「あんた人間やめますか?スピリチュアルやめますか?」の時代
タイトルは、こちらのブログ本文より引用させてもらいました。
映画イルミナティ大集合【20100428】虚空と君のあいだにより
環境保護運動は、近年地球規模でますます加速しています。
平和運動や環境保護活動は、陰謀とは無関係と言えるのでしょうか。
私には、どうも優生学思想と大きく関わっているように思えます。
人類は、果たして本当に「地球の癌」なのか?
この大問題を追跡してみましょう。
少し長いですが、全文転載させていただきます。
ここから
映画「アバター」を見たよ。
アバター=化身で、生まれ変わりみたいなとこをさす言葉だが。
監督は、ジェームズ・「フランシス」・キャメロン。
ターミネーター1~2、エイリアン2などの監督をした人ね。
よし、ネタバレになるけど、簡単に説明しちゃおう。
こういう映画も、洗脳がてんこもり、年中無休!!なわけである。
まあ、簡単にストーリーを説明すると、アメリカ原住民と侵略者の争いをSF的にして、過去ではなく未来に変えたものである。
ストーリーはこれね。
作品的モチーフは「マトリックス(攻殻機動隊)+もののけ姫」というと、もっとイメージしやすいかも。それをCGにしたもの。
まず、ストーリーの説明だが「アメリカ原住民よりの視点」で作られている。
アメリカという侵略国家、アメリカの歴史の恥部であるわけだが。
このアメリカ原住民の視点での映画というと、911自作自演以前にロスチャ、ロックフェラーの両勢力を暴露した数少ない映画の一つ、「陰謀のセオリー」も愛の言葉=ジェロニモ(アメリカ原住民の族長ジェロニモ)という表現がでていたな。
このジェロニモの骸骨を掘り起こしたのがスカル&ボーンズであり、数ヶ月前、この事でエール大学と裁判沙汰になったとニュースでやっていたのである。
ロックフェラー陣営の衰退とリンクしてね。
まあ、陰謀のセオリーという映画が、反スカル&ボーンズであったように、これ以上のこと、単なる「こっそり暴露」ではなく、このアメリカの恥部そのものを映画化した「アバター」というものは、「アメリカの正統なる侵略者」を自称するスカル&ボーンズにとっては、不愉快な映画になっているということね。
洗脳の内訳を説明していくか。
実は、単語は、ほとんど過去記事で説明したもんである。
まず、反ロックフェラーアニメである攻殻機動隊は、ghost in the machineという論文の著者、アーサー・ケストラーの影響を受けている。そう、「アシュケナジー=白人ユダヤ=偽者である」と、を暴露したケストラーね。
で、その攻殻機動隊の世界観をパクったのが、「マトリックス」であり、グノーシス全開なわけね。NEOとモフィアス(モーゼ=ユダヤ)とトリニティ(カトリック)の三位一体。
このアバターも不思議な事に、ケストラーの影響という意味で繋がり、「アシュケナジー=反セム主義=純粋白人至上主義=ロックフェラー側(ボーンズ=ロック陣営)」にアンチな立場なわけね。
見ればわかるけど、アバターは、マトリックスそのものなわけよ。
さらには、これは「もののけ姫」そのまんまだね。
この映画にも木霊(こだま)が出てくるし、生命の樹=魂の樹として登場する。
設定は、他の惑星だが、森の中で完全に「もののけ姫」だと、という描写が出てくる。歩いたとこが光るとことか、「シシ神様か?!」とか思った。
とくに「魂の樹」=その惑星の原住民の聖地として表現されている。
そして重要な事は、マトリックスのように神経がコネクトできるという設定で、マトリックスのような機械だけでなく、アバターは「自然とも繋がる事ができる」という設定。
この「魂の樹」というのとも繋がる事ができるのね。
「魂と繋がるのを待っている精霊」という、精霊界のモチーフそのまんまだな。
キリスト教の三位一体の中の一つであり、スピリチュアルの原型である精霊信仰(スピリトゥス)なわけ。【20090119】
生命の樹=ユダヤ教のカバラー主義なわけだが。
もののけ姫と、重なる要素はまだある。
カバラ主義全開の、もののけ姫では「シシ神様を倒す」=山羊の首を落とすという描写がでて来たわけだが、これはアレスター・クロウリーのシシリア島でやったアニマルセックス&山羊生贄の儀式という魔術儀式がもととなってるわけ。
というか、山羊の首を切るなんて、誰が考えても魔術儀式そのものだよね。(と、パフォメットの山羊を昔、知らなかった俺が言うのもなんだが。)
アレスター・クロウリーとは、サイエントロジーの源流ともいえる東方聖堂騎士団(OTO)の3代目のボスであり【20090914】、彼の記した「法の書」は、the New Age = Aeonとも書いであるものだが、これはアメリカのニューエイジの経典になっているわけである。【20090721】
このようなカバラ密教、ニューエイジ、スピリチュアル(これはサイエントロジーも)、これらの洗脳装置、モチーフとなってる映画は、ここらの人物の思想や時代背景がよく使われる。
火縄銃の時代(過去)=もののけ姫、SFの宇宙船(未来)=アバター、これでもわかるとおり、過去や未来では、わかりやすい「ニューエイジ=水瓶座の時代」という単語が出てこない。
そりゃ、未来は水瓶座の時代になってるので、ニューエイジじゃないし、過去には関係ないからね。
しかし、アレスター・クロウリー、エドガー・ケイシー、スウェーデン・ボルグ、スピリチュアルなどを生み出した重要人物の事例とあまりにも重なる事が多いわけです。
アバターでは、エドガー・ケイシーの時代の大覚醒時代=交霊式のような物が演出されている、スピリチュアルを流行らせた、あの頃の捏造ブームの交霊式だ。
これも洗脳の装置の中で、現代版になって蘇って来たという話だ。
さらには、アバターは、騎馬民族が好意的に書かれている。
騎馬民族は、ロスチャロックの対立の中のロスチャ陣営そのものなんだが【20090714】(航海民族は出てこない)、騎馬民族のメインのシーン、それは「サイエントロジー~~!!」と叫びながら玉砕したトム・クルーズの映画、ラストサムライと全く同じ描写が、このアバターにも出てくるのである。
サイエントロジーの源流こそが、アレスター・クロウリー → ジャック・パーソンズ → SF作家のL・ロン・ハバード(創設者)である。
さらに、ここらをあげると、登場人物の中に、主人公と原住民を助ける「グレース」という女性研究者がでてくるが、この人の名前は「フランス革命を生きた英国人女性」、「グレース・エリオット Grace Elliott」からとってるでしょ?
あまり知名度が無いかもしれない。
じゃあ、「エジンバラ」生まれの、「オルレアン公の恋人」と言えば、ポジションがわかるかな?
スコティッシュメーソンの中心地であるエジンバラと、フランス系メーソン、グラントリアン=「グランド・オルレアン」の掛け橋となった女性だ。
アバターは単なるパクりのツギハギだらけの映画である。
もののけ姫を知らない人や、マトリックスもパクりだと知らない人は気づかないかもしれないけど。機械のデザインは、攻殻機動隊からのもあるし、犬なんてバイオハザードそのものだし。
ストリーもろくなもんじゃないし。
しかし、イルミナティ勢力のオールスターとも言えるツギハギっぷりである。
洗脳の主軸ともいえるのは、ニューエイジではなくスピリチュアルと言ったほうが、普通の人にはわかりやすいと思うが。
スピリチュアルの源流の人物、ケイシー、クロウリー、その魔術儀式、東方聖堂騎士団、スコティッシュメソ(機関紙がニューエイジ)、エジンバラ、グラントリアン、オルレアン公、騎馬民族、ユダヤ密教カバラーと生命の樹、それが魂の樹。ここはエジプト学派でもある。
さらには、赤いドラゴン(翼竜)がシンボルとしてアバターには出ていたが、あれはフェニックス=フェニキアとロスチャイルドの鷲を掛け合わせたものだろう。
なんというロスチャイルド側=イルミナティ勢力が勢ぞろい!!!
そして彼らの得意な分野、SFで、ツギハギだらけの映画を作り、「大人気」などと帯までつけて「洗脳を加速させる」のである。
アバターのストーリーの最後は、現代に蘇った「交霊会ブーム」ともいえる映画のシーンにより、最終的に「主人公は人間をやめる」形で、エンディングを迎えるわけです。
つまり、「生まれ変わり=トランスフォーム」するわけである。
なあ、人間=侵略者は「過去の歴史」で何度もあった事だし、ストーリー的にはしょうがないにしても、「人間じゃなくなる」というストーリーに共感できる奴いるのか?
冷静に考えろ。と言いたいわけだが。
このツギハギの映画が、なぜ賞などを取って「大人気!!」とメディアがあおりまくったことも。
あまりにも洗脳が激しい世の中になってきた。
「あんた人間やめますか?スピリチュアルやめますか?」の時代に入ってきていることを、理解しなくちゃいけないのである。
そういえば監督のジェームス・キャメロンは、タイタニックの監督でもあるが、実際のあの船には、イルミナティの重鎮、アスター家。ジョン・ジェイコブ・アスター四世が乗ってて沈んだんだっけな。
タイタニックはストックホルムオリンピックのための豪華客船で、スピリチュアルの祖でもあるスウェーデン・ボルグが作ったのが、ストックホルムイルミナティと言われている。
2010年現在、広島をテーマに、ジェームス・キャメロンは、原爆の恐怖を語り継ぐための映画を作ろうとしているそうです。
なんのためか?を考えなきゃなりません。
ここまで転載終了
なぜ、ロハス雑誌の表紙が「伊勢神宮」だったのか、
なぜ、パワースポットが流行しているか、これで少し分かりましたね。
さて、自称環境保護団体の一つに、シーシェパードがあります。
それに関する文章を紹介します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090406/191104/?P=1
シー・シェパードがあそこまでやる理由~『エコ・テロリズム』
浜野 喬士著(評:栗原 裕一郎)
洋泉社新書y、760円(税別)
転載開始
「エコ・テロリズム」──まだなじみの薄い言葉かもしれないが、捕鯨船にガンガン体当たりを食らわせたり、乗船員に酪酸ぶっかけたりといった妨害破壊工作をしているような連中といえば「ああ、あいつらのことか」と得心がいくだろう。
つい先日(2009年2月6日)も、南極海で、日本の調査捕鯨船にシー・シェパードの抗議船が突っ込んだというニュースが流れた。
シー・シェパードはアメリカの環境保護団体。「海の自然を守るために警備している」と自称してはいるものの、威嚇発砲に捕鯨船撃沈、捕鯨施設破壊などなど数々の実績(?)を持つ、ほとんど海賊みたいな連中である。
「エコ・テロリズム」という呼び名はしたがって比喩や形容ではない。シー・シェパードは、FBIに認定された立派な(?)テロ組織なのだ。
目的のためには手段を選ばない、テロリスト認定された環境団体はほかにも存在する。「動物を守るためなら人命が犠牲になるのもやむなし」、さらには「人類は地球にとって害悪なので滅びるべし」といわんばかりの(実際いっているんだけど)過激な活動について、まあたいていの人は「イカレている」と思っているだろう。
だが、狂気で片づければ済む問題なのだろうか、と本書は待ったをかける。
〈ある種の狂気は、単に支離滅裂であることより、むしろ強固な論理的一貫性に端を発する。狂気には狂気の論理というものが存在するのだ〉
著者は、「エコ・テロリズム」はきわめてアメリカ的現象、それもアメリカの歴史・思想史の〈核心部分に触れている〉〈アメリカの建国精神にまでかかわる〉現象であるという。
「自由と権利」のためなら暴力も厭わない
19世紀にヘンリー・ソローの「非暴力による市民的不服従」から始まったはずの環境運動が、「非暴力」という肝心の一線を越えてしまった歴史、テロを正当化している「論理」を思想的に体系づけようというのが本書の目論見である。
核心部分からいこう。エコ・テロリズムの何が「アメリカ的」だというのか。
それはリベラリズムだ。
アメリカという国はイギリスの植民地化から独立することで成立した。そして、奴隷解放運動、公民権運動、女性解放運動によって「自由と権利」を獲得していったわけだが、〈しかしこの自由と権利の拡大は必ずしも平和裏に行なわれたわけではなく、しばしば法の踏みこえ、場合によっては暴力さえ伴った〉。
「法」の内側で民主的に行動してもラチがあかない場合、「良心」を基準に「法」を踏みこえ血が流れることも厭わない──アメリカのリベラリズムとはそもそもそういう性格を備えたものだった。
ところで、エコ・テロリズムとは、動物や自然や地球の「自由と権利」を求めるためには、良心を基準に法を踏みこえ暴力も辞さないという「内在論理」で動いている運動である。
すなわちエコ・テロリズムは、この「内在論理」のあり方において、アメリカ・リベラリズムの伝統の正統な嫡子なのだ。
それはひとまず了解したとして、疑問が二つばかり出てくる。
・リベラリズムとの相克において、「市民的不服従」の定義そのものともいえる「非暴力」を踏みこえさせたモメントはなにか?
・「動物」や「自然」や「地球」など、人間ではなかったり生物ですらなかったりするものの「自由と権利」とはなにか? またそれらの「自由と権利」を代弁することを正当化しているロジックはいかなるものか?
この疑問に答えを見つけるには、環境運動の歴史に立ち入る必要がある。本書は全部で4章から構成されているが、第2章「ラディカル環境運動と動物解放運動」と第3章「思想史的背景」の全体が、この二つの問いへの回答になっていると見ることができる。
第2章は、代表的な組織について具体的に解説したパートで、「グリーンピース」(前身の「波を立てるな委員会」含む)、「シー・シェパード」、「アース・ファースト!」、「動物解放戦線」、「ストップ・ハンティンドン動物虐待」、「動物の倫理的扱いを求める人びと(PETA)」、「地球解放戦線」などが取り上げられている。
カギとなるのはやはりシー・シェパードだ。FBIもシー・シェパードを「エコ・テロリズム」の起源であると見なしている。
結成は1977年。創始者のポール・ワトソンはグリーンピースの最初期メンバーだったが、ワトソンの暴力的な指向性に問題ありと考えたグリーンピースは、とある事件をきっかけに彼を放り出す。そのときワトソンはこういわれたそうだ。
「君には判事と陪審を務める権利はないんだよ」「ひとり自警団を任ずる権利なんて君はもっていない」
シー・シェパードはまさに、グリーンピースが禁忌した「自警団」そのものといってよい。「良心」にしたがった「陪審」を「法」を越えて守らせる「警察力」、それがシー・シェパードなのである(とワトソンは考えている)。
ワトソンのリクツは先に見たリベラリズム意識とほぼ同質だが、時流のいたずらで、シー・シェパードの暴力活動は「内在論理」以外によっても正当化されてしまう。
1986年に国際捕鯨委員会(IWC)により「商業捕鯨モラトリアム」が施行されたが、ノルウェーや日本などいくつかの国はそれ以降も付帯条件などに基づき捕鯨を続けた。モラトリアムを無視して「不法」に鯨漁をしている連中に国際法を守らせるべく働きかけている努力である──シー・シェパードの海賊行為はそんなお墨付きを獲得してしまったのだ。
国際世論や著名人、企業からの支持を得て存在感を増したシー・シェパードが、以降のエコ・テロリズムの方向性を規定したと著者は見ている。重要な活動家にシー・シェパードに関わっていた者が少なくないことも見逃せない。
第3章はエコ・テロリズムを思想史的に追ったパートだが、「動物」(ひいては「自然」さらには「地球」)の「自由と権利」がどういうふうに形成されていったかをひもとくことが主な軸になっている。
大まかにはそれは、人間が活用できる資源として自然を“保全”しようという人間中心主義的な思想と、自然それ自体が“保護”されねばならないとする自然中心的な思想のせめぎあいにおいて、人間中心主義が劣勢となっていった歴史であるといえる。
「動物の権利」の萌芽は、19世紀前半イギリスの、家畜の虐待を禁止する法律にさかのぼる。これが動物全般の愛護運動へと拡張していったのだが、この当時というのは、ダーウィン『種の起源』(1859年)がセンセーションを振りまいた時期にあたる。ダーウィンの進化論が、人間中心主義から自然中心主義へという転換の素地づくりの一端を担ったわけだ。
「自然中心主義」+「ガイア仮説」+「終末論」=?
この転換をずずーっとたどっていくと「ディープ・エコロジー」につながる。ディープ・エコロジーは、人間だって自然の一部を成す要素にすぎないと考える「生態学的平等主義」をその旨とするが、地球自体を一個の生命体と見なす「ガイア仮説」(ジェームズ・ラブロック)がこれにくっつくと、守られるべき「自由と権利」の主体は一挙に「惑星」にまで拡張されることになる。著者はこれを「惑星的正義」と呼んでいる。
ラディカル環境運動には一方で、ユダヤ=キリスト教的「千年王国主義」「終末論」が通底している。世界が滅んだ後にキリストが復活し地上を支配して……というアレだ。
惑星的正義と千年王国主義が合体したところに「人類は地球にとって害悪なので滅びるべし」という思想が登場してくるのは想像に難くない、というより必然といってよい。そして、オウム真理教の事件などを見ればあきらかなように、終末論的思想はテロリズムと容易に野合しうるのである。
終章である第4章では「反エコ・テロリズム」が扱われている。環境運動は自然を開拓する人々の利害を損ねるから、反環境運動が起こってくるのは当然なのだが、面白いのは、反環境運動も環境運動と同様に、発砲だの爆破だの暴力に訴えるのもやむなしという方向へ過激化していったことだ。
反環境運動を尖鋭化させた「内在論理」もまたアメリカ・リベラリズム的な「自由と権利」を守るための「法の踏みこえ」なのだが、同様の「踏みこえ」は国によっても犯されてしまう。
9・11後に定められた「愛国者法」はエコ・テロリズムにも適応されている。愛国者法によって認められた、盗聴やネットワークへの侵入、アクセスログの取得、組織への浸透活動などは、ある意味で国による「法の踏みこえ」であって、リベラリズムを脅かすと批判されたが、この「踏みこえ」で守ろうとされているのは、じつのところリベラリズムそのものだったりするのだ。なんてややこしい!
そんな〈三つ巴〉のネジくれた状況が環境問題の現在であり、〈アメリカという土壌が歴史的に形成してきた特殊なコンテクスト〉なのである。
最後にいくつか気になった点を。
整理と構成にやや難ありで、繰り返しもしくは散らばりが目立つ。たとえば「市民的不服従」はキー概念であり第1章から顔を出しているが、詳しい解説はようやく第3章になってからだったりして読み手にちょっと優しくない。
それから、「ガイア仮説」まで持ち出しながら、ニューエイジ思想についてほとんど言及がないのは解せない。あとがきでちょっとだけ触れられているけれど、ニューエイジ思想の汎神論的性格がキリスト教の一神教的世界観と対立するかたちでディープ・エコロジーを駆動してきたというのはなかば常識だろう。「リベラリズム」という軸を強調するために省いたということなのかな。
もっともそれらは瑕瑾にすぎない。シー・シェパード問題がマスメディアを騒がす一方で、その他の組織や「エコ・テロリズム」の歴史的背景についてはあまり知られておらず、参考になる本も日本語ではほとんどないに等しい。本書はニッチに見えるようでいてど真ん中を衝いている。今後、基本書の位置を占めていくことになるだろう。
ちなみに著者は1977年生まれの大学院生(博士課程)で、専門はカント(!)。本書が処女作である。この世代は人材が豊富ですな。
(文/栗原 裕一郎、企画・編集/須藤 輝&連結社)
転載終了
どうでしたか?
まるで別世界の出来事のようで、実感がわきませんね。
ならば日常に溢れるところから探りましょう。
ということで、
神道とガイア理論、宮崎駿「ナウシカ」と映画「アバター」の接点~次世代主義へのパラダイムシフト (4)
より転載開始
前略明けましておめでとう御座います。
先回、「文明の衝突」や欧米と日本での宗教観等について触れましたが、今回、日本の宗教観を更に深堀してみたいと思います。
加えて、本題の次世代主義へのパラダイムシフトを念頭に置きながら、日本に置ける将来のビジネスモデルも考察します。
また、先日、映画「アバター」を見に行ってきました。3D映像技術という側面で、話題をさらっている傾向がありますが、今回、本項で触れている「ガイア理論」、そして、宮崎駿ワールドに代表される「ナウシカ」との接点で考察してみる。
神道神道とは、日本の民俗的な信仰であり、太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教と位置づけられている。
古来、日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰や自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に確立したとされている。
いわゆる、キリスト教で言う所の聖書等、神道には明確な教典が無く、「古事記」「日本書紀」「宣命」等と言った「神典」と称される古典を規範としている。
神道では、森羅万象に神が宿ると考え、他宗教と比べて、現世主義的且つ、性善説的であり、神と信奉者の間の連体意識(同一意識)が強いといった特徴がある。
尚、神道と仏教の違いについては様々な諸説があるが、神道は神話に登場する神々のように地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村等の地域社会)を守る事をを目的に信仰されてきたのに対して、仏教は主に個人の命や魂の救済・国家の安定を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。
ガイア理論ガイア理論とは、地球と生物が相互に関係し合い、そして環境を作り上げ、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。
気象学者「アンドリュー・ワトソン」、生物学者「リン・マーギュリス」らが支持者に名を連ねている。
起源は、NASAに勤務していた「ジェームズ・ラブロック」によって1960年代に仮説が提唱された。
「ジェームス・ラブロック」博士は、大気学者であり、化学者でもある経歴を持つ。
「ジェームズ・ラブロック」は当初、この理論を「自己統制システム」と命名していたが、後に作家の「ウイリアム・ゴールディング」の提案によりギリシア神話の女神「ガイア」にちなんだ名前へ変更したとされている。
理論が固まる前段階では、主に気候を中心とした、生物と環境の相互作用についての理論であり、何らかの「恒常性」が認められるとした提唱であった。
しかし、賛同者を徐々に得る中で、シンポジウム等による議論が積極的に行われ、批判も含め、その理論が鍛え上げられ緻密化すると共に、更に多くの賛同者を得て、よりその理論は強固な物へと創り上げられた。 そして、現在、基礎生態学上の研究の究極の目的である地球化学と同一の生態学の一つとして論議されるまでに至っており、生物・海洋・地圏・大気との相互作用を考慮に入れた上で、地球生理学あるいは地球システム科学と呼ばれている。
映画「アバター」先日、一般公開が始まった映画「アバター」を鑑賞してきたので、本項における次世代主義やガイア理論との接点を考察してみる。
まず、この映画を見て最初に感じたのは、宮崎駿監督「ナウシカ」の世界観と類似していると思ったのは私だけであろうか。
たまたまかもしないし、まあ、これは良いとして、「アバター」で主舞台となるパンドラと呼ばれる惑星では、人類と類似するナビィ達が存在し、植物や動物たちとリンクする事ができる。まるで、ナウシカがオームの触手と会話するかのように…。
この映画について余り詳しく述べると、これから見に行く人の喜びを削いでしまうので、程々にしたいが、先に延べたガイア理論との親和性が非常に高く、惑星と大地・植物・動物、そして、人類は共同生命体であり、更に相互補完で生命のバランスを形成する星の意思「エイワ」というのも存在する。
資本主義によって既に地球の緑を破壊してしまった強欲な人間(ある意味、今回は人間がエイリアン)と、美しい星を守るナビィ達の戦いの中で、次世代主義を垣間見る事ができる。
小さいモノはカワイイの発想日本人の感性の中には、小さいものを愛でる、そこに洗練性を極める美意識が深く根付いている。
これを判り易い感情表現に例えると「愛でる」「慈しむ」「いとおしく思う」等、小さきものへの愛情が多様に存在する。
そして、日本の美学は小さいモノの集合体である事も重要な特徴である。
例えば、代表的な地名として「京都」は日本美の一つの完成形であるが、それはまるで小さな箱庭の集合体のようでもある。
また、職人が作る工芸品、そしてその代表的な日本刀等も、繊細さと大胆さ織り交ざりながら、製作者の名前が柄の部分に刻まれ、それは一見、見えなく握り手の部分に隠されている奥ゆかしさもあり、その名前は製作者が他界した後々までもひっそりと受け継がれていく。
この見方で、我が地球、水の星を見てみると、地球も愛おしくもなり・大切し・感謝し・地球と共に暮らし・共生する糸口があるように思える。
その時、日本人の地球感性は、欧米型の物理的なエコロジー意識、サステナビリティ認識を超えて、日本感性そのものの「カワイイ=愛おしい」とまで言える感情である事が、非常に重要な要素であると理解できないだろうか。
地球に対する深いシンパシーを持って、未来永劫 地球と暮らす事を希望して、夢を見る。
先回、本ブログで「文明の衝突」というお題で掲載したが、それはある意味、欧米的な見方であり、対決至上主義の発想である。
日本流の「カワイイ」の視点で見れば、自然も・歴史も・国地域も・民族も・人も・由緒も・由来も・時間も、全て丸めて「カワイイ」という発想となり、十分に共生可能ではなかろうか。
宗教と政治と次世代の日本とビジネスモデル先に延べた「ガイア理論」であるが、実は「ジェームズ・ラブロック」博士が来日した際、この理論を提唱すると、何のためらいもなく日本人はこの理論(考え方)を受け入れた事に驚いたという。
日本人は、良く言えば柔軟であり、宗教や食事・文化等、何でも取り込める民族性がある。
そして、日本製の仏教や、日本製のキリスト教等、上手く取り込んだ後、加工して生活に取り入れる習慣がある。
一時的には消化不良も起こしたりもするが、いつの間にか受け入れるための体質を身につけてしまう。
このように、海外から流れ込んでくる如何なるモノも自分(日本)のモノに適用していくのは日本人の特性と言える。
かくゆう、私自身もどこかの宗教に入って入る訳ではなく、ある意味、宗教・思想に関しては、極めて典型的な日本人である事も付け加えたい。つまり、クリスマスも祝えば、正月に初詣にも行くといったポリシーの無い振る舞いだ。
話を戻すと、「ガイア理論」をすんなり受け入れたという興味深い話の原点は、どうやら先に述べた日本古来から伝わる「神道」にあると考えている。
古来から、宗教と政治は切っても切り離せない関係にあり、現在でも何らか形を変えて影響し合っている。 そして、神道はいわゆる欧米的な宗教ではなく、教祖もなければ教えも無い。
岩も木も水も山も、皆が生命であり、そして、大きな生命の一部であり、そこには神が宿り、自然そのものが生命体であると信じていたのだ。そう神道は、ただ単にそこに道があるだけである。 そして、「ガイア理論」は実に「神道」の考え方にに似通っているからこそ、何のためらいも無く受け入れたらと考えられないだろうか。
つまり、大自然との調和という事においては、四季折々、日本人は潜在的な素養を秘めており、もしかすると21世紀を担う重要な役割と責任が回って来るとも考えなくもない。
地球が一つの生命体であるのなら、人間も地球の一部分として、自然治癒の歴史を辿るのではないかと考える。
ダーウィンの進化論を違う視点で捉えると、古来、弱肉強食といった欧米的な競争社会で勝ち残った試しはなく、平たく言うと、強い者や賢い者が生き残った訳ではなく、環境に適合した者が生き残ったと考えられる。
真のグローバリズムとは、同じ空気を吸っている人類が同じ運命を辿る事を指し示し、決して偏った競争社会では無い。
そうそれは、まるで宇宙船地球号という一つの地球システム=一つの生命であり、持続可能な社会・経済、そして宗教を語る上で、避けては通れない思想・考え方ではないだろうか。
転載終わり
さあ、こうした活動をする人たちが、何をどう考え、どう捉えているかお分かりになられましたか?
最終的に、世界を統一して、地球を人間から救わねばという考えに繋がるのです。
だから、人間が地球の癌だという教義を世界中にばらまいているのです。
平和とはなにか、それは統一のことである。
環境保護とは何か、それは優生学の現実化による自然中心主義に基づく民族浄化と人工削減である。
そんなこと実際に思っている人いるの?
はい、います。
「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相
人の数を効率的に減らすには、どうすればよいか。
いや、もうそれは戦争しかないでしょう。
平和運動が実は戦争と繋がっているなんて誰も思っていないでしょうね。
おわり。
映画イルミナティ大集合【20100428】虚空と君のあいだにより
環境保護運動は、近年地球規模でますます加速しています。
平和運動や環境保護活動は、陰謀とは無関係と言えるのでしょうか。
私には、どうも優生学思想と大きく関わっているように思えます。
人類は、果たして本当に「地球の癌」なのか?
この大問題を追跡してみましょう。
少し長いですが、全文転載させていただきます。
ここから
映画「アバター」を見たよ。
アバター=化身で、生まれ変わりみたいなとこをさす言葉だが。
監督は、ジェームズ・「フランシス」・キャメロン。
ターミネーター1~2、エイリアン2などの監督をした人ね。
よし、ネタバレになるけど、簡単に説明しちゃおう。
こういう映画も、洗脳がてんこもり、年中無休!!なわけである。
まあ、簡単にストーリーを説明すると、アメリカ原住民と侵略者の争いをSF的にして、過去ではなく未来に変えたものである。
ストーリーはこれね。
作品的モチーフは「マトリックス(攻殻機動隊)+もののけ姫」というと、もっとイメージしやすいかも。それをCGにしたもの。
まず、ストーリーの説明だが「アメリカ原住民よりの視点」で作られている。
アメリカという侵略国家、アメリカの歴史の恥部であるわけだが。
このアメリカ原住民の視点での映画というと、911自作自演以前にロスチャ、ロックフェラーの両勢力を暴露した数少ない映画の一つ、「陰謀のセオリー」も愛の言葉=ジェロニモ(アメリカ原住民の族長ジェロニモ)という表現がでていたな。
このジェロニモの骸骨を掘り起こしたのがスカル&ボーンズであり、数ヶ月前、この事でエール大学と裁判沙汰になったとニュースでやっていたのである。
ロックフェラー陣営の衰退とリンクしてね。
まあ、陰謀のセオリーという映画が、反スカル&ボーンズであったように、これ以上のこと、単なる「こっそり暴露」ではなく、このアメリカの恥部そのものを映画化した「アバター」というものは、「アメリカの正統なる侵略者」を自称するスカル&ボーンズにとっては、不愉快な映画になっているということね。
洗脳の内訳を説明していくか。
実は、単語は、ほとんど過去記事で説明したもんである。
まず、反ロックフェラーアニメである攻殻機動隊は、ghost in the machineという論文の著者、アーサー・ケストラーの影響を受けている。そう、「アシュケナジー=白人ユダヤ=偽者である」と、を暴露したケストラーね。
で、その攻殻機動隊の世界観をパクったのが、「マトリックス」であり、グノーシス全開なわけね。NEOとモフィアス(モーゼ=ユダヤ)とトリニティ(カトリック)の三位一体。
このアバターも不思議な事に、ケストラーの影響という意味で繋がり、「アシュケナジー=反セム主義=純粋白人至上主義=ロックフェラー側(ボーンズ=ロック陣営)」にアンチな立場なわけね。
見ればわかるけど、アバターは、マトリックスそのものなわけよ。
さらには、これは「もののけ姫」そのまんまだね。
この映画にも木霊(こだま)が出てくるし、生命の樹=魂の樹として登場する。
設定は、他の惑星だが、森の中で完全に「もののけ姫」だと、という描写が出てくる。歩いたとこが光るとことか、「シシ神様か?!」とか思った。
とくに「魂の樹」=その惑星の原住民の聖地として表現されている。
そして重要な事は、マトリックスのように神経がコネクトできるという設定で、マトリックスのような機械だけでなく、アバターは「自然とも繋がる事ができる」という設定。
この「魂の樹」というのとも繋がる事ができるのね。
「魂と繋がるのを待っている精霊」という、精霊界のモチーフそのまんまだな。
キリスト教の三位一体の中の一つであり、スピリチュアルの原型である精霊信仰(スピリトゥス)なわけ。【20090119】
生命の樹=ユダヤ教のカバラー主義なわけだが。
もののけ姫と、重なる要素はまだある。
カバラ主義全開の、もののけ姫では「シシ神様を倒す」=山羊の首を落とすという描写がでて来たわけだが、これはアレスター・クロウリーのシシリア島でやったアニマルセックス&山羊生贄の儀式という魔術儀式がもととなってるわけ。
というか、山羊の首を切るなんて、誰が考えても魔術儀式そのものだよね。(と、パフォメットの山羊を昔、知らなかった俺が言うのもなんだが。)
アレスター・クロウリーとは、サイエントロジーの源流ともいえる東方聖堂騎士団(OTO)の3代目のボスであり【20090914】、彼の記した「法の書」は、the New Age = Aeonとも書いであるものだが、これはアメリカのニューエイジの経典になっているわけである。【20090721】
このようなカバラ密教、ニューエイジ、スピリチュアル(これはサイエントロジーも)、これらの洗脳装置、モチーフとなってる映画は、ここらの人物の思想や時代背景がよく使われる。
火縄銃の時代(過去)=もののけ姫、SFの宇宙船(未来)=アバター、これでもわかるとおり、過去や未来では、わかりやすい「ニューエイジ=水瓶座の時代」という単語が出てこない。
そりゃ、未来は水瓶座の時代になってるので、ニューエイジじゃないし、過去には関係ないからね。
しかし、アレスター・クロウリー、エドガー・ケイシー、スウェーデン・ボルグ、スピリチュアルなどを生み出した重要人物の事例とあまりにも重なる事が多いわけです。
アバターでは、エドガー・ケイシーの時代の大覚醒時代=交霊式のような物が演出されている、スピリチュアルを流行らせた、あの頃の捏造ブームの交霊式だ。
これも洗脳の装置の中で、現代版になって蘇って来たという話だ。
さらには、アバターは、騎馬民族が好意的に書かれている。
騎馬民族は、ロスチャロックの対立の中のロスチャ陣営そのものなんだが【20090714】(航海民族は出てこない)、騎馬民族のメインのシーン、それは「サイエントロジー~~!!」と叫びながら玉砕したトム・クルーズの映画、ラストサムライと全く同じ描写が、このアバターにも出てくるのである。
サイエントロジーの源流こそが、アレスター・クロウリー → ジャック・パーソンズ → SF作家のL・ロン・ハバード(創設者)である。
さらに、ここらをあげると、登場人物の中に、主人公と原住民を助ける「グレース」という女性研究者がでてくるが、この人の名前は「フランス革命を生きた英国人女性」、「グレース・エリオット Grace Elliott」からとってるでしょ?
あまり知名度が無いかもしれない。
じゃあ、「エジンバラ」生まれの、「オルレアン公の恋人」と言えば、ポジションがわかるかな?
スコティッシュメーソンの中心地であるエジンバラと、フランス系メーソン、グラントリアン=「グランド・オルレアン」の掛け橋となった女性だ。
アバターは単なるパクりのツギハギだらけの映画である。
もののけ姫を知らない人や、マトリックスもパクりだと知らない人は気づかないかもしれないけど。機械のデザインは、攻殻機動隊からのもあるし、犬なんてバイオハザードそのものだし。
ストリーもろくなもんじゃないし。
しかし、イルミナティ勢力のオールスターとも言えるツギハギっぷりである。
洗脳の主軸ともいえるのは、ニューエイジではなくスピリチュアルと言ったほうが、普通の人にはわかりやすいと思うが。
スピリチュアルの源流の人物、ケイシー、クロウリー、その魔術儀式、東方聖堂騎士団、スコティッシュメソ(機関紙がニューエイジ)、エジンバラ、グラントリアン、オルレアン公、騎馬民族、ユダヤ密教カバラーと生命の樹、それが魂の樹。ここはエジプト学派でもある。
さらには、赤いドラゴン(翼竜)がシンボルとしてアバターには出ていたが、あれはフェニックス=フェニキアとロスチャイルドの鷲を掛け合わせたものだろう。
なんというロスチャイルド側=イルミナティ勢力が勢ぞろい!!!
そして彼らの得意な分野、SFで、ツギハギだらけの映画を作り、「大人気」などと帯までつけて「洗脳を加速させる」のである。
アバターのストーリーの最後は、現代に蘇った「交霊会ブーム」ともいえる映画のシーンにより、最終的に「主人公は人間をやめる」形で、エンディングを迎えるわけです。
つまり、「生まれ変わり=トランスフォーム」するわけである。
なあ、人間=侵略者は「過去の歴史」で何度もあった事だし、ストーリー的にはしょうがないにしても、「人間じゃなくなる」というストーリーに共感できる奴いるのか?
冷静に考えろ。と言いたいわけだが。
このツギハギの映画が、なぜ賞などを取って「大人気!!」とメディアがあおりまくったことも。
あまりにも洗脳が激しい世の中になってきた。
「あんた人間やめますか?スピリチュアルやめますか?」の時代に入ってきていることを、理解しなくちゃいけないのである。
そういえば監督のジェームス・キャメロンは、タイタニックの監督でもあるが、実際のあの船には、イルミナティの重鎮、アスター家。ジョン・ジェイコブ・アスター四世が乗ってて沈んだんだっけな。
タイタニックはストックホルムオリンピックのための豪華客船で、スピリチュアルの祖でもあるスウェーデン・ボルグが作ったのが、ストックホルムイルミナティと言われている。
2010年現在、広島をテーマに、ジェームス・キャメロンは、原爆の恐怖を語り継ぐための映画を作ろうとしているそうです。
なんのためか?を考えなきゃなりません。
ここまで転載終了
なぜ、ロハス雑誌の表紙が「伊勢神宮」だったのか、
なぜ、パワースポットが流行しているか、これで少し分かりましたね。
さて、自称環境保護団体の一つに、シーシェパードがあります。
それに関する文章を紹介します。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090406/191104/?P=1
シー・シェパードがあそこまでやる理由~『エコ・テロリズム』
浜野 喬士著(評:栗原 裕一郎)
洋泉社新書y、760円(税別)
転載開始
「エコ・テロリズム」──まだなじみの薄い言葉かもしれないが、捕鯨船にガンガン体当たりを食らわせたり、乗船員に酪酸ぶっかけたりといった妨害破壊工作をしているような連中といえば「ああ、あいつらのことか」と得心がいくだろう。
つい先日(2009年2月6日)も、南極海で、日本の調査捕鯨船にシー・シェパードの抗議船が突っ込んだというニュースが流れた。
シー・シェパードはアメリカの環境保護団体。「海の自然を守るために警備している」と自称してはいるものの、威嚇発砲に捕鯨船撃沈、捕鯨施設破壊などなど数々の実績(?)を持つ、ほとんど海賊みたいな連中である。
「エコ・テロリズム」という呼び名はしたがって比喩や形容ではない。シー・シェパードは、FBIに認定された立派な(?)テロ組織なのだ。
目的のためには手段を選ばない、テロリスト認定された環境団体はほかにも存在する。「動物を守るためなら人命が犠牲になるのもやむなし」、さらには「人類は地球にとって害悪なので滅びるべし」といわんばかりの(実際いっているんだけど)過激な活動について、まあたいていの人は「イカレている」と思っているだろう。
だが、狂気で片づければ済む問題なのだろうか、と本書は待ったをかける。
〈ある種の狂気は、単に支離滅裂であることより、むしろ強固な論理的一貫性に端を発する。狂気には狂気の論理というものが存在するのだ〉
著者は、「エコ・テロリズム」はきわめてアメリカ的現象、それもアメリカの歴史・思想史の〈核心部分に触れている〉〈アメリカの建国精神にまでかかわる〉現象であるという。
「自由と権利」のためなら暴力も厭わない
19世紀にヘンリー・ソローの「非暴力による市民的不服従」から始まったはずの環境運動が、「非暴力」という肝心の一線を越えてしまった歴史、テロを正当化している「論理」を思想的に体系づけようというのが本書の目論見である。
核心部分からいこう。エコ・テロリズムの何が「アメリカ的」だというのか。
それはリベラリズムだ。
アメリカという国はイギリスの植民地化から独立することで成立した。そして、奴隷解放運動、公民権運動、女性解放運動によって「自由と権利」を獲得していったわけだが、〈しかしこの自由と権利の拡大は必ずしも平和裏に行なわれたわけではなく、しばしば法の踏みこえ、場合によっては暴力さえ伴った〉。
「法」の内側で民主的に行動してもラチがあかない場合、「良心」を基準に「法」を踏みこえ血が流れることも厭わない──アメリカのリベラリズムとはそもそもそういう性格を備えたものだった。
ところで、エコ・テロリズムとは、動物や自然や地球の「自由と権利」を求めるためには、良心を基準に法を踏みこえ暴力も辞さないという「内在論理」で動いている運動である。
すなわちエコ・テロリズムは、この「内在論理」のあり方において、アメリカ・リベラリズムの伝統の正統な嫡子なのだ。
それはひとまず了解したとして、疑問が二つばかり出てくる。
・リベラリズムとの相克において、「市民的不服従」の定義そのものともいえる「非暴力」を踏みこえさせたモメントはなにか?
・「動物」や「自然」や「地球」など、人間ではなかったり生物ですらなかったりするものの「自由と権利」とはなにか? またそれらの「自由と権利」を代弁することを正当化しているロジックはいかなるものか?
この疑問に答えを見つけるには、環境運動の歴史に立ち入る必要がある。本書は全部で4章から構成されているが、第2章「ラディカル環境運動と動物解放運動」と第3章「思想史的背景」の全体が、この二つの問いへの回答になっていると見ることができる。
第2章は、代表的な組織について具体的に解説したパートで、「グリーンピース」(前身の「波を立てるな委員会」含む)、「シー・シェパード」、「アース・ファースト!」、「動物解放戦線」、「ストップ・ハンティンドン動物虐待」、「動物の倫理的扱いを求める人びと(PETA)」、「地球解放戦線」などが取り上げられている。
カギとなるのはやはりシー・シェパードだ。FBIもシー・シェパードを「エコ・テロリズム」の起源であると見なしている。
結成は1977年。創始者のポール・ワトソンはグリーンピースの最初期メンバーだったが、ワトソンの暴力的な指向性に問題ありと考えたグリーンピースは、とある事件をきっかけに彼を放り出す。そのときワトソンはこういわれたそうだ。
「君には判事と陪審を務める権利はないんだよ」「ひとり自警団を任ずる権利なんて君はもっていない」
シー・シェパードはまさに、グリーンピースが禁忌した「自警団」そのものといってよい。「良心」にしたがった「陪審」を「法」を越えて守らせる「警察力」、それがシー・シェパードなのである(とワトソンは考えている)。
ワトソンのリクツは先に見たリベラリズム意識とほぼ同質だが、時流のいたずらで、シー・シェパードの暴力活動は「内在論理」以外によっても正当化されてしまう。
1986年に国際捕鯨委員会(IWC)により「商業捕鯨モラトリアム」が施行されたが、ノルウェーや日本などいくつかの国はそれ以降も付帯条件などに基づき捕鯨を続けた。モラトリアムを無視して「不法」に鯨漁をしている連中に国際法を守らせるべく働きかけている努力である──シー・シェパードの海賊行為はそんなお墨付きを獲得してしまったのだ。
国際世論や著名人、企業からの支持を得て存在感を増したシー・シェパードが、以降のエコ・テロリズムの方向性を規定したと著者は見ている。重要な活動家にシー・シェパードに関わっていた者が少なくないことも見逃せない。
第3章はエコ・テロリズムを思想史的に追ったパートだが、「動物」(ひいては「自然」さらには「地球」)の「自由と権利」がどういうふうに形成されていったかをひもとくことが主な軸になっている。
大まかにはそれは、人間が活用できる資源として自然を“保全”しようという人間中心主義的な思想と、自然それ自体が“保護”されねばならないとする自然中心的な思想のせめぎあいにおいて、人間中心主義が劣勢となっていった歴史であるといえる。
「動物の権利」の萌芽は、19世紀前半イギリスの、家畜の虐待を禁止する法律にさかのぼる。これが動物全般の愛護運動へと拡張していったのだが、この当時というのは、ダーウィン『種の起源』(1859年)がセンセーションを振りまいた時期にあたる。ダーウィンの進化論が、人間中心主義から自然中心主義へという転換の素地づくりの一端を担ったわけだ。
「自然中心主義」+「ガイア仮説」+「終末論」=?
この転換をずずーっとたどっていくと「ディープ・エコロジー」につながる。ディープ・エコロジーは、人間だって自然の一部を成す要素にすぎないと考える「生態学的平等主義」をその旨とするが、地球自体を一個の生命体と見なす「ガイア仮説」(ジェームズ・ラブロック)がこれにくっつくと、守られるべき「自由と権利」の主体は一挙に「惑星」にまで拡張されることになる。著者はこれを「惑星的正義」と呼んでいる。
ラディカル環境運動には一方で、ユダヤ=キリスト教的「千年王国主義」「終末論」が通底している。世界が滅んだ後にキリストが復活し地上を支配して……というアレだ。
惑星的正義と千年王国主義が合体したところに「人類は地球にとって害悪なので滅びるべし」という思想が登場してくるのは想像に難くない、というより必然といってよい。そして、オウム真理教の事件などを見ればあきらかなように、終末論的思想はテロリズムと容易に野合しうるのである。
終章である第4章では「反エコ・テロリズム」が扱われている。環境運動は自然を開拓する人々の利害を損ねるから、反環境運動が起こってくるのは当然なのだが、面白いのは、反環境運動も環境運動と同様に、発砲だの爆破だの暴力に訴えるのもやむなしという方向へ過激化していったことだ。
反環境運動を尖鋭化させた「内在論理」もまたアメリカ・リベラリズム的な「自由と権利」を守るための「法の踏みこえ」なのだが、同様の「踏みこえ」は国によっても犯されてしまう。
9・11後に定められた「愛国者法」はエコ・テロリズムにも適応されている。愛国者法によって認められた、盗聴やネットワークへの侵入、アクセスログの取得、組織への浸透活動などは、ある意味で国による「法の踏みこえ」であって、リベラリズムを脅かすと批判されたが、この「踏みこえ」で守ろうとされているのは、じつのところリベラリズムそのものだったりするのだ。なんてややこしい!
そんな〈三つ巴〉のネジくれた状況が環境問題の現在であり、〈アメリカという土壌が歴史的に形成してきた特殊なコンテクスト〉なのである。
最後にいくつか気になった点を。
整理と構成にやや難ありで、繰り返しもしくは散らばりが目立つ。たとえば「市民的不服従」はキー概念であり第1章から顔を出しているが、詳しい解説はようやく第3章になってからだったりして読み手にちょっと優しくない。
それから、「ガイア仮説」まで持ち出しながら、ニューエイジ思想についてほとんど言及がないのは解せない。あとがきでちょっとだけ触れられているけれど、ニューエイジ思想の汎神論的性格がキリスト教の一神教的世界観と対立するかたちでディープ・エコロジーを駆動してきたというのはなかば常識だろう。「リベラリズム」という軸を強調するために省いたということなのかな。
もっともそれらは瑕瑾にすぎない。シー・シェパード問題がマスメディアを騒がす一方で、その他の組織や「エコ・テロリズム」の歴史的背景についてはあまり知られておらず、参考になる本も日本語ではほとんどないに等しい。本書はニッチに見えるようでいてど真ん中を衝いている。今後、基本書の位置を占めていくことになるだろう。
ちなみに著者は1977年生まれの大学院生(博士課程)で、専門はカント(!)。本書が処女作である。この世代は人材が豊富ですな。
(文/栗原 裕一郎、企画・編集/須藤 輝&連結社)
転載終了
どうでしたか?
まるで別世界の出来事のようで、実感がわきませんね。
ならば日常に溢れるところから探りましょう。
ということで、
神道とガイア理論、宮崎駿「ナウシカ」と映画「アバター」の接点~次世代主義へのパラダイムシフト (4)
より転載開始
前略明けましておめでとう御座います。
先回、「文明の衝突」や欧米と日本での宗教観等について触れましたが、今回、日本の宗教観を更に深堀してみたいと思います。
加えて、本題の次世代主義へのパラダイムシフトを念頭に置きながら、日本に置ける将来のビジネスモデルも考察します。
また、先日、映画「アバター」を見に行ってきました。3D映像技術という側面で、話題をさらっている傾向がありますが、今回、本項で触れている「ガイア理論」、そして、宮崎駿ワールドに代表される「ナウシカ」との接点で考察してみる。
神道神道とは、日本の民俗的な信仰であり、太古の日本から信仰されてきた固有の文化に起源を持つ宗教と位置づけられている。
古来、日本列島に住む民族の間に自然発生的に生まれ育った伝統的な民俗信仰や自然信仰を基盤とし、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に確立したとされている。
いわゆる、キリスト教で言う所の聖書等、神道には明確な教典が無く、「古事記」「日本書紀」「宣命」等と言った「神典」と称される古典を規範としている。
神道では、森羅万象に神が宿ると考え、他宗教と比べて、現世主義的且つ、性善説的であり、神と信奉者の間の連体意識(同一意識)が強いといった特徴がある。
尚、神道と仏教の違いについては様々な諸説があるが、神道は神話に登場する神々のように地縁・血縁などで結ばれた共同体(部族や村等の地域社会)を守る事をを目的に信仰されてきたのに対して、仏教は主に個人の命や魂の救済・国家の安定を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する。
ガイア理論ガイア理論とは、地球と生物が相互に関係し合い、そして環境を作り上げ、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説である。
気象学者「アンドリュー・ワトソン」、生物学者「リン・マーギュリス」らが支持者に名を連ねている。
起源は、NASAに勤務していた「ジェームズ・ラブロック」によって1960年代に仮説が提唱された。
「ジェームス・ラブロック」博士は、大気学者であり、化学者でもある経歴を持つ。
「ジェームズ・ラブロック」は当初、この理論を「自己統制システム」と命名していたが、後に作家の「ウイリアム・ゴールディング」の提案によりギリシア神話の女神「ガイア」にちなんだ名前へ変更したとされている。
理論が固まる前段階では、主に気候を中心とした、生物と環境の相互作用についての理論であり、何らかの「恒常性」が認められるとした提唱であった。
しかし、賛同者を徐々に得る中で、シンポジウム等による議論が積極的に行われ、批判も含め、その理論が鍛え上げられ緻密化すると共に、更に多くの賛同者を得て、よりその理論は強固な物へと創り上げられた。 そして、現在、基礎生態学上の研究の究極の目的である地球化学と同一の生態学の一つとして論議されるまでに至っており、生物・海洋・地圏・大気との相互作用を考慮に入れた上で、地球生理学あるいは地球システム科学と呼ばれている。
映画「アバター」先日、一般公開が始まった映画「アバター」を鑑賞してきたので、本項における次世代主義やガイア理論との接点を考察してみる。
まず、この映画を見て最初に感じたのは、宮崎駿監督「ナウシカ」の世界観と類似していると思ったのは私だけであろうか。
たまたまかもしないし、まあ、これは良いとして、「アバター」で主舞台となるパンドラと呼ばれる惑星では、人類と類似するナビィ達が存在し、植物や動物たちとリンクする事ができる。まるで、ナウシカがオームの触手と会話するかのように…。
この映画について余り詳しく述べると、これから見に行く人の喜びを削いでしまうので、程々にしたいが、先に延べたガイア理論との親和性が非常に高く、惑星と大地・植物・動物、そして、人類は共同生命体であり、更に相互補完で生命のバランスを形成する星の意思「エイワ」というのも存在する。
資本主義によって既に地球の緑を破壊してしまった強欲な人間(ある意味、今回は人間がエイリアン)と、美しい星を守るナビィ達の戦いの中で、次世代主義を垣間見る事ができる。
小さいモノはカワイイの発想日本人の感性の中には、小さいものを愛でる、そこに洗練性を極める美意識が深く根付いている。
これを判り易い感情表現に例えると「愛でる」「慈しむ」「いとおしく思う」等、小さきものへの愛情が多様に存在する。
そして、日本の美学は小さいモノの集合体である事も重要な特徴である。
例えば、代表的な地名として「京都」は日本美の一つの完成形であるが、それはまるで小さな箱庭の集合体のようでもある。
また、職人が作る工芸品、そしてその代表的な日本刀等も、繊細さと大胆さ織り交ざりながら、製作者の名前が柄の部分に刻まれ、それは一見、見えなく握り手の部分に隠されている奥ゆかしさもあり、その名前は製作者が他界した後々までもひっそりと受け継がれていく。
この見方で、我が地球、水の星を見てみると、地球も愛おしくもなり・大切し・感謝し・地球と共に暮らし・共生する糸口があるように思える。
その時、日本人の地球感性は、欧米型の物理的なエコロジー意識、サステナビリティ認識を超えて、日本感性そのものの「カワイイ=愛おしい」とまで言える感情である事が、非常に重要な要素であると理解できないだろうか。
地球に対する深いシンパシーを持って、未来永劫 地球と暮らす事を希望して、夢を見る。
先回、本ブログで「文明の衝突」というお題で掲載したが、それはある意味、欧米的な見方であり、対決至上主義の発想である。
日本流の「カワイイ」の視点で見れば、自然も・歴史も・国地域も・民族も・人も・由緒も・由来も・時間も、全て丸めて「カワイイ」という発想となり、十分に共生可能ではなかろうか。
宗教と政治と次世代の日本とビジネスモデル先に延べた「ガイア理論」であるが、実は「ジェームズ・ラブロック」博士が来日した際、この理論を提唱すると、何のためらいもなく日本人はこの理論(考え方)を受け入れた事に驚いたという。
日本人は、良く言えば柔軟であり、宗教や食事・文化等、何でも取り込める民族性がある。
そして、日本製の仏教や、日本製のキリスト教等、上手く取り込んだ後、加工して生活に取り入れる習慣がある。
一時的には消化不良も起こしたりもするが、いつの間にか受け入れるための体質を身につけてしまう。
このように、海外から流れ込んでくる如何なるモノも自分(日本)のモノに適用していくのは日本人の特性と言える。
かくゆう、私自身もどこかの宗教に入って入る訳ではなく、ある意味、宗教・思想に関しては、極めて典型的な日本人である事も付け加えたい。つまり、クリスマスも祝えば、正月に初詣にも行くといったポリシーの無い振る舞いだ。
話を戻すと、「ガイア理論」をすんなり受け入れたという興味深い話の原点は、どうやら先に述べた日本古来から伝わる「神道」にあると考えている。
古来から、宗教と政治は切っても切り離せない関係にあり、現在でも何らか形を変えて影響し合っている。 そして、神道はいわゆる欧米的な宗教ではなく、教祖もなければ教えも無い。
岩も木も水も山も、皆が生命であり、そして、大きな生命の一部であり、そこには神が宿り、自然そのものが生命体であると信じていたのだ。そう神道は、ただ単にそこに道があるだけである。 そして、「ガイア理論」は実に「神道」の考え方にに似通っているからこそ、何のためらいも無く受け入れたらと考えられないだろうか。
つまり、大自然との調和という事においては、四季折々、日本人は潜在的な素養を秘めており、もしかすると21世紀を担う重要な役割と責任が回って来るとも考えなくもない。
地球が一つの生命体であるのなら、人間も地球の一部分として、自然治癒の歴史を辿るのではないかと考える。
ダーウィンの進化論を違う視点で捉えると、古来、弱肉強食といった欧米的な競争社会で勝ち残った試しはなく、平たく言うと、強い者や賢い者が生き残った訳ではなく、環境に適合した者が生き残ったと考えられる。
真のグローバリズムとは、同じ空気を吸っている人類が同じ運命を辿る事を指し示し、決して偏った競争社会では無い。
そうそれは、まるで宇宙船地球号という一つの地球システム=一つの生命であり、持続可能な社会・経済、そして宗教を語る上で、避けては通れない思想・考え方ではないだろうか。
転載終わり
さあ、こうした活動をする人たちが、何をどう考え、どう捉えているかお分かりになられましたか?
最終的に、世界を統一して、地球を人間から救わねばという考えに繋がるのです。
だから、人間が地球の癌だという教義を世界中にばらまいているのです。
平和とはなにか、それは統一のことである。
環境保護とは何か、それは優生学の現実化による自然中心主義に基づく民族浄化と人工削減である。
そんなこと実際に思っている人いるの?
はい、います。
「地球から見れば、人間がいなくなるのが一番優しい」鳩山首相
人の数を効率的に減らすには、どうすればよいか。
いや、もうそれは戦争しかないでしょう。
平和運動が実は戦争と繋がっているなんて誰も思っていないでしょうね。
おわり。
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