がおられるのです。
その地域では、それまでの教訓や経験
(町を二分するまでに発展したダム建設騒動など)から、
伝統的に「本当に話し合いでトップが選出されていた」というのだ。
非共産系の議員が作る「有志の会」が母体で、
自民中心だが民主系の「新進石川」、公明、社民、その他の党などが、
一同に集まって調整を図るだけでなく、
地区の有力者と話し合ったりすることもあるというのだ。
ある住民は今回の動きを危惧して、
このように述べたという。
「村長を選挙で選ぶなんて絶対だめや」
また、田中博人議員はこう述べる。
「選挙だけが投票じゃない。
それまでの取り組みが住民に評価されれば
『この人で』となるのがムラの選挙」
とのことです・・・
なかなか新鮮じゃありませんか?
私は、ハッとしてしまったのです。
投票こそが民主主義の手段であり、
投票(多数決での“公平な?”選出)なしに民意は反映できないと、
完全に思考停止に陥っていた自分に気がついたのです。
この日本の中で、そういう大切にしたい伝統をもった所があったのです。
日本は間接民主主義の国です。
しかし、この情報を分析するにおいて、
(程度の差は大きいが)直接民主主義が不可能だというのは
完全に間違いだったことが分かった。
というか、実際に話し合いで長(おさ)を決めている。
ほとんどの人が納得して選び出す。
それこそ理想ではないかと私は思う。
何も難しいことじゃない。
これは人々の意識の問題でもあったからだ。
選挙が全てだと思っていた自分が恥ずかしい。
民主主義は、そこに住む人の為、外部から操作されないためにある、
と考えた時、その形態はあまりにも理にかなっているではないかということ。
改めて考えた時、私は民主主義社会の中に生存できているのだろうかと、
真剣に疑ってしまうのである。
今まで、「直接民主制」とか、「話し合いで解決する」とか、
そういう素晴らしい理にかなった自然で直接的なものを、
馬鹿にしてきたのではないか。
皆さんも一度そのことを考えてみてほしい。
政治というものが自分の生活に全く関係がないと思っている人も
多いような気もするし、政治家以外なにもすることはできないとか、
そういうあきらめムードを持っているもったいない人もおられると思う、
でも本当はそうじゃない、しっかりと世界を変えることは不可能ではないんだ
ということを今こそ自ら確認し、訴えかけたい。呼びかけたい。
「投票に行って、自分は政治に参画していますよ、
皆さんも投票に行きましょうね~」っていうのが
一番虚しいことに気がついてほしいだけなのです。
皆さんも、真の民主主義はどのようにもたらされるものか、
一度考えてみて下さい。
決して投票に行ったということだけで満足されないように
(皆さんはとっくにお分かりだと思うけど)。
「長(おさ)を“選挙で選ぶ”なんてとんでもない!」
そういう感覚を、一刻も早く取り戻したいものです。
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さて、この世は“偽り”だらけです。
もちろん、学校で習ったようなまるで全てがうまく機能し、
あたかも国民の意見が政治にそのまま反映されているかのような幻想も含みます。
何もかも、「幻」かもしれないのです。
それでも、そんな中でも、生きていてよかったと思う時はあるはずだし、
本当のことにこだわる純朴な生活者の営みが(少しでも)継承されている。
自然の中で、自然に。
何もかも自然に生きている人は本当に幸せなことだろうと思う。
私たちは、いつのまにか文明というものを背負い、
そしてそれを崇めることを習慣づけるようになった。
そうするうちに、
人間活動の価値を、「文明」にしか見いだせなくなっていったのだ。
自分という人間がどう生きるべきかも提示されるようになっていった。
そんな中での「自由」と「民主主義」。
自由と民主主義が、先進国家としての前提条件になった。
それはどういうものかというと、
何でもそこに生きる人々の生活を、(制度の中で)
人々(または個人)自体が決めるという、
実に素晴らしい世界を描いていた。
フランス革命の時も、人々から期待されていたに違いない。
しかし、それから200年以上経過し、
その思想やシステムは世界中に拡散した。
しかし、それぞれの場で
本当に“民主主義”は実現されているのだろうか。
また、そもそも「民主主義」とはどんなものなのか。
民主主義は、誰がどのようにもたらすことができるのか。
誰の為、何の為のものなのか。
それを考える上で、非常に考えさせられる事象を取り上げます。
私もつい先日知ったばっかりのことです。
11月26日の朝日新聞朝刊にしか載っていないので、
とりあえず情報源としてそちらを挙げておきます(称賛のつもりは一切ないが)。
石川県の白山市で現職市長の急死に伴う市長選が告示される(28日)というもので、
5年前の合併後、過去2回の市長選はいづれも無投票だったそうです。
しかし、今回3氏が出馬を決めており、
初めてトップを投票で決めることになるようだということです。
旧4市長選にとっては、30年超以来の選挙になる訳で、
“投票でトップを決めることへの違和感”を漏らす有権者がおられるのです。
その地域では、それまでの教訓や経験
(町を二分するまでに発展したダム建設騒動など)から、
伝統的に「本当に話し合いでトップが選出されていた」というのだ。
非共産系の議員が作る「有志の会」が母体で、
自民中心だが民主系の「新進石川」、公明、社民、その他の党などが、
一同に集まって調整を図るだけでなく、
地区の有力者と話し合ったりすることもあるというのだ。
ある住民は今回の動きを危惧して、
このように述べたという。
「村長を選挙で選ぶなんて絶対だめや」
また、田中博人議員はこう述べる。
「選挙だけが投票じゃない。
それまでの取り組みが住民に評価されれば
『この人で』となるのがムラの選挙」
とのことです・・・
なかなか新鮮じゃありませんか?
私は、ハッとしてしまったのです。
投票こそが民主主義の手段であり、
投票(多数決での“公平な?”選出)なしに民意は反映できないと、
完全に思考停止に陥っていた自分に気がついたのです。
この日本の中で、そういう大切にしたい伝統をもった所があったのです。
日本は間接民主主義の国です。
しかし、この情報を分析するにおいて、
(程度の差は大きいが)直接民主主義が不可能だというのは
完全に間違いだったことが分かった。
というか、実際に話し合いで長(おさ)を決めている。
ほとんどの人が納得して選び出す。
それこそ理想ではないかと私は思う。
何も難しいことじゃない。
これは人々の意識の問題でもあったからだ。
選挙が全てだと思っていた自分が恥ずかしい。
民主主義は、そこに住む人の為、外部から操作されないためにある、
と考えた時、その形態はあまりにも理にかなっているではないかということ。
改めて考えた時、私は民主主義社会の中に生存できているのだろうかと、
真剣に疑ってしまうのである。
今まで、「直接民主制」とか、「話し合いで解決する」とか、
そういう素晴らしい理にかなった自然で直接的なものを、
馬鹿にしてきたのではないか。
皆さんも一度そのことを考えてみてほしい。
政治というものが自分の生活に全く関係がないと思っている人も
多いような気もするし、政治家以外なにもすることはできないとか、
そういうあきらめムードを持っているもったいない人もおられると思う、
でも本当はそうじゃない、しっかりと世界を変えることは不可能ではないんだ
ということを今こそ自ら確認し、訴えかけたい。呼びかけたい。
「投票に行って、自分は政治に参画していますよ、
皆さんも投票に行きましょうね~」っていうのが
一番虚しいことに気がついてほしいだけなのです。
皆さんも、真の民主主義はどのようにもたらされるものか、
一度考えてみて下さい。
決して投票に行ったということだけで満足されないように
(皆さんはとっくにお分かりだと思うけど)。
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