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ひきこもりを侮るな!~自分が幸せでなくて誰を幸せにできるのか~

ひきこもりを侮るな!というブログをお書きになられている方がおられます。

直近の3つの私が“心動かされ”た記事をご紹介します。

一言ひとこと、かみしめるように読んでみて下さい。


では転載開始


なぜ、ひきこもりはラクなのか。

9月になりましたね。
相変わらず、世界各地でいろいろと不吉な兆候が出ているようですが、
ワタシは、元気です。

まだ、ちょこちょこ切り崩している貯金が残っているので、
相変わらず、心安らかな毎日を送らせていただいております。
本当に、有難いことです。

今日は、なぜ、ひきこもり生活がこんなに穏やかで快適なのか、
考えてみました。

一番、簡潔な答えは、
「何にも執着していないから」

お金や、人間関係や、社会的成功や、自分の命ですら、
もはや、どーでもいいんですよね。

どーでもいいことの為に、無理したり、頑張ったりしないので、
かなり楽になりました。

本当は欲しくないモノ、実際には必要のないモノをを手に入れるために
なんであんなに必死になってたのか、今では不思議に思います。

自分がどれほど、無駄なモノやヒトや価値観に捕らわれまくっていたことか。
改めて考えると、それこそ笑い話のレベルです。

シンプル・ミニマム、本当にささやかで、質素な暮らしだけれど、
今のひきこもり生活に満足してるし、
明日死んでも全く後悔しないです。

ひきこもり、万歳!



ここまで



ひきこもりになる人も、ならない人も、なれない人も・・・


ひきこもりライフ、快適です。

ひきこもりとして生きていられる自分は
非常に恵まれていると思います。

でも、ひきこもりにならない人や、なれない人も、
それはそれで、悪くない人生を送っているんじゃないかな、と思うんです。

いろんな嫌なことがあって、カツカツの生活で、
ストレス溜まって、疲れも溜まって、
「あー、いっそ、ひきこもりたい!」って思っても、
実際に行動に移さない人、移せない人って、
それはそれで恵まれているんじゃないですか?

だって、そこまで追い詰められてないってことでしょう?

まだ、失いたくないモノがあるんでしょう?
守りたい大切なモノがあるんでしょう?
いわゆる「フツー」の生活に未練があるんでしょう?

今の状態を続けるエネルギーがまだ残っていて
ひょっとしたら、ちょっとはマシになるかも、っていう
希望的観測が持てるから、しがみついてるんでしょう?

「ひきこもったら、食べ物も買えなくて死ぬしかない。」
って、必死で働いている人は、「自分の命」が大事なんでしょう?
ひきこもって餓死するよりは、マシだと思えるから、働いているんでしょう?

「ひきこもりになったら、家族が悲しむ。」って人は、
悲しませたくないくらい、大切な家族がいるんでしょう?
自分を犠牲にしてでも守りたいモノがあるって幸せなんじゃないですか?

どれだけギリギリでも、ひきこもりにならずに済んでいるってことは、
それなりに、素晴らしい人生なんだと思います。

ひきこもりになる人も、ならない人も、なれない人も、
考え方次第で、それなりに幸せな人生を送れるんじゃないですか?

「それなりに」ですけどね。

そこそこ、でいいじゃないですか。
ほどほど、で十分じゃないですか。
ぼちぼち、のんびり生きましょうよ。

それなりに幸せな、
ひきこもり、万歳!



ここまで



ひきこもりになる覚悟


ワタシが、ひきこもりになることを決めた時、
もう、自分が死ぬか、相手を殺すか、ってトコまで追い詰められてました。
失うモノなんて、何もなかったし、
守りたい大切なモノなんて、何もなかった。

ただ、とことん、ぶっ壊れて、破滅するより、
最後くらいは、静かに生を全うしたい、そう思っただけ。

貯金が尽きて、ライフラインが閉ざされて、食べる物もなくなって、
餓死するその日まで、穏やかに隠居生活を送りたい、そう思っただけ。

ワタシは、もう元のいわゆる「フツー」の生活に戻る気は全くないので、
貯金が尽きたら、それで終りのつもりでいます。
生活保護もらって働き人に戻る努力をすることはないでしょう。

そういう覚悟で、ひきこもりになったんだけど、
いざひきこもり生活を始めてみると、思った以上に快適で、
シンプル・ミニマムに徹したら、現金も最低限しか必要ないことがわかって、
しかも、これまでの人生で一番健康かつ元気になっちゃったんですよね。

極端な話、今、生き辛さを感じている人、
みんな「ひきこもりになっちゃえ」って思うくらい。

まあ、それなりの覚悟が必要なので、そこまで追い詰められてない人は、
そのまま、現状の生活の中で幸せを見つける方が簡単だと思いますけどね。

誰にでもすすめられる訳じゃないけれど、
犯罪を犯すとか、自殺する、とかの前に、
「ひきこもりになる」という選択肢を検討してみても
別に悪くないんじゃないかなと思う。

最後の最後、一歩手前の選択肢。
ひきこもり、万歳!



ここまで


以上です。


彼の文章を読んでいると、

人生って楽しいものなんだ。

と、純粋に思えてきます。


大変な目にあったことがあるからこそ、

このような幸せな生活が送れるだと思います。


楽しむために生きているんですから、

いつまでも苦しい思いしてたらもったいないですしね。


これからどんな道を歩むにしても、

この方のように自然に幸せである事が伝わるくらい、

幸せな人生を送りたいと思う。


悟りってあきらめのことかと思ってたけど、

もしかしたら違うかもしれない。


「生きる」こと、そして「いまを生きる」。

他人に勇気を与えられるような生き方ができたらいいですよね。


よく世間の人は自分を犠牲にして何かを守る(役に立つ)ことは素晴らしい。

とかいうけど、

すごく大切なものを犠牲にして幸せになっていない方も多いと思う。


完成された幸せを追い求めるあまり、

何のために生きているか分からなくなっていたり。


自分が幸せでなくて

誰を幸せにできるというのですか。



自分の命は自分だけのものではありません。しかし、

自分の人生は自分のものです。

皆さん、まず自分から幸せになりましょう!!!





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お金がないと幸せになれないの?~何のために生きているかという問題~


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あはははは さんとのやりとりより関連書き込み引用開始


おめでたい人 投稿者:あはははは! 投稿日:2010年 9月 4日(土)02時37分10秒  

 結局はどちらが総理になろうと行きつく先は一緒なのに言い争う陰謀論者たち。所詮湯田屋組織にネットで訴えている程度で変わる程甘くはないし、それに釣られる連中もおめでたい人だ。

自民だろうが民主だろうが小沢だろうが管だろうが、みんな一緒!操り人形、結末は同じ!過程が違うだけ!




Re: おめでたい人 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年 9月 4日(土)03時15分21秒
> No.1149[元記事へ]


あはははは!さんへのお返事です。

> 自民だろうが民主だろうが小沢だろうが管だろうが、みんな一緒!操り人形、結末は同じ!過程が違うだけ!

選挙の全てに意味がないということでしょうか。
それならこれまであなたはどこにも投票しなかったのでしょうね。

そして、どんな過程があっても辿りつく?というその結末とは何でしょうか。

果たして歴史に結末はあるのでしょうか。
歴史に終わりは無いんですよ、あはははは!さん。

私たちは未来の世代に対する責任があるんです。

こんな(めちゃくちゃで不正がまかり通る欺瞞に満ちた)日本を残せるわけありませんよね。
少しでももっとよい国にしようではありませんか。

どんな道を歩んでも結末が同じなら、あなたがこうして突っ込む必要もないんですよ。
違いますか?

自分が変われば世界は変わります。
遠いからといって伝わらぬなどと思わぬこと。

どんな想念であっても、それが世界を動かしているはずです。




Re: おめでたい人 投稿者:あはははは 投稿日:2010年 9月 4日(土)17時31分42秒 返信・引用
> No.1150[元記事へ]


だいだいこんさんへのお返事です。

> 選挙の全てに意味がないということでしょうか。
> それならこれまであなたはどこにも投票しなかったのでしょうね。

投票はしたよ、結果は変わらないこと分かっていても国民の義務だから。

> そして、どんな過程があっても辿りつく?というその結末とは何でしょうか。
> 果たして歴史に結末はあるのでしょうか。
> 歴史に終わりは無いんですよ、あはははは!さん。

やつらの考えた計画が達成した時が結末だという意味。そのあとも奴らの下で生活しながらネットもしくは違う手段でまた陰謀論者が同じ事を訴えているような気がするよ。

> 私たちは未来の世代に対する責任があるんです。
> こんな(めちゃくちゃで不正がまかり通る欺瞞に満ちた)日本を残せるわけありませんよね。少しでももっとよい国にしようではありませんか。


あなた学生だがら理想論や綺麗ごと言えるんだよ、じゃあ聞くけど小沢一郎はクリーンかい?そうじゃないだろう、世の中表裏一体、不正があるから公正もあるんだよ。そんな甘ちゃんなこと言う前に社会に出て色々経験(酸いも甘いも)してから年上の人に説教垂れなさい。

> どんな道を歩んでも結末が同じなら、あなたがこうして突っ込む必要もないんですよ。
> 違いますか?

いいや違うな、陰謀論者の中には奴らの手先(直接ではないが手伝ってしまっている者)が多い。それともあなたもその一人なのかい?ムキになって突っかかるってことは。


> 自分が変われば世界は変わります。
> 遠いからといって伝わらぬなどと思わぬこと。
> どんな想念であっても、それが世界を動かしているはずです。

昔に取引先の商社から湯田屋やちゃいなの話は聞かせれているからある程度は知ってる。こういう流れになるぞってその人から言われた通りになってるよ現在が。そう、変えられないんだよ計画は。だから誰が総理になっても過程が変わるだけで結果は同じ。

但し、ヨハネの黙示録や神が本当なら、人類は間違いなく審判を受ける日が来るだろうな、あまりに酷過ぎて。




Re: おめでたい人 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年 9月 4日(土)22時40分28秒
> No.1168[元記事へ]


あははははさんへのお返事です。

> 投票はしたよ、結果は変わらないこと分かっていても国民の義務だから。

義務ではありませんから消去法の選択でもそれはあなたの意思に基づくものですね。

> > そして、どんな過程があっても辿りつく?というその結末とは何でしょうか。

> やつらの考えた計画が達成した時が結末だという意味。そのあとも奴らの下で生活しながらネットもしくは違う手段でまた陰謀論者が同じ事を訴えているような気がするよ。

その名(やつらの考えた計画)はズバリなんと云うのでしょうか。

> > 私たちは未来の世代に対する責任があるんです。
> > こんな(めちゃくちゃで不正がまかり通る欺瞞に満ちた)日本を残せるわけありませんよね。少しでももっとよい国にしようではありませんか。
>
>
> あなた学生だがら理想論や綺麗ごと言えるんだよ、

理想ばかり語っている訳ではありません。
(提言としての仮想の)マニュフェストだって作りましたし自分なりに色々考えています。
私は理念主義者でありたいと思っています。

そして、それを学生の立場で無くなっても続けていこうと思います(死ぬまでずっと)。

>じゃあ聞くけど小沢一郎はクリーンかい?そうじゃないだろう、

そうですか、別にどんなふうに思ってもいいと思いますが、
具体的にどういうところがクリーンではないのかを(実質的意味も含めて)述べて下さい。

あなたはマスゴミの印象操作と検察による茶番劇、そして三宝会によるネガキャンに影響されているのではないでしょうか。私にはそう思えます。


>世の中表裏一体、不正があるから公正もあるんだよ。そんな甘ちゃんなこと言う前に社会に出て色々経験(酸いも甘いも)してから年上の人に説教垂れなさい。

説教しているつもりはありません。
あと、「社会に出て」とかおっしゃいますけど、なんでそういうときだけ「社会」が出てくるか不思議でたまりません。

普段は「世間の人は・・・」、「世間体が・・・」とかばかり言っているのにそういうときだけ「社会」とかいう言葉がちゃんと出てくるのは納得がいきません。

組織につかえていない人間は甘いのですか?

「引きこもり」は社会のゴミですか?

(保険以外で)他人がお金に出来ない“自分が生きているということ”は「あたりまえ」ですか?

家事労働は雇われていないからそれに比べて「劣る」ものですか?

あなたのような方は「搾取という名の労働」を美徳にしてしまう危険性に乏しいような気がします。

自分を納得させようとしているつもりはありませんが、

人間というものは生きているだけである意味何らかの工作員であり、
知らず知らずのうちに人殺しに加担していることもあると思います。

そしてでもしかし人間は生きているだけで価値があると思います。

こんなに閉鎖的で陰湿な社会を形成する日本で自殺者が多きことを
治安の悪化に日々悩まされているはずのイラクの人が遠くから心配されているくらいなんですから、自ら進んで工作員になったり権力に従順になったり、お金の前ではものを言わされなかったり、奴隷になろうとすることのおかしさを理解されていてほしいものです。

体験する前から言うのはおこがましいかもしれませんが、「ごっこ」遊びしているだけでしょう。だって自分の意思ではどうしようもない場面が多いのではありませんか?

そしてどうなっても行きつくところは同じなどとすでに「学習」してしまっているあなたのことですから、より従順的であると考えてもおかしくは無いはずです。

私はあなたのような“社会人”になりたくありません。

色々な生き方があるはずです。

> > どんな道を歩んでも結末が同じなら、あなたがこうして突っ込む必要もないんですよ。
> > 違いますか?
>
> いいや違うな、陰謀論者の中には奴らの手先(直接ではないが手伝ってしまっている者)が多い。それともあなたもその一人なのかい?ムキになって突っかかるってことは。
>

あなたが私をどう思おうと勝手です、どうぞお好きに。
あなたが私のこういう発言を否定する意義はどこにもないと思います。

そして、私を陰謀論者であるとしか思えないあなたが何者であっても意味はありません。
人を属性でしか見られないのは非常に残念です。
そういうレッテル張りこそが今のあなたにある「世界観」を作っていることに気がついてほしいです。


> 昔に取引先の商社から湯田屋やちゃいなの話は聞かせれているからある程度は知ってる。>こういう流れになるぞってその人から言われた通りになってるよ現在が。そう、変えられないんだよ計画は。だから誰が総理になっても過程が変わるだけで結果は同じ。
>
ならばこうしてあなたが私に対して書き込みをする意味もないことになりますね。
あなたの理屈では、人類はこのさき生きていてもいいことがないことが決まっているから
世の中の変革(世直し)に期待しない方がいいみたいなことになりますね。

私も確かに「革命」は嫌いなんですけどね。

しかし私はこうして少なくともあなたを反面教師にする決意が出来た訳ですから意味ないとは言えませんね。

私が思うに、人生一度しかないのだから(いつか死ぬのだから)過程にこそ面白さが秘められているのだということですね。

あなたには感謝せねばなりません(皮肉でも何でもなく、本気で)。

最後に質問、あなたが希望する、日本の首相になるべき人は誰ですか。




Re: おめでたい人 投稿者:あはははは 投稿日:2010年 9月 5日(日)00時28分17秒
> No.1182[元記事へ]


だいだいこんさんへのお返事です。
>
> あなたには感謝せねばなりません(皮肉でも何でもなく、本気で)。


私は感謝されたくはありません。あなたのような人は嫌いだから(皮肉でも何でもなく、本気で)。別に世間体を気にして働くやつなんかいないよ、少なくとも私を含めた周りのひとはな。君のようにネットで陰謀論言って暮らせる世の中じゃないから・・・実際は家族と暮らすのには働かないと食えないからね、昔も今も一緒。(原始人だって食うために狩りという仕事して生活してたんだ、狩りしないで毎日うだうだ文句いっても食料は手に入らない)

会社に属さないというがどんな仕事しても会社に属さなくても人間は社会に属さなければ食っていくのは難しいよ。ニートや引きこもりなんてイヤなことから理屈こねて逃げてるだけ。



> 最後に質問、あなたが希望する、日本の首相になるべき人は誰ですか。


しいて言えば昔の田中角栄だよ。今の小沢一郎を含めて田中角栄にはなれないからいない。

これでお終い!  さようなら!




Re: おめでたい人 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年 9月 5日(日)00時49分8秒 返信・引用
> No.1190[元記事へ]


あははははさんへのお返事です。

>
> 私は感謝されたくはありません。あなたのような人は嫌いだから(皮肉でも何でもなく、本気で)。

ならば撤回します。
しかし、感情とか情念とか想念というものは
そんなに簡単には変わるものではないんですよ。

>別に世間体を気にして働くやつなんかいないよ、少なくとも私を含めた周りのひとはな。

そういう意味で<「世間の人は・・・」「世間体が・・・」という表現をしたのではありません。

普段からその世界のことを「世間」としかいっていないのに、

まるで雇われることが凄く特別であるかようにそういう時だけ「社会」と言う言葉を用いるのには何か深層心理的にそこ意味がある様な気がするということです。

>君のようにネットで陰謀論言って暮らせる世の中じゃないから・・・

ではあなたの言うのは「なに“論”」ですか?

私は、この世界の陰謀を考えることと自分の人生を考えることが
そう離れたことではないという信念のもとにこれまでブログを書いてきたつもりです。

読まれていないと思いますが、この掲示板でも以前から発言はしていますし、
少しでもそれが伝わっていないならばそれほど残念なことは無いです。

>実際は家族と暮らすのには働かないと食えないからね、昔も今も一緒。(原始人だって食うために狩りという仕事して生活してたんだ、狩りしないで毎日うだうだ文句いっても食料は手に入らない)

別に文句を言っている訳ではないです。
しかし、あなたのような純粋な人はお金に振り回されすぎて見苦しいものだと思います(失礼ですが率直に感じたのですみません)。

> 会社に属さないというがどんな仕事しても会社に属さなくても人間は社会に属さなければ食っていくのは難しいよ。ニートなんてイヤなことから理屈こねて逃げてるだけだよ!
>
だから生きているだけで社会に属している現実をあなたは無意識に見ていないんです。
雇われたりして一生懸命に「仕事」をしている人だけが社会を作っているんではないんです。

私は無条件にニートの方を賛美したりするつもりはありません。
しかし、働かない人間は無駄であるという発想は戦争に繋がるような気がしてならないのです。

わかりますか?

社会の為に人々が存在しているのではないんです。
人々の為に社会が存在しているはずなんです。

国家と人々についても同様のことが言えます。

そして、この社会を牛耳っている人のいうことを聞いている人は
もしかしたら人殺しに加担しているかもしれないんですよ。

多くの自殺者が形の見えない集団で匿名の加害者の作りだす空気に耐えられなかったでしょう。


> > 最後に質問、あなたが希望する、日本の首相になるべき人は誰ですか。
>
>
> しいて言えば昔の田中角栄だよ。今の小沢一郎を含めては田中角栄にはなれないからいない。

なんだ、私と同じではありませんか。
しかし生きている人を選んでほしかったですね。
あなたの、「昔に戻りたい」という願望が透けて見えてしまった気分です。




ひきこもりを侮るな! 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年 9月 5日(日)01時01分42秒 返信・引用

  
  穏やかで幸せな、ひきこもり生活、万歳!「人間らしく暮らしたい。」だから、ワタシはひきこもり、になった。ただそれだけ。

http://anticapitalism.blog107.fc2.com/

皆さんに紹介したいブログです。
人生がお金に振り回されてしまっている方にこそ読んでほしいです。

私はひきこもりを推奨するつもりも称賛・賛美するつもりも一切ありません。

ただ、この方のように幸せな人生を送りたいだけなんです。

あははははさんのようにお金に振り回される(かに見える)人生にしたくないんです。
なんでもやってみたいとは思いますけどね。

あははははさんの文章を読んでいても何を楽しみに生きているかが全然伝わってこないし、
それなのにニートの方を現実逃避呼ばわりされるし虚しいだけです。




Re: ひきこもりを侮るな! 投稿者:PP 投稿日:2010年 9月 5日(日)01時26分13秒
> No.1193[元記事へ]


だいだいこんさんへのお返事です。

> 穏やかで幸せな、ひきこもり生活、万歳!「人間らしく暮らしたい。」だから、ワタシはひきこもり、になった。ただそれだけ。
>
だいだいこん、こいつ金玉信者で引きこもりか、じゃ金玉も同類の引きこもりだな。
>
>
> あははははさんのようにお金に振り回される(かに見える)人生にしたくないんです。
> なんでもやってみたいとは思いますけどね。


こいつバカじゃね?金に振り回されてんじゃなくて家族と平凡で幸せに暮らしたいから働くんだとあはははとかいうのは言ってるんだよ!わからねぇのかよ!お前なんか金玉野郎に振り回されてんじゃねぇか。だから引きこもりやニートやってるんだろうがな。




Re: ひきこもりを侮るな! 投稿者:だいだいこん 投稿日:2010年 9月 5日(日)01時46分37秒


> No.1195[元記事へ]

PPさんへのお返事です。

「お金がないと幸せにはなれない」ということになる
なんと哀れな“平凡な”人生でしょう。

私は、自分の(一応大学生ですが)ひきこもりっぽい生活を
正当化したいがためにあははははさんの発想を否定しているのではありません。

そもそも、自分が何者であるとして発言するようなものに価値はありません。

自分の「立場」と「考え」というものを(難しいかもしれませんが)切り離したいのです。

あははははさんの文章を読んでいると、

これまでに大量に投資してきたことの取り返しのつかなさから
目を背けるかのように、

自分の生き方はごく平凡であり、間違っていない。

生きるためには(どれだけ満足できるだけを手にするのが大変だとしても)
お金が必要なんだ。

と、なんとしても(他人と比較してでも)正統性を確認したい形相がにじみ出ているようです。

何もそこまでして(作られた幻想の)平凡を追わなくても・・・と思うだけなんです。

(食べていくため・家族を養うため=収入を得るため=生きるためとしての)
「仕事」への執着が、宗教化しているような気がするだけです。

本人が気を悪くされたなら謝りますが、別に人格を否定するつもりもありません。

これ以上言及するとあまりにも失礼なのでこれくらいにしておきます。




(とりあえず)ここまで


対話って本当に面白いものですね。
自分という存在の実体のなさが身にしみて分かります。

にしても、本当にお金がないと幸せになれないのかな?


皆さんはどうお考えでしょうか?





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エキストラにならないこと~それは暗黙の了解を打ち破ること~


とにかく以下を読んでもらいたいと思います。

弁財天うららさんのブログ 世にも奇妙な物語「エキストラ」

①~⑧より連続転載開始


エキストラ

そのアルバイトが、ボクの一生を決めるとは思わなかった・・・



面接官 「俳優を目指してるの?」

香取 「一応、劇団やってました^^。」

面接官 「うちは、そんなんじゃないの。
日曜日の須磨寺駅前に、午前11時30分に行ってくれる。
放し飼い散歩が来るからこの台詞を言ってくれる?
紙、見ないようにね~。」

香取 「テレビドラマか、映画ですか?
カメラはあるんですよね?」

面接官 「イヤ、カメラはない!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

須磨寺駅山側
白い犬1匹はつなぎ、4匹は放している。

香取 「来た来た、たぶんアレだ!」


台詞

K(香取) 「4匹の放し飼いですか~?」

そこへ赤ちゃんを乗せた乳母車が通り過ぎる。

飼い主 (知らん顔)

K 「赤ちゃんを襲いませんか~?」

飼い主 (知らぬ顔で去って行く)

K 「この犬ら、何匹もネコを殺しているでしょ!
白い犬に、気をつけてあげてくださいよ~。」

飼い主 (振り返るが、そこには誰も居ない)


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

香取 「ここまで、だよな~。」

(カメラを探す)

香取 「帰っていいのかな~?
こんなので、お金をもらえるのかな~?」




ギャラはちゃんと翌日、振り込まれていた。
生活のため、エキストラの仕事を続けた。






すし屋

香取 「にぎりは食べるな!って言われているので、並のバラ寿司。
お茶は要らない連想するから、水。」

どう考えても、何の意味もないような台詞が多かった。


隣に座っていた男Yがレジで、
Y 「この店の2階の犬、うるさいね^^
うちもそうだから、良いんだけど^^。」


香取は隣の席で、Yの台詞を見つける。

香取 「?」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

エキストラの事務所

香取 「なんか、意味はあるんですか?

面接官 「意味はある。だからギャラを支払っているんだ。」

香取 「でも誰も見てない所で芝居だなんて・・・」

面接官 「これは見る、見られないの問題じゃない。
君が台詞を言う。
それがその場にすんなりと納まる、それで良いんだ。
はい、次の仕事^^。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人が大勢歩いている広場

香取 「お久しぶりです^^、
八百屋の東海林さん^^。」

歩いている人の足が、一斉に止まって、こちらを見つめてくる。

香取 「え! え?」
(時間が止まった様な現実を見渡す)

香取 「東海林さん、、、」

止まっている人たちが首を振る。

Y 「、、、、、
(小さい声で)ショウジて、読むんだ。」

香取 「お久しぶりです^^、
八百屋のショウジさん^^。」

止まっている人たちが、何事もなかったように動き出す。

香取 (・・・? オレが台詞を間違えたから?)

Y 「やったコトは、必ず返されるね~(苦笑)
君も気をつけといた方がいいよ。」




香取は広場で話している人たちに近づいてみると、
そこに隠されていた台詞書きを見つける。

香取 「・・・?
一体どうなっているんだよ~、
みんな、台詞をしゃべっていたのか?」






精神神経科

香取 「も~、どうかなちゃってるかもしれないんです!
ボクはエキストラの仕事をしているんですが・・・カメラとかないんですよね~。
昨日ボクが台詞を間違えたら、町中の人たちにボクはジーッと見つめられて!」


医師 「あなたは、放し飼いとスシ屋に、悩まされている。
あなたは、 失礼な言い方だが、売れない役者だ。
頭の中は、放し飼いとスシ屋でいっぱいなのに、台詞を生かす場がない。
その捻じ曲げられた願望が、町の人たちがみんな台詞を言っているという妄想を生んだのです。」


香取は、医師が台詞を言っているコトに気づく。

香取 「先生? ・・・あんたも~」


香取は病院から逃げ出す。






香取は逃げている時に、Yと出会う。

Y 「そっか~、君はまだ気がついてないのか~^^。」

香取 「だから、どういう事?」

Y 「じゃ聞くが、首相が首相らしく、弁護士が弁護士らしく話すのは何故だ?
・・・誰もが台詞を言っているんだよ。
ごらん、楽しそうなカップルを、チラチラテレビを見ているだろう?
テレビの文字を見てみろよ。」

テレビ画面下 (女 ねぇ、最近デートの回数減ってない? 男 そう?)



Y 「そして出前を叱るスシ親父、彼らの台詞は大スポの中に忍ばせている。」

(新聞の中)

スシ親父 「お前、見られたぞ! 歩道は走るなって言っただろ~、、、
アイツ、須磨警察へ通報!とかで書くぞ、きっと、、、」

出前 「一回、脅しましょか?(笑)」

スシ親父 「アイツ、元ボクサーだぞ~!
ギックリ腰だとか書いてるけど、アイツは演技派だからな~。
アイツの書いてる事を迂闊に信じるなよ!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Y 「世界中の誰もが、その役の芝居をしているんだよ。
そして人生にも、主役とエキストラが居るんだ。
何故なのかはワシも知らんよ。
ずーーっと前から、そうだったんだよ。
そうして、世の中はうまくやってきたんだ。
中には気づかずに一生終わるヤツがいる。
テレビや新聞、その他多くに忍ばせられている台詞を無意識に読まされているのにな。
君や私は、臨時雇いだ。
欠員がでればどんな役でもやる!
いい所に連れて行ってあげよう^^。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

焼却場

Y 「ごらん、台詞が燃えている。
人々が消費した、台詞がね。」


燃える台詞

I 「ネコの次は、ウララまで、、、
たぶん音の出るボールか鈴で誘って、3階から落としやがった、、、
隣の可愛がられていたネコちゃんも行方不明にしやがって!」


I (ウララの赤ちゃんが1匹、死にそう、、、という知らせ)
「まだ生後3日だろう~?
名前も首輪の『きみどり』しかついてない。
こんなんで死んだら、何のために生まれてきたんだよ~!
お~、あれは、放し飼い?!
居た~、、、ダメだ~~、
これが、死神の知らせか?
きみどり~! 生きろ~~!って、、、
運命なんか変えてやれ~! ウララの子供やろ~~(泣)」


I 「私はね、ネコを見殺しにしたんですよ、、、
放し飼いの複数の犬に襲われ傷ついてるネコを、強烈に蹴り飛ばしたのは、
店の御得意さんの家族だという事を知っていたから、、、
結果は、知ったらいけないと思った。
自分を抑えられなくなるから、、、
その後に、私は犬を飼った。
ウララが一瞬で縫い包みを壊す姿に、ドアの向こうの見えなかった出来事が見え始めたんだ、、、」






香取 「イヤ!でも、言葉って、
自分の思っていたことを、素直に言うって事だって、思ってた。
それは、いけないの?」

Y 「良いことか、悪いことか、それはわからん。
ただみんな、台詞に従う。
そう決められている。
台詞の秘密を知ったからには、君もな。」

香取 「おじさんが今日しゃべった言葉は、台詞?」

Y 「台詞じゃ~ない(笑)
第一、こんな長い台詞は貰った事がない。
私は、ただの人生のエキストラさ。
・・・・それで良いと思っている。
主役を夢みても、しょうがない。
おかえり、
娘(U)だ。
娘は台詞以外、しゃべらないんだ。
でもね、こんな私にもやっと大役が回ってきたんだ。
長年エキストラをやってきた御褒美かな^^。
清掃員の役だ。
『オレは30年も毎日、市庁舎の床をピカピカに磨きあげてきた。』

香取 「あんまり、大役には思えないんだけどね、、、」

Y 「ま~、見てろって^^。」






本当に、人は台詞をしゃべっているだけなんだろうか?

正直なところ、半信半疑だった。



ドア下に、封筒が差し込まれていた。

中身は台本

男が部屋に入り、テレビをつけると、女性レポーターがしゃべっている。

「ここは市庁舎ビルの裏です。」

男の知っている男が飛び降りようとしていた。


テレビをつけてみる。

台本と全く同じ。


香取 「まさか・・・」


Y 「私は30年間、一生懸命働いてきた。
その御褒美がこれか!
雑巾のように捨てやがって!リストラ反対~!」

香取 「おじさん!止めてよ!これが大役?
役のために死ぬつもり?」

Y 「今日は、私が主役だ^^。」

男は飛び降りる。


香取 「オレは、ごめんだ!
台本なんて、 台詞なんて、要らない!」


娘(U) 「キャー! ひど~い、、、」
(台本を読んでいる)

見物人 「生命保険に入っているのか~?」
(台本を読んでいる)

見物人 「初めて、見ちゃった」
見物人 「なに?なになに?」
(台本を読んでいる)


香取 「やめろ~!
お前たち、いい加減に止めろ!
台本を捨てろ!
自分の言葉で話して、自分の人生、生きろよ~!
台詞しかしゃべっちゃいけないのかよ~?
ボクの人生は、ボクが主役だ!
エキストラじゃないんだ!」


香取の背後に注射器を持った女が忍び寄る。






自分の部屋に帰ると、違う人が住んでいて追い出された。
表札も変わっていた。

台詞を拒否した罰なのだろうか?
ボクは住む所も奪われた。



レストラン

ウェイトレス 「いらっしゃいませ^^」

メニューを見ると(僕はエキストラを降りたから、食事はいらないんだ)と書いてある。

香取 「コーヒー」

ウェイトレス 「(無視)」

台詞じゃないボクの言葉はことごとく無視され、
食べるコトも許されなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ホームレスの群れ

香取 「お願いだ、、、何か食べるものを、」

ホームレス 「あんちゃん、新顔だな。」

香取 「お兄さんたちも、台詞を拒んだから?」

ホームレス 「そうさ、俺たちは仲間だ^^。
今日は特に冷え込むぜ~
ま~、一杯やんな^^。」

香取 「ありがとう^^。」

ウィスキーのボトルを見ると、そこには台詞が書き込まれていた。


香取 「・・・・?!」


この世界に台詞のない世界などどこにもないと、ボクは思い知らされた、、、






エキストラ事務所

面接官 「いつか戻ってくると思っていたよ。」

香取 「まだボクにできる仕事はありますか?」

面接官 「エキストラでよければ。」

香取 「なんでもやります、、、」

面接官 「今度はちょっと長い役なんだけど。」


香取慎吾の人生
~ある平凡なサラリーマン~
の台本が山積もりされていた。


香取 「・・・? これって?」

面接官 「君には、平凡なサラリーマンの人生をやってもらう。
人生のエキストラだ。」

香取 「ボクの、・・・・10年後。」

面接官 「子供ができる。名前も決まっている。」

香取 「ボクの、・・・・・20年後。」

面接官 「ローンで家を買う。」

香取 「ボクの、・・・・・30年後。」

面接官 「そう、全部書いてある、毎日の台詞が一生分。」

香取 「まさか、ボクが死ぬ日のこともここに?」

面接官 「君は運が良い。
寿命はまっとうできる。
それに平凡だが幸せな結婚生活。
奥さん役のオーデションだって済んでいる。

香取 「そんな、 ボクだって自分の奥さんぐらいは・・・
・・・・気になる子がいる。でも、まだ名前は聞いてない。」

面接官 「自分で選びたいか? でもダメ。
君はただの、エキストラなんだから・・・」


こうしてボクは、平凡なサラリーマンの役を演じはじめて1年経った。
このレールに乗っていれば、もう何の心配もない。
飢えることだってない。
台本を順調にこなしていき、いよいよ結婚する女性と出会う日がやって来た。

香取 「・・・・・」

女性 「・・・・台詞」


香取 「止めてやる。
こんな生活止めてやる。」


香取が好きな女性(U)
(自殺した掃除員の娘)

好きな女性 「こんな芝居してちゃダメだ。
君のお父さんを犬死にさせちゃダメだ。
この世はドラマなんかと違う。
台詞なんか必要ないんだ。
告白する!
初めて会った時から、ずーーっと気になっていた。
一緒にボクと、こんなバカ気た世界から抜け出そう!
教えてほしいんだ、君の事を・・・」

女性(U) 「・・・はる香」

香取 「微笑」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


道に落ちている台本が風で開く、そこには、


香取 「教えてほしいんだ、君の事を・・・」

女性(U) 「・・・はる香」

香取 「微笑」






ここまで




私は、この再放送を見て、数週間考え続けました。

というのも、自分の人生と世界の様子との関わりという深いテーマが存在することに

気がついてしまい、自分という人間、そして自分の人生は一体だれが作っているのか

と思うようになったからです。


本当に衝撃的でした。



人生において、主人公は自分だというフレーズは良く聞きます。

しかし、エキストラになるなという表現はほとんど用いません。


自分の思うようにいかないこともあるのは誰しも同じです。

しかし、知らないうちにお決まりのセリフを言わされたり、

自分の言葉で語り、自分で判断することを空気が咎める場合ってあると思うんです。



そう、「空気を読め」っていう無言の圧力と、暗黙の了解。


そうするうちに、自分で考え、自らが問題を解決しようとすることが

なくなっていくんですね。


皮肉なことに、“自己責任”を繰り返すようになると、

これは自分だけで決めたことじゃないからと言って、


良心に反することを平気で行えるようになる。


「見えない脅威」に煽られて、

人殺しも何とも思わなくなるということである。




そんなスパイラルから脱却するには、

自分の想いを自分の言葉で語るしかない。


簡単なことのように思うけど、特に閉鎖的なこの日本社会では

とても難しいことだと思う。


しかし、そういう見えない壁を放置しておくわけにはいかない。


自分の人生を決めているのは誰か。

シナリオライターは誰か。



しっかり考えて生きていけたらと思うのである。





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「いまを生きる」に学ぶこと~人生の創造と、体制に組み込まれないこと~




前回の続きです。

皆さんは、「いまを生きる」という映画を見たことがあるでしょうか。

1989年のアメリカの映画で、とても大きな反響を呼び、翌年日本でも放映されました。


あらすじなどはこちらをどうぞ

こちらも参考にしてみて下さい


結構踏み込んだところまで書いているので、
知らずして映画を見たいと思った方は途中で止めて下さい。



名門校に入学する生徒たちの話です。

彼らはキーティングという先生に出会うまでは、

自分たちの意志に基づく行動をほどんとといっても良いほどしていないことに気がつく。



ポエムの授業にしてもそう。

機械的に数値化してこのグラフになったらよい詩であると教えられるのである。


キーティングは自分が学生の時に同じように習ったのだが、

そのまま生徒に教えることは全くないだけでなく、


この部分の教科書のページを破り捨てよ!


と、叫ぶのである。



生徒たちは、最初は当然戸惑っている。


しかし、だんだんと彼の言うことを理解していくのである。


体制に安易に従ってはいないか。

人生を無駄に過ごしてはいないか。


彼はとても考えさせる生き方をしているのである。


http://www.great-saying.com/w-imawoikiru01.htmlとその2~4より


「きょうを楽しめ。自分自身の人生を
 忘れがたいものにするのだ」

「きみたちの目標は、自分の声を見つけることだ。
 さがすのを先に延ばせば延ばすだけ、
 自分の声は見つかりにくくなる」

「ロマンティストっていうのは、情熱的な
 実験家だよ。ひとところに落ちつくまでに、
 いろんなことに手を出すんだ」

「教育とは
 自分の頭で考えることを教えていくことだ」


ここまで


決して、詰め込み教育では得られない、とても大切なことがそこにはあるのです。

なにもゆとり教育に賛同している訳でもないが、


自分の人生を歩むという人間としての一番基本的なことを、

現在の教育はないがしろにされているような気がしてならない。



学校では、ニートにならないためにはどうすべきかとか、

国家のために何ができるか(「こころのノート」を用いた道徳)とか、

何が何でも君が代を生徒に歌わせるとか、


小学生の機械的な100ます計算とか、

おかしな歴史教育とか、

人為的地球温暖化論を既定の事実のように教えるとか、

学習指導要領が法的意味を持っているとか、


まるで大学に行かせるためだけの高校教育とか。


なんか間違っているような気がするんですね。


何かが決定的に違う。



それはやはりこういうことだと思う。

学校とは大本営に従う軍隊と何も変わらないということ。

全てを受け入れる人が一番出世できる社会であるということ。


ある友達がこう行っていました。

「先生と仲良くしていると、それだけで成績が上がるねん。」

それは、学力とは無関係にということでさえあるのでした。


もしも本当にそういうことでしか先生と付き合えないのならば残念すぎると思うのは私だけか?



大人になるまでの人の出会いや人との関わりはのちの人生に

深く影響をおよぼすはずである。


高校三年の時、すごく功利主義の担任の先生と出会って、

社会学をやりたいと言ったら、


「あんな未熟な学問、役に立つとは思えない。考え直したら?」

と返され、余計に熱が高まったのを覚えています。

経済学だって、法学だって、(やっているひとには悪いけど)エリート養成でしょう。


なんで国立、公立大学に「社会学部」がないか分かりますか?(例外:一ツ橋だけはあった)

それは、ある意味では体制に組み込まれていない独立した鳥瞰的なんでもありの学問だからです。


もちろん、初期の社会学は完全にエリートの為でした。

しかし今は違う。


この世が本当に「民主主義」・「自由」な社会なのか検証することもできる。

何より、答えがなく、教えられるものではないのである。


社会学とは、全てを疑う学問なのである。


その理念は、上に紹介した映画の主題と共通するところがある。


「いまを生きる」とは、既存の体制に組み込まれずに、

努力して真の自由を手にし、人生を創造するということなのである。


教育が、人を自分で考えさせずに従わせるものであることを、

彼は変えようとしているのである。


その姿勢は、私たちに結局のところ自分次第であり、

ある程度までは限られた範囲で「自分が変われば世界が変わる」と示しているである。


死ぬときに後悔しないように生きる。

それだけを追及し続けているのである。


それだけなのに本当に大変なことでもあるのだ。


我々を縛りつける、体制というものを皆さんもこの映画を通して考えてみてほしい。

「普通」志向への危うさというものと関わっているとお分かりになられるはずである。


この世界の中で、全てを疑うことがどれほど難しいことかという話でもあります。




さて、私たちはどこまで自分本意に生きていけるのか、生きているのか。

最後はそういうテーマです。

自分の人生を他人が決めてはいないか?

そこで全てが繋がります。





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「普通がいい」という病~この世はすべて“ごっこ”である~

「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)「普通がいい」という病~「自分を取りもどす」10講 (講談社現代新書)
(2006/10/21)
泉谷 閑示

商品詳細を見る



皆さんに是非読んでもらいたい本があります。

とても考えさせられます。


一体、私たちが日常的に使う「普通」とは何か。

それについての話ですね。


この世は元々狂っていますから、

何かと「異常」を作りだして、

人を不安に陥れ、そういうことをして儲かっている訳です。


つまるところそれは、世界の陰謀とその構図を考えるにあたって重要な視点です。


この世界は演出と仄めかしばかりのごっこ遊びの世界です。

みんな何かを演じている。

演じなければ生きていけない世界になっている。


医者は医者を、政治家は政治家を、裁判官は裁判官を。


「普通であること」に意味を求めず、価値を見出さない

(普通であることに理由を求めない)のは、


人が生きているというだけではそれがビジネスにならないから、

人の命を商品化しようとする人にとって不都合だからにすぎない。


しかしよく考えてみてほしい。


自分という命を生まれてから今日まで守ってくれた存在は何か。

もちろん、国家などではないはずである。

国家の起こす茶番である計画的な戦争と云うものは

国民の命を商品化することによって成り立っているのである。

私はそんな国家に感謝など出来るはずもない。


生きているというだけで、価値があること。


それを多くの人に伝えていきたいと思う。



何かの役に立つとか社会に出て働かねばとか言いますけど、

玉蔵さんのおっしゃるように、別に大したことないでしょう。


食べて生きていければよいのです。

その上に成り立っているごっこ遊びをこれ以上正当化させる必要なんてないんですよ。


だって銀行だってそうでしょう。

通帳に100万円と書くだけでそこに本当は無いお金が出来あがるというのですから。


ここで一部本文から引用です。

52ページ(「現実」とは?)より引用開始


 
 ある方が、「40歳の誕生日が来て、年齢とともにいろいろなものが失われていく感じがして、とても焦りを感じるんです」と言われました。そして、「40歳を過ぎてまで生きるとは思っていなかったから、これから先のイメージが持てない」ともおっしゃった。そこで私は、「それじゃあ、これから先はオマケみたいなものですね。オマケの人生だとすれば、保守的に考えずに、どうせオマケなんだから自由に生きてみようと考えたらいかがですか?」という話をした。そうしたらその方は、「自分でもそういうふうに考えようとしたんだけれど、自分の頭が、そんな考えは現実逃避じゃないかと言ってくる。40歳という現実を見ない現実逃避じゃないかと」とおっしゃった。そこで私は、「その『現実』って、何でしょうね?」と問いを繰り返したことがあります。

 私たちはこのようによく、「現実逃避」という言葉を使ったり、「でも現実は・・・」といった言い方をしたりします。

 しかし、私にはその言葉がどうにも引っかかってならない。「現実」という言葉がこういう使われ方をするときには、必ず大切な何かが台無しにされる感じがある。「そんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見ろよ!」と云うようなことを言われると、水をかけられ、シュンとした感じになる。これも、「言葉の手垢」が「現実」という言葉のまわりにベッタリとくっついているからなのです。

 変な話かもしれませんが、私の大好きだった祖父が亡くなりそのお骨を拾った時、何かホットしたような不思議な感じを覚えたことがあります。これはまったく予想しなかった気持ちでした。焼かれて出てきたお骨を見て、「どんな人間も、この宇宙の壮大な時間の中では、ごくごく小さな点にもならないせいぜい100年足らずの命なのだ」と思ったのです。その壮大な宇宙の時間の中にある時出現し、そしてある時消えていく人間。その中でどう生きたにせよ、最後はこのようにしてわずかなカルシウムと燐の固まりになって、そして土に還っていくのだ、ということを思ったのです。

 そんなふうに考えたときに、なぜそこまでみな「現実」が大事だと言うのだろう、という疑問がわいてきたのです。よくよく考えてみれば、お金にしても「これは100円ということにしましょう。これは1万円ということにしましょう」という、誰かが人為的に決めたルールによって成り立っているに過ぎないのが「現実」であって、それは例えば、ままごとの子供銀行のお金と変わらない。社会的役割にしてみたところで、飲み屋へ行って、「俺は○○会社の部長だ」とか息巻いている人も、ただの一人の酔っ払いの男であることに変わりはない。会社の中では部長さんとして「偉い」のでしょうけれども、その「偉い」ということも、ある限られた社会の中でのみ通用するファンタジーに基づいているわけです。

 つまり、「現実」と呼ばれているのも、一皮むけば、どれも「ごっこ」の世界なのです。せいぜい子供銀行ごっこと、日本銀行ごっこの違いでしかない。そう考えてくると、現実/非現実という線引きにどこまでゆるぎない根拠があるのか、その線引きにはどれ程の意味があるのだろうかと疑問に思えてきます。

 私たちが絵を見たり、お芝居を見に行ったり、音楽を聴いたり、お化粧して出かけておいしいものを食べたりして、「ああ気持ち良い」と感じる時に私たちに働きかけたのは、果たして「現実」なのでしょうか。クリスマスという行事にしても、サンタクロースというファンタジーを取り去ってしまったら、行事自体が成り立たない。「サンタはいない」と言っている「現実」的な人が、クリスマスという行事だけは楽しんでいたりしますが。

 つまり、われわれが「現実」と呼んでいるのも、実のところ、数あるファンタジーの中のひとつに過ぎないのです。より多くの人が信奉しているファンタジーが「現実」として特別扱いをされているに過ぎないわけです。私たちは、どこかでこのことに目覚めていなければなりません。


ここまで


いかがでしょうか。

私たちがなんとか成り立たせているこのごっこの世界も、
一部の人間だけに通用するファンタジーだということです。

精神病を作りだす人たちも同じです。


それこそが、「普通」とか、「一般」とか、「常識」という通念を
まかりとおそうとしている世界の正体なのです。

自由と民主主義だって同じことです。

全ては演出された幻想なのです。



http://newmoon555.jugem.jp/?search=%A1%D8%A1%D6%C9%E1%C4%CC%A4%AC%A4%A4%A4%A4%A1%D7%A4%C8%A4%A4%A4%A6%C9%C2%A1%D9より局所引用(孫引き)


精神病をつくりだしている澄みきった世界では、もはや現代人は狂人と交流してはいない。すなわち、一方には理性の人が存在し、狂気にむかって医師を派遣し、病気という抽象的な普遍性をとおしてしか関係を認めない。他方には狂気の人が存在し、やはり同じく抽象的な理性、つまり秩序・身体的で精神的な拘束・集団による無名の圧力・順応性の要求たる理性を介してしか理性の人と交流を持たない。両者のあいだには共通な言語は存在しない、むしろもはや存在しないのである。十八世紀末に狂気が精神病として制定されてしまうと、両者の対話の途絶は確定事実にされ、区別は既成事実になり、狂気と理性の交換が営まれていたところの、一定の統辞法を欠く、つぶやき気味のあの不完全な言葉のすべてが忘却の淵にしずめられた。狂気についての理性の側の独白(モノローグ)にほかならぬ精神医学の言語は、その基礎には上述の沈黙しかもちえなかった。
   ミシェル・フーコー『狂気の歴史』田村俶訳 P.8




「狂気についての理性の側の独白(モノローグ)にほかならぬ精神医学の言語」とありますが、これはつまり、「自分は左側に足を置いていると思っていて、右側を単に病気とか狂気とか見るような精神医学は、独り言のように無意味なことばかり言っている」と言っているわけです。なかなか手厳しい言葉ですが、本当にそうだなと私も思います。
     泉谷閑示『普通がいいという病』P.17




マジョリティの大通りは、不自然で窮屈な道です。人間はそれぞれユニークな存在なのですから、本来一万人いたら一万通りの道なき道があるはずです。にもかかわらず、大勢の人が通る大通りというものがあること自体、とても不自然なことです。
 大通りを歩くということは、いろんなことを諦めたり、感じないように麻痺していたり、すなわち去勢された状態で歩いているということです。そうでもなければ、苦痛で歩けたものではありません。
   『「普通がいい」という病』P.212




  戦争が終わる度に「こんな悲惨なことは今後絶対に止めよう」と必ずみんなが思います。しかし、それでもなぜこれほど戦争の歴史は繰り返されるのか。それは戦場というメメント・モリの場で、人々が生き生きとするという、見落とされた側面がある。死が隣にあるからこそ、自動的に生が輝いてしまう。
 戦争をしかける国では、ほとんどの人が大通りを歩いているものです。そして、ぬるま湯のような生きている実感が乏しい状態の中で、どこかから正義という名の大義名分が登場して、「あの国に侵略されないために、先手を打ってこちらから攻めましょう」というようなことが言われ始める。すると戦争は反対だと考えていたはずの人たちまでもが、自分の奥底で疼きだす何かに突き動かされて「平和のためだ。戦争をなくすための戦争だ」というスローガンに乗っかってしまうことも起こってくる。それが戦争なのだろうと思います。
    『「普通がいい」という病』P.221




ですから、本当の平和とはどうしたら実現するのかと考えてみると、みんなが一人一人の小径を歩くマイノリティになることしかないのではないか。小径では、一人一人が生きること自体がメメント・モリになっているわけで、そうなれば国民の大多数が一つのイデオロギーやムードに支配され流されることは起こらない。それぞれ、自分が生きているということ自体、明日死ぬかもしれないという自覚と緊迫感があるわけですから、誰もわざわざ戦争をしようとは思わなくなることでしょう。
       同書 P.221




ですから、「愛」のために私たちに出来る第一歩は、逆説的ですが、まず自分をきちんと満たしてやることなのです。ところが面白いことに、人間は自分を満たしても、必ずいくらかは余るように出来ている。この余った物を使ったときには「愛」の行為になる。
   泉谷閑示『「普通がいい」という病』P.153



ここまで



そうです、戦争を止めさせる一番良い方法は、

団体になって平和大行進をすることでもなく、「戦争反対」と叫ぶことでもなく、


自分という人間が、マイノリティーの道を行く


ということこそだったのです。


キチガイこそが一番の平和主義者だったのです。

だから私は真剣に基地外を目指すつもりでいるのです。


真の平和はキチガイによってもたらされるのです。


その為には、簡単には騙されず、影響されず、振り回されない状況で

本質を見抜く力を養う必要があるんですね。


それとの関連で次回に続けます。



自分の人生を考えることそのものこそが世界の陰謀とリンクするのです。


人間が、誰しもある意味で何らかの工作員であり、

誰しも被害者でもあり加害者でもあるとはそういうことです。


そして、知らずのうちに人殺しに加担し、

でも生きているだけでどこかで誰かの役に立っている。


それが人間というものなんです。


本当に、人間って面白いものですね。




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とても深い歌~おかしな現代社会に訴えかけるもの~

つまようじ日本国旗inオムライスさんの最新記事

最近のイチオシ曲☆より転載

おじゃる丸のEDテーマ、短いけど深いですよね~
字幕が逆のものしか見つけられなかったのですが、素敵なので聞いたことない方は聞いてみてください☆



そんなわけで今日も私は、傍から見ると大丈夫か?ってくらいマイペースです♪


ここまで


AKBの元メンバーだった人の曲だそうですが、
深くていいですよね。

皆さんも一度聴いてみて下さい。


作詞した人の想いが伝わってきますね。

これはもう陰謀とは別の次元にあります。


ささやかな抵抗であり、訴えでもあります。

限られた範囲で世界を変えることは出来るんですよね。


自分の出来ることをこれからもしていきます。

応援して下さる方にただただ感謝です。

皆さんのおかげで私はこうして生きています。

これからもどうぞよろしくお願いします。


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「生きている」ことと、「生きる」こと~映画「生きる」に学ぶこと~

皆さんは、「生きる」という映画を見たことがあるでしょうか。

1952年秋の黒澤明監督の、日本の映画史に残る傑作です。




見たことがない人の為にあらすじを書いたサイトを挙げておきます。

ネタばれになるので、避けたい方は以下全てを読まずにビデオかDVDで見て下さい。


ストーリーはこちら


人はいつか死にます。

それを誰しも分かっているのに、いざもう死ぬとなったら

突然のことに驚いてしまうものです。

(医療の腐敗は置いておいて、)死の宣告を冷静に聞ける人はいるのでしょうか。


言葉では理解できても、受け入れられない。

言葉では何とでもいえるのに、

行動に移すのは難しい・・・


という現実を踏まえた上で、

生きていることと、生きることの違いはどこにあるのだろうか。


「生きている」とは、言葉を変えたら「死んでいない(死のうとしていない)」

ならば、「生きる」とは何か。


それは、ただ死んでいないというだけではなく、
この世に生まれたことを無駄にしないで何かに一生懸命になっている
ことです。



死ぬ時になって、はじめて「生」の価値を知ることになるのです。

「生きている」ことと「生きる」ことの違いに気づくそうです。


映画の中で、印象的な言葉があります。


たいていの人は、あと少しで死ぬと分かった時に死んだようになります。

しかし、この人は違うかったのです。

死ぬと分かった時から、ようやく(本当の意味で)生き始めたのです。



この映画の主人公は、公務員として役所で30年間ただ働いてきたのです。
しかも無遅刻・無欠勤で毎日ずーっと単調にはんこを押すのみ。

市民からの要望を聞くはずの市民課長でありながらも、
実際は単純にはんこ押しと書類の処理のみ。

椅子に座っているだけで、それが仕事となっていたということです。

まるで、時間をつぶすかのように。


意味も目的もやりがいも何もなく、
組織に従順にすることをしていただけ。


自分が居なくなっても出来るではないかと新人の一人が冗談で言っても
その通りだから誰も笑えない。

でも、それが自分の人生・生活だとばかりにただ処理する日々が続く。

渡辺(主人公)は30年間も、そう言う生き方をしてきたのである。
ただ息子のことを想い、その息子の為に・・・

しかし、実際にすることと言えば「はんこ押し」だけだった。


そんな渡辺は、自分がもうすぐ死ぬと分かった時、

自分は何のために生きてきたのか、この30年。

と、深く悩むことになる。

また、これまでの人生が「死んでいた」ことにようやく気付く。


何か生きた痕跡を残したい。

誰かを喜ばせたい。


この一つの想いが、役所を動かしたのだった。


これまでの彼には絶対にできなかったことを、
あらゆる障壁を打ち破るようにして、

住民らが訴えていた「沼地を改良し、子どもの為の公園竣工」
を実現させたのである。

直接、役所を動かし、世界を変えて見せたのだった。


それまでの人生は、というと、誰の為でもなかった。
自分ではなくても出来ることをただ機械的にこなしていただけだった。

それと正反対のことを成し遂げたのである。


どうしようもない世界のなかで、
それをたった一人の行動で実現させたのである。

一人では世界を変えられないとか、こんな社会だからどうしようもない

と、思うこともよくあると思う(私もあります)。


でも、本当はそうではないんです。


死ぬ気になれば何でもできるのです。

こんなに(富の有無に関わらず、)自分が生きるだけで精一杯の人ばかりの社会。
それでも、誰かを助けたいとか、救いたい、役に立ちたいという精神は

全く汚されてはいない。


そういう人間性にあふれる生き方をしていけたら素晴らしい。

ということを訴えかけているのです。


私はこの映画を見て、勇気が出ました。

後悔しない生き方をしようと、強く思いました。


人間は誰しも、生きているだけで価値があるものです。

それをそこで終わらせないで、さらにそこから一歩踏み出せたら、

きっと生まれてきた意味が見つかる、と思う。


答えは現場にこそある。

答えだけを探しても仕方がない。
死ぬ直前に分かるものをはやくから求めても・・・


病気を見るんじゃなく、病人を見ることが大切なのです。


生まれてきたことが偶然なら、
その偶然を活かして、この世に何か残したい。

それが自分の意思になるから。

私利私欲や見返りを求める心とは無縁のところで、


きっと(死ぬまでに)何かを成し遂げられるはず。


自分がただ機械的に生きていたら、何も生み出さないかもしれない。

自分が楽しく生きていたら、それだけで人を楽しませられるかもしれない。

自分が精一杯生きていたら、それだけで人を勇気づけられるかもしれない。


他人を目覚めさせる生き方をしたい。

誰にも指図されず、自分の意思で、一生懸命生きたい。


あらゆるいわゆる工作員や、権力者さえ巻き込んでしまうくらいの
幸せな人生を作っていきたい。


そう、お金や富を崇めている人に、あっと言わせるような生き方

人間に備わる自然本来の、地に足が付いた、まっとうな生き方。


この世界で、誰しもひとりで生きているんではないことを、
もっと実感できる社会になったらいいなと思うのです。

それぞれの現場で、実現していきましょうね。

「思い立ったが吉日」、です。
早速始めましょう。



それが、廻りまわって最期は自分の為にもなったと思えるように願いつつ、
このあたりで締めくくらせていただきます。

いつもながらに、ありがとうございます。


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やって後悔するのとやらなくて後悔するのとどちらを取るかを決めるのは誰?

                                         
皆さん、今日は投票日です。

投票とは、国民が(とりあえず)直接政治に

影響を与える行動・意思表示です。


私の理想としては、生活に密着した政治(半直接民主性)なんですけど、

それをするには大きな障壁や問題に立ち向かう必要があります。


もちろん、革命なんかじゃない。


ならばどうやって世界を変えるのか。

一人ひとりが政治を動かしているという自覚への覚醒が必要です。


「政治とは生活だ」と実感することにつきます。


ただ、覚醒と悟りと云うものは似ているようで違うと思います。


悟りと云うのは意識が高みに達して、
周りからみれば「あきらめ」のようにも見えます。


でも、本人にはそれがどんなものなのかは分かっているはずです。


この世には、自ら意図して冷静に自死する人もいます。

それは、本人からすれば、自分が意図して生まれてきたことへの
最大の抵抗と云うことになるんでしょう。


「親切とおせっかい」は、表裏一体とよく言います。

同じ問題でも、同じ行為でも、見方によれば解釈は100%変わります。


はやくから(何か自分にとって重要なことを)知っていたら
あの時こうしていたのにとか、

でも知らなければ今、何も悩むことは無かったのにとか。


とても貴重なものを平気で捨ててすっきりしたという人のすぐ横で、

なんてもったいないことをしているんだ、譲ってほしいと思う人もいる。


人間には、交換できるものと、交換できないものがある。


交換できないものと云うものこそが、世界を動かしている。

交換しにくいものもやや同様だと私は思う。


記憶と云うものは性格や人格、
世界観を形成する中で大きな位置を占めている。


自分が気がついたときにはもうこの世界に居て、
でも何年たっても分からないこともあるかもしれない。


なんで生きていますか、と聞いて、

「死ぬときに後悔しないため、今を精いっぱい生きるため」

というのは一つの答えだと思う。


でも、人は突然死ぬことだってある。


地震、雷、火事、発作、交通事故、殺人・・・


今日もどこかでまだ生きたかったのに無念に
お亡くなりになられる方がいる。


その人たちの分まで生きられているだろうか。

たまに考える、でも人生は誰のものでもないとも思う。


何をどこまで考えたらどうなるのかが全く分からない。

分からないことも分からないかもしれない。


こうしているうちに、自分がなにを言いたいか見失ってきた。


さて、せっかく政治に対して意見を持っているのに

あえて投票に行かないというのはどう解釈できるか。



選べるのに選ばない。

それも一つの選択なのか。


選択を放棄するのが選択なら、実質選択とはなんなのか。


愛しすぎて愛人を殺してしまったという表現がある。

愛とは何かさえもはっきりしていないのに。


そんなどうにも捉えきれない世界の中でどう生きるか。


悩ましいところです。



とにかく、今日は「後悔しない」ように意志表示しましょう。

投票に行くことだけが意思表示とは限らないことは確かですが。


後になって後悔しても今日という日は二度と帰りません。

後悔しない選択ならばそれでいいんです。


個人的な意見としては、するかしないかで迷った時は、
後で後悔しない為に思いきってやり尽くしておくことです。

選べるものは選ぶ。
それが例え消去法の結果だったとしても。


ただし、自死の後悔はしようがありませんが・・・


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生まれてきてよかったと死ぬときに思える人生にしよう~全ては自分次第~

                                              
突然で申し訳ありませんが、
まことに勝手ながら、よろしければ、以下の2曲をお聴き下さい。




Nana Mizuki - New Sensation 歌詞
↑歌詞はこちらです




Nana Mizuki - suddenly~巡り合えて~
↑歌詞はこちらです



いかがでしたでしょうか、タイトルと似会わないなあといったところでしょうか。

実は私はつい最近、私の中で、思考革命が起きていることを実感しているのです。



あれはいつのことでしたでしょうか。

玉蔵さんのブログで、初めて「引き寄せ」という言葉を聞いたのは。


あの頃から私の中でだんだんと全てが変わって行き、そして今の自分があります。

最近ますますそれが加速してきたのです。



きっかけは何?

と思う方のために、私の尊敬する玉蔵さんの数々の
珠玉のお言葉がちりばめられた文章を紹介させていただきます。

あまりにもったいなく、引け目にさえ思うので、転載ではなく、紹介にとどめておきます。
ただし、お薦めなので、是非読んでみて下さい。


現実の映写機について

経済学について

現実の映写機についてその2




私にとって、これは凄く衝撃でした。

コメント欄でも書いた文(感想)を載せさせてもらいますね
(まあ、それ自体には何もありませんが)。


よし、幸せになろう

まるで今の私に向けて書いて下さったかと錯覚するくらいピンポイントなお言葉をどうもありがとうございます。

雨の日はテンションがどうしても低くなってしまいますよね。


でも、この想念は最高です。
今までに読んだどの記事よりも感激しました。


>我々の世界は、実際は何もないのです。
>何もないというより全てがあるエネルギー場です。

>我々がそこに何かがあると思うから何かが出てくるのです。


玉蔵さんの頭の中がどうなっているか見てみたいです。

クスリがなくても悟れることをこうして証明されていることは素晴らしいと思います。

自分自身の己への解放と云うのでしょうか。

束縛を本当の意味で無効にされている。


こんな思想家、他にはいません。


私も幸せに生きる権利がある。

よし、幸せになろう。


そして、世界全体の幸せを引き寄せよう!

皆さん、これまでも、これからも、ありがとうございます。

http://www.avex.co.jp/avexgo/(←音楽・追記:動画の方は削除されましたのでそちらをどうぞ)

2010/06/26(土) 13:02:42 だいだいこん




引き寄せは、決して学問にはできない。


もしかして、私のために書いてくださりました?

本当に感謝しています。

私のブログの新着最新記事とリンクしています。

ご存知でないとすれば、引き寄せていたということでしょうか。



今回の記事も本当に深く、そして面白いです。

自然の摂理、排泄に学問などに仕様がないことと同じで、
経済を活性化することに学問などというものはそもそも必要ないということですよね。

私もなんかそんな気がしていました。

経済学をはじめとする社会科学は、全部、高度に専門化して、特別な一部の人にしかわからないものと見せかけているような気がしてならないのです。

こんなにわかりやすくそのことを表現できるのは玉蔵さんだけです、これからも期待しています。


ところで、また今日も引きよせを実感しました。

リアルすぎて書くのもためらってしまうような偶然とは思えないようなことです。

仕組まれているのではない世界もあるんだと思って、一人で感激しました。

そして、ある過去の時点から自分の生き方を自然と振り返り、いろいろ考えさせられる時間をすごしました。


不謹慎かもしれませんが、それだけでも(言い切れていませんが)やっぱり、(いいとか悪いとかもなく)自分次第なのかなと思いました。

引き寄せのすごいところは、ただ単に快楽や発見に出会うだけではなく、その本質が、(たとえ形而上学的だと分かっていても)出来事を自らの人生をもって、生きる世界と共有している、自分は世界の自然の一部なんだと実感できることなのかもしれません。

すなわち、「生」への肯定の湧き上がる感情です。

みなさん、これからもよろしくお願いしますね。

2010/06/28(月) 15:30:38 だいだいこん




2010/06/26(土) 20:19:50 ponpon さんへ

私は今、世の中で相当気楽に生きられる大学生の立場にいます。

そんな私が口を挟むことなどすべきではないと思われて当然かもしれませんが、少し気になったので言わせてもらいます。


玉蔵さんがどのように生きてこられたかは分かりません。

しかし、この日本での年間3万人の自殺者は(おもに経済苦によるもの)洗脳を解いてあげられていたらもっと減らせているのではないかと思っていらっしゃるということだと思うんです。

http://goldentamatama.blog84.fc2.com/blog-entry-519.html

↑この記事を思い出して下さい(「仕事=遊び」についてより一部引用開始)


不安だからこそ頑張る。頑張ってもその不安は消えない。いつまでもつきまとう。

あっけらかんと、のほほんと暮らして、力を抜いて生きればそういう現実がやってくるのではないでしょうか。

皆さんは働かざる者食うべからずと言います。
一生懸命仕事をする。それが美徳だと言います。
まぁ、昔から言いますが、勤勉な日本人。
それは確かに美徳ではありますが、実際、現代社会において働くとはどういうことでしょうか。

現代社会において、仕事とは遊びです。

仕事が辛くて自死するとか。

やってることは遊びなのだから遊びらしく適当に楽しく暮らせば良いのでは。

一生懸命遊ばなければ食えなくなる。

自分たちで、そんな仕組みにしてるだけではないですか。

今、この現実を辛いものにしているのは自分達自身だ。
いつもそう思います。


引用終わり


きっと、そういう自殺者のことをあわれに思うからこそこのような文章をお書きになっているんでしょう。

何の為に生きているかとか、何のために働くとか私もよく考えたりします。


こんなにぜいたくで裕福な暮らしをしているのにも関わらずです。

同じことをしていても幸せに思う人と、つらいと感じる人がいるんですよね。

幸せに答えはないんです。

幸福は科学ではないんです。


こんな私が言っていいのかと思いますが、
もし、その自殺してしまった方の給料が(本人が満足できるほどに)上がっていたらどうなっていたかということを考えてみたいと思います。

それだけで彼は幸せになっていたといえるでしょうか。

少なくとも自殺はしていなかったのかもしれません。


しかし、彼が求めていたのはそんなことではなかったのではないかと思うのです。

一流大学を出て、いわゆる「幸せな人生」を送るつもりだったのでしょう。


でも、もしかしたらそれは自分を追い詰めてしまうことに繋がる洗脳をいつのまにか施されていたのかもしれません。

洗脳といっても、特別なことではなく、世界観をつくる上でのある形而上学的な観念を周りから吸い取っているというか、引き寄せてしまっていたということを考えている訳ですが・・・


必死に「完成された幸せ」を求めるあまりに、どんどん幸せから遠ざかって行ったという悲劇をどうしたら防ぐことができていたのかという大問題が出てきている訳です。

その(ある一つの)答えが、上に献辞されている文章なのではないかと、私は感じました。

玉蔵さんは、空虚な社会に呼びかけられているのではありません、いたいけな個人にささやかれているのです。

それが世界を変えることに繋がるからです。

独り言とされながらも、そういう信念はきっと持たれているかと思います。


その昔、世にも奇妙な物語というドラマに、「エキストラ」という作品がありました。

その中にも○○○が出てきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E3%81%AB%E3%82%82%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E7%89%A9%E8%AA%9E_SMAP%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%88%A5%E7%B7%A8#.E3.82.A8.E3.82.AD.E3.82.B9.E3.83.88.E3.83.A9

http://yonikimo.com/db/public/340.html

あらすじや感想から何かを感じられたら幸いです(動画はありません)。

長くなってすみませんでした。

http://www.youtube.com/watch?v=20Qm2QRPUnU

2010/06/27(日) 13:40:12 だいだいこん



人生を精一杯楽しもう!~すべては自分次第~


私は今、泣いています。

悲しいのではありません、感激しているのです。


これだ、これ!

もう、生まれてきた意味とか悩む必要もありません。

苦しい現実という世界を引き寄せていたのは実は自分自身だったんです。

私は今まで、死ぬことが恐怖でなりませんでした。

死にたくない、絶対に。
家族や周りの人が亡くなってほしくない。

何も失いたくない。

それしか思ってこなかったのです。

だから、本来なら楽しい時間も、いつか自分も死ぬんだ、またすぐに悲しいことが起きてしまう・・・と、すぐにうつ状態になっていたのでした。

そんな人生も、もう今日で終わりです。

もう以前の自分とは違います。

私は評価されるために生まれてきたんじゃない。
生まれてきたことを納得するために生きているんだ。

すべては、楽しむためなんだ。

いつか死ぬことを恐れるくらいなら、死後の世界を今から楽しみに、精一杯生きようではないか、せっかく授かった人生なんだから。

せっかくこの世に生まれてきたんだから。


みなさん、玉蔵さん、今日もありがとうございます。
また私のために書いてくださったように思いました。

そして今日も素晴らしいものを引き寄せました。

玉蔵さんの書かれたこのブログ記事だけではありません。
長くなるので、また後日述べるつもりです。

これからもよろしくお願いします、もう最高です。


2010/07/01(木) 15:17:16 だいだいこん




このブログとリンクしているだけではありません、
まるで私が引き寄せたかのような文章だったのです。

そして、前後に滅多にない凄い引き寄せを実感していたところだったのです。

それを伝えようと思っていたら、例の記事(経済学について)が出ていたのです。


それで終わりではありません。

今日も引き寄せを実感したのです。

で、またそれとリンクするかのような記事(現実の映写機についてその2 )



もう、偶然では済ませられません。


ある人のコメントのように、感極まってもう少しで狂うところでした。そして、じわじわと生きていてよかったという実感が出てきたのです(いや、クスリとかそんなんじゃなくて、ほんま〈本当〉に)―――満たされました。


そうするうちに、皆さんに伝えたい想いがどんどん湧きあがってきて、
別の意味でもうどうしようもなくなりました。


その一部を紹介します。

死を恐れるくらいなら、死後の世界を今から楽しみに精いっぱい生きよう!

自分次第で世界が変わる社会をこそ作らん か(作ろう ではないか)!

世界を作っているのは自分自身だ!

自分が変われば世界は変わる!

世界は一つではない!

同じ場に生きていても感じる幸せさは同じではない!

悲観せずに現実を受け止めよう!

エキストラになるな、人生の主役は「自分」だ!

自信をもって現実を楽しもう!

恐怖さえ楽しもう!

出来ることは何でもしよう!

タブーを恐れずに、自分の言葉で語ろう!

人生を作っているのは自分だ!

今を生きよ、表現の自由の場はいつも「今」だ!

起きる起きないにかかわらず、2012アセンションを楽しもう!

終末論ではない、終末を積極的に楽しむ論だ!


死ぬ時に後悔しない人生をたった今から送ろう!

全ては自分次第なんだ!

我々ウルトラマンなるものに、そもそも敵などいない!無敵だ!

敵を作っているのは自分達自身だ!




今を精いっぱい生きよう!!!


まだ今日のことを全ては伝えられていませんが、とりあえずここまでにしておきます。

皆さん、こんな私をいつも見守ってくれてありがとうございます。


皆さんと、そして玉蔵さんと出会えて良かった!
(出来れば)本当に遭ってみたいです。

今、私はとても幸せです。そのことを伝えるために書かせてもらいました。

これからも本当に宜しくおねがいします。


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優生学とは何か~進化には競争が必須だったと定義した理由~


さて、私は何のために生きているのでしょうか。

それを考える上で、避けては通れない思想があります。


ダーヴィニズムから派生した優生思想です。

今回はそれを簡潔にまとめた文章を紹介させてもらいます。


優生思想の本質より全文転載

優生思想と聞くと、ナチスドイツや旧日本帝国などの軍国独裁政権で行われた、
障害者弾圧のイメージが強いのですが、このような国家レベルの
差別に限らず、個人のレベルにおいても、「障害者は不要」とする考え方を
優生思想と呼んでいます。
正確にいうと「障害の有無や人種等を基準に人の優劣を定め、優秀な者にのみ
存在価値を認める」という思想です。

歴史的な背景としては、ダーウィンの進化論がきっかけとなり、優秀な遺伝形質
を多く残し、劣等なものは排除するのが望ましいとする「優生学」が興り、
それを根拠に、様々な社会問題を解決させる手段としての差別行為を正当化する
「優生思想」が生まれ、戦前の帝国主義者の政策に利用されるようになりました。

経済力や運動能力などの「生産性」のみで、人の価値を計ろうとするから
障害者不要論が浮上してくるのでしょうが、それならば健常者の中にも
随分と多くの不要な存在がいます。
むしろ数からすると、ろくに働こうともしない怠け者や、人の財産を掠め盗ろうと
するロクデナシは、その殆どが健常者です。
生産性に劣るから障害者は劣悪で、健常者は優秀だとする障害者不要論は、
無知蒙昧な責任転化の論理に過ぎません。

人の価値は生産性のみで決まるものではありません。
個人としての人格が持つ精神性や、他者に与える影響力等、森羅万象に対して
何らかの変化をもたらす根源となる「存在意義」が総合的に評価されるべきです。

さてここで一つの設問をします。
親が我が子の健康を願うのは優生思想でしょうか?
また、生まれてくる子どもが健常であることを願うのは優生思想でしょうか?

「障害を嫌う」のと「障害者を嫌う」のとは厳密には別のものです。
「病気を嫌う」のと「病人を嫌う」の違いと同じです。
本来なら上記の答えは「否」ですが、この建て分けが出来る人は多くありません。
障害は「現象」であり、障害者は「それを体現している人(当体)」です。
障害を恐れ嫌う余りに、これを混同し、障害者をも恐れ嫌うところに
優生思想の落とし穴があります。

「現象を体現する」のは、障害者だけではありません。
健常者もまた、現象を体現しています。
そうでなければ、実体の無い幽霊のような存在でしかないことになります。

さらに言えば、この世の中に「健常者」というものは存在しません。
誰であっても、何がしかの不具合を有しているものです。
「私は完璧に健常者だ」と言う人が居るとすれば、その人は精神科へ行く必要が
あります。
「まぁこれくらいならいいか」という「見なし健常者」が、「私は健常者だ」と
言っているに過ぎないのです。
極めて軽度の障害者が、重度の障害者を差別しているだけのことです。

老化現象は誰人も逃れられない、そして確実に死に至る、最も恐ろしい「障害」です。
「老化現象」などとオブラートで包むから、自分が立派な障害者である事に誰もが
気がつかないで居るのですが、全身の筋肉が衰え皮膚が弛み、あらゆる臓器が機能不全
に陥り、記憶力、認識力、判断力に齟齬をきたし、一歩また一歩と死に近づいていく
「老化障害」です。
人に限らず、すべての生き物は、生まれた瞬間から障害生物であることが定まって
いるのです。
(一部の原生生物は老化しませんが、異なる環境に対する適応能力がありません。)

まず障害者であることが根本としてあり、程度の軽重の差があるのが真理です。
「健常者」とは物理学でいうところの「剛体の棒」のように、人の頭の中にのみ
存在し得るものなのです。

また、「健康な子どもが欲しい=健康でない子どもは要らない」という
等式をよく目にしますが、値を変換するための係数的言葉が無いので不完全です。
「障害者が嫌だから健康な子どもが欲しい」であるならば成立しますが、
「障害が嫌だから健康な子どもが欲しい」であるときの右辺は、
「健康でない子どもを持つのが怖い」です。

「拒絶(障害が嫌)」と「否定(障害者が嫌)」とでは意味が違います。
残念ながら、この区別がちゃんと出来る人も、また少ないと言えます。

「拒絶」を説明する例えとして、高所恐怖症の人が、バンジージャンプで飛べない様な
ものと言えば解りやすいでしょうか。
いくら「大丈夫だ!」と言っても「飛んだら気持ちが良いから」と勧めても、
出来ないものは、出来ません。

これを無理に突き落としたりしたら、もう何がどうなるか判りません。
心臓が止まるかも知れませんし、発狂するかも知れません。
失禁脱糞して、人前で醜態を晒し、自尊心がズタズタになるかも知れません。
もしそうなったら、私は突き落とした人を、容赦無く責めるでしょう。
「お前は人でなしだ!」と。

「否定」の最たるものと言えば「ホロコースト」でしょう。
「お前など生きる価値がないから抹殺してやる」
これこそ優生思想と言えます。
破滅的優生思想で、もはや正常な状態とは言えません。
明らかに「人格破綻」に陥っています。

両者を同等に扱うのは適切ではありません。
では「拒絶」は優生思想でないと言えるのでしょうか?

それがそうとも言いきれないのです。
ここまでも既にややこしい話でしたが、ここからはさらに、もつれて来ます。

先述の優生思想の定義からすると「拒絶」は、これに当てはまりません。
ところが、次のように言い換えたらどうでしょう。
「受け入れられる命と、そうでない命とを選別する」
こうなると、すっぽりと収まってしまいます。
最初の定義のものを「狭義」とすれば、今回のは「広義」の優生思想と言えます。

母親の「我が子が健康な体で生まれて来て欲しい」と願うことさえも
優生思想の表れとなります。
しかし、それはどの時代の、どんな国の、どのような種族の人であっても思うことです。
思うなと言う方が乱暴です。

「願うだけならまだ良いが、選別することが良くないのだ」とする意見もありますが、
「願う」という感情が発生してしまった以上、具体的な行動が無くても、何かに
祈らずにはいられないでしょう。
それが、神であれ、仏であれ、はたまた狐狸であれ、クチナワであれ、「祈る」という
行為自体が、ふるいにかけているものです。

自分では選別しないが、神仏に選別を依頼している事に他なりません。
「俺は、殺してくれと頼んだだけで、やったのはあいつだ」といっても
無罪にはなりません。
「殺人教唆」という立派な罪により、刑務所に収監されることになります。

さてこうなると、世の中の全ての人は優生思想を持つと言えます。
もっとも「我が子の健康を願う」のは「願望」であって、論理付けされた「思想」では
ありません。
従って「優生願望」と呼ぶ方が適切です。

ここで一連の流れを追ってみましょう。

生存本能(生き延びたい)

***経験則***

恐怖心(死にたくない)

***逃避衝動***

差別意識(障害が怖い)

***生への執着***

優生願望(障害を避けたい)

***現象と当体の混同***

消極的優生思想(障害者を避けたい)

***社会的な刷りこみ***

積極的優生思想(障害者は不用)

***人格破綻***

破滅的優生思想(障害者を排除したい)

「生存本能」を始点とし「破滅的優生思想」を終点とする、人の心の変化の
連続性が見て取れます。
優生思想とは、狭義においては「論理の顛倒」であり、広義においては
種の保存に関する「本能的欲求」であると考えます。

もっともこれは、全てが悪循環した場合のモデルケースであって、必ずしも
こうなる訳ではありません。
どこかで分岐させることで、有益な結果に導くことが可能であると考えます。



転載終了


さて、私は何のために生きているのでしょうか。

同じ人間のあいだに優れるとか劣るとかあるのでしょうか。
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