戦争を起こさないための「ベーシック・インカム」
昨年末のベーシックインカムに関する記事へのコメントを受けて、
自分の中での結論を出すのを控えていましたが、
阿修羅のある投稿を見て、
私がなぜベーシックインカムを良いと思ったのか
を考えているうちに文章が出来あがりました。
ベーシックインカムについては暫くの間
記事にはしないつもりでしたが、
問題点の前にまずは
良いと思うところを確認しておきたいと思いました。
http://9319.teacup.com/tokaiamananndemo/bbs/4713にも投稿しましたが、
我ながら文章がひどいと思ったので、
少し改稿しました。
http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/117.html
より引用
戦争したくないなら、ベーシックインカムしかないことに、
いつになったら、皆、気付くのだ?
投稿者 最大多数の最大幸福 日時 2011 年 1 月 02 日 20:59:21: d1qFhv8SE.fbw
とにかく、何でもいいから、まずは、カネをバラ撒けば良いのだ。
荒唐無稽で乱暴に聞こえるかもしれない。
実際、わたしもそうだった。
「働かざる者、食うべからず」だろって、
阿修羅でも散々書いた記憶がある。
でも、いろんな人の意見を、主に、ネットで読んで考えが変わった。
世界中で、失業者だらけだ。
失業率が10%前後のところなんかザラにある。
仕事なんか、いくら探しても、ありませ~ん!
この日本でも、人口1億2千万で、就業者人口は6千万人でしょ。
2人に1人しか働いてないんですよ。
それに、その2人に1人だって、天下り法人で、実質的には、
お茶飲んで、新聞読んでるだけの奴だって、一応、労働者ってことになってる。
本当の意味で「働いている」人は、もっと少ないと言える。
それでも、供給過剰と言われている現状。
人間がやれる仕事なんか、もうほとんど無いんだ。
あるのは、介護とかなんだろうけど、本来、介護なんかは、
気心知れた家族にやってもらう方が、一番良いはずだ。
ベーシックインカムのような形で、定期収入があれば、
仕事を休止して、家族の介護に専念することも
やりやすくなる。
ベーシックインカムで、怠け者や遊び人が増えたっていいじゃないか?
どの道、「本当の」仕事なんか少ないんだから。
無理矢理、くだらない捏造仕事を作るぐらいなら、怠けていた方がいい。
くだらない捏造仕事の典型例が「戦争」なのだから。
ここまで
>人間がやれる仕事なんか、もうほとんど無いんだ。
と、ありますが実は私はそうは思っておりません。
国内の雇用は意図的に縮小されているし、正社員も減らされている。
「仕事」は増やすことができるし、この日本でも必ず給料を上げることが可能だと思う。
経団連と日銀が幅を利かせすぎているということが根本的な原因ですが。
ただ、たとえそういう問題が解消されたとしてもベーシックインカムの思想としては
「労働と所得を切り離す」ということが重要なことに変わりは無く、
例えばブラック企業や強大な力を持った企業で奴隷のように働かされるようになることも
なくなるだろうし、さらに経済苦で自殺する人も絶対に減ると考えられる。
また、どういう状況であっても、国家があって良かったと思えるような仕組みを実現させたい
と思っているのは私だけではないはず。
現状の体制では、「資本主義をやめない限り問題は解決されない」とか、
食べるために生きることを差し置いて、「生きること=働くこと」としか考えられない
ような仕組みになってしまっている。
いつのまにか思考停止に陥ってしまっているのではないかと感じる時がある。
好景気の時は死ぬほど働かされるし、不景気の時はどこも雇ってくれない
(今は好景気でさえ無く、さらにデフレが進んでいるが)。
そういう目に遭ってきているからこそ、いつか限界が来るとか、来たとかそういう発想しか
生まれてこないのだと思う(それも社会の体制の問題であるから誰が悪いとかはない)。
限られた範囲の中でどれだけ「生きやすい」世界を作っていけるか、それを試したい。
一番に思うのが、誰しも民のライフ(生活・人生)がお金に左右されているということ。
当たり前ではないかと思う方は、給料がもらえなくなれば今の仕事を続けるかどうかを
考えてみて下さい(私も大学生ですが「理想」は持っていたいと考えています)。
純粋に好きで働いているのか、それとも「お金」を得るため(=生きるため)に働くのか。
もちろん、両方という人もおられるだろうし、
こうして生まれてきて生きているのだから「働か」ない訳にはいかないし自然だ、と
思われる方が居ても不自然なことではない。
なんだかんだ言って現世では、「お金」がないと生きていけないし、
「お金を得るため」の労働という固定された感がある。
そしてその裏側には「お金を得るものではない労働」を経済的に無価値と判断したり、
働けば生きていけるだけの「お金」は入ってくるのだから、
生きていくことは労働できるものへの自己責任という発想があると思われる。
しかし、私たちは「お金を得るものではない労働」があってこそ生きていけているのも
事実だ。例えば(家庭により)「育児」・「介護」・「労働」など必要最低限度のものから
「地域でのボランティア」など本当に様々な労働(活動)があると思う。
また、自分や家族が生きていくために「自給自足」されている方もおられるだろう。
そういった方の人生を、ないがしろにしてはいないだろうか。
また、「お金にならない労働」をあまりにも評価しなさすぎではないかと考えられる。
「お金が入ってこないこと」が無価値とされるのは、「生きていくために必要なお金」の
為に生きているのではないことに繋がるからだと私は思う。
ここで、私たちはもう一度「何のために働くのか、働いているのか」を見直す必要が
あるのではないかというのが私などの考えることである。
ただそういう余裕がないのは分かります。
そして、そういう余裕を本当の意味で作るためにこそベーシックインカムを、と言うのです。
人生とか命って何よりも大切にしなければならないことだと思う。
それは人間として生きる上で最も大事なことであるはずなのに、
現在の社会はそのような考えを全く考慮することなく動いている。
「生きていること」が全ての根底にあるということをいつも忘れてはならない。
そういう意味で、最終的に「戦争を起こさないため」のベーシックインカムという発想に繋がっていく。
現代は本当に生きづらい時代だと盛んに言われる。
それは、「何のために生きているか分からない」ライフしかないからである。
まるでただただ突き進む、「戦争状態」であるかのように。
ベーシックインカムにも全く問題が無いわけでもないし、
導入には本当に長い過程や議論を必要とすると思う。
しかし、改めてそのような思想について考えてみたいものである。
「結果」よりも「過程」の方が重要だと思うからこそ、
何とかしてほんの少しでも輿論を喚起したい。
とにかく、私が思うのはそういうことです。
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