「いまを生きる」に学ぶこと~人生の創造と、体制に組み込まれないこと~
前回の続きです。
皆さんは、「いまを生きる」という映画を見たことがあるでしょうか。
1989年のアメリカの映画で、とても大きな反響を呼び、翌年日本でも放映されました。
あらすじなどはこちらをどうぞ
こちらも参考にしてみて下さい
結構踏み込んだところまで書いているので、
知らずして映画を見たいと思った方は途中で止めて下さい。
名門校に入学する生徒たちの話です。
彼らはキーティングという先生に出会うまでは、
自分たちの意志に基づく行動をほどんとといっても良いほどしていないことに気がつく。
ポエムの授業にしてもそう。
機械的に数値化してこのグラフになったらよい詩であると教えられるのである。
キーティングは自分が学生の時に同じように習ったのだが、
そのまま生徒に教えることは全くないだけでなく、
この部分の教科書のページを破り捨てよ!
と、叫ぶのである。
生徒たちは、最初は当然戸惑っている。
しかし、だんだんと彼の言うことを理解していくのである。
体制に安易に従ってはいないか。
人生を無駄に過ごしてはいないか。
彼はとても考えさせる生き方をしているのである。
http://www.great-saying.com/w-imawoikiru01.htmlとその2~4より
「きょうを楽しめ。自分自身の人生を
忘れがたいものにするのだ」
「きみたちの目標は、自分の声を見つけることだ。
さがすのを先に延ばせば延ばすだけ、
自分の声は見つかりにくくなる」
「ロマンティストっていうのは、情熱的な
実験家だよ。ひとところに落ちつくまでに、
いろんなことに手を出すんだ」
「教育とは
自分の頭で考えることを教えていくことだ」
ここまで
決して、詰め込み教育では得られない、とても大切なことがそこにはあるのです。
なにもゆとり教育に賛同している訳でもないが、
自分の人生を歩むという人間としての一番基本的なことを、
現在の教育はないがしろにされているような気がしてならない。
学校では、ニートにならないためにはどうすべきかとか、
国家のために何ができるか(「こころのノート」を用いた道徳)とか、
何が何でも君が代を生徒に歌わせるとか、
小学生の機械的な100ます計算とか、
おかしな歴史教育とか、
人為的地球温暖化論を既定の事実のように教えるとか、
学習指導要領が法的意味を持っているとか、
まるで大学に行かせるためだけの高校教育とか。
なんか間違っているような気がするんですね。
何かが決定的に違う。
それはやはりこういうことだと思う。
学校とは大本営に従う軍隊と何も変わらないということ。
全てを受け入れる人が一番出世できる社会であるということ。
ある友達がこう行っていました。
「先生と仲良くしていると、それだけで成績が上がるねん。」
それは、学力とは無関係にということでさえあるのでした。
もしも本当にそういうことでしか先生と付き合えないのならば残念すぎると思うのは私だけか?
大人になるまでの人の出会いや人との関わりはのちの人生に
深く影響をおよぼすはずである。
高校三年の時、すごく功利主義の担任の先生と出会って、
社会学をやりたいと言ったら、
「あんな未熟な学問、役に立つとは思えない。考え直したら?」
と返され、余計に熱が高まったのを覚えています。
経済学だって、法学だって、(やっているひとには悪いけど)エリート養成でしょう。
なんで国立、公立大学に「社会学部」がないか分かりますか?(例外:一ツ橋だけはあった)
それは、ある意味では体制に組み込まれていない独立した鳥瞰的なんでもありの学問だからです。
もちろん、初期の社会学は完全にエリートの為でした。
しかし今は違う。
この世が本当に「民主主義」・「自由」な社会なのか検証することもできる。
何より、答えがなく、教えられるものではないのである。
社会学とは、全てを疑う学問なのである。
その理念は、上に紹介した映画の主題と共通するところがある。
「いまを生きる」とは、既存の体制に組み込まれずに、
努力して真の自由を手にし、人生を創造するということなのである。
教育が、人を自分で考えさせずに従わせるものであることを、
彼は変えようとしているのである。
その姿勢は、私たちに結局のところ自分次第であり、
ある程度までは限られた範囲で「自分が変われば世界が変わる」と示しているである。
死ぬときに後悔しないように生きる。
それだけを追及し続けているのである。
それだけなのに本当に大変なことでもあるのだ。
我々を縛りつける、体制というものを皆さんもこの映画を通して考えてみてほしい。
「普通」志向への危うさというものと関わっているとお分かりになられるはずである。
この世界の中で、全てを疑うことがどれほど難しいことかという話でもあります。
さて、私たちはどこまで自分本意に生きていけるのか、生きているのか。
最後はそういうテーマです。
自分の人生を他人が決めてはいないか?
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