問題の本質を探るにおいて~省略せずに視野を広げて世界を捉えたい~
私は(プロフィールにもあるように)、現在大学生です。
平日は毎日授業に出ています。
さまざまな授業がありますが、
講師の方の発言などにすごく突っ込みたくなるときがあります。
例えばこんな感じです。
消費社会論の授業で、先生はこう発言されたのです。
「100円ショップとかで安い輸入品ばかり買っていてよいのか」とか、
「日本がいつまでも不況なのは成長の限界に来たからで、日本は発展しすぎた」
というようなものです。
言っていることの矛盾というか本質がわかっておられるのだろうかと思う。
100円ショップが増えて、
商店街が衰えたのはなぜなのか。
それは誰のせいなのか。
そして、仕方なく生活に困って安いものしか買えない人を
冒涜されていることにもまったく気がついておられない。
それだけではない。
こんなに豊かになったはずの日本国民はそれならばなぜ
安い輸入品ばかりを買うのか。
日本国民は本当に万人が同じように豊かなのか。
海外からの輸入品ばかりを買うのは消費者の好みの問題なのか。
世の中は、「買う」ではなく、
「売れる」ことで動いている。
確かに感情経済学的側面はあるだろうと思う、
しかし、実際に国内産の製品というものは質が高く、
大量生産が困難なこともあって割高なのだ。
それに加えて現在はアメリカと財閥の意向で国民を犠牲にした不公平な円高放置。
海外とのかかわりにおいてもまるで日本国を囲い込んでいるようだ。
それを考えると、先生の主張はまったく筋が通っていない。
問題の本質がまったく見えてこないのである。
また、今日の受講者からの質問で、
「日本の企業は円高で苦しんでいるけど、どうやったら解決できるのですか?」
というすごく本質を突きつけたものだった。
先生は何を言ったか。
もちろん、日銀や政府などという言葉は出てこなかった。
「日本の経済といっても世界と連帯しているから解決のしようがない」
「今の不景気はリーマンショックのせいで起きているからね」
という、完全に間違っている解釈を説明されたのだ。
あきれるしかなかった。
それならばいつまでも崩壊以前の状態に戻らず、
先進国の中でなぜ日本だけがデフレであり、
通貨高が継続しているのか。
まったく説明がつかないではないか。
日銀や政府、経団連は完全に結託して、
デフレを継続させ、
日本を内需で潤さないように
わざと円高を放置している。
そんなことさえ言えないのだった。
それで最後には「今は就職難だけど、本人がしっかりしていれば大丈夫」
などとおっしゃるのだからもうどうしようもなかった。
これでは完全に資本家の工作員ですよね。
もう少し視野を広げ、
思考停止状態に陥らずに
世界を捉えたいと改めて思いました。
わからないことは分からないと確認する勇気もほしい。
まさに「人の振り見て我が振り直せ」ですね。
追記
私もあまり人に言えるような生き方はしていません。
でもやはり言うべきことは言わないとと考えるのです。
経済にも哲学があってよいと思うのです。
経済哲学といっていましたが、少し違いました。
経済学哲学です。
人間は、全てにおいて被害者でもあり、加害者でもある。
誰かだけがいけないことはほとんどなく、
多くが全体の問題である。
生きているということだけで他人の役に立っており、
また、無意識のうちに人に被害を与えていることもある。
自分だけが生きていけたらよいというのは他人だけではなく、
自己の存在意義をも否定することなり、その時点で矛盾を起こしている。
しかし、それらは全て仮説であり、自分が生きていることだけが確認できる。
その延長線上に、「生きたい」という欲求は生まれてくる。
人を殺す「経済」はありえない。
「経済」とは、経世済民の略だからである。
私たちはきっと略をするという習慣が事実を見えなくさせ、
また「分かりやすさ」を求めるあまり、都合よく全てを解釈できるようになった。
しかし、問題の本質を探るにおいて、
何を理解しておかねばならないかをまず把握しておきたいと思う。
漢字の読めない首相でも別によかった。
問題になるのはそんなことではない。
実際にその首相が何を実行し、どのような責任を持っていたかである。
意味が分かっているならば世界は読めなくてもいいと思う。
想像することができているなら。
私は意味ばかりを追求してきたのかもしれない。
生きる意味、働く意味、疑う意味―――
よく、相手の立場に立って想像しましょう、
その後から行動を起こしましょう、っていうけど、
本当に相手の立場に立つことはできるのか。
私たちは幻想の中に生きているからその立場にたったつもりでも、
まったく違う場所に存在しているのかもしれないというのに。
重要なのは、どれだけ頑張っても立場を交換することはできない
ということを万人が共通に理解することではないだろうか。
自分の意見が伝わらないはずがないという誤解は、
そもそもの前提が間違っているのかもしれない。
その上での想像なのである。
理解できないことを理解したうえでの想像なのである。
また立場というものを無視した世界の解釈は不可能に近いということがいえると思う。
人間は確かに自然の一部で、動物の一種でもあるけど、
社会的な存在なのである。
だからこそ人間らしさというものが生じるのだ。
そういう人間の一番すばらしいのは、この世界を疑うことができる点だと思う。
また、人間の一番いけない点は、ほかの動物を見下し、
人間こそが優れていると錯覚することであるような気がする。
別に人間よりも動物を大切にすべきなどとは言わない。
ただ、人間の作った文明が、自然状態に比べてそんなに素晴らしいものなのかと
考えたときに、それは洗脳されているだけではないかと感じるのである。
人間らしく生きることが一番難しいのかもしれないと思う。
最後に「理解するとはなにか」について述べておきたい。
高校一年のときの担任の先生の言葉を借りれば、
「理解すること=教えること」である
人に教えることができて初めて理解できたといえるということだ。
私はまだまだ人に何もかも教えることはできない。
出来るのは文章を発信することだけだ。
「教えることは学ぶこと」という言葉もある。
ここで大事なのはきっと「偶然の感性」、「想定しない前提」
だといえる。
世界を把握したり、あらゆる陰謀を追究していくにあたって、
そのことを忘れてはならないと思う。
だから私は紹介した「消費社会論」の講師に感謝している。
他人が、「自分」を教えてくれる。
自分は他人なしには成り立たない。
世界を動かしているのは意思だけではなく、
システムや環境にも由来しているから。
そのことがよく分かった。
本当に、生意気ですみませんね。
不快な思いをさせたかもしれません、必ずどこかで償います。
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平日は毎日授業に出ています。
さまざまな授業がありますが、
講師の方の発言などにすごく突っ込みたくなるときがあります。
例えばこんな感じです。
消費社会論の授業で、先生はこう発言されたのです。
「100円ショップとかで安い輸入品ばかり買っていてよいのか」とか、
「日本がいつまでも不況なのは成長の限界に来たからで、日本は発展しすぎた」
というようなものです。
言っていることの矛盾というか本質がわかっておられるのだろうかと思う。
100円ショップが増えて、
商店街が衰えたのはなぜなのか。
それは誰のせいなのか。
そして、仕方なく生活に困って安いものしか買えない人を
冒涜されていることにもまったく気がついておられない。
それだけではない。
こんなに豊かになったはずの日本国民はそれならばなぜ
安い輸入品ばかりを買うのか。
日本国民は本当に万人が同じように豊かなのか。
海外からの輸入品ばかりを買うのは消費者の好みの問題なのか。
世の中は、「買う」ではなく、
「売れる」ことで動いている。
確かに感情経済学的側面はあるだろうと思う、
しかし、実際に国内産の製品というものは質が高く、
大量生産が困難なこともあって割高なのだ。
それに加えて現在はアメリカと財閥の意向で国民を犠牲にした不公平な円高放置。
海外とのかかわりにおいてもまるで日本国を囲い込んでいるようだ。
それを考えると、先生の主張はまったく筋が通っていない。
問題の本質がまったく見えてこないのである。
また、今日の受講者からの質問で、
「日本の企業は円高で苦しんでいるけど、どうやったら解決できるのですか?」
というすごく本質を突きつけたものだった。
先生は何を言ったか。
もちろん、日銀や政府などという言葉は出てこなかった。
「日本の経済といっても世界と連帯しているから解決のしようがない」
「今の不景気はリーマンショックのせいで起きているからね」
という、完全に間違っている解釈を説明されたのだ。
あきれるしかなかった。
それならばいつまでも崩壊以前の状態に戻らず、
先進国の中でなぜ日本だけがデフレであり、
通貨高が継続しているのか。
まったく説明がつかないではないか。
日銀や政府、経団連は完全に結託して、
デフレを継続させ、
日本を内需で潤さないように
わざと円高を放置している。
そんなことさえ言えないのだった。
それで最後には「今は就職難だけど、本人がしっかりしていれば大丈夫」
などとおっしゃるのだからもうどうしようもなかった。
これでは完全に資本家の工作員ですよね。
もう少し視野を広げ、
思考停止状態に陥らずに
世界を捉えたいと改めて思いました。
わからないことは分からないと確認する勇気もほしい。
まさに「人の振り見て我が振り直せ」ですね。
追記
私もあまり人に言えるような生き方はしていません。
でもやはり言うべきことは言わないとと考えるのです。
経済にも哲学があってよいと思うのです。
経済哲学といっていましたが、少し違いました。
経済学哲学です。
人間は、全てにおいて被害者でもあり、加害者でもある。
誰かだけがいけないことはほとんどなく、
多くが全体の問題である。
生きているということだけで他人の役に立っており、
また、無意識のうちに人に被害を与えていることもある。
自分だけが生きていけたらよいというのは他人だけではなく、
自己の存在意義をも否定することなり、その時点で矛盾を起こしている。
しかし、それらは全て仮説であり、自分が生きていることだけが確認できる。
その延長線上に、「生きたい」という欲求は生まれてくる。
人を殺す「経済」はありえない。
「経済」とは、経世済民の略だからである。
私たちはきっと略をするという習慣が事実を見えなくさせ、
また「分かりやすさ」を求めるあまり、都合よく全てを解釈できるようになった。
しかし、問題の本質を探るにおいて、
何を理解しておかねばならないかをまず把握しておきたいと思う。
漢字の読めない首相でも別によかった。
問題になるのはそんなことではない。
実際にその首相が何を実行し、どのような責任を持っていたかである。
意味が分かっているならば世界は読めなくてもいいと思う。
想像することができているなら。
私は意味ばかりを追求してきたのかもしれない。
生きる意味、働く意味、疑う意味―――
よく、相手の立場に立って想像しましょう、
その後から行動を起こしましょう、っていうけど、
本当に相手の立場に立つことはできるのか。
私たちは幻想の中に生きているからその立場にたったつもりでも、
まったく違う場所に存在しているのかもしれないというのに。
重要なのは、どれだけ頑張っても立場を交換することはできない
ということを万人が共通に理解することではないだろうか。
自分の意見が伝わらないはずがないという誤解は、
そもそもの前提が間違っているのかもしれない。
その上での想像なのである。
理解できないことを理解したうえでの想像なのである。
また立場というものを無視した世界の解釈は不可能に近いということがいえると思う。
人間は確かに自然の一部で、動物の一種でもあるけど、
社会的な存在なのである。
だからこそ人間らしさというものが生じるのだ。
そういう人間の一番すばらしいのは、この世界を疑うことができる点だと思う。
また、人間の一番いけない点は、ほかの動物を見下し、
人間こそが優れていると錯覚することであるような気がする。
別に人間よりも動物を大切にすべきなどとは言わない。
ただ、人間の作った文明が、自然状態に比べてそんなに素晴らしいものなのかと
考えたときに、それは洗脳されているだけではないかと感じるのである。
人間らしく生きることが一番難しいのかもしれないと思う。
最後に「理解するとはなにか」について述べておきたい。
高校一年のときの担任の先生の言葉を借りれば、
「理解すること=教えること」である
人に教えることができて初めて理解できたといえるということだ。
私はまだまだ人に何もかも教えることはできない。
出来るのは文章を発信することだけだ。
「教えることは学ぶこと」という言葉もある。
ここで大事なのはきっと「偶然の感性」、「想定しない前提」
だといえる。
世界を把握したり、あらゆる陰謀を追究していくにあたって、
そのことを忘れてはならないと思う。
だから私は紹介した「消費社会論」の講師に感謝している。
他人が、「自分」を教えてくれる。
自分は他人なしには成り立たない。
世界を動かしているのは意思だけではなく、
システムや環境にも由来しているから。
そのことがよく分かった。
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