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人間性を奪い、自由をないがしろにし、個人を束縛する「構造(物)」からの卒業

 




恐喝狂師 (或る浪人の手記)
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/341.html
より引用

http://restororation.blog37.fc2.com/blog-entry-2419.html


募金しない生徒名黒板に掲示、大館一中 苦情受け撤去

 大館市立第一中学校(菊地俊策校長)2年生の二つの学級の担任が、東日本大震災の義援金を納めない生徒の名前を数日間にわたり教室内の黒板に張り出し、保護者からの苦情を受けて外していたことが19日分かった。

 同校によると、義援金は被災地支援のために生徒会が自主的に企画。全生徒の協力を目標に、11日から17日まで1人200円以上を任意で募った。学校側も学年通信で呼び掛けるなど協力した。締め切りが近づいた16日ごろ、担任2人は個々に、募金していない生徒の名前を書いた紙を黒板に張り、掲示後に募金した生徒の名前にはチェックを入れていた。名前が張り出された生徒は合わせて約20人。

 同校は18日午後に保護者からの苦情を受けて、すぐに掲示をやめさせた。菊地校長は「(全員協力という)生徒会の気持ちに応えようとしたもの。普段から忘れ物をした生徒の名前を張り出しており、担任はそれと同じ感覚で掲示したようだ。今後このようなことがないようにしたい」としている。

(2011年05月20日 秋田魁新報)

 相変わらず、頭おかしい奴が多いなあ、狂師様は。

 募金するのは良い事だし、募金を呼びかけるのも良い事だけれど、募金を強制したり、挙句にはしない人間を吊し上げたりするのは異常だと、考えなくとも分かるんだけどなあ、普通は。

 目的が募金という「善行」だろうと、これは恐喝そのものだよ。

 目的が良い事だからってコレが許されるなら、田舎のヤンキーのカツアゲだって、子猫に餌をやる為、とか言ったら許される事になる。

 大体、家庭の事情で、募金するだけの金銭的余裕の無い児童もいるだろうに、そういう子に最低限の気遣いすら出来なくなったら、狂師どころか人間終わり。

 そんな、人間終わりの立派な塵罪が他人様の子にモノを教えているんだから、本当に世も末だ。

   

ここまで


こういうニュースを聞いて、残念に思うのは私だけではないだろう。

学校は何の為にあるのか。

それを一から考えてみたい。

そろそろ教育について語る時が来たのだ。今がその時だ。


避難所で無理やり教室を作って授業やっているけど、

あまりにも滑稽。何がやりたいの?


教材は壁に囲まれた教室?冗談じゃないよ。

人工的にしてもそうでないにしても

あれだけ歴史的な変動があったのにそれを無視して何が教育か。


やっぱりさ、駄目なのは学校という「建物」であってさ、

病院という「構造物」であってさあ、

先生や医者が人間としていけないのではないんだと思う。


間違ってきた根本の原因は、

その「建物」にある!!!と私は思うのだ。


どうしてそのような範囲で全てを教えられるというのか。

私も自分の学校生活を振り返って改めて不自然に感じる。


そろそろ「学校」とか、「病院」という

構造からの卒業を本気で考えるべきだと思う。


「地域に開かれた学校」って言葉だけやん。

全然、開かれてないと思うのはなぜだろう。


放っておいても自然に学ぶと思うんだけどなぁ~

学校の扉ってそんなに厳重に閉めておくべきなのか?


そろそろ風に吹かれよう。

いざという時に気持ちよく死んでいける為に。


私は苦しむために生まれてきたのでもないし、

苦しみながら死んでいくのは納得がいかない。


だから、ただこの社会において

個人を縛るあらゆる構造から「卒業」したいのだ。


間違っても、募金しない人の名を書き出す様な人から離れるように。


なんだかんだいって、この世は窮屈だ。

本当の自由はこんなものではないと信じるからこそ―――


ソフトな個人革命を連鎖させていこうではありませんか。

それこそ「自分が変われば世界が変わる」。

実験段階は既に終了した。あとは実現に持っていくだけ。


世界(構造)は、一人ひとりの人間の鏡です。

あなた(私)が見る世界は、もう一人のあなた(自身)です。


そして、このことが「真実は常にひとつ」を否定するのである。

本当に「真実は常にひとつ」なら、鏡に映る自分をどう捉える?



さあ今こそ、風にふかれよう!!!

放射能対策を忘れずに!)





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資本主義って焼畑農業だよね。~自然に生きれば、きっと分かってくれる~

http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/185.htmlのコメント56番より


資本主義って焼畑農業だよね。

国単位だけで考えるから理解できないんじゃない?

故意か故意じゃないを抜きにして

現状で儲けてる大企業は存在してる。

慈善事業で動いてる企業なんてあるのか?




焼畑農業について http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/2825


Re: 円安にするために 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年10月13日(水)11時45分26秒 返信・引用
> No.2822[元記事へ]

元お座敷犬コンコンさんへのお返事です。

> まじめ@Barcelonaさんへのお返事です。
>
> > こちらはユーロ安で、一般庶民の生活はタイヘンです。円に頑張って安くなってもらって
> > 相対的にユーロ高になれば、こちらの景気も少しはマシになると思うのですが。。。
> > 日本は円安歓迎なら、お互いに利害が一致してますし。。。。
>
> 経済のグローバル化とか自由市場とか(金持ちが寄り金持ちに、、労働者が奴隷に)
> 累進課税の廃止が経済を刺激し労働者を覚醒させ社会を健全化する、、などは大嘘。
>
> グローバル化とか自由市場とかいうのは
> 大金持ちが世界中で自由に適当な場所を見つけて焼畑農業をするようなものです。

↑すごく的確な表現だと思います。

焼き畑農業というのは、焼いた直後は栄養がいっぱいあってすごくいいものになるのですが、すべてを焼いてしまうために再生するのに時間がかかるんですよね。

だからそのあいだにまた別の場所を焼く。

その繰り返しですね。

現地の人は振り回されるばかりです。

せっかく回復しかけていたその地をまた焼かれていいとこ取りされる。


お金があれば何でもできるという社会だからこそ許されるおかしな特権なのです。

お金というものを取り締まる法律ってそんなにないはずです。

「インサイダーはだめだ」とか、「お金をコピーしてはならない」とか、
そういうのだけでしょう。

つまり、この世は「お金」だということを正当化させているのです。
そして、私たちがその特権を支えるハメになっているということです。

でも、よく考えたらそんな「中央銀行券」など手にしなくても生きていけるんです。
私たちは人生の目的を無理やり「中央銀行券を手にするために働くこと」に
知らない間に変えさせられているのです。

何のために生きているか、それは食べるためです。
何のために食べているか、それは生きるためです。

そういうことでさえ「学校」というものは教えてくれませんでした。
「中央銀行」など、この社会に必要ないんです。
なくても生きていけるものはいっぱいあるのに、そういうもののために動かされている。



ここまで


農業が、鍵。

農業に全てがかかっている。


ブロ友のfujicoさんもそのように書かれていた。


野菜やコメは、買うものではなく作るものだと。


私が注目しているのは、

「“耕さない”農業」


究極の田んぼ究極の田んぼ
(2010/04/02)
岩澤信夫

商品詳細を見る



耕さないとはサボりの延長ではないかと思う方もおられると思う。

でも、きっとその方が自然な田んぼなのではないか。


自然の力を信じる、それが資本主義を乗り越える

なによりの原動力となると思う。



「焼畑農業」が不自然な形だとすれば、

自然な形は、「耕さない農業」


この先、世界や資本主義がどうなろうと、

自然は人間よりも長く続くことは確かだ。



自然の力を信じる人間を、きっと救ってくれる。

私はそう思う。


だから、デイビッド・ロックフェラーにも徳川家広にも言いたい。


みんな同じように寂しく、孤独なんだ。


世界のほんの一部分しか信じられないことも分かる。

私も、あなたも、万人が実はそうだから。


でも自然に生きることができたら、

もう、ひとりが暴走することもないし、

満たされないこともなくなる。


全てを吐き出し、全てをさらけ出そう。


今がその時なんだから。


たとえ全人類の誰ひとり許さなくても、

その時は私だけは許す。


敢えて、許す。


そして、自然も許してくれると思う。


だから、もう焼畑農業をやめよう。


自然や人を追い詰め、傷つけ、殺すことをやめよう。


さすればきっと自然は、分かってくれる。


自然の、生命の力を信じよう。






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「みんな死ぬんだ」=集団自殺願望社会が生み出したもの




iiiii.jpg



「みんな死ぬんだ」叫ぶ容疑者…バス横転の恐怖


こういうニュースを聞いて、


単に容疑者だけの問題として考える人は少ないでしょう。


どのような背景があったのかが気になるところですが、


こういう事象一つをとっても、

現代の日本社会を映しているというのが私の思うところです。


「みんな死ぬんだ」とは、

まさに“集団自殺願望”を表わしているのでしょう。


http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/4773


さあここで。


それでも日本は平和な国か、と聞きたい。


もう偽りの平和を語るのをやめましょう。


偽りのフランス革命を根本から見直しましょう。


今はそういう時期です。


「死にたい!」ではなく、「生きたい!」と思える社会を。


もっと生きたいと思えるようにする為には、

前から何度も言っていますが、


生きることへの好子を増やし、死ぬことへの嫌子を増やすことです。


そしてそれは一人だけの力で出来ることではありません。


社会全体の問題だからです。


できるだけ「人を殺さず、生かす」社会は実現不可能なことでしょうか。


私はそうは思いません。


もう言ってしまって良いでしょう。


本当の平和とは、ベーシックインカムの導入、


さらには日銀への民意反映によってもたらされる。



ほんの少しでも動き出すことを願わずにはいられません。



生きていてよかったと誰もが思える社会にしていきたい。


本当に、ただそれだけなんです。




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仮説:「自分が生きる」こと=「他者を殺す」こと

私は今まで、自分が生きていることは、

どこかで誰かの役に立っているものだと思ってきました。

それを否定するつもりは無いのですが。


それをペラッと裏返して見ると、

「自分が生きる」ことは、「他者を殺す」こと

となるのではないかとただ思ったのです。


私はその事実をこれまで無視して(見ないようにして)

生きてきたということに気がついたのです。


前に、「生きていること=労働」だと言いました。

再び仮説として、「他者を殺すこと=労働」であるのなら、

その式に代入すると、


「ライフ=労働=他者を殺す(犠牲にする)」


と言えるのではないでしょうか。


私たちは、常に誰かを踏み台にして、

誰かを犠牲にして、こうして生きています。


生きていることが罪であるなどと言うつもりはありません。


しかし、こちら(http://daidaikonn.blog27.fc2.com/blog-entry-336.html#comment732

にも述べましたが、


人を傷つけ、その傷を覆い隠して人を殺して、その死体を見ないようにして私たちは生きているのではないのですか?

だから人生というものが苦しくて当然だということを無意識に理解してしまっていることに気がつきたくなくて、何かから逃れるようにただ存在している。



と云う事が出来てしまうのではないかと考えるのです。


私たちは本当は


自分の食す動物の死に目に一度は立ち会わねばならないと思うのです。


そして、狩猟社会こそが、

人間が動物(自然の一部)として生きられる環境だったと思うのです。


「他者」を殺すと言いましたが、

もちろん、他者とは人間だけのことではありません。

世界全体のことです。


生きることが苦しみであったり、

生きること自体に引け目を感じたりするとか、

特攻隊が桜と散っていったことを美しく感じるとか、


そういう事象の由来は、

「生きていること=他者を犠牲にする」

という事実が存在する処にこそ求められるのではないかということです。


だからこそ、大切に生きていきたいと思います。




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生きるための陰謀論思索を目指して~2010年総まとめ~

さて、今年もとうとう終わります。

こんなブログを見て下さる方は本当に変わりものだと

言っても良いと思います。


今年は自分の中で本当に視野の広がった年でした。

小沢さんが首相になれなかったのは残念でしたが。


いきなり本題ですが、

掲示板での対話をする中で、

様々な方の意見や見解を知ることがあり、そのたびに驚いたりしています。


自分がくるっているのか、

この社会が狂っているのか、

自分でも分からなくなる時があります。



まっこうもぐらさんが更新をやめられたのも、

そういうのがあったからじゃないかと感じるのですが、


ただ、一つ皆さんに分かっておいてほしいことがあります。



それは、

「陰謀論」は「終末論」とは違うということ。

そのことは、どうも一般の多くの方がお分かりではないようです。


陰謀論の根底にあるのは、

全てを疑うことです。



教養としての陰謀論、暇つぶしとしての陰謀論、

何でもありだと思います。


ただ、陰謀論を陰謀論で終わらせないためには、


「生きるため」の陰謀論追及

という側面を知ってもらう必要があると感じています。



私たちは、いつ殺されてもおかしくない。

日本は、「平和国家」なんかじゃない。

地震や災害は人工的に起こせる。

殺人を正当化する思想がある。



そういうことを、知ってもらわねばならないのです。



我々は、実は恐ろしい世界に生きているのです。



子宮頸がんワクチンの件についてもそうです。

人工地震についても同じです。



来年は、「生きるため」の陰謀論を少しでも確立出来たら

と考えております。



皆さん、閲覧、拍手、ランキング参加、
宣伝、紹介、引用、転載など、

今年も色々ありがとうございました。


どこまで続くかは分かりませんが、

来年もどうぞよろしくお願いいたします。






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民主主義と資本主義、死刑と殺戮について~では人間は何を礎に生きる~

資本主義ってナニモノ?

「民主主義=資本主義」?

鳩山邦夫/こんな奴を生かしておけない?????

なぜ殺されると分かっている人を救わないのか

勝ち負けのある戦争などない(現代において)


結局、国家があってもなくても

エリートは個人を統制したり支配・収奪するし、

何も知らない人から被害に遭っていくということです。


「表」があれば「裏」があり、

「光」があれば「闇」がある。



では私たちは何を礎に生きていけるのだろうか?


今こそ内なる利他主義の革命を

お金のいらない国~何のために生きるか~


“疑う精神”を信じ、

他人が自分を、自分が他人を作っていることを実感し、

生まれてきた意味を「ライフ」に見いだせ、

他者の中の自己、自己の中の他者を発見し、


自分の生命、人生、生き様を

世界全体に魅せる。


そして、

生きていること自体に

本当に価値を見いだせるように。


なればいいな、と思う。

それだけ。


人間が作ったもの「紙切れ」が「神」だなんて

虚しいですよね。


人間を作っているのは。

人間を生かせているのは


「お金」なのか?


「お金にならない生き方、命、生き様」には

何の価値もないのか。


もし、そう思う人が居ても別にいいと思う。



でも、私は考える。


人生はゲームなのか?

ギャンブルなのか?


「あなた」の代わりが。

「自分」の代わりがいると云うのか。


そうは思えない。


生まれてきて、今まで生きてきた「意味」はある。

そして、「死のうとすること」に「意味」はない。


全てはそこから始まる。



だから、いつ死んでもいいように生きたい。

いつ殺されてもおかしくないという覚悟を持って。


それが、命を大切にすることになると思うから。


お金がなくなっても生きる力がまだ人間にあると信じたい。





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生きていること=「労働」

http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/4346より引用(自分の投稿です)


生きていること=「労働」 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年12月10日(金)13時27分38秒  

> No.4341[元記事へ]

makotoさんへのお返事です。

> ふしぎさんへのお返事です。
>
> 俺は、高校受験で嫌気がさして、遊び人が多そうな大学受験は避けたけど。

受験は入学するための手段に過ぎませんから、
受験を避けるというよりも進学を避けるという表現のほうがいいと思います。

今は確かに受験せずに大学に入学する人もいますしね(一部)。

> 今の高校生は、もっと情報がはいるからもっと判断しやすい。

私もそう思います、しかし本当に大事なのは、
その大学で自分の望む勉学ができるかということと、
雰囲気も知った上で自分がどう思うかということです。

写真を見ただけでは分からないと思います。
私も人のことは言えませんが、何事も体験しなければ分からないような気がします。

だから戦争体験にしても、災害の体験にしても、
それぞれの人ががそこで感じたものが伝わらないと、
基礎的な情報だけでは無意味になってしまうと思いますね。

時代の空気というものも同じなのかもしれません。
実際に生きてきた人に思い出してもらうのが一番よいと思います。


> 社会のせいにして甘えていたら何も変わらない。

何を社会のせいにするのですか(主語は?)
まさか現在の大卒生の就職難(就職できない問題)のことですか?

社会というものが実際に存在しているのではありませんよね(この場合)。
あくまでも「社会に出る」とか、「社会で活躍する」とか言う場合、

世界(場)という意味になると思うのですが。

もちろん、「家庭」とか、「学校」とか、「会社」とか、「同好会」
というのはれっきとしたひとつの「社会」"組織"だと思います。

しかし、私が思うには「社会に出る(職に就く?)」前に、「社会に生きている」
ではないかということです。人間は社会的な存在です。
生まれたときからすでに「社会に属している」にも関わらず「社会に出る」っておかしいですよね。

その場合の意味として私は「ビジネス社会」の略なんじゃないかと考えています。
しかし、職に就くことが生きる前提のかたにとっては、
「社会」=「ビジネス社会」(社会の存在自体の目的がビジネスにある)ことに
しておきたいために、(無意識なのかは分からないが)"ビジネス"という部分を略するんでしょうね。

憲法では、「労働の義務」が定められております。
しかし私が疑問に思うのは、まず「労働」の定義が分からないということ。
「雇われていること」はそれに含まれるのは大体分かるのですが。

では、それなら「子育てや家事に専念する」というのは「労働」ではないのでしょうか。

「他人の役に立つこと」が「労働」だとするのなら、
雇われていないとしても「労働者」はいますよね。

では、別の場合を考えて見ましょう。
「村上ファンド(もうないと思うが)」の雇われスタッフは「労働」でしょうか。
証券取引のみにおいて「儲け」をはじき出す。

確かに彼らは雇われている。
しかし、その「儲け」るための行為は誰が必要としているのだろうか。

果たして、取引、融通、駆け引きは「労働」なのでしょうか。

この問題に答えてくれる人が「内閣府法務局」におられるとは思わない。
これは我々国民全体の問題だと思います。

また、疑問はそればかりではありません。

「ただ自分のために生きている人」は、本当に「誰の役にも立っていない」のでしょうか。
いかがでしょう。

まさに私のような人間のことなのですが。
「教育」を受けている期間は「労働の義務」を問われないんですよね。
それを突き詰めると、国家は「教育」を「労働」の前段階と考えているようです。

しかし、それなら私が大学生時代に経験したこととか、学んだこととか、
そういうものは、その後に「労働」しないと無意味(無価値)になるのでしょうか。
そんなことはないと私は思いたいです(笑)
将来働くためだけに大学に通っているのではないからです。

もう一度話を元に戻すと、
「自分のために生きている」=「他人の役には立たない」のでしょうか。

ご意見は人それぞれでしょうが、私はそうは思えないのです。
人は生きているだけで他人の役人立っていると考えるからです。

例え直接誰かの役に立つ「仕事」ができていなくても、
たとえどれだけ自分本位に生きているとしても、

「生きている」ということ自体がどこかの誰かの役に立っている。

そうです、「生きている」こと自体こそが、最も基本的で重要な「労働」だったんです。
前にも言いましたが、「死んだら元も子も」ありません。
人間には、生きているというだけで大仕事を果たしているのです(いつかは死ぬのだけど)。

もちろん、生きているだけで迷惑に感じる人とか、迷惑をかけるという場合もあるかとは思います。
しかし、その何倍も自分が死のうとせずに生きるということが他人によい影響を与えているのです。

一言で言うと、「自分の命を大切にできないような人が、
他人を尊重できるわけがない」ということです。

一人でも多くの人が「生きていること自体」に価値を見出せたらよいことだと、私は思います。



ここまで




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「漁父辞」-渇しても盗泉の水は飲まず-

したたかに

初めまして。
屈原の『漁父辞』のようなことありますからね。
したたかに、しぶとく、ときに狡猾に生きてください。
間違っている!と思っても、合格点をもらえる答案を書いてください。あからさまに先生に逆らってもいいことはありませんよ。

真面目で正義感の強い若者をからかったり、挑発したりする人もいるでしょうけど、負けないで、したたかにしぶとく生きてください。
2010-11-26 18:33 湧泉堂さん





つい先日、上のようなありがたいコメントを頂きました。

私は、

>屈原の『漁父辞』

について一切知らなかったので、検索してみたのですが、

すごく心に迫る漢詩だったのです。


以下に転載します。


漁父辞の屈原の生き方ってどんな生き方ですか?より引用


漁父辞の屈原の生き方ってどんな生き方ですか?

教えてください。




【漁父辞】

屈原既放
游於江潭
行吟澤畔
顔色憔悴
形容枯槁
漁父見而問之
子非三閭太夫與
何故至於斯
屈原曰
與世皆濁
我独清
衆人皆酔
我独醒
是以見放
漁父曰
聖人不凝滞於物
而能與世推移
世人皆濁
何不乱其泥
而揚其波
衆人皆酔
何啜其汁
何故深思高挙
自令放為
屈原曰
吾聞之
新沐者必弾冠
新浴者必振衣
安能以身之察察
受物之紋紋者乎
寧赴湘流
葬於江魚之腹中
安能以晧晧之白
而蒙世俗之塵埃乎
漁父莞爾而笑
鼓(木世=えい)而去/
乃歌曰
滄浪之水清兮
可以濯吾纓
滄浪之水濁兮
可以濯吾足
遂去不復與言

屈原 既に放たれて、江潭にあそび、
ゆくゆく沢畔に吟ず。
顔色 憔悴し形容 枯槁せり
漁父見て 之に問うて曰く、
子は三閭太夫にあらずや、
何の故にここに至れる。
屈原曰く
挙世 皆濁り、我、独り清めり。
衆人、皆酔い、我、独り醒めた
是(ここ)をもって放たれり。
漁父曰く
聖人は物に凝滞せずしてよく世と推移す。
世人皆濁らば、世人 其の泥をみだして
其の波を揚げざる。
衆人皆酔わば、何ぞ其の汁を啜(すす)らざる
何の故に深思高挙して、自ら放たれしむるを為すや。
屈原曰く
吾、之を聞く
新たに沐する者は必ず冠を弾き
新たに浴する者は必ず衣を振う と
いずくんぞ能く身の察察たるをもって、
物の紋紋たる者をうけんや。
寧ろ湘流に赴い、江魚の腹中に葬らるるも、
いずくんぞよく晧晧の白きを以って
世俗の塵埃を蒙らんや
漁父 莞爾として笑いえいを鼓して去る
乃ち歌って曰く
滄浪の水 清まば、
以って吾が纓(冠の紐)をあらうべし
滄浪の水 濁れば、
以って吾が足をあらうべし
遂に去ってまたともに言わず

【詳細訳】

屈原は放逐されて江や淵をさまよい、
詩を口ずさみつつ河岸を歩いていた。
顔色はやつれはて、見る影もなく痩せ衰えている。
一人の漁夫が彼を見付け、尋ねた。
「あなたは三閭太夫さまではございませぬか。
どうしてまたこのような処にいらっしゃるのですか?」
屈原は言った。
「世の中はすべて濁っている中で、
私独りが澄んでいる。
人々すべて酔っている中で、
私独りが醒めている。
それゆえ追放されたのだ」
漁夫は言った。
「聖人は物事に拘らず、
世と共に移り変わると申します。
世人がすべて濁っているならば、
なぜご自分も一緒に泥をかき乱し、
波をたてようとなされませぬ。
人々がみな酔っているなら、
なぜご自分もその酒かすをくらい、
糟汁までも啜ろうとなされませぬ。
なんでまたそのように深刻に思い悩み、
高尚に振舞って、
自ら追放を招くようなことをなさったのです」
屈原は言った。
「ことわざにいう
『髪を洗ったばかりの者は、
必ず冠の塵を払ってから被り、
湯浴みしたばかりの者は、
必ず衣服をふるってから着るものだ』と。
どうしてこの清らかな身に、
汚らわしきものを受けられよう。
いっそこの湘水の流れに身を投げて、
魚の餌食となろうとも、
どうして純白の身を世俗の塵にまみれさせよう」
漁夫はにっこりと笑い、櫂を操って歌いながら漕ぎ去った。
「滄浪の水が澄んだのなら、
冠の紐を洗うがよい、
滄浪の水が濁ったのならば、
自分の泥足を洗うがよい」
そのまま姿を消して、彼らは再び語り合うことがなかった。




ここまで



こんな素晴らしい人物ではないことは百も承知なのですが、

参院選開票直後に公開されたまっこうさんのブログ記事を転載した

傘が無いだけなのだ。

の中の、最期の自分の決意と、ほんのすこ~しだけ似ているかなと、

錯覚してしまったのでした。


しかし、凄く大事なことを思い出させてもらえました。

本当に感謝です。



最期に以下の転載です。


時々日記 05年07月16日
【漁父辞~屈原に学ぶ~】~VOL.111~
より引用


最近の私は、なぜか気力が伴っていない。

仕事にも遊びにも全力で取り組むといった感じではない。

あえて言うなら、醒めているといった方が的を射ているだろうか。

そうかといって、ダラダラ生きているのでもない。

打ち込める何かを求めて彷徨っているのが正解か。

ただ、こんな状態になっている原因は自分でも分かっている。

あと3年で会社人生のエンディングを迎えるが、今の私には

あと3年もある」の考えが強い。

不満はあっても、それではイケないと思っている。

何とかして『』を取り除く努力をしなければ・・・。

あと3年ある」前向きな自分を早く取り戻したいものである。

私は今、中国歴史上の人物“屈原”から、
私自身の生き方を自問自答している。


「漁父辞」-渇しても盗泉の水は飲まず-

滄浪之水清兮   滄浪の水が清らかに澄んだときは

可以濯吾纓    自分の冠のひもを洗えばよい

滄浪之水濁兮   もし滄浪の水が濁ったときは

可以濯吾足    自分の足でも洗えばよい



屈原のような人は、いまでも少なくない。

有能で、理想家肌で、そしてまっすぐ正直に生きようとする。

そういう人にとって、この現代の濁世は、

真実、耐え難いものだろうと思う。

首脳部に命じられて、

汚れた仕事を当然のように押し付けられる企業の

社員のなかには、刑務所にはいったり、自殺したりする者もいる。

屈原は見事な人物である。

しかし、名もない漁師のふてぶてしい言葉にも、

この世に生きる者の、ある真実があるように思われてならない。

汚れて濁った水であっても、

自分の泥だらけの足を洗うには十分ではないか。

大河の水は、ときに澄み、ときに濁る。

いや、濁っていることのほうがふつうかもしれない。

そのことをただ怒ったり嘆いたりして日を送るのは、

はたしてどうなのか。

なにか少しでもできることをするしかないのではあるまいか。


「大河の一滴」五木寛之 ~一部抜粋~


私には屈原のような「すぐれた能力」、「正義感」、

「清廉潔白さ」は持ち合わせてはいない。

ただ単に、楽な方に身を委ねているだけだった。

そのことをただ怒ったり嘆いたりして日を送るのは、

はたしてどうなのか。

なにか少しでもできることをするしかないのではあるまいか。


心揺さぶる一節である。



ここまで





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「市長を選挙で選ぶなんてとんでもない!」感覚に見る本当の民主主義

早速前回の続きです。

さて、この世は“偽り”だらけです。


もちろん、学校で習ったようなまるで全てがうまく機能し、

あたかも国民の意見が政治にそのまま反映されているかのような幻想も含みます。


何もかも、「幻」かもしれないのです。


それでも、そんな中でも、生きていてよかったと思う時はあるはずだし、

本当のことにこだわる純朴な生活者の営みが(少しでも)継承されている。


自然の中で、自然に。

何もかも自然に生きている人は本当に幸せなことだろうと思う。


私たちは、いつのまにか文明というものを背負い、

そしてそれを崇めることを習慣づけるようになった。


そうするうちに、

人間活動の価値を、「文明」にしか見いだせなくなっていったのだ。



自分という人間がどう生きるべきかも提示されるようになっていった。

そんな中での「自由」と「民主主義」

自由と民主主義が、先進国家としての前提条件になった。


それはどういうものかというと、

何でもそこに生きる人々の生活を、(制度の中で)

人々(または個人)自体が決める
という、


実に素晴らしい世界を描いていた。


フランス革命の時も、人々から期待されていたに違いない。

しかし、それから200年以上経過し、

その思想やシステムは世界中に拡散した。


しかし、それぞれの場で

本当に“民主主義”は実現されているのだろうか。


また、そもそも「民主主義」とはどんなものなのか。

民主主義は、誰がどのようにもたらすことができるのか。

誰の為、何の為のものなのか。




それを考える上で、非常に考えさせられる事象を取り上げます。

私もつい先日知ったばっかりのことです。


11月26日の朝日新聞朝刊にしか載っていないので、

とりあえず情報源としてそちらを挙げておきます(称賛のつもりは一切ないが)。


石川県の白山市で現職市長の急死に伴う市長選が告示される(28日)というもので、

5年前の合併後、過去2回の市長選はいづれも無投票だったそうです。


しかし、今回3氏が出馬を決めており、

初めてトップを投票で決めることになるようだということです。


旧4市長選にとっては、30年超以来の選挙になる訳で、

“投票でトップを決めることへの違和感”を漏らす有権者がおられるのです。


その地域では、それまでの教訓や経験

(町を二分するまでに発展したダム建設騒動など)から、


伝統的に「本当に話し合いでトップが選出されていた」というのだ。

非共産系の議員が作る「有志の会」が母体で、

自民中心だが民主系の「新進石川」、公明、社民、その他の党などが、

一同に集まって調整を図るだけでなく、

地区の有力者と話し合ったりすることもあるというのだ。


ある住民は今回の動きを危惧して、

このように述べたという。


「村長を選挙で選ぶなんて絶対だめや」


また、田中博人議員はこう述べる。


「選挙だけが投票じゃない。

 それまでの取り組みが住民に評価されれば

 『この人で』となるのがムラの選挙」



とのことです・・・



なかなか新鮮じゃありませんか?


私は、ハッとしてしまったのです。


投票こそが民主主義の手段であり、

投票(多数決での“公平な?”選出)なしに民意は反映できない
と、



完全に思考停止に陥っていた自分に気がついたのです。



この日本の中で、そういう大切にしたい伝統をもった所があったのです。

日本は間接民主主義の国です。


しかし、この情報を分析するにおいて、

(程度の差は大きいが)直接民主主義が不可能だというのは

完全に間違いだった
ことが分かった。


というか、実際に話し合いで長(おさ)を決めている。

ほとんどの人が納得して選び出す。



それこそ理想ではないかと私は思う。

何も難しいことじゃない。


これは人々の意識の問題でもあったからだ。


選挙が全てだと思っていた自分が恥ずかしい。



民主主義は、そこに住む人の為、外部から操作されないためにある、

と考えた時、その形態はあまりにも理にかなっているではないかということ。



改めて考えた時、私は民主主義社会の中に生存できているのだろうかと、

真剣に疑ってしまうのである。


今まで、「直接民主制」とか、「話し合いで解決する」とか、

そういう素晴らしい理にかなった自然で直接的なものを、


馬鹿にしてきたのではないか。


皆さんも一度そのことを考えてみてほしい。


政治というものが自分の生活に全く関係がないと思っている人も

多いような気もするし、政治家以外なにもすることはできないとか、


そういうあきらめムードを持っているもったいない人もおられると思う、


でも本当はそうじゃない、しっかりと世界を変えることは不可能ではないんだ

ということを今こそ自ら確認し、訴えかけたい。呼びかけたい。



「投票に行って、自分は政治に参画していますよ、

皆さんも投票に行きましょうね~」
っていうのが


一番虚しいことに気がついてほしいだけなのです。



皆さんも、真の民主主義はどのようにもたらされるものか、

一度考えてみて下さい。


決して投票に行ったということだけで満足されないように

(皆さんはとっくにお分かりだと思うけど)。


「長(おさ)を“選挙で選ぶ”なんてとんでもない!」

そういう感覚を、一刻も早く取り戻したいものです。





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問題の本質を探るにおいて~省略せずに視野を広げて世界を捉えたい~

私は(プロフィールにもあるように)、現在大学生です。

平日は毎日授業に出ています。


さまざまな授業がありますが、

講師の方の発言などにすごく突っ込みたくなるときがあります。


例えばこんな感じです。


消費社会論の授業で、先生はこう発言されたのです。


「100円ショップとかで安い輸入品ばかり買っていてよいのか」とか、

「日本がいつまでも不況なのは成長の限界に来たからで、日本は発展しすぎた」


というようなものです。


言っていることの矛盾というか本質がわかっておられるのだろうかと思う。



100円ショップが増えて、

商店街が衰えたのはなぜなのか。

それは誰のせいなのか。



そして、仕方なく生活に困って安いものしか買えない人を

冒涜されていることにもまったく気がついておられない。


それだけではない。


こんなに豊かになったはずの日本国民はそれならばなぜ

安い輸入品ばかりを買うのか。


日本国民は本当に万人が同じように豊かなのか。

海外からの輸入品ばかりを買うのは消費者の好みの問題なのか。


世の中は、「買う」ではなく、
「売れる」ことで動いている。



確かに感情経済学的側面はあるだろうと思う、

しかし、実際に国内産の製品というものは質が高く、

大量生産が困難なこともあって割高なのだ。


それに加えて現在はアメリカと財閥の意向で国民を犠牲にした不公平な円高放置。

海外とのかかわりにおいてもまるで日本国を囲い込んでいるようだ。


それを考えると、先生の主張はまったく筋が通っていない。



問題の本質がまったく見えてこないのである。



また、今日の受講者からの質問で、

「日本の企業は円高で苦しんでいるけど、どうやったら解決できるのですか?」

というすごく本質を突きつけたものだった。


先生は何を言ったか。


もちろん、日銀や政府などという言葉は出てこなかった。


「日本の経済といっても世界と連帯しているから解決のしようがない」

「今の不景気はリーマンショックのせいで起きているからね」


という、完全に間違っている解釈を説明されたのだ。


あきれるしかなかった。


それならばいつまでも崩壊以前の状態に戻らず、

先進国の中でなぜ日本だけがデフレであり、


通貨高が継続しているのか。


まったく説明がつかないではないか。


日銀や政府、経団連は完全に結託して、

デフレを継続させ、

日本を内需で潤さないように


わざと円高を放置している。



そんなことさえ言えないのだった。


それで最後には「今は就職難だけど、本人がしっかりしていれば大丈夫」




などとおっしゃるのだからもうどうしようもなかった。


これでは完全に資本家の工作員ですよね。



もう少し視野を広げ、

思考停止状態に陥らずに
世界を捉えたいと改めて思いました。



わからないことは分からないと確認する勇気もほしい。


まさに「人の振り見て我が振り直せ」ですね。


追記



私もあまり人に言えるような生き方はしていません。

でもやはり言うべきことは言わないとと考えるのです。


経済にも哲学があってよいと思うのです。

経済哲学といっていましたが、少し違いました。


経済学哲学です。



人間は、全てにおいて被害者でもあり、加害者でもある。

誰かだけがいけないことはほとんどなく、

多くが全体の問題である。


生きているということだけで他人の役に立っており、

また、無意識のうちに人に被害を与えていることもある。


自分だけが生きていけたらよいというのは他人だけではなく、

自己の存在意義をも否定することなり、その時点で矛盾を起こしている。



しかし、それらは全て仮説であり、自分が生きていることだけが確認できる。

その延長線上に、「生きたい」という欲求は生まれてくる。


人を殺す「経済」はありえない。


「経済」とは、経世済民の略だからである。


私たちはきっと略をするという習慣が事実を見えなくさせ、

また「分かりやすさ」を求めるあまり、都合よく全てを解釈できるようになった。


しかし、問題の本質を探るにおいて、


何を理解しておかねばならないかをまず把握しておきたいと思う。


漢字の読めない首相でも別によかった。

問題になるのはそんなことではない。


実際にその首相が何を実行し、どのような責任を持っていたかである。



意味が分かっているならば世界は読めなくてもいいと思う。

想像することができているなら。


私は意味ばかりを追求してきたのかもしれない。


生きる意味、働く意味、疑う意味―――


よく、相手の立場に立って想像しましょう、

その後から行動を起こしましょう、っていうけど、


本当に相手の立場に立つことはできるのか。

私たちは幻想の中に生きているからその立場にたったつもりでも、


まったく違う場所に存在しているのかもしれないというのに。


重要なのは、どれだけ頑張っても立場を交換することはできない

ということを万人が共通に理解することではないだろうか。


自分の意見が伝わらないはずがないという誤解は、

そもそもの前提が間違っているのかもしれない。


その上での想像なのである。

理解できないことを理解したうえでの想像なのである。


また立場というものを無視した世界の解釈は不可能に近いということがいえると思う。


人間は確かに自然の一部で、動物の一種でもあるけど、

社会的な存在なのである。


だからこそ人間らしさというものが生じるのだ。


そういう人間の一番すばらしいのは、この世界を疑うことができる点だと思う。

また、人間の一番いけない点は、ほかの動物を見下し、


人間こそが優れていると錯覚することであるような気がする。


別に人間よりも動物を大切にすべきなどとは言わない。

ただ、人間の作った文明が、自然状態に比べてそんなに素晴らしいものなのかと


考えたときに、それは洗脳されているだけではないかと感じるのである。


人間らしく生きることが一番難しいのかもしれないと思う。


最後に「理解するとはなにか」について述べておきたい。


高校一年のときの担任の先生の言葉を借りれば、

「理解すること=教えること」である


人に教えることができて初めて理解できたといえるということだ。

私はまだまだ人に何もかも教えることはできない。


出来るのは文章を発信することだけだ。


「教えることは学ぶこと」という言葉もある。


ここで大事なのはきっと「偶然の感性」、「想定しない前提」

だといえる。


世界を把握したり、あらゆる陰謀を追究していくにあたって、

そのことを忘れてはならないと思う。




だから私は紹介した「消費社会論」の講師に感謝している。


他人が、「自分」を教えてくれる。


自分は他人なしには成り立たない。




世界を動かしているのは意思だけではなく、

システムや環境にも由来しているから。



そのことがよく分かった。




本当に、生意気ですみませんね。

不快な思いをさせたかもしれません、必ずどこかで償います。




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