宝くじに高額当選したらそれまでの仕事はどうする?
宝くじに高額当選したらそれまでの仕事はどうする?
あなたが思わず宝くじに高額当選したとします。
その結果働く必要がなくなったらそれまでの仕事は辞める?それとも続けますか?
http://blog.with2.net/vote/?m=v&id=51355
↑こちら、または左の方にあるプロフィールの投票場所でどうぞ。
まともに働いたことのない良い身分の私がこんなことをいうのも
おこがましい限りですが―――
どれだけお金が余っていてもやり続けたい仕事がいい!
というか、それが絶対的な理想ですね。
やっぱり、お金の為だけに働くって虚しい。
やりたくないのに惰性と仕方なさで続けざるを得ないって本当に
つらいだろうし、大変だと思うんですよね。
そんなことはありませんか?
あるいは、働いた分だけの正当な報酬が得られなかったり、
生活をめちゃくちゃにされたりとか。
少なくとも頑張った分だけ報酬が得られるようにすべきだと思うんですね。
私はこの世(西洋文明社会)が円轄に廻っているとすれば、
それは多くの人の善意を悪用していることがあるから
成り立っているのではないかと考えている。
だから純粋なほど損をする。
つまりは、儲けるため(=生きるため)ならば
誰かの幸せや生活を犠牲にせねばならないようにもなっている。
だからこんなに自殺する人が多いのだと思う。
生きる上での障壁としての「嫌子(けんし)」があまりにも多すぎだから。
「好子と嫌子」についてはこちら
もっと、生きたい!と思える世界にするにはどうすべきなのか。
それにはまず、自分という人間が支えられて生きている
ということが実感できている状況であることが前提ではないのか?
商店街で働いている人って多分、よほどのことがない限り、
仕事はずっと続けられるのだと思う(赤字になればそれこそ大変だけども)。
他にも、自分を必要としていることが実感できるような仕事って
子育てとか介護とか結構あると思うんですね。
で、そういうのに限って給料が低いのはなぜなのか考えてみたんですよ。
結果どうだったか。
あまりにも当たり前のように必要とされているからこそ、
人情とか善意が転じて、その分報酬が与えられていない
という仮説にたどり着いたんですね。
お金の為だけに働いているのではないという、
そういう素晴らしい行為とかを、
本当に見下げていたということに気がついたんですね。
でも、それでいいのかなって思う訳ですよ。
だってさあ、それって
“お金が人を”殺してはいないですか?
ホリエモンみたいな人がいっぱいになってもいいですか?
お金の為に働いているのではないとはいえ、
必要とされている分だけのお金が与えられ、
お金の為だけに働いているのであるとしても、
その行為を必要とされていない分だけのお金を徴収し、
それを社会に還元しあうというシステムはいけないものなのか。
それは本当に人間の自由を奪うものなのか?
現実的には、累進課税緩和状態の廃止と、
為替税、資産税、減価紙幣の導入と、
所得補償ということになってきますね。
でもそれをやると不公平だと思う人もいるでしょうから、
まずはベーシックインカムを導入するのがいいと思うんですよね。
さて、国家というものがなく、企業だけの世界になったら
国民であるはずの私たちの生活はどうなるのでしょうか。
完全に“ライフ”が私物化され、完全搾取社会になるだろうと思っています。
それは無政府主義志向とは無関係の国際共産主義者による
世界統一政府樹立による新世界秩序の構築にも共通するところがあると考えています。
だれも個人を護れなくなる世界。
そんなことではいけない、そう思うのです。
もちろん、ほとんどの国家は国民を無視しているし、
単なる駒でしかないのはよく分かっているのですが、
国民の意識次第で国家は本当の意味で改革でき、
「国民の為にある国家」を少しずつでも実現できるのではないかと
私は考えているのです。
やはり、そういう意味でもベーシックインカムを導入することは
国民の生活が第一を実現する第一歩だと思うんです。
現在の民主党政権が導入するなどとは思いません。
しかし、その理念を訴えて行くことはできます。
今の近代国家が何故いけないと思うか。
それは、最近どこかで目にした表現でもあるのだが、
「(偽善にまみれた現在の近代国家の)民主主義=資本主義」だからなんです。
フランス革命をはじめとする近代革命が起きた理由と背景。
それは、「お金が中心の世界」を作ることが決まっていたからではないかと思う。
だから、当然のようにお金の力=民としての生きる力=発言力=しがらみ
というようになっていった。
少なくとも、政党というものを一度廃止すれば良いと思っているんです。
そうでないと本当の民主主義はやってきません。
いくら個人を大切にすると主張する議員が居ても、
その議員だって政党の一員として動く訳ですし、
やっぱり矛盾が出てくるんですよね。
でも、国家が国民ひとりひとりの為にあって、
民主主義というものがマイノリティーを見捨てるようなことがないとするのならば、
まずはベーシックインカムを実現すべきだと思いますね。
次に、日銀のコントロール(国営化も視野に)。
私が「直接文明宣言」なるものを書きつづっているのも、
(メモ程度でしかないが)
この世界がますます間接化しているから、
民が社会の構造を把握しにくくなることにより、
知らない間に
余計に生活者を無視した政治が行われているのではないか
今のほとんどの政治家はもはや「国民」ではないのではないか。
と思うからこそである。
だから商店街とベーシックインカムなのである。
宝くじに思わず当選しても誰もがそれまでの仕事を楽しく
続けられる社会であってほしいと思う。
お金に振り回されたくないし、
お金に振り回されている人を見るのも嫌だ。
人間としての誇りを失いたくないから、
お金だけの為に、生きたくない。
そういうことを、私は希望しているだけなのだ。
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というか、それが絶対的な理想ですね。
やっぱり、お金の為だけに働くって虚しい。
やりたくないのに惰性と仕方なさで続けざるを得ないって本当に
つらいだろうし、大変だと思うんですよね。
そんなことはありませんか?
あるいは、働いた分だけの正当な報酬が得られなかったり、
生活をめちゃくちゃにされたりとか。
少なくとも頑張った分だけ報酬が得られるようにすべきだと思うんですね。
私はこの世(西洋文明社会)が円轄に廻っているとすれば、
それは多くの人の善意を悪用していることがあるから
成り立っているのではないかと考えている。
だから純粋なほど損をする。
つまりは、儲けるため(=生きるため)ならば
誰かの幸せや生活を犠牲にせねばならないようにもなっている。
だからこんなに自殺する人が多いのだと思う。
生きる上での障壁としての「嫌子(けんし)」があまりにも多すぎだから。
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もっと、生きたい!と思える世界にするにはどうすべきなのか。
それにはまず、自分という人間が支えられて生きている
ということが実感できている状況であることが前提ではないのか?
商店街で働いている人って多分、よほどのことがない限り、
仕事はずっと続けられるのだと思う(赤字になればそれこそ大変だけども)。
他にも、自分を必要としていることが実感できるような仕事って
子育てとか介護とか結構あると思うんですね。
で、そういうのに限って給料が低いのはなぜなのか考えてみたんですよ。
結果どうだったか。
あまりにも当たり前のように必要とされているからこそ、
人情とか善意が転じて、その分報酬が与えられていない
という仮説にたどり着いたんですね。
お金の為だけに働いているのではないという、
そういう素晴らしい行為とかを、
本当に見下げていたということに気がついたんですね。
でも、それでいいのかなって思う訳ですよ。
だってさあ、それって
“お金が人を”殺してはいないですか?
ホリエモンみたいな人がいっぱいになってもいいですか?
お金の為に働いているのではないとはいえ、
必要とされている分だけのお金が与えられ、
お金の為だけに働いているのであるとしても、
その行為を必要とされていない分だけのお金を徴収し、
それを社会に還元しあうというシステムはいけないものなのか。
それは本当に人間の自由を奪うものなのか?
現実的には、累進課税緩和状態の廃止と、
為替税、資産税、減価紙幣の導入と、
所得補償ということになってきますね。
でもそれをやると不公平だと思う人もいるでしょうから、
まずはベーシックインカムを導入するのがいいと思うんですよね。
さて、国家というものがなく、企業だけの世界になったら
国民であるはずの私たちの生活はどうなるのでしょうか。
完全に“ライフ”が私物化され、完全搾取社会になるだろうと思っています。
それは無政府主義志向とは無関係の国際共産主義者による
世界統一政府樹立による新世界秩序の構築にも共通するところがあると考えています。
だれも個人を護れなくなる世界。
そんなことではいけない、そう思うのです。
もちろん、ほとんどの国家は国民を無視しているし、
単なる駒でしかないのはよく分かっているのですが、
国民の意識次第で国家は本当の意味で改革でき、
「国民の為にある国家」を少しずつでも実現できるのではないかと
私は考えているのです。
やはり、そういう意味でもベーシックインカムを導入することは
国民の生活が第一を実現する第一歩だと思うんです。
現在の民主党政権が導入するなどとは思いません。
しかし、その理念を訴えて行くことはできます。
今の近代国家が何故いけないと思うか。
それは、最近どこかで目にした表現でもあるのだが、
「(偽善にまみれた現在の近代国家の)民主主義=資本主義」だからなんです。
フランス革命をはじめとする近代革命が起きた理由と背景。
それは、「お金が中心の世界」を作ることが決まっていたからではないかと思う。
だから、当然のようにお金の力=民としての生きる力=発言力=しがらみ
というようになっていった。
少なくとも、政党というものを一度廃止すれば良いと思っているんです。
そうでないと本当の民主主義はやってきません。
いくら個人を大切にすると主張する議員が居ても、
その議員だって政党の一員として動く訳ですし、
やっぱり矛盾が出てくるんですよね。
でも、国家が国民ひとりひとりの為にあって、
民主主義というものがマイノリティーを見捨てるようなことがないとするのならば、
まずはベーシックインカムを実現すべきだと思いますね。
次に、日銀のコントロール(国営化も視野に)。
私が「直接文明宣言」なるものを書きつづっているのも、
(メモ程度でしかないが)
この世界がますます間接化しているから、
民が社会の構造を把握しにくくなることにより、
知らない間に
余計に生活者を無視した政治が行われているのではないか
今のほとんどの政治家はもはや「国民」ではないのではないか。
と思うからこそである。
だから商店街とベーシックインカムなのである。
宝くじに思わず当選しても誰もがそれまでの仕事を楽しく
続けられる社会であってほしいと思う。
お金に振り回されたくないし、
お金に振り回されている人を見るのも嫌だ。
人間としての誇りを失いたくないから、
お金だけの為に、生きたくない。
そういうことを、私は希望しているだけなのだ。
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