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宝くじに高額当選したらそれまでの仕事はどうする?

宝くじに高額当選したらそれまでの仕事はどうする?

あなたが思わず宝くじに高額当選したとします。
その結果働く必要がなくなったらそれまでの仕事は辞める?それとも続けますか?


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まともに働いたことのない良い身分の私がこんなことをいうのも

おこがましい限りですが―――


どれだけお金が余っていてもやり続けたい仕事がいい!  

というか、それが絶対的な理想ですね。


やっぱり、お金の為だけに働くって虚しい。


やりたくないのに惰性と仕方なさで続けざるを得ないって本当に

つらいだろうし、大変だと思うんですよね。


そんなことはありませんか?

あるいは、働いた分だけの正当な報酬が得られなかったり

生活をめちゃくちゃにされたりとか。


少なくとも頑張った分だけ報酬が得られるようにすべきだと思うんですね。

私はこの世(西洋文明社会)が円轄に廻っているとすれば、


それは多くの人の善意を悪用していることがあるから

成り立っているのではないかと考えている。


だから純粋なほど損をする。


つまりは、儲けるため(=生きるため)ならば

誰かの幸せや生活を犠牲にせねばならないようにもなっている



だからこんなに自殺する人が多いのだと思う。



生きる上での障壁としての「嫌子(けんし)」があまりにも多すぎだから。

「好子と嫌子」についてはこちら



もっと、生きたい!と思える世界にするにはどうすべきなのか。


それにはまず、自分という人間が支えられて生きている

ということが実感できている状況であることが前提ではないのか?



商店街で働いている人って多分、よほどのことがない限り、

仕事はずっと続けられるのだと思う(赤字になればそれこそ大変だけども)。


他にも、自分を必要としていることが実感できるような仕事って

子育てとか介護とか結構あると思うんですね。


で、そういうのに限って給料が低いのはなぜなのか考えてみたんですよ。


結果どうだったか。

あまりにも当たり前のように必要とされているからこそ、

人情とか善意が転じて、その分報酬が与えられていない


という仮説にたどり着いたんですね。

お金の為だけに働いているのではないという、

そういう素晴らしい行為とかを、


本当に見下げていたということに気がついたんですね。



でも、それでいいのかなって思う訳ですよ。


だってさあ、それって


“お金が人を”殺してはいないですか?

ホリエモンみたいな人がいっぱいになってもいいですか?



お金の為に働いているのではないとはいえ、

必要とされている分だけのお金が与えられ、


お金の為だけに働いているのであるとしても、

その行為を必要とされていない分だけのお金を徴収し、


それを社会に還元しあうというシステムはいけないものなのか。


それは本当に人間の自由を奪うものなのか?




現実的には、累進課税緩和状態の廃止と、

為替税、資産税、減価紙幣の導入と、

所得補償
ということになってきますね。



でもそれをやると不公平だと思う人もいるでしょうから、


まずはベーシックインカムを導入するのがいいと思うんですよね。




さて、国家というものがなく、企業だけの世界になったら

国民であるはずの私たちの生活はどうなるのでしょうか


完全に“ライフ”が私物化され、完全搾取社会になるだろうと思っています。

それは無政府主義志向とは無関係の国際共産主義者による


世界統一政府樹立による新世界秩序の構築にも共通するところがあると考えています。


だれも個人を護れなくなる世界。

そんなことではいけない、そう思うのです。



もちろん、ほとんどの国家は国民を無視しているし、

単なる駒でしかないのはよく分かっているのですが、


国民の意識次第で国家は本当の意味で改革でき、

「国民の為にある国家」を少しずつでも実現できるのではないかと


私は考えているのです。


やはり、そういう意味でもベーシックインカムを導入することは

国民の生活が第一を実現する第一歩だと思うんです。


現在の民主党政権が導入するなどとは思いません。

しかし、その理念を訴えて行くことはできます。


今の近代国家が何故いけないと思うか。


それは、最近どこかで目にした表現でもあるのだが、

「(偽善にまみれた現在の近代国家の)民主主義=資本主義」だからなんです。


フランス革命をはじめとする近代革命が起きた理由と背景。


それは、「お金が中心の世界」を作ることが決まっていたからではないかと思う。


だから、当然のようにお金の力=民としての生きる力=発言力=しがらみ

というようになっていった。


少なくとも、政党というものを一度廃止すれば良いと思っているんです。

そうでないと本当の民主主義はやってきません。


いくら個人を大切にすると主張する議員が居ても、

その議員だって政党の一員として動く訳ですし、



やっぱり矛盾が出てくるんですよね。



でも、国家が国民ひとりひとりの為にあって、

民主主義というものがマイノリティーを見捨てるようなことがないとするのならば、


まずはベーシックインカムを実現すべきだと思いますね。

次に、日銀のコントロール(国営化も視野に)。


私が「直接文明宣言」なるものを書きつづっているのも、

(メモ程度でしかないが)


この世界がますます間接化しているから、

民が社会の構造を把握しにくくなることにより、

知らない間に


余計に生活者を無視した政治が行われているのではないか

今のほとんどの政治家はもはや「国民」ではないのではないか。


と思うからこそである。


だから商店街とベーシックインカムなのである。




宝くじに思わず当選しても誰もがそれまでの仕事を楽しく

続けられる社会であってほしいと思う。



お金に振り回されたくないし、

お金に振り回されている人を見るのも嫌だ。



人間としての誇りを失いたくないから、

お金だけの為に、生きたくない。



そういうことを、私は希望しているだけなのだ。







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必要とし、必要とされていること。~それが全て、他には何もない~

問:私の理想とする、直接文明社会とは何か。

答:それぞれがお互いに必要とし、必要とされていること。
   ~それが全て、他には何もない~

以下の唄の通りです。



歌詞はこちら

この歌が描いているような世界のことです。

素晴らしいとは思いませんか?




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生きることと、お金のこと。~お金を必要としない生き方=本当の防衛~



歌詞はこちら


http://8403.teacup.com/tokaiama/bbs/13672より引用


正論を覆す。

ある日、A男がブラブラと歩いていた。B男は声を掛けました。

B「おい、お前 何時もブラブラと遊んでばかり居ないで、働けよ」
A「働いたら、どうなるんですか?」
B「そりゃ お金が手に入るさ」
A「お金が手に入ったら、どうなるんですか?」
B「貯金が出来るさ。大金持ちになれるんだ」
A「大金持ちになって、どうなるのですか?」
B「そりゃ、遊んで暮らせるさ」

A「働いて、大金持ちになれなきゃ遊んで暮らせない。?
可笑しいな。働かなくても、金がなくても、今 僕は遊んでいますよ」



ここまで


優雅で快適な、ひきこもりライフを実現するための20の方法。序文より転載


なぜ、ひきこもりとして生きては駄目なのか?

どうして「脱出」しなきゃいけないの?

穏やかで幸せな、ひきこもりライフに未練あり。

人間らしい生活を送れるひきこもりライフを手放したくないひきこもりの提案。


*************************************


ひきこもり、になるには・・・。なんて書いていいんですかね?
世の中、いかに、ひきこもりを社会復帰させるかに躍起になってるのにね。

でもね、ワタシだけじゃないと思うんですよ。
「こんな異常に病んだ、狂った社会になんか復帰できないです。」
って思ってる、ひきこもり。

で、偉い人はきっとこう答えるでしょう。
「病んでるのはアナタで、社会じゃありません。」って。

でも、本当にそうでしょうか?

生存権ってご存知ですか?
憲法25条に定められた「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」のことですね。

今、必死で働いているみなさんの生活、健康的で文化的ですか?
最低限、人間らしく、生きられていますか?

貧富の差が拡大すると、一番しんどいのは、誰だと思いますか?

無生産者のプー太郎や、ほーむれす、じゃないですよ。

はい。低賃金でこき使われる、奴隷層ですね。

あ、今は、奴隷って言葉は使わないんでしたっけ?
非正規雇用もしくは、ブラック企業の正社員のことですね。

働いていること。雇われていること。お金を稼いでいること。
そんなに偉いことですか?
自分の命を削ってでも、しがみつかなきゃいけないことですか?

ひきこもり、ラクですよ。幸せに生きられますよ。

贅沢な暮らしはできないでしょう。
セレブな暮らしとは真逆かもしれません。

ショッピング大好きな人には厳しいかもしれないですね。
あふれるモノに囲まれた暮らしはできないでしょうから。

でも、シンプルで、ミニマムな生活って、
とっても健康的で、文化的な、人間らしい生き方、だと、
ワタシは思うんです。

こんな非人間的な環境で労働なんて、やってられるか!

金持ちの金持ちによる金持ちのためだけのシステムはもう要らない。

正直者が馬鹿をみる、病んだ社会に三行半を突きつけませんか。

でもね、闇雲にひきこもってみても、優雅で快適なひきこもりライフは送れないので、
新しく作った、「目指せ、ひきこもり」のカテでは、
「ひきこもりになるための手引書」なーんて、書いてみようかな、と思います。



ここまで


具体的な方法が気になった方はブログの方でご覧になって下さい。














私たちはお金を作るために生きているのでしょうか。

違いますよね、食べるために生きているんですよね。



洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて
(2008/02/21)
苫米地 英人

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生きることそのものを犠牲にしてまでお金というものを支え続けなくてはならないのでしょうか。




人は金儲けの競争をするために生まれてきたのではないより引用


この社会ではお金のために働かざるを得ない。経済社会で生きていくにはある程度の収入は得なければならないから、それは仕方のないことだ。しかし、働くことの目的がお金だと思ってしまうと、人は大きな間違いを犯す。

自分の生活のため、家族のため、会社の発展のため。人は懸命に働く。勤勉に働くことはいけないことではないだろう。しかし、際限のない金儲けや、事業拡大が目的になると、地球、人類は破滅に向かう。

仕事というのはある意味怖い。お金の社会では、仕事となると、善し悪しの判断以前に、依頼主、あるいは会社の都合が優先される。命令されれば、悪いこと、あるいは危険と知りながらやらざるを得ないこともある。また、良かれと思ってやっていることがとんでもない結果を招くこともある。

自分一人くらい、自分の会社くらいたくさん儲けてもいいだろう。好きなだけ資源を使っても何とかなるだろうと人は考える。しかし、皆がそのようにやってきた結果が今の危機的な地球環境であり、極端な貧富の差のついた社会だ。

自分だけ、自分の会社だけという近視眼的な視野、判断が、地球に、人類の未来に致命傷を負わせてしまった。金を儲けて、より豊かな暮らしがしたい、他社に勝ちたいという意識がエスカレートし、環境破壊を止めることができなくなってしまった。

人類の文明を永続させたいと思うなら、本来、資源は量的にも時間的にも再生可能な範囲でしか使ってはならないのだ。今こそすべての人間が、地球規模、宇宙規模でものを考え、行動していかなければならない。自分の会社や国の経済的発展など考えている場合ではないのだ。このままいけば、近い将来、文明の崩壊はおろか、全生物の死滅も免れないかもしれない。



ここまで


3Kのような仕事は誰がするのか?より引用


お金のいらない国になったら、3K(きつい、汚い、危険)のような仕事をする人がいなくなるのではないか?


現在、3Kと言われるような仕事をされている方が、お金のためだけにされているのなら、そういう方はお金のいらない国ではその仕事は選ばないでしょう。

しかし私は、たとえば人の嫌がるような仕事でも、その仕事が社会に必要なら、やる人は現れると思うのです。

お金のいらない国になったら、現在の社会でお金を儲けるためだけ、あるいはお金を動かすために存在していたような仕事はなくなりますから、全体の仕事量は激減すると思います。現在3Kと言われているような仕事がどのような形でどのくらい残るかはわかりませんが、お金のいらない国の仕事はある意味無駄がなく、社会に必要不可欠なものになるでしょう。楽天的な考えかもしれませんが、そういう仕事であれば、私は誰かが進んでやる気がするのです。



ここまで


お金を稼ぐためだけに働かざるを得ない現実社会から脱却しましょう。

そして、何のために働くのか、何のために生きるのかをじっくりと考えてみたいですね。







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お金を一から疑ってみること~それは生活と人生(世界)を捉えなおすこと~




以下の情報は、こちらの書き込みをきっかけに知ることとなりました。

情報提供者の自由人さん、JF3さんに感謝です。

http://9131.teacup.com/tokaiama/bbs/3930

http://9131.teacup.com/tokaiama/bbs/3931


さて、(modan lifeに必須な)お金というものを一から疑っていきたいと思います。


小林正観さん ~人が、この世に生まれてきた理由~


「私の前世は何だったのでしょう?」とよく聞かれるのですが、前世は関
係ないのです。
例えば、前世、あなたが悪行を重ねた人生を送ったとします。
だとしたら、今回の人生のテーマは何ですか?
それは、「喜ばれる存在」になることですよね!
では、前世、あなたが善行を重ねた人生を送ったとします。
だとしたら、今回の人生のテーマは何ですか?
それは、前回以上に「喜ばれる存在」になることですよ!
                                 ( 小林正観 )
毎日、様々な事件が新聞やテレビで報じられています。
しかし、事件の大部分は、「振り込め詐欺」や「強盗」、「不正経理」など、
「お金」が関係しています。
と言っても、「お金」に関係しているのは、何も事件だけではありません。
人は、「お金」を得るために生きていると言っても過言ではないのです。
では、よ~く考えてください!
全ての人が「お金」を得ようとしているということは、周りの人は、いかに
あなたから「お金」を奪うか、虎視眈々と狙っているということです。
家にいても、訪問販売や勧誘などのセールスマンがやって来ます。
頼んでもいないのに、何の約束もなしにやって来て、商品を買わせようとしま
す。あなたから「お金」を奪うのが目的だからです。
また、ポストには宣伝チラシが毎日投函されます。
携帯やパソコンには、迷惑メールが送られてきます。
あなたから「お金」を奪うのが目的だからです。
企業も、いかにして、あなたから「お金」を奪うかに必死です。
例えば、自動車を購入する時や修理する時でも、少しでも多くあなたから
「お金」を奪おうとして、従業員は必死です。(もちろん、良心的な企業もありま
す。あくまでも例えですよ!)
経費を削減して、質を落としてでも、「お金」を得ようと必死の企業もあります。
「お金」を得るためには手段を選ばないわけです。
食品偽装や耐震偽装、悪徳リフォーム業者などがいい例です。
また、会社の社長は、いかにして安い給料で社員を働かせるか必死です。
国は、いかにして国民から税金をとるかで必死です。
このように、周りはあなたから「お金」を奪おうとしている人ばかりです(笑)
本来、商行為とは、「相手を喜ばせる」ことにあります。
相手を喜ばせた結果、「お金」を得るのです。
あくまでも、「相手を喜ばせる(幸せにする)」ことが第一です。
「お金」は相手を喜ばせた結果、手に入るもので、第二なのです。
つまり、「相手も喜び、自分も喜ぶ」というのが商業の基本です。
しかし、「お金を得る(奪う)」ことを第一としている企業の何と多いことでしょう!
そういう企業で働いている人は、自分でも気づかないうちに、「お金」を得るた
めに他人の幸福を妨げているのです。
今回の人生のテーマは何だったのでしょう?
他者に迷惑をかけてでも「お金」を得ることですか?
小林正観さん曰く、今回の人生のテーマは、「喜ばれる存在」になることです。
相手のことなど考えずに、「お金を得る(売り上げを得る)」だけの人生を送る
ために生まれてきたのでしょうか?
イエス・キリストは、悪行をしている者には、こう言っています。
「お前たちは、後に泣いて歯ぎしりするだろう!」
また、善行をしている者には、「あなたは、後に喜びに満たされるだろう!」
と言っています。
これは、どういう意味でしょう?
私の解釈ですが…。
よく九死に一生を得た人が、「自分の人生(の映像)が、まるで映画を見ている
ように流れた」と語っています。
精神世界では、「人が死ぬと(魂が肉体から離れると)、自分の一生を映像で
客観的な立場で見る」といわれています。
そして、自分の一生を振り返った時、悪行を重ねた人は、
「なんてことをしたのだ!」と嘆くらしいのです。
これが、イエスの言う「後に、泣いて歯ぎしりするだろう」の意味ではないで
しょうか?
ここで言う悪行とは、犯罪だけのことではなく、お金や名誉・地位を得るために、
他人の幸せを妨げる行為を指します。
反対に、他者を喜ばせた人生を送った人が死んで振り返ったら、
「ああ、いい人生だった」と喜びに満たされるようです。
これがイエスの言う「あなたは喜びに満たされるだろう」の意味ではないで
しょうか?
「お金」を得るために、相手のことなんかおかまいなしで、他者の幸福を妨げて
いて、自分の人生を振り返った時、喜びに満たされるでしょうか?
正観さんの言う通り、「喜ばれる存在」になることが、今回の人生の共通テーマ
なのです。
この世界は、パラドックスです。
「他者を喜ばせる」という生き方こそ、自分を喜ばせることになるのです



ここまで


自分が楽しく人生を送っているだけで、

誰かを楽しくさせていているというようなことを前に言いました。


この方は誰かを喜ばせることは自分を喜ばせると言っておられます。


あわせてみると、


自分が楽しむ(喜ぶ)こと=他人(誰か)が楽しむ(喜ぶ)こと


ということになります。

凄く納得できますよね。


こころというものを商品化していないことがよく分かって良いです。


小説 お金のいらない国より転載開始


(動画と同じ内容になります)


ふと気がつくと、私は見知らぬ町に立っていた。ビルが立ち並び、車が行き交い、大勢の人々が歩いているその町は、一見、私が住んでいる町に似ていた。しかし、確かに私の町ではなかった。空は青く、空気は澄んでいた。建物も車もどことなく私の知っているものとは違っていた。また、その町にはさまざまな人種がいるようだった。でも不思議なことに言葉は誰とでも通じるらしく、皆、楽しそうに語り合っていた。暫く呆然と立っていた私の側に、一人の日本人らしき人が近づいて来て私に話しかけた。
「ようこそ。お待ちしておりました」
ダークスーツをさり気なく着こなしたその人は、四十代半ばくらいの品のいい紳士だった。しかし誰なのか、私は全く覚えがない。戸惑っていた私に、彼は言った。
「どうぞ私について来てください」
さっぱり訳が分からなかったが、とても悪い人には見えなかったので、私は彼の後について歩きだした。そこは、やはり私の町とは違っていた。すべてのものが美しい。決して絢爛豪華というのではない。どちらかといえばその逆で、建物も車も非常にシンプル。しかし、機能美というのか、まったく無駄のない、とても好感の持てるデザインがされていた。町並みに見とれながら少し歩くと、彼は一軒の喫茶店らしき所に入った。広くはないが小綺麗な店で、わたしたちが席につくなり、ウェイトレスがメニューを持って来て言った。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょうか」
そのウェイトレスは可愛らしい顔をした黒人女性だったが、日本語が話せるらしかった。紳士は私にメニューを渡し、何を注文するか聞いた。私は何も見ず、とっさに
「あ、コ、コーヒーを…」
と言った。紳士はウェイトレスにメニューを返しながら
「コーヒーをふたつください」
と言った。その丁寧な注文の仕方が、妙に私の耳に心地良かった。
「かしこまりました」
ウェイトレスは、にっこり笑って厨房の方へ去って行った。
少し沈黙があってから、私は紳士に聞いてみた。
「あのう…」
紳士は微笑んでいる。
「ここはどこなんでしょうか」
紳士は暫く黙っていたが、やがて言った。
「さあ、どこでしょう…」
「は」
私は唖然としてしまった。こいつ、人のよさそうな顔をして、私をからかうつもりなんだろうか。だいたい、何のために私をここへ連れてきたんだ。私は質問を変えてみた。
「あなたはどなたですか。私のことをご存じなんですか」
紳士は微笑んで言った。
「いずれ、お分かりになると思いますよ。悪いようにはいたしませんから、今は私について来てください」
私は全く納得がいかなかったが、見知らぬ町に一人で放り出されても仕方がないので、ひとまずこの紳士の言う通りにしようと思った。やがてコーヒーが運ばれてきて、私たちは黙って飲んだ。紳士は相変わらず微笑んでいた。私はさっぱり訳が分からなかった。でも、コーヒーはとてもうまかった。暫くして紳士が言った。
「じゃ、そろそろ行きましょうか」
どこへ行くんだか知らないが、私はうなずいて席を立った。紳士はそのまま店を出ようとした。私は驚いた。私にコーヒー代を払わせるつもりだろうか。どうしたらいいかわからないまま、私も紳士の後に続いて店を出てしまった。さっきのウェイトレスが呼び止めると思ったのに、彼女はにっこり笑って私たちを見ている。おまけに彼女はこう言ったのだ。
「ありがとうございました。またお越しください」
紳士はスタスタと歩き出している。私は瞬間的に考えた。そうか、あの店はこの紳士の行きつけで、きっとコーヒーチケットを預けてあるに違いない。私は、なあんだと思った。しかし、見ず知らずの人におごってもらうのも悪いなと思い、お金はとらないだろうとは思ったが、一応、聞いてみることにした。
「あのう、いくらでした」
紳士は驚いたような顔で私を見た。
「いくらって、何がですか」
「え、あの、コーヒーですよ。今、飲んだ」
「はあ」
「いや、ちゃんと割ってくださいよ。悪いですよ」
紳士は不思議そうな顔をして言った。
「割るって何を割るんですか」
私は少しイラッとした。こいつ、やっぱり私をからかってるんだな。ああ、さっきちゃんとメニューを見ておけばよかった。私はきっぱり言った。
「コーヒー代ですよ。お金払いますから値段教えてください」
「おかね?…ねだん?…なんですか、それ」
私は呆れてしまった。こいつ、一体どこまでとぼけるつもりなんだ。ほんとにふざけた野郎だ。でもまあ、いいか。おごってくれるというのなら、私が損するわけでもないし。

暫く歩くと紳士は、今度は大会社という感じの大きなビルに入って行った。私は、ただ黙って後をついて行った。ビルの中では何人かの人にすれ違ったが、皆、紳士に丁寧に挨拶をし、紳士もそれに丁寧に応えていた。私は思った。そうか、どうも貫禄があると思ったら、この紳士はきっとこの会社の偉いさんなんだ。それも、社員たちに好かれている重役といったところか。いや、もしかしたら社長かもしれない。それならそうと早く言ってくれればいいのに。コーヒー代なんかでガタガタ言うんじゃなかった。私は妙に納得してしまい、いい人と知り合いになったかもしれないと思った。

紳士は一つのドアの前で立ち止まった。側にあったベンチで私に少し待っているように言い、彼はドアの中に入って行った。社長室のドアにしては、ちょっとちゃちだなと思ったが、私は見た目より座り心地のいいベンチで、彼が出てくるのを待った。

暫くしてドアが開いた。でも出てきたのは紳士ではなく、掃除のおじさんだった。私は、なあんだと思ったが、そのおじさんをもう一度よく見てわが目を疑った。
「お待たせしました」
それは間違いなく紳士だった。紳士は作業服に手袋をし、電気掃除機らしき機械を引きずって私の前に現れたのだ。目を丸くしている私に彼は言った。
「どうされました。何か変ですか」
私は暫く声が出なかったが、やっとのことで口を開いた。
「あ、の、掃除が…お仕事なんですか」
紳士は自信に満ちた表情で言った。
「そうですよ。私はこのビルの清掃を、もう長いことやらせてもらっています」
私は拍子抜けがしてしまった。てっきり、金持ちの社長か重役と友だちになれたと思っていたのに…。私は、正直言ってとてもがっかりした。紳士は掃除機のスイッチを入れて仕事を始めた。すごく高性能の掃除機らしく、何の音もしなかった。紳士は言った。
「できれば町をご案内してさしあげたいのですが、私はこれから暫くここで仕事をしなければなりません。申し訳ありませんが、お一人で散歩でもなさって来ていただけませんか。いえ、心配はいりません。この町の人たちは皆とても親切ですから、わからないことがあったら誰にでも遠慮なく聞いてください。散歩に飽きたら、ここに戻って来てください。私はあなたが戻って来られるまで、ここで仕事をしております」

私は一人でビルの外に出た。町は相変わらず美しく、活気があった。妙な所に来てしまったものだ。一体、ここはどこなのだろう。私は暫く町を行く人々を眺めていた。ほんとにいろんな人種がいる。白人も黒人も黄色人種も。でも皆とても仲がよさそうで、楽しそうに話したり、笑ったりしている。それを見ているだけで、私は何だかとても嬉しい気分になってきた。どこだか知らないけど、いい所だな。少なくとも日本ではなさそうだ。いろんな人種がいるところを見るとアメリカかな。でもアメリカにこんな平和で美しい都市があったんだろうか。私は思い切って、ちょうど目の前を通りかかったキャリアウーマン風の美しい白人女性に声をかけてみた。
「あの、ちょっとお尋ねしますが、ここはどこなんでしょうか」
その女性はにっこり笑って私を見つめた。私は(しまった)と思った。日本語で話しかけてしまった。私はどぎまぎして、ええと、英語ではなんて言えばよかったっけなんて考えていると、その女性が突然口を開いた。
「ふふ、どこなんでしょうね」
キャリアウーマンは、にこやかに笑いながら、足早に去って行った。私は呆気にとられた。なんてやつだ。日本語を喋ったと思ったら、私をからかって行ってしまった。あの紳士といい、キャリアウーマンといい、人の良さそうな顔をして何を考えているんだ。

私は、どうも納得がいかないまま町を歩き出した。そうだ、地図を調べてみよう。私はこれは名案だと思い、たまたまあった書店に入った。しかし、私の期待は見事に裏切られた。確かに地図はあった。それもちゃんと日本語で書いてあったので私にも読めた。この町が、国というべきか、とてつもなく広いこともわかった。しかし、肝心の、地球上のどこに位置するのかが、どこにも書いてないのだ。私の頭は混乱した。こんな馬鹿なことってあるか。こんなでかい国なのに、私はその存在を今の今まで知らなかった。学校の地理でも習わなかった。一体、ここはどこなんだ。ひょっとして地球ではないのか。そんな馬鹿な。地球以外に人の住んでいる星が見つかったなんて話、まだ聞いてないぞ。

私は、ふらふらと書店を出た。何がなんだかわからなかった。呆然と少し歩き、ふと見ると一軒のレストランがあった。こぢんまりとした、入りやすい感じの店だった。私は急に空腹を覚えた。ま、とりあえず飯でも食って、それからまた考えるとするか。私は店のドアを開け、中に入った。人気のある店らしく、結構混んでいた。私はウェイトレスに案内されてテーブルにつき、受け取ったメニューを広げた。家庭料理風の、うまそうな料理の写真がたくさん並んでいた。私はつい、ウキウキと迷っていたが、あることに気付いてはっとした。値段が書いてないのだ。しまった。もしかしたらこの店、すごく高いのかもしれない。そういえば、このテーブルやイスもさりげなくいいものを使ってるみたいだし。困ったなあ、あんまり持ち合わせがないんだ。今から出るわけにもいかないしなあ。足りるかなあ。まあ、いいか。そう言えば、この国で日本円が使えるとも思えないし。最悪、店の人に頼んで待ってもらって、あの紳士にお金を貸してもらおう。私は恐る恐るあまり高そうでないものを選んでウェイトレスに注文した。ウェイトレスはにっこり笑って奥へ引っ込み、間もなく料理を運んできた。目の前に料理が置かれるやいなや、私は値段のことも忘れて夢中で食べた。腹も減ってはいたが、とにかくすごくうまいのだ。

きっと、相当がつがつ食べていたのだろう。食べ終わってから、隣のテーブルの白人と黒人の学生風の女の子二人連れがくすくす笑っているのに気付いた。照れくさかったので私はそそくさと席を立った。
さあ、いよいよ問題の一瞬がやって来る。果たしていくら請求されるんだろうか。私は店の出口の方へ向かい、レジを探した。しかし、レジは見当たらない。仕方がないのでもう一度、中へ戻り、ウェイトレスを呼び止めた。
「あの…」
「はい、何でしょうか」
東洋系の、愛嬌のある顔をしたウェイトレスは、愛想良く日本語で答えた。
「レジはどこですか」
ウェイトレスは、きょとんとしている。店は結構話し声がしているので、よく聞こえなかったのかなと思い、私はもう一度ゆっくりと繰り返して聞いた。
「レジは、どこですか」
彼女は困ったような顔をして小声で言った。
「あの、すいません。ここにはそういう物、置いてないんですけど」
私は呆れた。こいつまで私をからかうつもりなのか。一体、この国のやつらは何を考えているんだ。よそ者をからかって、そんなにおもしろいのか。私は黙ってウェイトレスをにらみつけた。彼女はすまなそうに、うつむいてしまった。私はちょっとかわいそうな気がして、なるべく優しい口調で聞いてみた。
「私が食べた料理の値段を知りたいんです。お金を払いますから。教えてくれないとこのまま帰ってしまいますけど、いいですか」
ウェイトレスは顔を上げ、不思議そうに言った。
「あのう、お食事がお済みでしたら、お帰りになっていただいてかまわないのですけれど。もっと何かお召し上がりになるのでしたら、ご注文くださればお出ししますが…」
ウェイトレスの表情は真剣だった。とてもふざけているとは思えない。私の頭は混乱した。ひょっとしたら本当にタダなのだろうか。ここは、何かボランティアでもやってる店なのか。でも、来てる客はそんな、生活に困っているふうにはとても見えない。全く訳がわからなかったが、私はとりあえずウェイトレスに、にっこり笑って右手をちょっと上げて挨拶し、店を出てみた。彼女もにっこり笑って見送ってくれた。後は追って来ない。

私は狐につままれたような気持ちで、また町を歩き出した。ほんとにタダだった。だとすると、あの紳士と飲んだコーヒーも、やはりタダだったのかもしれない。なぜだ。なぜ、タダでやっていけるんだ。その時、私の脳裏に無謀な仮説が浮かんだ。(ひょっとしたら、この国のものはみんなタダなのかもしれない)我ながらとっても無謀な考えだと思った。後でそのシステムを理論づけることなど、自分にはできっこないという妙な自信まで持ってしまった。そんな馬鹿なこと、すべてタダで世の中が成り立つはずはないんだ。

ふと見ると、大きなスーパーマーケットがあった。私は、よし、ここに入ってみようと思った。ここで何か買ってみれば、はっきりするだろう。スーパーがタダでやっていけるはずがない。物を売らなきゃ商売にならないんだから。店に入ると私はまず、レジを探した。あった、あった。大きなスーパーだけあって、出口のほうに向かってレジがズラーッと並び、どれにもお客の長い行列ができていた。店員はそれぞれのレジに二人ずつ付き、忙しそうに機械を操作しながら商品を客に手渡していた。私は何となくホッとして、カゴをひとつ取り、そこら辺のものを適当に放り込んで、行列の最後についた。もう、自分のお金の持ち合わせがないことなど気にしていなかった。何だか妙な安心感があった。これでいいんだ。こうでなきゃ変だ。列は次第に進んで、だんだん私の順番が近くなってきた。ふと、私はレジの店員とお客を見た。一人の店員は、カゴから出した商品を一つずつ機械でチェックしていた。もう一人は、チェックの済んだ商品を手提げ袋に入れ、客に渡していた。そして客は、そのまま袋を持って店から出て行った…。私の頭は真っ白になった。カゴを放りだし、列をはずれて店を飛び出した。

どうやってたどり着いたか覚えていない。気がつくと私は、あの紳士と別れた大きなビルの前にいた。ビルの中に入ると、丁度そこで紳士はまだ掃除をしていた。
「やあ、どうでしたか、町は。皆、親切だったでしょう」
私は何と答えたものか、声が出なかった。
「おやおや。少しお疲れのようですね。ちょっと待っていてください。もうすぐ仕事が終わります。そうしたら、お休みになっていただけるところへお連れしますから」
今度は一体どこへ連れて行くというのだ。もう、どうにでもなれ。私は疲れとあきらめで眠気を催し、近くにあった椅子に座って少しウトウトしてしまった。

気がつくと目の前に、スーツに着替えた紳士が立っていた。
「お待たせしました。さあ、いい所へお連れしますよ」
私はどこへ行くのか聞く気にもならず、黙って紳士の後について行った。外に出た紳士は歩道の一角にある階段で地下に降りた。そこは地下鉄の入り口だった。駅員はいたが、案の定、改札はなかった。私はもう、考える気力も失せていた。間もなくホームに電車が入ってきた。とても静かな電車で、乗ると邪魔にならないくらいの音量でBGMが流れていた。その音楽がとても心地よく、私の疲れを少しいやした。

いくつくらい駅を過ぎたろうか。紳士はある駅で電車を降りた。勿論、私も後に続いた。地上へ出てみて驚いた。電車にはそんなに長いこと乗っていたつもりもないのに、目の前には先程の大都会とは打って変わって、閑静な住宅街が広がっていた。豪邸という程でもないが、きれいな家が適度な間隔を置いて立ち並び、どの家もそこそこ広そうだった。もう、すっかり日は暮れていたが、きちんと整備された街灯が道や家々を美しく照らし出し、家の窓からは柔らかい光が漏れていた。

紳士は一軒の家の前で立ち止まった。私は(ここがこの人の家なのか。いい所に連れて行くと言ってたが、自分の家に招待するってことだったのだな)と思った。紳士はドアを開けた。玄関のライトが自然についた。紳士は私に言った。
「さあどうぞ、お入りください」
私は玄関に立った。とても雰囲気のいい家だと思った。結構、天井が高く、壁に掛けてある絵も、私の趣味に合っていた。紳士は一つの部屋のドアを開け、私を招き入れた。部屋の中に入って私は仰天した。外から見て想像したより、部屋はずっと広かったのだ。そこはリビングルームだったが、かなりのスペースの真ん中に、数人が掛けられる、ゆったりとした座り心地の良さそうなソファとテーブルが置いてあった。大きなリビングボードには、高級そうな酒らしきものや、変わった形のグラスも並んでいた。しかし、それより私が驚いたのは、紳士がスイッチを入れると現れた、壁に仕込まれた巨大な画面のテレビのようなものだ。特殊な眼鏡をかけているわけでもないのに、明らかにそこに存在しているかのような映像が、次々と大迫力で展開されていた。私が知っている立体映像とは、比べものにならなかった。
紳士は、呆気にとられている私を、にこにこしながら見ていた。
「いかがです。なかなか面白いでしょう」
「す、すばらしいですね」
紳士はさり気なく言った。
「今日からここが、あなたのうちですよ」
「は」
私は変な声を出してしまった。なんだ、なんだ。こいつ、私と一緒に住もうってのか。妙に親切だと思ったら、そういうことだったのか。いやだ、いやだ、ぜーったい、いやだ。そんな目に合うくらいなら死んだほうがましだ!真っ青になっている私に、紳士は言った。
「いや、勘違いなさらないでください。私の家はちゃんと別にあります。ここはあなた一人のためにご用意した家ですから、安心なさってください」
私は声が出なかった。(何だって。私のために用意しただって。なんで私が来るのが分かったんだ。こんなすごい家、誰がどうやって貸してくれたというんだ)
この不思議なことの連続、もう完全に私の理解の範ちゅうは越えた。何を考えても無駄だと思った。これ以上考えたら、気が狂うしかないだろう。紳士は言った。
「ここに住んでいただけますよね。まあまあの家だとは思うんですが」
私は声が出せず、口を開いたまま、ただうなずいた。
紳士は安心したようににっこり笑い、他の部屋も案内してくれた。とにかくすごい家だった。考えることを放棄していなければ、私の頭は爆発してしまっていただろう。

ひと通り部屋を回り終えると、私たちはリビングルームに戻った。紳士は私に断ってから、リビングボードに並んでいた酒らしきボトルのうちの1本と、グラスを2つ出して来て、飲み物を作ってくれた。大きなソファに座って私たちは乾杯した。その飲み物は私の知っている酒の類とは少し違っていた。決して甘くはないが飲みやすく、何とも言えず良い香りがして、体に心地いい。いくら飲んでも悪酔いしそうもないという代物だった。

私は暫くぼうっとして、ただグラスの中のものを飲んでいた。紳士は、相変わらず微笑みを浮かべたまま私を見守っている。やがて、私の脳裏にふつふつと素朴な疑問が湧き上がってきた。この家に来てからのことなど言い出したらきりがないので、私の防衛本能のためか聞く気も起こらなくなっていたが、私はどうしても、あのお金を取らなかったレストランやスーパーのことが気になって仕方がなかった。私は、恐る恐る聞いてみた。
「あのう、この国にはお金というものはないんでしょうか」
紳士は不思議そうに聞き返した。
「おかね…ですか。確か、前にもあなたは私にそういう言葉を言われましたね」
紳士は少し間を置いてから私に言った。
「少なくとも私は、お金というものは知りませんし、聞いたこともありません。それは一体、どんな物なのですか」
一応、予想していた答えではあったが、やはりこう、面と向かってはっきり言われると、ショックだった。私は、ズボンのポケットから財布を取りだし、中に入っていた紙幣数枚と、硬貨をジャラジャラ出して、テーブルの上に並べた。
紳士はそれらを興味深そうに手に取り、暫く眺めていたが、やがて言った。
「この汚れた紙きれと金属の破片が、一体どういう役に立つのですか」
私は返答に困った。お金の存在しない社会に暮らしている人に、一体なんと説明すればいいのだろう。とにかく一言では無理だ。私は思いつくまま話してみることにした。
「私たちの国では、何か仕事をすると、このお金というものがもらえるんです。そして、物にはみな値段というのが付いていて、お店で何かを買ったり、物を食べたりすると必ずその値段分のお金を払うことになっています。あの、買うというのはお金と引き替えに物を受け取ることなんですが、とにかく何をするにしてもお金がいるんです。お金がなければ生きていけないんですよ」
紳士は興味ありげに私の話を聞いていた。私は続けた。
「皆、自分が働いて稼いだお金を使って生活するんですよ。だから、いっぱい仕事をした人はいっぱいお金をもらって豊かな暮らしができるんです。まあ、かなり不公平もありますし、働かないで儲けるずるい人もいますが…。皆、自分が儲けたお金の範囲内で生活するようになっているんですよ。だから、お金はどうしても必要なんです」
ここで紳士が口をはさんだ。
「要するにあなたの国では、お金というものがないと、人々が欲望をコントロールできないというわけですか」
私は言葉に詰まった。確かにその通りかも知れない。でも私は反論したくなった。
「まあ、そうかも知れませんが、でも、お金を払わなくても何でも手に入るのなら、もう、仕事をしなくてもいいじゃないですか。毎日遊んで暮らせば…」
「皆が遊んでばかりいたら、何も手に入らなくなってしまいますよ。物を作る人も、与える人もいなくなるわけですから」
「でも、そういう人もいるのではないですか。働かなくても生活できるのなら、自分一人くらい遊んでいてもいいだろうと思う人が」
「この国にはそういう人は居りませんし、この国に、そういう人は住めないようになっております。それにあなたは、そのお金というものと働くということを堅く結びつけて考え過ぎている気がします。仕事は社会への奉仕ですから、世のため、人のため、ひいては自分のために、皆で働かなければ世の中は回っていきません。あなたの言うお金がもらえなくてもです。そしてあなたが生活に必要なものはお金など払わなくても、社会から奉仕してもらえばいいのです。事実、この国はそういうシステムになっております」
私は何となく分かったような気もしたが、さらに反論を続けた。
「お金はね、あるとためておくことができるんですよ。働いても使わずに貯金…ちょきんというのはお金をためておくことなんですが、貯金しておけば、後で必要な時にいつでもおろして使えるんです。たくさんためると贅沢ができます。だから楽しいんですよ」
「ぜいたくって何ですか」
「え、ええと…自分が欲しい物は何でも買ったり、美味しいものをたくさん食べたり…」
「この国では、欲しいと思ったものは、すぐにでも手に入れることができますよ」
「ただ欲しいくらいの物を手に入れたって、贅沢とは言えないんです。もう自分には必要ないくらいたくさんの物とか、値段のすっごく高い物とか…」
紳士は、ぷっと吹き出した。
「そんな、自分が必要もないほどの物を手に入れて何が面白いんですか。それに、そんなとりとめもない欲望を追っていたってきりがないでしょう」
確かにそうだと思った。しかし、負けてはいられない。
「でも、貯金しておくと、年とって働けなくなっても安心でしょう」
「この国では、働けない体の人には、みな喜んで何でも差し上げますよ。あなたの国ではそういう人でもお金というものを持っていなければ、何も手に入れられないのですか」
私は、自分の国では年金が…などというケチくさい話、とても言い出せなかった。なんだか自分のいた世界がとっても情けないところのように思えてきた。だんだん苦しまぎれになるのはわかっていたが、私はまだ抵抗を続けた。
「泥棒はいないんですか、泥棒は。人の物を取っていく奴です。お金は…ないからいいとしても、ほら、あなたの持ち物とか盗んでく奴」
「勿論、そんな人はいませんが、たとえいたとしても私の持ち物など取ってどうしようというのですか。大抵の物はお店で新品が手に入るのですよ。私が手で作ったものを欲しいと言われるのなら、差し上げられるものは差し上げますし…」
私はもう、何と言ったらいいか分からなくて、混乱してしまった。
「だけど、私の仕事だってね、見積りを書いたり、支払いの手続きをしたり、お金に関することがすごく多いんですよ。それに、そうだ。銀行や保険会社はどうなっちゃうんですか。お金がなかったら仕事がなくなっちゃうじゃないですか」
「ちょっと待ってください。よく分からない単語がたくさん出てきましたが、あなたの言いたいことは何となく分かりました。要するに、そのお金というものに関連して生まれる業務、あるいは直接お金を扱う仕事に携わっている人は、お金がなかったとしたら、仕事がなくなってしまうではないかということですね」
私は黙ってうなずいた。なんだか自分が子供みたいで、ちょっと恥ずかしかった。
「私の想像では、あなたの国は、そのお金というものを動かさなければならないために、ものすごい時間と労力のロスをしている気がします。言い換えれば、不必要なもののために、無駄な仕事を増やしているということです」
「でも、私の国ではお金がなければ社会が回っていかないんですよ」
「それは分かります。でも、あなたの国でもこの紙きれや金属を食べたり、直接何かに使ったりしている人はいないわけでしょう。要するにこのお金というものは、物の価値を皆が共通して認識するための物差しでしかないわけです。ですから、例えば今あなたの国で、このお金が一斉にパッと消えてしまったとしても、皆そのまま仕事を続けていけば世の中は回っていくはずなのですよ。それに、ちょっと想像してみてください。あなたの国の、お金を扱う仕事に携わっている人が、その業務から一切解放された時のことを。そして、お金を動かすために使っていた時間や労力をもっと世の中のためになる仕事に向けたら…いや、勿論お金の存在する社会においては、そういう仕事が大切なのは分かるんですが、もしそうしたら、ずっとずっと社会は豊かになると思いませんか。いいですか。あなたの国では現在、お金に関わっている仕事の人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、皆ちゃんと暮らして行けるだけの豊かさは既にあるのです。そんな、言ってみれば無駄なことに時間や労力を使っていたにも拘らず、あなたの国はやってこられたわけですから。ですから、そういう仕事にかけていた時間や労力を、もっと社会の役に立つ仕事に向ければ、あなたの国の人々の生活はもっと豊かになるはずです」
私は言葉に詰まった。だんだんそんなような気もしてきた。もし、お金というものがなくなったら、お金に関するトラブルも一切なくなるわけだ。脱税だとか、借金苦の自殺だとか、銀行強盗だとか。世の中の「金のため」という矛盾もすべてなくなる。もしかしたら、世界中の、飢えや貧困に苦しんでいる人たちも救えるのではないかという気にもになってきた。しかし、私は紳士に言った。
「でも、今、私の国でお金というものがなくなったら、うまく行くとはとても思えません。きっと誰も仕事をしなくなって、世界が破滅してしまうんじゃないかな」
紳士は笑いながら言った。
「は、は、こんな紙切れや金属の破片のために破滅してしまうなんて、面白い国ですね。まあ、それはどうだか分かりませんが、確かに今すぐは無理でしょうね。私が思うには、あなた方は、まだそこまで魂が進化していません。でも、いずれ私たちのような国が作れるかも知れませんよ。気が遠くなる程、先の話でしょうけれど」
私はもう言葉が出なかった。話のレベルが違い過ぎると思った。紳士はさらに続けた。
「多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと皆が思っているうちは、あなたの国の、真の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかに歪みが生じてきます。自分の行なった仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです」
私は、紳士の言っていることが、あまりにも自分の国の状態とぴったりなので、驚きを通り越して恐怖を覚えた。紳士は最後にこう言った。
「あなたの今やっている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです」

紳士は私に、自分の連絡先を書いたメモを渡し、礼を言って出て行った。自分の家に帰ったのだろう。私の脳味噌は思考することをあきらめてしまったのか、妙にスッキリして心地よかった。私は体が溶けてしまいそうに寝心地の良いベッドにひっくり返ってぼうっとしていた。全く不思議な所に来てしまったものだ。なぜ来たのか見当もつかないが、居心地は悪くないから、とりあえず帰れるまでのんびりするか。さて、明日からどうしようかな。まあ、何でもタダだし生活には困らないわけだから、観光でもして遊んでようか。でも、そんなことしていたら紳士に怒られるかな。うつらうつらしながら考えているうちに、私は眠ってしまったらしい。

結局、他にすることも思いつかなかったので、翌日から私の贅沢旅行が始まった。

(出版に伴い、ホームページ上での掲載はここまでとさせていただきます。)


あとがき

私はこの物語をつくるに当たり、主人公の行く先を『あの世』にするか、地球の未来に出来るかもしれない『ユートピア』にするかで迷いました。しかし、結果的には、その二つが融合したような世界にせざるを得ませんでした。なぜかと言いますと、『あの世』は、私が行ったわけではないので正確に描写することは不可能であり、昼夜の別や時間の経過を表わすには、どうしても『この世』的表現が必要になりました。また、地球の未来の『ユートピア』にするとなると、どこかに西暦ウン万年、あるいは現在の地球のどこそこみたいな表現を入れなくてはならなくなり、妙に嘘臭くなってしまいます。そんな訳で、都合よく二つが組み合わさったような世界にしたのです。ですから、最後に使った『天国』という言葉は、私としては、そんな二重の意味を込めたつもりです。

私がこの物語で言いたかったのは、皆が、あって当たり前、あるいは、なくては社会が成立しないと思っているお金というものの存在価値、それに関連する、仕事というものの持っている意味、また、日々の生活態度そのものを、私を含めてもう一度考え直してみようではないかということです。お節介と思われる方は、出来の悪いSF小説として読み流して頂けば結構ですし、とやかくいうつもりはありません。しかし私はこの物語のような世界を地球上に実現できる可能性が全くないとは思いませんし、あの世の一つにこういった世界があっても、ちっとも不思議ではないと思っています。主人公が最初に出会い、いろいろと世話を焼いてくれた紳士は、さしづめ守護霊といったところでしょうか。

最後に、ここまで読んでくださったあなたと、私にこの物語を作るヒントを与えてくださったT氏に感謝いたします。

一九九三年六月十九日



ここまで



私はこれを今日読んで、凄く心に響きました、

だから紹介させてもらっただけです。


そして生まれた時からあたりまえのように存在している(lifeを支配する)お金というものに

ついて、考えずにはいられないような話になっていましたね。


私たちはお金の為だけに生きてるのではないはず、

でも実際は・・・


給料がでなくなれば働くことのなくなる仕事とは一体・・・


私は、「通貨を取り戻せ」というフレーズに賛同し、

そして同時に地域通貨、ベーシックインカムの導入を呼び掛けてきました。


今回紹介したものはさらに深くまでお金の本質を捉えていると私は思います。

実際にお金を無くそうという運動でもありません。

そして、無くせるものでもありません。


しかし、このような発想は全てを疑うきっかけになります。

イマジンが出てくるので、無政府主義や平和運動など陰謀との接点が全くないとは思えません。


ただ、私の言いたいことを代弁して下さっているかのようだったのです。


http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/1276


気になった点としては、お金がない世界だったならば、

もはやスーパーマーケットなどというものもなく、


自然に物資を直接売ってるような気がするんですけど、

いかがでしょうか。


私は、(便利なのかもしれないけど)バーコードというものがなくても

生きていける世界になればいいなと思います。


相当古い小説なので、カードが普及していないころだと思います。

これからはさらに現金のない社会になる気がして少し恐ろしいです。


結局何がいいたいかというと、

立派な現代の文明社会は、とても間接的な社会を作りだしているとうことですね。


何か少しでもシステムが壊れるだけで、生きていけない世界になる。

お金がないと生きていけないような仕組み。


なんかおかしいでしょう。


やっぱり、システムがどれだけいいものだとしても、

そこに人間の感情が入り込む余地はない。



システムを構築する権力こそが、

この世界を牛耳っているのです。


全てを疑う中でだいじなことだと思います。


理念からはじまる直接文明への道。

まずはお金のない世界を想像してみる。

そこから始まるのかもしれません。


地震がどう起きるのか調べる。

まずは、地震を起こせるのかどうかと仮定してみる。

新たな発見があるはずです。


既存の発想では絶対に出てこないものがそこにはあります。


すぐにはできないから、現実離れしているからといって、

違った世界を想像する余裕もないのならどれほど生きることが大変なことなのかという話です。



別に空想社会主義でもないし、

意図的お花畑主義という訳でもない。


現実を受け止めたうえでの思考なのである。


だから、本当に大切なものがなになのかが見えてくる(答えがあるのではないが)。


普段から、お金にならないもの、お金に出来ないものに

価値がないと思いこんだりしていることがあるような気がする。



しかし、まずは「自分が生きていること」のありえなさを理解すべきなのである。

生きていること自体に価値を見いだせ、よく生きていることを実感できる社会、

その答えは、「商店街」、「近所」、「家庭」にこそあると思うのである。



お金というものが中心になくても機能する場があるからこそ

なり立っているのがこの社会なのである。


お金があまりにも便利すぎて(影響力を持ちすぎて)、

それに振り回されている人だらけである(その人は悪くないが)。

まるで、お金の為に存在しているかのようでもある。

お金だけが繋いでいる関係も多くあることでしょう。



まずはお金と人生と社会の関わりを追及するのがいいなと思います。



最期に転載開始


お金のいらない国にしよう


一、お金って何でしょう。

今の社会はお金ありきで成り立っています。何をするにもまずお金。お金がなければ生きていけません。しかし、お金は人間が生きていくのに本当に必要なものなのでしょうか。動物の一種である人間にとって、空気や水、食べ物などは必要でしょう。しかし、ただの紙切れや金属、あるいは単なる数字でしかないお金が必要でしょうか。

お金は人間が作った道具です。人間が考え出す前にはお金は存在していませんでした。単なる道具なのですから、便利で、みなが幸せになれるなら使えばいいでしょう。しかし、今のお金は人を幸せにしているでしょうか。この世の問題、苦しみは、元をたどればほとんどお金が原因なのではないでしょうか。

お金は食べられるわけではないし、人の間を回っているだけです。ということは、そのやりとりをやめてしまっても、みながそのまま仕事を続けさえすればよいのではないでしょうか。理屈で考えれば、現在の状態のまま、世界中から一斉にお金がパッと消えたとしても、社会は成り立つはずなのです。それどころか、お金がなくなったら、お金に関わる仕事、お金を扱う仕事がすべて必要なくなりますから、全体の仕事量は半分くらいになるかもしれません。休みも増えるし、みんなもっとやりたいことがやれるようになるでしょう。そうすればストレスも減り、肉体的にも精神的にも健康になるのではないでしょうか。

お金がもらえなくなったら、人は仕事をしなくなるでしょうか。たしかに今のようなお金の社会ではそうかもしれません。しかし、お金のいらない国になったとしても、一生寝て過ごしたり、遊んだりするだけで人の役にも立たず、誰もが我慢できるでしょうか。べつに働きたくない人は働かなくていいと思います。でも私は、きっと多くの人は、自分にできることで、人の、社会の役に立ちたいと思う気がするのです。


二、お金の問題点

自然界のものは必ず劣化します。時間が経てば、腐ったり、傷んだり、古くなったりして価値を失います。しかし、お金だけは価値が減りません。これはとても不自然なことです。そして、お金は銀行などに預けておけば、利息がついて増えたりします。現在のお金の仕組みは、金持ちに有利に、貧富の差がつくようにできています。金利が付くというシステムは、椅子取りゲームのようなもので、すべての人が豊かになることはありません。利息というのは他から奪ってこなければつけられませんから、豊かになる人がいれば、必ず貧しくなる人が生まれるわけです。まさにマネーゲーム。こんなゲームを続けていればいずれ行き詰まることは明らかです。

もし、ゲームを続けたいのであれば、ルールを変えるべきでしょう。利息はマイナスにする、あるいは、お金の価値は下がっていくようにするのです。昔、オーストリアなどでは、地域通貨のような形で価値の下がるお金が発行され、大成功を収めたことがあったそうです。価値の下がるお金は人々の間をすごい勢いで循環し、見事な経済効果を生みました。しかし、結局、支配者には都合が悪かったようで廃止されてしまったそうです。

現在のお金は価値が下がらない上に、無限に貯められ、おまけに利息が付きますから、当然お金は金持ちのところに集まります。一部の金持ちがお金をどんどん吸い上げ、大多数の人はその残りを奪い合っているというのが今の経済社会の構図です。世界を見れば、先進国にお金が集まり、発展途上国は極端な貧困にあえいでいます。

経済社会は永遠の成長を目指しています。しかしそんなことは絶対に不可能です。なぜなら、地球の資源は限られているからです。人間は、地球上という限りある空間の中で、限りある資源を再生可能な範囲で使いながら生きていく以外に存続する道はないのです。大量生産、大量消費、大量廃棄をしなければ成り立たないような経済社会が永遠に続けられるわけがありません。今、それに気づき、価値観を変え、軌道修正しなければ、いずれはあらゆる生物を巻き添えにして、世界の終わりを迎えることになるかもしれません。


三、お金のいらない国になったら

お金のいらない国を想像してみましょう。お金の存在しない社会になったら、人々の意識はどのように変わるでしょう。お金のいらない国ではどんな生活がしたいと思うでしょう。言ってみればすべてがタダの世界です。お金のいる社会から考えるとまさに夢の世界でしょう。どんな家に住み、どんなものを持って、何を食べようと自由です。しかし、誰でも何でも持てるわけですから、誰がどんな生活をしようとそれをうらやましがる人はいません。今の社会では、お金持ちが偉いと思われたり、力を持ったりしますが、お金のいらない国ではそういう評価は生まれません。余計なものを持っていればみんなに不思議がられるだけでしょう。また、ものの価値はお金に換算できませんし、本当に価値のあるものしか作る意味も存在する意味もありません。

財産を蓄える必要はありませんから、その時点で本当に必要なもの以外は持っていても意味がありません。そういう状態では結局、人は、必要最小限のもので満足するようになるのではないでしょうか。そうなると、資源もそう必要としませんし、自然破壊、環境破壊も起こらないでしょう。

大昔、お金は、物々交換をしやすくするために生まれたのだと思います。交換できる適当なものがないときに、代用品として便利なお金が考えだされたのでしょう。私は、そもそもその交換という発想が、間違っていたのではないかと思うのです。私の考えるお金のいらない国では物々交換もしません。すべては、あるところからないところに流れるだけ、持っている人が持っていない人にあげるだけです。それなら代用品も必要ありません。

お金のいらない国では所有という概念が薄くなる、あるいはなくなると思います。所有とは、このお金の社会では現実味を帯びた概念ですが、実はそれは多くの場合、お金を出して買ったからという意識に起因しています。元をただせばすべてのものはこの地球の資源。それを利用して作られたものが今たまたま自分のそばにあるというだけのことで、それが自分のものであるという考えは思い込みにすぎません。

お金のいらない国になったら、たぶん、この社会では当たり前とされているいろいろなことが見事にひっくり返ると思います。もしかすると、あらゆる制度、支配、国家もなくなるかもしれません。そういう意味ではその呼び方は「お金のいらない国」より、「お金のいらない世界」の方が合っているでしょうか。

ではお金のいらない国を実現させるにはどうしたらいいでしょう。現在の世の中では、多分究極的にはそのような社会を目指し、実践されている方たちもいらっしゃいます。例えば、エコビレッジを作って共同生活をし、自給自足をしている方たち。地域通貨を研究、発行している方たち。あるいはベーシックインカムを提唱している方たち。みなさん、理想に向かって努力されていてすばらしいと思います。

そして私は何をしているかといいますと、今のところ会社勤めをしながら、「お金のいらない国」という本を出版し、お金のいらない国をイメージしていただくための講演活動をしています。私は、お金のいらない国を想像し、そういう世界にしたいと思う人を一人でも多く増やしたいのです。実現させるためにはまずイメージを膨らませることです。そして、多くの人が具体的にイメージできるようになり、そういう世の中にしたいと思った時、お金のいらない国は無理なく実現するのではないかと思っています。


【参考文献】
金融の仕組みは全部ロスチャイルドが作った 安部芳裕著 徳間書店
日本人が知らない恐るべき真実 安部芳裕著 普遊舎


ここまで




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我々は大切にすべき価値を見失っていた~人生の根底を支えるものを見直す

昨日の東海アマ管理人さんのツイッターより


我々は大切にすべき価値を見失っていた。
仕事ができることが大切なのではなかった。

人を大切にしようとする意志こそが大切だったのだ。

人を大切にする心から仕事の意欲を産み出していた。
順序を間違えてはいけない。


仕事ができる人と、人を癒せる優しい人の、
どちらが高い価値なのか?

人を大切にする心なんだよ。

人を愛し、優しく癒す心こそ
人間の最上位に置かれるべき価値だった。

もう一度思いだそう。

人生はどこから生まれ、何によって支えられ、
どこへ向かうのか?

人生の根底を支えるものを見直そう。



すごくいいと思いません?

感激してしましました。


私は最近、こちらの方の掲示板での書き込みを活発化させています。

やっぱり対話って面白い。

自分が何を想っているかが自身で良く分かるから。

そう思えるようになっています。


興味のある方は一度のぞいてみて下さい。

新なんでも掲示板





ところで、昨日はウルトラマンZさんから衝撃の書き込みがありました。

皆さんにもこの場で知らせたいと思います。


雑感

(前略)

社会人生活を長く続けていると、その世界に適応しているほど、本当のことを知りたくない、勿論無意識にですよ。
なぜなら、自分の虚偽と真正面から向き合わないといけないから、理論武装して意図的に逃げるのですねー。自我の構造が崩れていくのが怖い・・・!
歳をとって、「ああ、自分は間違っていた」という人生で一番ツライ涙を流すのを恐れている、目の前に危機が迫っていてさえ、古い壊れてなくなってしまうものに意味を与えてしがみつく、あるいは馬鹿みたいな気晴らしに夢中になる。
手を放せば楽になるんでしょうが・・・
つまらんことを言いました。独り言です。
それから私の父が癌で死んだとき、主治医がおっしゃっていたのですが、その総合病院でなんと年に4、5例、自然寛解で抗がん剤治療せず、完治する人がいるのだそうです(15年前)。
また解剖したとき、一生の間に2~3回癌にかかっていて、本人も気付かないうちに勝手に治っている痕があるのだそうです。

伏せられているようですが・・・


2010-09-09 01:06 ウルトラマンZ


ここまで


直接お聞きになられたというのですから、

これは間違いありません。


もう一部の世界では、全員が承知済みなのです。

うすうす気がついているんです。


そろそろ、本当のことを堂々と言える社会になってきているのでしょうか。

油断してはなりませんが、

きっかけはつかめたような気がします。


疑問に思ったことは何でも聞いてみようと思います。





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自分の生きるこの世界について本気で考えてみた~直接文明宣言2010~  ~そして知ってほしいこと「手術は猛烈な発ガン作戦だった!!!」~

ついにこんな情報が入ってきました。

子宮頸がんワクチン公費助成へ 厚労相、予算要求を表明より

子宮頸がんを予防するワクチンへの公費助成について、長妻昭厚生労働相は4日の参院予算委員会で「重要な課題の一つ」との考えを示し、2011年度予算の概算要求に盛り込むと表明した。新設の「元気な日本復活特別枠」の要求額に計上する方針。

 一部の自治体では既に助成を始めているが、経済力や居住地にかかわらず接種が受けられるよう、国による助成を求める声が高まっていた。

 厚労省は今後、対象者や助成割合などを決定。このワクチンを法律に基づいて接種するべきかを検討している同省の予防接種部会にも諮った上で実施するとみられる。

 厚労相は「(ワクチンは)万能ではなく、副作用があることもお伝えしなければならない」と話し、検診と一体化した対策の必要性も強調した。

 子宮頸がんでは年間2500人の女性が死亡。原因となるヒトパピローマウイルスは性交渉で感染するため、学会は11~14歳を中心とした女性への接種を推奨している。費用は4万~5万円。

2010/08/04 21:47 【共同通信】



ここまで


ああ、残念すぎる。

彼も何も分かっていなかったのだ。


子宮頸がんワクチンはビジネス、そして人体実験であるのに

それに国家規模で補助金を出すなんてもうだめかも、日本の政治家。


田中康夫さんにメールすることにしました。

彼にだけでも分かっていてほしい。


そして、公の場で、消費税増税論の欺瞞と同様、

堂々と真実を訴えてほしい。



私は、長妻大臣のような人をもう信用できません。


なんでという想いばかりが沸き上がってきます。

何故本当のことを訴える人がいないのか。


結局は、無知は罪である前に、死への道に他ならない。

私に「知」があるなどと思いもしないが、


彩られたおかしなこの世界をもう見捨てるしかないと思う時もある。



どうか陰謀に巻き込まれないでほしい。

最期の最期まで生き抜いてほしい。


私も殺されたくない。


というか、殺されたい人なんていないと思うけど。



目の前の人さえ救えないなんて虚しすぎます。

お金の為だけに生きるなんて虚しすぎます。


人間はいちど人間に帰るべきだと思う。


いつも思います。


私は何者として存在し、そして今日を生きているのか。

その現場で、本当に「人間らしく」生きているのか。


人間であるのは当然だけど、

それは人間にとって一番大切なことだと思います。


「何者として」と云う発想から抜け出す時です。


自分を造っているのは世界自体であり、

ひとりの「人間」がそれぞれ世界を作っているんですよね。


ならば、最低限、人間として生きる責任があると私は考えます。


それは、簡単に殺されてはいけないとか、

どんなにつらくとも、死ぬまで人を殺さずに生き抜くこととか、

そういう何ともない――でもとても大事なこと、なんです。


人殺しを直接していないからって、

あなたは私は日常的な殺人と云うものに無関係だと果たして言えますか?


あなたも私も人殺しに加担しているかもしれず、

また同時に殺されつつあるのかもしれませんよ。


人々がそれぞれ加害者でもあり被害者でもあるというのはそういうことです。



私たちは平和国家日本に住めて(生きることができて)感謝ですとか

言う方がいますが、私にはそんな考えはできません。


しようとしても受け付けないのです。


特に日本は偽善まみれの国だから、

自分たちは自由に生きているという幻想さえ抱いてしまう。


でも現実はそうではない。


日本人としてなどと言う余裕があるのならば、

国家を形成するひとりの国民として


なにか人々を国家権力から守ったことがあるのかと問いたい。

容易に権力に従順になってはいないだろうか。


国家にこだわる人ほど一人で行動を起こさない

ような気がするのは私だけだろうか。



私は、少なくとも「日本人として、日本国民を守りたい」

とでしか使うことがないだろう(これからも、この先も)。


一部の人はこう言うだろう。


それって、中国から?

北朝鮮から?

テロ組織から?



それに対して、こう言いたい。

はいはい、私はそんな実体のない脅威には関心がありません。

そんなことを言って、戦争したい(軍需ビジネスを潤したい)だけでしょう。



もしくは、こう言う方もおられるでしょう。


アメリカの内政干渉から?

中央銀行の特権から?



こう答えたい。

それも当然、注目すべきことですが、

それよりももっと身近にあるんですよ。




あなたは、日常的に生命の危険を感じませんか?

病院で具体的に何が行われているか知っていますか?

大日本帝国がまだ終わっていないことをお分かりですか?



私の指す、「日常に溢れる陰謀」とはというと、

突き詰めるとそういう話なんです。


いつ死んでもおかしくないんですよっていう話。


人生を考えることと、世界の陰謀を考えることが

そう変わりないことだというのは、そういうことです。


どうか体をお金にしないでもらいたい。

人を殺さない世界にしたい。


私の理想とする世界はそれなんです。


“直接文明”という表現をよく使うから、

こう思う方も多いかもしれない。


人を殺すのは直接的だとは言えないか。


答えるとすると。

殺人は、人間の行為の中で最も間接的なものだと言えるでしょう。

なぜなら、最期の手段だから。


直接、言葉にして訴えることをせずに、

生を断ち切ってしまうのですから。


歴史の改ざんそのものです。



ただし、ここで重要なのが、

人を大量に日常的に殺しても罪にならない職業があるのです。


皆さんもご存じのはずです。


全てとは言いませんが、


それが、医者というものです。


陰謀と云うものは、常に「特権」と切り離せない関係にあります。

本来なら、他人の体に刃物を当てることは罪に当たります。


しかし、医療というものを通して、

国家に認めてもらうことにより、


ある特権を得るんですね。


それって、戦争と似ていますよね。

戦争中でなければ、

人殺しは重大犯罪なのに、

戦場でどれだけ殺しても罪には問われない。


それどころか、英雄扱いされることもある。



でも、それでも生きる喜びをかみしめるというか、

自分のいのちを大切に出来ているならば、


そのおかしさには気がつくはずである。


そのおかしさに気がつこうというのが、

直接文明に基づく社会であると考えます。


それをするのは国家などではなく、

もちろん国連などでもなく、


権力のない私たち=ひとりの人間


です。


もちろん、革命などは用いません。

革命は論外です。

理由はまだ今度記事にします。


結局、一人ひとりが覚醒するしかないんです。

そして、それを多くの人々と共有することです。


組織化を目指しても、利用されるだけです。


そういう意味で、現在の政治のシステムそのものに問題が

あるような気もします。


私は、そのような状況で「日本人であること」を誇れない。



ここまで読んで下さりありがとうございます。


最後に、某有名歌手にもいつか伝わる

そしてどうか殺されないようにという願いを込めて

以下の転載をする。


手術は猛烈な発ガン作戦だった!より転載開始



外科医達の増ガン収奪作戦

斬れば斬るほどガンは猛烈増殖!

猛烈悪化で巨額の利益確定!



なぜ手術をするとガンは急速に悪化、増殖するのか

そのメカニズムは解明されている

この項目では、まず最初に結論とまとめから入ることにする。その後に詳しい根拠を提示する。
手術は抗ガン剤や放射線が猛烈な発ガン剤であるのと同じく、猛烈な発がん術である。切れば切るほどガンは勢いよく増殖する。どんなに広範囲に切ってもまったく効果が無いどころか、広範囲に切るほどガンは勢いづく。悪化させて次なるリピートを狙う発癌収奪作戦なのである。そして医猟産業ではその効率を最も高めるために抗ガン剤や放射線などの他の猛烈発ガン作戦と併用して悪化させる。それのほうが短期間で巨額の利益を稼ぎやすいからだ。
 手術をするとなぜ癌が猛烈に悪化して再発しやすくなるのかというメカニズムは、彼ら自身の研究によっても、すでにわかっているのである。外科医たち自身も、切ると急速にガンが悪化することを経験上わかっている。外科医自身のそのような証言も多数ある。そのメカニズムと根拠はだいたいわかっているのである。
 ではなぜ手術をするとガンが悪性化したり、再発しやすくなるのか。その理由は、おおまかにいえば、次の癌を発生させる悪条件が手術によって複数同時に発生するからである。結論から言えば彼らの三大治療は何もしないことが一番いいのだ。

輸血による放射線、化学汚染、拒絶反応による免疫の低下が生じる
●手術をするときに、出血をした場合に輸血をする。全身麻酔のような手術であれば、輸血が行われることが多い。ところが、輸血は放射線や有害な化学薬品で処理されたガンの原因である化学薬品に汚染された汚染血液であり、輸血される血液には猛烈な発ガン性がある。
 そして、他人の血液であると言うことは、リンパ球を殺す処理しているから、ひどいは拒絶反応は起こしにくくなっているとは言え、拒絶反応も起こすために自分の免疫も低下し、ガンがさらに悪化しやすくなる。なぜ薬品処理や放射線処理されているかなど、そのメカニズムについては後述する。

リンパ節のダメージによる周辺組織の免疫低下
●手術で切り取られた場合は、たいてい周辺のガンを防ぐための免疫をつかさどるリンパ節などが切られて大幅にダメージを受けるので、手術した周辺組織の免疫はごっそり切られて著しく低下する。それによって、その部分が体の中でもっとも免疫の弱い部分になる。だからその部分は感染症にかかりやすくなる。ガンは毒素の塊であるが、一番免疫の弱ったところが排泄しきれずに、毒素が溜まりやすくなる。弱った部分にさらにガンができやすくなるから、結果的に手術した周辺が弱くなっており再発しやすくなる。

全身麻酔によって免疫はガタガタになるからガンが猛烈化する
●麻酔は目的ではないが結果的に免疫抑制剤、つまり免疫を低下させる副作用がきわめて強い。目的は違うが免疫抑制剤を打たれているのと同じことである。
 手術を受けるときに全身麻酔を受けることによって、全身の免疫が極端に落ちる。それは麻酔の添付文書を見れば解る。全身麻酔は人間の免疫も極度に低下させ、感染症などにかかりやすくなる。全身麻酔自体が人間の免疫機能も眠らせてしまうのである。ということは、毒素を排泄する免疫もガタガタに崩れるから、あっという間に深刻なガン体質になる。それを回復するには年単位の時間がかかるほど免疫はダメージを受けている。これによってガン細胞(生体のゴミ箱)にある毒素を排泄しているナチュラルキラー細胞が激減し、働きが鈍るから、入ってくる毒素を処理できなくなるからどんどん溜まる。その毒素は一番弱くなったところに溜まっていく。
それによって全身の化学毒素などのの排泄能力が著しく低下し、全身の排毒能力は極端に低下し、ガン体質が全身に及ぶことになる。全身にガンが広がりやすくなる。

開腹することで空気に触れて体が酸化する
●ガンは体内が酸化することで起きる。だから、逆に還元水や抗酸化物質がガンには効く。つまり、ガンは体内を酸化させている多数の原因が重なって生じている。
 ところが、お腹を開けて、空気にさらしたり、体内に強い光を当てることによって、もろに組織を空気に触れさせ、傷口をさらけ出すことで癌の発生原因である体の酸化という悪条件ますます生じる。とくに切られた部分はもろに空気に触れることで一番酸化する。そこが弱くなってしまうから、ガンができやすくなる。逸見さんの場合、最初に切られた周辺に猛烈にガンが増殖していたという。手術がなければ原因を改善しなければ進行はしていったにしてももっとゆっくりだったはずである。最初の手術が爆発的な癌の増間質性肺炎を招いているのだ。

切られることに依る精神的ストレスでナチュラルキラー細胞が激減
●切られることによって精神手術にも肉体的にも猛烈なストレスを受ける。それによって、ナチュラルキラー細胞は減り、人間の免疫は著しく低下する。

●手術の時に抗ガン剤(発ガン剤)を患部にかけられていることがある。これはすべてではないが、抗ガン剤を患部に脳腫瘍欠けられた場合、発癌物質が大量に内臓に付着して周辺組織が発癌する。



手術で斬れば治るというのは真っ赤なウソ

手術で斬っても斬っても治るわけがない

内臓ごと切り捨てて治った?!のバカバカしさ

ブラックジョークが現実になった医療の悲劇と戦慄



パンクでタイヤを捨てたら「修理が終わりました修理代80万円です」
呆れ果てたブラックジョーク、コント医療の実態



医者の発想は斬り捨ててしまえば「治りました」
患者「頭が痛いのです。」
医者(詐欺師)「では、頭を切り取りましょう。」
人間は有害凶育で極限にまで知能と精神を破壊されると、ここまでゴキブリに劣る知能になりはてて、悪魔的詐欺師になってしまう。
知能も良心も破壊し尽くされた彼らには猟奇的殺人を犯している自覚すらまったくない。


デタラメ、いいかげんな“ガン治療”

●カナダは抗ガン剤五%、日本100%!

 われわれ患者のがわからすれば「ガン治療法が、国によって異なる」 こと自体が驚きだ。カナダの肺ガン専門医に「あなたがガン患者だったら、どんな治療法を望むか?」という興味深いアンケートがある。
 肺ガンは3A期と呼ばれるレベル。軽い疲労感以外に症状はない。手術は可能。さて、……自分がこの患者だったら……」 の問いになんと「無治療」を望んだ医者が二二%もいた。「手術」を希望した医者は、わずか六%しかいなかった。抗ガン剤の「化学療法」は、それ以下の、たった五%。カナダでは医者自身が望む治療を、患者に施すのが一般的という(当たり前だろう。しかし、日本はそうではない)。
 この肺ガン治療……日本では仰天するほど異なる。医師向け教科書『肺ガン診断マニュアル』(医学書院) では、一〇〇%手術が勧められている。さらに抗ガン剤も「……手術例でも、非手術例でも、これらの治療成績の向上には、化学療法が最も重要な、役割を果たすものと考えられている」 (同マニュアル)。
 つまり、カナダでは「手術」 は六%、「抗ガン剤」 は五%しか、行われないのに、日本では、ほぼ.100%、まちがいなくあなたは 「斬られ」、毒を「盛られ」るのだ。抗ガン剤で殺される 


クスリ代にはリベートというバックマージンが入ってくる 

 抗ガン剤や薬で稼いでいる医療の批判に対して、次のような薬価差益では稼いでいないという反論があります。
 現在は薬価差益のクスリ代や他は、点滴の処置管理令が1日で千円弱ながら、実際抗がん剤治療として通っている支払額のほとんどが、右から左へ製薬会社に流れているだけだ。という反論です。ところがこれにはさらに続きがあります。
 次に日本では薬価差益がないなどという医者がいますが、そんなまっとうなシステムが本当に実現しているなら、こんな薬漬け地獄の悪夢が続くはずがありません。
 その使いたがるホンネは、別の形で収入が入ってくる研究費があるからです。昔は薬をよく使ってくれる医者には製薬会社から、車もプレゼントされていました。患者という獲物にタップリと薬を使いたがるのも当然です。


●リベートで〝悪魔の診断マニュアル″

 注目すべきはカナダでは「手術と化学療法の併用」を希望した医者は三%しかいない。これに対し、日本は「治療成績の向上には化学療法が最も重要な役割を果たす」(同マニュアル)と、強調、推奨されている。……三%対一〇〇%……!
 この彼我の大差は、いったい、どうしたことだろう。
 「日本で抗ガン剤が多用される理由はいろいろある」と近藤医師は、解説する。「抗ガン剤は高価なため、見返りに〝研究費″という名目のリベートが病院ないし医者に入ることも、動機になっているだろう」と前著で指摘している。
  なるほど……。人の生命より何よりカネなのだ。そのような医者が書いた教科書は、まさに 〝悪魔の診断マニュアル〟と呼ぶしかない。
 抗ガン剤とは、ガン細胞を殺す目的で投与する細胞毒である。つまり生命を殺す〝猛毒物質〟である。その猛毒を、〝盛られる″のだから患者は、地獄の苦しみである。かさねて開腹手術による切除も、苦悶の苦しみを患者に与える。
 日本のガン専門医は「ボクがガンにかかったら、こんな治療はしないでネ……」と看護婦などに念を押しながら、手術で「斬ったり」、抗ガン剤という毒を「盛ったり」しているそうである。欧米では、少なくとも医師自身が、望む治療法を、患者に施す。それは医療面からだけでなく、倫理面からも当然すぎる話しではないか。
 近藤医師の、つぶやきである。「……どの治療法を選んでも生存率に大差はないのだろう、と。
 ならば、その患者さんにとって、治療や日常生活の苦痛がなるべく軽い方法が選ばれるべきではなかろうか(前著) 抗ガン剤で殺される 


戦慄のボス支配の恐怖
● 「ばあさんに、おっぱいはいらない」


 驚き、呆れるのは、まだ早い。
 日本のガン治療法は、欧米とは目がくらむほど異なり、荒っぽい。患者を苦悶、苦痛の地獄でのた打ち回らせてもへっちゃらだ。それだけでなく治療法の選択も「医者のお好み」しだいなのだ。
 たとえば、乳ガン治療 -。乳房を残しながら、治療をおこなう「乳房温存療法」を女性患者は熱望している。ところが、この 「温存療法」を採用している病院はテンデン、バラバラ……。
病院や医者によってゼロ%もあれば九五%と、ほぼ完壁に採用している病院もある(患者団体「イデアフォー」 アンケート調査結果)。
 「日本の外科医は『ばあさんに、おっぱいはいらない』と、つい最近まで堂々と語っていたから、高齢者はど乳房切除になっている可能性が高い」と近藤医師。
 さらに同医師は、医学界のボス支配をあげる。「最大のものは、医学界内部の非民主的ないしピラミッド型身分制度(ヒエラルキー) であろう」。


●医学界はボス支配による恐怖政治
 
 「要するにボス支配があって、治療法もボスのいうとおりになってしまうのだ。ボスの主張する治療法に異を唱えることは、ボスの人格を踏みにじるかのように受けとられかねないので、下の者は沈黙を守り、いつまでたってもボスが、むかし習った治療法を盛り立てていくことになる。
 そして、ボスが定年を迎えて退職すると、急に新しい治療法が始まったりする」
 なんとも、空恐ろしい〝白い巨塔″ではないか。近藤医師の指摘は痛切だ。「そこには、科学的な情報にもとづく熟慮とか討論とかはなく、恐怖政治があるのみ……」。そして嘆く。「日本は、あまりにも欧米に遅れているうえに、さらにバラバラなのである。日本のガン医療の全体的な水準を引き上げることは急務だ。しかし水準が引き上げられたとしても、なおバラバラな状態が残ることを覚悟しなければならない……」 (前著)。


ガンで死んだら110番 愛する人は“殺された”
第2章 日本のガン患者は三大療法で殺されている


● 〝斬って″〝捨てて″…… 〝治った″ ?

海外の医師たちはガン治療現場で手術すら〝避ける?ようになっている。
その理由は、患者の身体を斬り刻むことで、患者のQOLを破壊してしまうからだ。前立腺ガン全摘で性機能を喪失することなどが、それに相当する。
 さらに手術は、けっきょくガンを〝切除″できないことも理由の一つ。「臓器に根を張ったガンは、手術で半分除去できても局所に残ったガンやリンパ管・節に転移したガンは抗ガン剤でも治らない」これは『健康情報新聞』 (二〇〇五年七月一八日) に寄せられた医師の告白。
 そもそも「ガンは慢性的な退化病・全身病」 (M・ゲルソン博士) なのだ。
 食事改善などで体質全体を改めなければ、ガンは〝治った?ことにはならない。
 考えてもみて欲しい。クルマの前輪がパンクして修理工場に持っていった。修理工が、やおらパンクした車輪を取り外してゴミ箱に投げ捨て「直ったよ」と言って、カネを請求したら、相手をぶちのめすだろう。
 しかし、人間の身体のばあいは、患者は感謝して、医者におカネを払う。なんと奇妙な光景だろう。そもそもガンができた胃を全摘手術して「胃ガンが治った」ということ自体ブラック・ユーモアだ。胃もガンもいっしょくたに斬り捨てただけではないか。
 腎臓や子宮や大腸など……の臓器を全摘して「治った」というのも同じ。その馬鹿馬鹿しさに、どうして患者は気づかないのか。


ガンで死んだら110番 愛する人は“殺された”


●大腸ガンの最大原因は「肉食」なのに…… 

 たとえば大腸ガン -。その最大要因は「肉食」である。さらに「牛乳」「卵」などの動物食だろう。穀菜食が主食の日本人と、動物食がメインの日系アメリカ人を比較すると「肉食」派の日系米人の方が、約四倍大腸ガンで死亡している。世界各国の疫学調査で、同様の結果が出ている。
 そもそも、人間は、虎やライオンなどの肉食動物にくらべて、消火器系の長さは四倍……。肉類は、消化器官に長く滞留していると腐敗して有毒物を発生させ、その刺激で大腸ガンとなるのだ。「腐る」という漢字は、消化器に肉の入った状態を表す。古人の方が、ガン専門医より、真理を知っている。
よって、大腸ガン予防のイロハは、「肉食をやめる」ことなのだ。(無理なら、できるだけ控える)。すると、大腸ガンリスクは四分の一に激減する。前出のCOX 12ナントカ剤を飲ませることが、いかにコツケイかがよくわかる。
 タバコも重大リスクだ。渡哲也さんなど芸能人で、大腸ガンに倒れる人は多い。その元凶が肉食、喫煙、そして、飲酒なのだ。
 これらのライフスタイルのコントロールを一切無視して、ガンになる前から〝予防″のために〝抗ガン剤″を投与しようとする発想は、根底から狂っている。

それどころではない。ガン予防のために〝手術″を! - とすすめる医者がいる。
 たとえば悪名高い遺伝子診断……。「遺伝的に子宮ガンになりやすいので、ガンになる前に取っておきましょう」と〝予防手術″なるものが世界で横行しているという。
 「これで子宮ガンになりません」あたりまえだ! なら、脳腫瘍になる前に「脳を取っておきましょう」とやるのか!
 世界の医療は、ブラックジョークの世界から、地獄の悪魔的領域へと堕落を始めた。




●まず水、空気、食を汚して〝市場開拓″
 
 
 
 それでは、なぜ、このような狂気の科学が、暴走を止めないのか? 方向転換できないのか? それは、暴走列車の牽引車が〝巨大ガン産業″という強烈馬力の機関車だからだ。
 彼らはガンを治すことなど、ハナから目的としていない。ガン予防など……とても、とても……。関心の将外というより、彼らはガンを「できるだけ増やす」ことに血道を上げている。
『がんをつくる社会』 (共同通信社) という名著がある。著者ロバート・N・プロクター(平澤正夫訳)。そこで著者は「ガンは人災だー」と断じる。「ガンの原因はほぼわかっている。それなのに、なぜ、ガンは増え続け、問題の根本的解決が先送りにされるのかつ・」と問う。「日本では原因を知らせないようにする。または発ガン要因を積極的にふやすことに手を貸す為に、野放しにされ、賛美すらされている……」 (訳者あとがき)
 この大部の本は、世界が故意に〝がんをつくる社会″となっていることを告発する。
『がんと環境』 (サンドラ・スタイングラーバー著、松崎早苗訳 藤原書店) も「空気、水、食物などに含まれる合成化学物質の増加が原因である」と告発する。
そのとおり -。命の水であるべき水道水は、塩素処理されるためトリハロメタンなどの発ガン性の有機塩素化合物によって恐ろしく汚染されている。
 塩素処理された水道水を飲んでいる人の消化器・泌尿器の発ガン率は男性三・六六倍、女性二・二三倍……という驚くべきリスクだ。(一九七〇年代、アメリカ調査)
そのリスクどころか現実すら、国家は一切、秘匿する。その理由は言わずもがなだ。国家もガン産業マフィアの一員だからだ。タバコも然り。ガン死亡の約三割が、タバコが元凶だ。政府は日本人は三〇万人強が毎年〝ガンで死んでいる″という。ならば、タバコ対策を徹底すれば、〝ガン死″は一〇万人も減らせる。
 しかし、マフィアの一員である国家が、そんな〝バカなこと″をやるわけがない。
巨大「ガン産業」は、それに巣喰う連中にとって、実に美味しい市場なのだ。
 彼らは死肉を喰う禿鷹以下の、まさに悪魔に魅入られ地獄に墜ちた亡者のような連中なのだ。
 そのビジネスの五つのステップは、以下の通り。
 世界ガン・ビジネスの五ステップ ー
①まず、水、空気、食物を汚染して、ガン患者を大量生産。
②食事療法など「代替療法」を医療市場から追放、弾圧……。
③ガンになる前に〝抗ガン剤″、予防のために〝手術″を!
④抗ガン剤、放射線、手術の〝三大療法″利権を確保。
⑤治さず、弱らせ、悪化させ……最後は〝殺して″丸儲け……。
- この悪魔産業と、私たちは問わねばならない。



悪魔達の斬殺収奪作戦

義▼患者さんの人格人権の軽視無視 -。(『がん治療「常識」 のウソ』前出)

●「ガンはきれいに取りました」はウソ 
 
 自ら、五年生存率ゼロという転移ガンに侵され、栄養療法のゲルソン療法で命を救われ一三年、元気に活躍しておられる医師、星野仁彦医師の体験は貴重だ(『ガンと闘う医師のゲルソン療法』後出より)。
 ガン手術を受けたあと、医師が満足気に「ガンは、きれいに取り除きましたから」と笑顔を見せると患者も家族もホッとして「ありがとうございました」と頭を下げる。だからふつうの人たちは「ガンは切って取ったら治る」と長い間信じこんできた。いわゆる〝手術神話〟である。
 ところが、これがウソなのだ。
 「真実は、きれいに取ったといえるのは、ごく早期の場合だけなのです。厳密には、ガンの種類によっても異なりますが、一般的に直径一センチくらいまでの腫瘍なら、きれいに取ったといえるでしょう。手術だけで五年以上再発しない人がいますが、そういう人がこのケースです。この場合に限って、根治手術ということばが当てはまります。ところが、腫瘍が直径二~三センチか、それ以上の場合、きれいに取ったと外科医がいっても、必ずしも真実ではありません」と星野医師は言う。


●切っても治らない……ガン細胞は全身に  

 「ガン細胞というのは、非常に血管が豊富で、またリンパ管もたくさんあります。進行ガンの場合、それらの血管、リンパ管を通してガン細胞は全身にバラまかれていくのです」 「カルテの『病理所見』欄にⅤ(+)とあれば「血管の中にガン細胞が侵入している」証拠。L(+)なら「リンパ管の中にガン細胞が侵入している証し。各々、血行性転移とリンパ行性転移が起きている可能性がある」。
 つまり「進行ガンの場合、ガン細胞は全身に回っているというのが、第一線のガン外科医の共通の認識です。この事実は従来、ガン専門医の口から語られることは余りありませんでした。その理由の一つとしては、この事実を知ると患者さんが絶望するからです。目に見えない細胞レベルでの転移があるから、いずれガンが塊(かたまり) として再発することになります。
 ところが患者さんにすれば予期せぬ出来事で『お医者さんがガンはきれいに取ったといったのに、なぜ再発したの?』と初めて疑問を抱くことになります。残念ながら、その段階で気がついても、手遅れのケースが少なくありません。外科医が『ガンはきれいに切って取りましたよ』というのは、厳密、正確にいうと『目に見える範囲で』という注釈つきなのです。顕微鏡レベルでなければ確認できないような微小なガンまで切って取ることは、現在の外科手術では不可能です。一般的に外科医の医師は、そこまで細かく患者さんに説明しません」 ……初めて知った……と愕然とされた患者、家族、遺族のかたが、ほとんどではないだろうか。
 「医者にだまされた……」とホゾを噛んでも、もう愛する人は永遠に戻ってこない。
抗ガン剤で殺される



医療現場の恐ろしい実態

彼らにとって都合の良い仮説だけが採用されている

恐ろしい医者のホンネは「切りたくて仕方がない」



このガン切るべきか、切らざるべきか 土屋繁裕 NHK出版
第三章 再発ガン-切るべきか、切らざるべきか 127~
 
二次転移は本当にあるのか?
 大腸ガンは、肝臓に転移しやすいことが、よく知られています。
 このように原発巣から違う臓器に、最初に転移することを一次転移といいます。一次転移に関してだれも異存はないのですが、一時転移した臓器から、また他の臓器に転移する二次転移が本当にあるかどうかはわかりません。
 なぜなら、全部原発巣から直接転移した一次転移と考えても矛盾しないからです。例をあげて、もっとわかりやすく説明してみましょう。
 大腸ガンがまず肝臓に転移する。これは一次転移です。
 そして肝臓の転移巣から肺に転移する。これが二次転移です。ところが大腸ガンが肝臓を経由しないで、直接肺に転移したと考えれば、全部一次転移と考えられるのです。
 実は転移を見つけるとすぐに手術したがる、辻斬り外科医たちの錦の御旗が、この二次転移理論と大いに関係があるのです。
 例えば、大腸ガンの術後二年目に二センチの肝転移一個が見つかったとします。
 私なら他に微小転移が残っていないかどうか、あと半年くらいあぶり出し期間を置いてから、手術するかどうかを判定します。
 ところが辻斬り外科医たちは私に対して、「半年も待って、肺に転移したらどうするのだ」 と反論するのです。
 私は、「急いで切って、半年後にまた肝臓に出てきたらどうするのだ」と反論するのですが、彼らは懲りずに、「出たらまた切ればよい。出なくなるまで切るのだ」というのですから、もはや付ける薬はありません。
 ここでもう一度よく考えてみてください。もし二次転移の概念が間違っていたら、辻斬り外科医たちの主張する「半年も待って、肺に転移したらどうするのだ」という理由は通らなくなってしまうのです。
 前にいったように肝転移が一個あっただけでは、何の症状も出ないし、死ぬまでには何年もかかるのが普通です。痛くも痺くもないのに、本当かどうかもわからない二次転移の仮説を盾に、あぶり出し期間を取らないのはおかしいとは思いませんか。
 彼らは手術に飢えた狼なのです。食えそうなものはすぐに食う、切れそうなものは何でもすぐに切ってしまうのです。己の空腹感を満たすため、患者さんではなく、自分が満足するために手術するのです。


 医者の都合で手術を決めるな!

手術するかどうかを決めるときに、「社会的適応」というものがあります。手術が少なくなると、通常なら切らない場合でも手術する ー そんなことがあるはずはないと、皆さん思うかもしれませんが、実際はさにあらず。手術をある程度こなさなければならない大病院では、日常茶飯事に行われているのです。
 また、担当した外科医が何を専門にしているかでも、手術の適応が変わってくるので注意が必要です。よい例が呼吸器外科と、肝臓外科です。
 呼吸器外科で手術することがもっとも多いのは、肺ガンです。次いで肺転移の手術です。
一方肝臓外科では、原発性肝ガンの患者さんの八割は肝硬変を合併しているため肝機能障害があり、手術後に肝不全で死亡する危険が高いため手術できることが少ないのです。したがって圧倒的に肝転移の手術が多いのです。言い方は悪いのですが、肝転移を切らないと仕事が減って、失業しかねないのです。つまり、いつも手術に飢えている状態なので、すぐに切りたがるのです。
 だから再発ガンでもっとも大事な、あぶり出し期間を取らないで、すぐに切ってしまう。
もし仮に、肝臓外科がいつも手術で混んでいたら、状況は一変するはずです。
 では、呼吸器外科医なら安心かといえば、必ずしもそうとはいえません。
 肺ガンの手術が少ないところでは、切らなくてもいい肺転移を切る可能性があるからです。
 外科医にとって、手術は仕事であり、患者さんはお客様です。お客様が少なくなれば、仕事が減り、まったくいなくなれば、失業してしまいます。医療といえども、需要と供給という点では一般の商売と何ら変わらないのです。建設会社がビルを建築できなくなれば、会社は倒産するのとまったく同じです。倒産したくなければ、どんなにやりたくない仕事でも、やり続けていかなければならないのです。
 切らなくてもよい患者さんまで切る、それも自分たちの都合で。私はこのような飢えた狼のような外科医は、決して許してはならないと思います。
このガン切るべきか、切らざるべきか 土屋繁裕 NHK出版 127~

 外科医も歯科医もいっしょ。獲物を見れば切りたくなる。それが歯科医、外科医のホンネです。些細なことでも虫歯を見れば片っ端から削りたくなるわけです。実態は人体を壊しているだけ。歯を削る治療はさらに悪化させて二次カリエスをつくるというのは世界の常識です。日本の歯科医療だけです。日本人は世界一だまされているわけです。
 ロバート・メンデルソン医師はアメリカで「医者が患者をだますとき」草思社に手術の歩合制を辞めたら、途端に手術件数が数分の一になったと言います。
 なんのことはない。医者がメシを食うために患者はだまされて説得されて不要な手術でメッタ斬りにされていたと言うことです。そのために、大げさな余命を言って「センセイのおかげで…」とだまされて、骨までしゃぶられていただけです。もともとたいした病気じゃなかったのですから再発しないのも当たり前のことです。



本当は恐ろしい医者のホンネ

「ワシらの仕掛けた殺人トリックの罠に、はまりよったでぇ。さっさと切ってしまえばこっちもんや。
獲物に考える時間を与えたらアカンでぇ。40万円利益確定。ヒッヒッヒッ…。」

「ウワアッアッッ…!医者にだまされて臓器取られてしもうたぁ。私の臓器返せ…。」

今の医療現場は見渡す限りこんな殺人医者だらけ。ブラックジョーク療法の医者を育てるのに5000万円の税金をかけて、2000万円の殺され代で騙し取られて悶死している壮大なバカバカしさ。これが日本の医療の現実。
これが日本の凶悪殺人工場、文部科学省凶育の結末!


論より証拠のガン克服術 中山武 草思社 
6章 - 西洋医学ではガンは治らない
 
「切り取っても再発する」

「○○○○クリニック」の○○○○先生は、ある病院の外科部長などを二〇年間務めてきた人である。しかし、西洋医学のガン治療法に疑問をもち、五年前にその地位を退いている。『致知』という雑誌で、先生は次のように述べている (二〇〇二年一月号。以下は抜粋)。

「がんは取り除くべし。これがいま日本の医療界を席巻する西洋医学のがんへの基本姿勢である」「そして、取り除くのなら、全部切り取ってしまうのがよい。少しでもがん組織を残せば、それがまた増殖し、がんが再発するかもしれないからだ。いや、切り取るだけではまだ足りない。がん周辺の一見正常な組織にがんが転移している可能性もある。ここは『疑わしきは罰せよ』で、がん周辺の組織も切り取っておいたほうがいい……。
 これが、日本のほとんどの病院で行われているがん手術の平均的なあり方だと思って間違いない」「さて、このやり方で、がんは本当に治るのか。残念ながら、ノーである。
 がんを切り取り、疑わしい組織も取り除き、抗がん剤で徹底的にがん細胞を制圧したと思っても、多くの場合、がんは再発する」「(私は)かつて、ある病院の外科部長として、がん手術のメスを振るっていた時期がある。
 その後、現在の日本の医療のあり方に強い疑問を感じて、その地位を退いたのだが、当時は、医学生のとき以来頭に叩き込まれた西洋医学の教えを一点も疑わず、がんと見れば、末期がんでもない限り、片っ端から切りに切った。
 しかしそれでも、早い場合には術後数か月でがんは再発した。患者の検査データに再発の兆候を見つけるたびに、どうしようもない無力感に襲われたものだった」

 ○○先生は外科医を辞められたあとは、本当に患者さんのためになる治療の道を探求しつつ、現在はおもに「在宅医療」 の病院の院長を務めておられる。
 患者さんや家族の話をじっくり聞き、食事や生活習慣についてアドバイスしたり、心のリラックスに役立つ本を貸し出したり、投薬を極力減らすなどの説得もしている。
 患者さんのなかには、直腸ガンとその転移で、余命半年を告知された七十代の女性がいる。しかし、もう三年間も生き抜き、ピンピンしているそうだ。
 先生はときどき痛み止めを処方するだけで、あとはお話をするという。患者さんのいろいろな訴えや症状にたいしては、「いいじゃないの、いいじゃないの」と応えているだけだという。


医者の本音
 
 ところで、○○先生のような誠実な医師はまれなのだろうか。多くの医師は、現在のガン治療に疑問をもっていないのであろうか。
 じつは、私の知るかぎりでは、相当数の医師が○○先生のような経験をしているのである。
 私が聞き集めた 「医師の本音」を次に述べておこう。
「数多くの患者さんを治療してきたが、一年以内に半数近くが再発・転移をしている。どんなに努力をしてみても、一〇年以内に、一〇人中九人までが亡くなっているのが現実だ」「ガンが治ったのは、軽かったか、運がよかったか、奇跡だったか以外は、とても考えられない」「私は勤務医だが、早期ガンの患者を担当すると、すごく真剣にならざるをえないのです。なぜなら、マスコミの影響で早期ガンは治ることにされてしまったので、もし少しでも悪くなると担当医の責任にされてしまうのです。でも、初めから悪化した患者を担当するときは気が楽です。どうせ何をやっても死ぬんだから……」「よくいわれている五年生存率が、ガン完治のバロメーターだなんて、とんでもないよ。いまのガン治療はね、五年間も受けつづけると、患者本人の自己免疫力がほとんどなくなり、データが出なくなるから、五年で打ち切ってるだけだよ」
 多くの医師が「ガンは治せない」と思っているのだ。医師も患者さん同様、ガンを恐れている。
 しかし、患者さんは医師を頼りに病院に行くから、「私はガンは治せない。手術や抗痛剤などの現代医療では限界があるから、ほかの方法を探しなさい」とはいえない。プライドや意地もあるだろうし、西洋医学一辺倒の考え方だから、ほかの治療法があることさえ知らないのが現状ではなかろうか。



輸血が猛烈にガンを悪化させている

輸血液は化学薬品と放射線で処理されている病的血液



医者の私ががんにかかったら 小学館
末梢血幹細胞移植とは
 免疫療法のアイデアには、さまざまなものがある。そのうちの一つは、養子免疫療法といって、患者の血液から、がんを攻撃する細胞障害性Tリンパ球を取り出して、増やし、患者の体に戻してがんを攻撃させようというものだ。しかし、これは肝細胞がんの手術後の補助免疫療法としてしか確立されておらず、肝細胞がん以外のがんの治療やそれらのがんが再発した場合には、まだ実験的な段階にすぎず、実績は上がっていない。
 また、Tリンパ球にがんという抗原を覚えさせ、増員を命じる働きを持つ樹状突起細胞の機能に着目し、この樹状突起細胞を活性化させて、患者の体に戻す方法もある。一九九七年から東京大学で大腸がんの患者を対象に行われていたが、結果はあまり芳しくなかった。
 あるいは、TILというリンパ球を取り出して、増やすという方法もある。TILは、がん細胞の周りで発見されており、がんと闘っている白血球ではないかと推測されている。だが、TILはがん細胞に紛いるため、TILだけを取り出すというのは技術的に至難の業だ。
 今まで、こうしたさまざまな免疫療法が研究されてきたが、いずれも効果はほとんどあがっていない。これを抗がん剤治療に当てはめると、あまり効果が見られないのにたくさん使われるUFTやフルツロンにも劣るのではないか。そんなUFTやフルツロンでも、単剤で使って、稀に効く人もいるが、やはり最低でも二~三割以上の人に効果が見られないと、実用的な治療とは言えない。例えば九割の人が効かないのであれば、治療ではなく、まだ実験レベルである。
 ところが、冒頭に紹介した末梢血幹細胞移植は、これまでの免疫療法とは違う。輸血で生じる最も恐ろしい副作用「GVHD」(グラフト・バーサス・ホスト・ディジーズ=移植した臓器と移植された人間の体との相互作用で起こる病気の意)を利用するのである。
 GVHDは、移植片対宿主病と言う。これは十年前に東大輸血部の十字猛夫教授によって発見された。
 これは、輸血をした患者が、特に親族からの献血で突然死する病気である。非常に稀だが、輸血後、二~三週間してGVHDが発症することがあり、いったん発症するとほとんど治療法はない。発症した患者はかなり高い確率で亡くなってしまう。
 なぜ、このようなことが起こるのか。
他人の血液を輸血すると、体内で他人のリンパ球と自分のリンパ球が激しい闘いを繰り広
げる。勝負は数が多いほうが勝つので、結局は自分のリンパ球が勝つ。ところが、兄弟や親
族など白血球のタイプがよく似ている人から輸血した場合は、輸血中に混じっていたリンパ
球が自分のリンパ球とよく似ているため、輸血したリンパ球の中のある種のものは、輸血を受けた患者のリンパ球の攻撃の手から見逃されるものが出てくる。見逃されるだけではなく、患者の体の中でこれが次第に増殖していって、やがて患者の体の中を血液に乗って循環し始める。しかし、似ているとはいえ、もともとは他人の体のリンパ球であるから、患者の体の中にある特定の部位を異物として見なし、結合組織や内臓に拒絶反応を起こすようになる。
それによって、患者の命を奪うことになる。
 このGVHDという病気が発見されてからは、輸血用の血液には必ず放射線をあらかじめ照射して、白血球の増殖能を奪ってから輸血することになった。
 こうした恐ろしいGVHDを逆に利用したのが、末梢血幹細胞移植だ。
 あえてGVHDを起こしやすくさせるために、まず、患者に大量に抗がん剤を投与し患者自身のリンパ球を徹底的にたたいて、リンパ球の数を少なくする。そこへ、親族のよく似たリンパ球を移植する。そうすると、注入されたリンパ球はやすやすと増えていき、患者の体の中をパトロールし始める。その際はGVHDを発症しないように、免疫抑制剤を使って、まるでアクセルとブレーキを両方踏んで絶妙なコントロールをするように、慎重にリンパ球の闘いを見守らなければならない。そして、パトロールをしている他人のリンパ球が、偶然にがんを見つけ、がんに対して攻撃を仕向ければ、がん細胞は減少していく、という仮説だ。
 アクセルとブレーキの操作が微妙で難しく、副作用で亡くなる可能性も高い。だが、時に
非常に強力な力を発揮する免疫というものを利用するので、五〇%の奏功率という高効果が期待できるが、その一方で危険性の高い治療でもある。しかし、近い将来、このGVHDを引き起こす免疫能をもっと簡単にコントロールできるようになれば、末梢血幹細胞移植は実用化されるようになり、将来的には抗がん剤のように確立された治療になっていくのではないかと期待されている。

最新治療は「人類への貢献」だが…… 

免疫療法や遺伝子治療などを、マスコミは夢の最新治療として、期待をあおる。だが、あまり芳しくない免疫療法の中で唯一健闘している末梢血幹細胞移植でさえ、現時点ではまだ実験段階である。
 日本でも遺伝子治療は一九九九年から始まり、現在、十程度の施設が研究に取り組んでいるが、成果はほとんどあがっていない。
 二〇〇二年四月、がんの遺伝子治療に取り組んでいる大学病院と、対象者、そしてその治療成績のリストが新聞で報道されていたが、結果は言うに及ばずだ。遺伝子治療は、アメリヵでは多くの施設で終わった研究である。日本でこうした結果になっても、驚くには値しない。
 受けた患者のリンパ球の攻撃の手から見逃されるものが出てくる。見逃されるだけではなく、患者の体の中でこれが次第に増殖していって、やがて患者の体の中を血液に乗って循環し始める。しかし、似ているとはいえ、もともとは他人の体のリンパ球であるから、患者の体の中にある特定の部位を異物として見なし、結合組織や内臓に拒絶反応を起こすようになる。
それによって、患者の命を奪うことになる。
 このGVHDという病気が発見されてからは、輸血用の血液には必ず放射線をあらかじめ照射して、白血球の増殖能を奪ってから輸血することになった。
医者の私ががんにかかったら 小学館 210~
 

ガン産業のボロ儲け

●野蛮・残忍なガン手術

 
病院でのガン治療には何千ドルもかかる。スローン・ケタリング・ガンセンターが「研究」に年間七〇〇〇万ドルも使う一方で、付属のメモリアル病院はベッド一床あたり一日四七〇ドルを請求する。一〇日間も入院すると、ベッド代だけで五〇〇〇ドル近くになり、さらに看護代や治療費として別途四〇〇〇ドルを請求される。
 「切る・叩く・焼く」という治療法によってガンが治癒したという記録は、日常的に歪曲・偽造されてきた。
 カリフォルニア大学バークレー校の医療物理学教授バーディン・ジェームズ博士は、一九六九年に米国ガン協会主催の科学記者会議で演説し、「もっとも症状の重いガン患者はたいてい 『手術不能』と診断され、故意に治療をせずに放ったらかしにされる」と暴露した。
 治癒または媛解した症例はもともと治癒率の高い「甘い」症例である。けれどもジェームズ博士は次のように報告している。
「症状が重いために放ったらかしにされた患者の方が、症状が軽くて治療を受けた患者よりも、実際の生存期間は長くなっている」
 ジェームズ博士のこの暴露発言をよそに、依然として医療機関では、自分たちが治療できる患者のみを選んで治療し続けた。偉大なスローン・ケタリング・ガンセンターですら、自分たちの施設は末期ガン患者を受け入れるためのものではないとして、重症患者たちにはただ死を待つだけのホスピスに行くよう、丁重に勧めるのであった。
 しかし、ガンセンターが末期ガン患者を拒絶したことは、患者にとって実際には幸運だったかも知れない。もしスローン・ケタリング付属のメモリアル病院で治療を受けていれば、よだれを垂らしたドラキュラ伯爵の餌食になるようなものだったからである。
 ラルフ・モス博士は、この病院でよく使われる手術方法のいくつかを公表した。
 頭部または頚部にあるガンは、「コマンド」と呼ばれる手術を受ける。この名称は、第二次世界大戦中に奇襲部隊が得意とした戦闘方法から名づけられたもので、患者のあごを完全に取り去ってしまう方法である。障臓ガンは、腫瘍のある腺の周辺組織をほとんどすべて切除する。しかしこのような荒療治にもかかわらず、五年生存率は手術を受けない場合と同じでわずか三%である。
 一九四八年アレックス・ブラウンシユワイク博士は「臓器全摘除術」と呼ばれる手術法を開発した。この方法は直腸、胃、勝胱、肝臓、尿管、すべての内生殖器、骨盤底と壁、膵臓、牌臓、大腸、多くの血管、これらすべてを切除摘出するものである。ブラウンシユワイク博士みずからが、このくりぬき手術を「野蛮で残忍な手術」(一九六九年八月八日付ニューヨークタイムズ紙)と呼んでいる。
 「気狂い医者」手術の典型として有名なものに、ヘメオコーポレクトミーがある。スローン・ケタリング・ガンセンターのセオドア・ミラー博士が考案した方法で、骨盤の下すべてを切除するものである。この技術は中米の共産主義革命で使われた方法を彷彿とさせるが、それ以上に残忍なものである。たとえば、ニカラグアのサンディニスタ革命で、首謀者は次のような詩的な標語を唱えさせて革命戦士たちを鼓舞した。
  「自由を獲得するは、花に非ず、銃弾なり。
  さればこそ、われら用いるは、
  チョッキ切り、ヒョータン切り、ブルマー切り」
 「チョッキ切り」とは、サトウキビ刈りに使うなたで犠牲者の首を刺ね、両腕を肩から切断するもの。「ヒョータン切り」は頭の上部を切り取る。「ブルマー切り」は両足の膝の部分を叩き切り、そのまま出血死させる方法である。


こんな猟奇的なことが本当に人助けだと信じているなら、彼らの思考回路は狂っているとしか言いようがない。もちろん治癒効果などまったくゼロである。やられた獲物は急坂を転がり落ちるように悪化する。



治療すればするほど悪化するのは当たり前のこと

斬っても斬っても治らない。治療すればするほど、猛烈にガンはあちこちに増える。
当たり前だ。もともと現代医療の治療、手術に治癒効果など全くなく、ますます悪化させる発ガン作戦だからだ。再発せずに治ったというのは、もともとガンではなかったか、悪化しないガンだっただけのことだ。



ここまで



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「軍隊は人殺しを学ぶ場所だ」それのどこが間違っているのか


朝鮮日報 【コラム】男尊女卑VS女尊男卑(上)より引用


ソウルのある高校に勤める女性教師がEBS(教育放送)のインターネット動画による大学修学能力試験(修能=日本の大学入試センター試験に相当)対策講座で軍隊を侮辱する発言をしたことが批判を受けている。問題の教師が「軍隊に行って何を学んでくるかといえば、人殺しだ。女性は苦しい思いをして子供を産むのに、男は人殺しを学んでくる。一体そのどこがよくやったといえるのか」などと発言した動画が、インターネット上に広まったのだ。ネットユーザーはこの教師を「軍殺女」などと呼んで激怒し、国防部も「国家に招集されて若い時期を犠牲にした予備役、国防の義務を果たしている現役(の軍関係者)に深い傷を負わせるものだ」と遺憾を表明した。人気講師だった彼女は、たった一言で耐え難いほどの非難にさらされてしまった。


 ところで、動画を見て当惑させられたのは、「軍隊は人殺しを学ぶ場所だ」という表現だけではなかった。この女性教師は「言語の変化」を説明した際、「男は主に非標準型の言葉を、女は標準型の言葉を主につくり出す」という論理展開をしていて、失言に及んだ。教師は「男が使う言葉は良い言葉ではない。女性が使う言葉が良い言葉だ。やはり男たちは暴力的で良くない。わたしは男尊女卑にかなり逆行している。女尊男卑は気分が良いものだ」などと話していた。


 社会全体に不用意な発言が広がり、言葉は自分が属さない集団を侮辱する毒になりつつある。先ごろも与党の国会議員が大学生との夕食会で、「アナウンサーはすべてをささげなければならないのに、それでもやるか」などと女性差別発言を行い、党から除名処分を受けた。野党所属の郡守(郡の首長)は「ヌード写真を撮ろう」などと部下の女性職員に対するセクハラに及んだ。このように、男尊女卑の暴言は旧態依然だが、そこに女尊男卑の暴言まで加わり、言葉は次第に毒々しくなっているようだ。



ここまで


こんなに目をつぶりたくなるような発言が出てしまうほど

大変な社会なんだと思いました。


力を持って対抗する考えとか、

自分たちが標準だという考えの欺瞞には気がつかれていないようですが、


よく本当のことを言えたものだと思います。


これは冗談ではなく本気で人のことを想っているから出来たんです。



「軍隊は人殺しを学ぶ場所だ」

↑コレの何が間違っているのかと思う。



もういい加減、本当のこととか本音を言った人が
大変な目に遭う世の中を変えたいものですね。

もう“まともな”人生=機械的なごっこ遊びという演出を止めましょうよ。




歌詞はこちら


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心の羅針盤~玉蔵さんの思想のルーツはここにある~

玉蔵さんの考えを知るために、昨日は過去記事を見ていました。

多くのこれいいなあと思う文章とか表現があったりして、
改めて玉蔵さんと云う人間の深みを知ることとなりました。

その中で特に、今、皆さんにも読んでもらいたい記事があります。


冷静になって考えると (090609)より転載開始


東京から帰って来て不思議に思います。
本当に冷静になって考えるのです。
なんで、こんなところに住むようになったんだろう?とつくづく不思議に思うのですた。

最近、知ったのですが、ワタスの住むところはどうも何とか百景に選ばれる場所のようです。本屋に日本の風景100選とかなんとかいう写真集が出ていて、そこにワタスの住む場所の写真が載っていますた。
どうりで風光明媚な美しい場所だと思いますた。
いろいろと各地を回っていて、ここだ!ここしかない!ということで決めたのですた。
直観が導いたとしか言いようがないのですた。
皆さんも来れば分かりますが、こういう場所もなかなかないのではと思います。
田舎に行きたくないと言っていた妻も大変気に入っています。

空からオタマジャクシが降ってくる世の中ですが、ワタスのところは夜になるとカエルの合唱です。ゲコゲコと絶え間なく聞こえます。何の虫か知りませんが虫も大合唱しています。小川が流れ、小動物が住み自然がまだそのまま残っている場所なのです。
親類も遊びに来るとかなりリフレッシュしてかえって行きます。子どもたちも大喜びです。

今度、カエルや虫の声を録音して、このブログに乗せましょう。
本当にそうしましょう。
楽しみにまっていて下さい。
写真も載せたいところのなのですが、セキュリティの観点から載せるのをためらっています。奴らは人工衛星から手のひらまで認識できる超高性能レンズを持っていると言います。
本当かどうかは知りませんが、まわりの風景などのせたら場所が特定されてしまうのではないかと載せないのです。時々、玉蔵さんの住んでいるところや畑の写真を載せてくれと言われるのですが、そういう理由で載せてないのですた。
申し訳ありません。
奴らの軍事衛星からワタスのふんどし姿をキャッチされレーザーで金玉を焼き切られてしまうのではないか。
やらしてはいけない。用心するに越したことはないのです。

しかし、不思議なものです。
ワタスは都会で何不自由なく暮らしていますた。
妻も満足していますた。
近くにスーパー、コンビニ、電車を使えばすぐに都心に出向くこともできますた。
なんで好き好んでこんな場所に越して来たのだろう。
イノシシが闊歩する、こんな人気のない限界集落。
自分でも不思議になるときが時々あります。

しかし、都会に住んでいたころは、ワタスは自分の中で早く田舎に越さなきゃいけない。自給自足をしなければいけない。
なぜだか自分をいつも突き動かすような衝動にさいなまれていますた。
エージェントさんからの情報もありますた。
しかし、一番の理由は内からの声です。
冷静になって考えてみてもそれが何なのかはさっぱり分かりません。
しかし、理屈ではない。
考えるな感じろです。
素直に心の羅針盤に従って今のワタスがあるのですた。

エージェントさんによれば、どうせ田舎に疎開する羽目になるから引っ越すなら早い方が良いと何度も言われますた。結局のところ、都会はゾンビたちの共食いの場所になるのでしょう。

人間の基本は自給自足。
大地にしっかりと足をつけて、この風光明媚な場所で生きていこう。
そう思ったのです。

久し振りに立ち寄った東京は、キチガイの三乗のような場所ですた。
きらびやかな風景とは裏腹に、朝の出勤近くに乗った電車の中で見たサラリーマンの表情。
その表情は暗く沈痛なものですた。
なんでも綺麗で便利。早くて正確。
まぁ、たしかに田舎の汲み取り式トイレより水洗ウォシュレットが良いに決まっています。ワタスも久しぶりに都会のウォシュレットを使い、いい!やっぱりいいよ!と一人個室の中で叫んでしまいますた。ワタスのお尻も久しぶりに味わった快感にピクピク身もだえしていますた。

とにかく、なんでも美しく、綺麗で便利。
過剰なサービスのオンパレードです。

しかし、なぜ電車の中のサラリーマンの顔はウキウキワクワクしてないのですか。
今日は何しよう。楽しくてしょうがない。
ではなく、また長い一日が始まるよ。
そんな鎮痛な表情ですた。

バカも休み休みにやれ。
綺麗で優雅に見える白鳥が水面下では必死に足をじたばたさせているのと同じです。なんでも便利で良い世の中になったと思っている一方で、自ら命を絶つ人たちが毎年3万人もいる。
サービスを提供する側は疲れきっているのです。

このままこの世の中が続くとお思いでしょうか?
地獄の底から毎年3万人。死んだ人たちが地獄へ引きずり込むことでしょう。
3万人も毎年同胞を殺しておいて、ほったらかし。
毎日、綺麗な見目良い女性レポーターがグルメ特集などニコニコ顔でやっています。テレビでお笑い芸人が人気です。
毎年自殺者3万人は見なかったことになっている社会。
普通に考えて、天罰は下るに決まっているではないですか。

ワタスにはどう考えても、キチガイ社会としか思えません。
ストレスをかかえて死にそうなのに作り笑顔で幻想を辛うじて支えている。
本当はそんな幻想などウソだと心の底では分かっているくせにです。

一刻も早くこのキチガイ社会から抜け出せ。

また、お前こそキチガイのくせにと言われそうなのでここら辺で終わりにします。

本当にありがとうございますた。



ここまで


心の羅針盤。

それこそが、本当に大事なものですよね。


こんなにおかしな狂った社会を見事に表現されています。

みんなが楽しく生きられたらいいですね。

それだけのことなのに、とても深く考えさせられます。


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傘が無いだけなのだ。

                                                
まっこうモグラさんのブログ最新記事 
「前向きな絶望が生み出すもの」


この文章にあまりにも感銘を受けたので、皆さんにも読んでもらいたいと思います。


転載開始


選挙の結果が出はじめた・・・。
20100711の21:00頃、今、記事を書き始めている。
 
 
「絶望」と書いて投票してやろうか。
 
 
選挙前に自分が言った言葉である。
monosepiaさんとこに、この部分が掲載された。
 
いや、どっちかというと・・・。
『民主党が乗っ取られたことの説明責任や、国民新党の郵貯ロンダリングの説明責任、自民党時代に同じような事があった場合なら「俺はいいわけはいらん=説明責任を果たせ」と一蹴しただろう』
こっちのほうが重要な意味になる言葉なんだが。
 
 
まあいっか。
 
「絶望」の表すものとは、現状認識や状況把握であって、心が折れる事を指している言葉ではない。
 
「希望が絶たれている」というのは、単なる状況把握であって、「雨なのに傘が無い」=だから憂鬱という、心情の描写に変換してはいかん。
傘が無いだけなのだ。
 
状況判断というだけのもので、進むかどうかは状況ではなく、心が決める。「前向きな絶望」という話である。
 
 
 
自民と民主の連立構想。
この選挙後の構想なんて、あのときのナベツネ、中曽根などの構想を実現するシナリオにそってること。

外資保険屋が広告となってる選挙速報の冒頭で「民みん連立」だの「自民躍進=増税は国民が認めている部分がある」だのと、台本役者がしゃべってる時点で、「シナリオの存在」なんて簡単な話だ。

それに、大衆に捨てられたはずの自民系(みんなの党なども含む)を、この選挙後に連立という舞台に上げるためには、「自民党の巻き返し=みそぎ」という演出が不可欠だったってことだよ。
 
この短期間で何もしてないのに「みそぎ=洗い清める事=世間は自民党を許しましたよ」とか、「この選挙は、自民系と民主の連立への呼び水」なんて、選挙が世論の鏡であるのなら、100%あるわけないだろ!!という簡単な話である。
 
 
出口調査というのは、できるだけ調査の終了時間をギリギリ遅くまでまで引っ張りたいはずである。速報番組と同時に出せるように。
 
なのに、その出口調査の結果にあわせた選挙結果について、「当選議員と御用聞き評論家の台本どおりのかけ合い漫才」が、選挙速報の冒頭に用意されているという顛末の意味を少し考えればわかりそうなもんだが。
彼ら評論家は何で内閣官房機密費のことさえ説明しないのかな?
るんるん♪
 
 
まあ、今回は俺も反省。
 
前回の民主の躍進の裏には、Jロックフェラー(小沢)とDロックフェラー(統一教会系など)の対立の激化があって、前回は「インチキ選挙」の機能ができなかったこと。
 
小沢の失脚、民主党というJロックの党が乗っ取られ、融合みたくなったこと。アメリカでのJロックの動きの変節も何となく感じてたはずなのに・・。
 
ここだけでも決定的な違いである。
 
 
いつだって選挙応援団、ヤクザ、弘道会(山口組系=前回は民主応援団&関東の進出の番付筆頭)への弾圧。【20090814】
その融合した民主と、参議院と自民党の生長の家の話。
小沢と選挙と公安調査庁の話もね。
 
これだけ材料が揃ってたのに・・。
 
自民民主の連立という構想の延長とまでは見えていたけど、「みそぎの演出が必要=ここまで強引にやる」とは想像してなかった部分がある。
少し読みが甘かった。
 
 
財務省の消費税で演出も含めて、外資族リバタリアンというゲスを中心とした「第3極」が、もっと中心になると思ってた。
こいつらの議席数あたりは予想通りだったかな?と思う。
 
まあ、分析の材料の話は、全部過去に書いてある話であり、「絶望」ともいえる結果も、予想の範囲内である。
 
どう連立構想の延長戦が帰結するか、それに対して何を考えるべきなのか、これはもう少し落ち着いて考えて、また書きたいと思う。
自民が躍進した事で、みんなを楔にして民主を割るという手法のほうが可能性ありそうだが、自民党の借金の話もからんできそうだからなぁ~。
まあ、また今度。

別の事で先の話では、医療保険の外資化と同じく、消費税による作用もあって「日本製造業の外資化(部品などの仕入れなどの流通形式さえも外資転換)」あたりが現時点では予想できててたりもするが。
どこかの外国人大量雇用とかね。
 
 
まあ、今回の選挙は「絶望」の中の予想範囲内であるから驚きもしないし、失望もしていない。(心情の話)
 
だいたい選挙で何かが変わると思ってるのなら大間違いである。
選挙という行為の「点」が何かを決めるのではない、その点までの流れ、大衆が何を考え、何をしたのか?という過程が結果を生むのである。(本来は)
 
大衆の意識の総体という過程の「流れ」が、以前の「自民党の衰退」という選挙結果を生んだように・・・・そして今回・・・あれぇ~?
 
まあ、今回の選挙も大きな流れの途中でしかない。
ただ、前回の選挙の結果という過程は、何も生まなかった。意味が無かったように。だから今回も必要以上に心を折られることはない。
 
 
紙とペンだけで何かが変わると勘違いしちゃだめだぞ。
前回の結果が意味がなかったように、今度の結果も直接関係ないことだということ。いつものようにシナリオを書いてる奴がいる、ただそれだけだ。
陰謀論者なら、単なるイベントとして眺める程度でいい。
 
 
その選挙までの過程が物事を決めるから、彼らは「みんなの党が大人気」とか、「小沢は独裁」などとテレビで流布しつづけたわけである。
結果は、それをしつづけた事を許していた事で、もう出ているのも同然だったわけで。
 
まあ、実際はインチキ選挙で「選挙」では、何も変わらないんだけどね。【20090406】
このインチキ選挙ということも、どうしてそうなったか?こういう選挙方式になってるのはなぜか?という過程を無視しては見えないと思うが。国政なのに地域分けって・・・。
選挙なんぞ、めんどくさいので俺も追いかけてないけど。
 
いまや、テレビとかの洗脳は、ばれないようにするための過程でしかなくなってきているわけです。
 
インチキ選挙だとは認められない人でも、選挙というものが、公明党、自民とみんなの統一教会などの「宗教団体のおもちゃ」になってるのを認めないわけではあるまい。
もしそうでないなら、消費税増税の前に、「幸福実現党の選挙資金でもわかる宗教法人への課税の必要性」が論点に上がっただろうに。
 
 
うむ、それにしても小沢派の民主のやつらや、国民新党とその支持者はオツカレ。
その結果にも過程がある。何をすべきだったかってだけだな。
小沢は独裁って、ほんと何をしたんだろうね?
 
ま、俺にとって「点」はどうでもいい。
大事なのは「流れ」であるから。
 
行動も結果も、いつだって「点」である。
もっと重要な「思考」などは「流れ」である。
だから「考えて」とだけを、今は伝えるブログでありたい。
人が何をしたかではなく、何をしてきて何をするのかと「流れ」がわかるように。
 
現状という状況把握、「絶望」だって「点」でしかない。
希望の光がないなら、光をつければいいだけである。
俺の求める物は、この先にある。
 
絶望は「点を2つ取る」だけで切望(せつぼう)になるんだからさ。
 
 
点ではなく、流れの先に「願う物」があるはずだから。
こんなことで、心など折れてる暇はない。
嘘のふる世界にさす傘は無い。それでも、雨にぬれながらも歩けば目的地までいけるはずである。



ここまで


そうですよね。
傘がないだけなんです。

でも、傘がなければ生きていけない訳でもない。

権力のない人々の最大の敵は、「絶望」と「放棄」だと思う。


何をどう頑張っても世界は変えられないという学習を
してしまっていることに気がつかねばならない。

陰謀とは何かを知るには、全てを疑うしかない。


自分さえも疑って、世界観が変わると発見があるかもしれない。


疑うことがどんなものかを知ることができたら、
信じるとは何なのかも同時に分かるはずである。


傘がないというだけで、立ち止まってなどいられない。

もし、少しでもあきらめて立ち止まったとしたら
―――その時こそ、策謀権力者の仕組まれた通りの結果となるのだ。


私は今後も三原順子がどんな活動を行うかも視ていくつもりだし、

ベーシックインカムの実現を応援するつもりであることに変わりない。


そう、地球は明日も廻り続ける。

これまで47億年、止まったことがないのだから。


愚かで弱いちっぱけな人間は、宇宙に学ぶことがまだまだあるかもしれない。

もちろん、宇宙旅行になど行ったり行かせたりする必要もない。


こんなに先が見えなくて、どうしようもない時代も珍しいだろう、

それでも明日はやってくるのです。


傘がなくてもひるまずに雨に打たれながら歩き続けることが

なにか少しでも、このおかしな世界を変えることに繋がる。

私は、それだけを信じていきたいと思います。


民主党が、「まっすぐに、ひたむきに」と言っていたのを思い出します。


時間とは、流れそのものである。

周りの流れに逆らい、時間を流されないようにすることは大変なことです。


しかし、信念があればきっと願いは成就する。



私たちが、自由意思のなくされた数々の様々な生活に潜む
工作員とは違うことを、

この身を持って示そうではありませんか。


自分の人生を、自分が世界で利用させておける状態にしておくと同時に、

それが世界を変えることを目の前で証明して見せるのです。


答えはいつも現場にある。

ライフというそれぞれの現場で自分がどう生きるか。


それにかかっていると思う。


もう一度、

傘がないというだけで、立ち止まってなどいられない。


堂々と濡れて、その雨がどんなものなのかを

知り、知らしめ、明るみに出そうではないか。


雨にぬれた世界をこの目でしっかりと見ようではないか。

自分に降り注ぐ雨から目をそむけずに。


そして

傘がないだけで身動きが取れない現実を当たり前と認識させられている

この世界の一般通念・常識を打ち破ろう!!!


それが思考停止社会からの脱却の第一歩となることを願って―――

「思考を開始するとき、それは今」です。


これこそ直接文明社会の理念の根本である。

全てが演出の世界を自ら変えましょう。


まずは、自分の生き方における「演出からの解放」です。
次に、「順応への自覚」を深めることです。


これは最も私自身に強く言っているようなもの(文章)です。
皆さんの前で宣言すると、気が引き締まる思いがします。


御拝読ありがとうございました、これからも宜しくお願いします。

最近の私の記事はタイトルからかけ離れているような気がするので、
そろそろ、だんだん元に戻していきますね。

ご期待下さい。



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マニュフェストは国民の為にあるべき~マニュフェストを作ろう~

さて、全ての政党のマニュフェストが出そろいました。

お気に入りのものは見つかりましたでしょうか。


きっと、多くの方がここはこうすべきなのにとか、

消去法でしか選べない。


国民の為にあるはずなのに、すでに完成されている。

たまりませんよね。



ならば作ってみましょう。
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Author:だいだいこん 
私はただの人間です。
なぜ原発は爆発したのか考えてます。
そして反日銀デモを起こしたくて仕方がありません。

日本は平和国家でしょうか。
その根拠は?具体的にどこが?
日銀や消費税は人を殺しています。

消費税廃止、インフレ目標、
宗教法人税の導入やBIなどで、
日本を本当の平和国家にしましょう。

そして、地震兵器を隠すのをやめましょう。

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